64・行くぜ北領
騎士団で手合わせした翌日、ミアがユリアンの部屋へ赴くと、ディートハルトがいた。
「な、なんでディー……トハルト殿下が」
「ユリアンの部屋に来ればミアが来るから」
「何か用……御用でしょうか」
「ここなら敬語じゃなくていいだろ」
他にいるのはジェッソとユリアンと乳母だけだ。みんな第一王子の家出先にミアがいたことを知っている。
「ミアがユリアンの侍女のままでいてくれて助かる」
「どうして?」
「会いやすい」
「……」
それは、何か用事がある際に便利だということだろうか。それとも――。
「せっかくミアが城にいるんだから、一緒にいたい」
「~~~~!」
(そういうことをさらっと言わないでよ~!)
「おれが父上に言っといたんだぞ。ミアはおれの侍女だって」
「さすがだ、ユリアン」
ディーはユリアンの蜂蜜色の髪をわしゃわしゃなでた。ユリアンは赤くなって「あにうえだってそうしてほしいと思って」ともごもご呟いた。
ユリアンの長兄への憧れは強い。昨日の手合わせみたいな強いディーを間近で見ていたら、そりゃやんちゃな男の子なら慕いたくなるだろうとミアは思った。
「で、でも、あんまり一緒にいたらまずいんじゃない? ディーには……アンネリーゼお姉様が。きのう会ったんでしょ。ど、どうだっ、た……?」
ミアの語尾がしおしおと沈む。ディーとアンネリーゼ、二人の様子を聞きたいような、耳を塞ぎたいような。
「どうだったかって? 応接の間で、まず俺がこんなかんじで待ってると、アンネリーゼがこんなかんじで入ってきて」
ディーは腕と足を組んでむすっとした顔をつくり、次に顎をあげてツンとした顔をつくった。
「次に俺が『瀕死のジェッソを癒したのは君か』って訊いたら――」
「ちょっと待って、いきなり? いきなり本題? 回復して最初の会話がそれ? 婚約者なのに」
「いつもそんなもんだ。ていうか、会話があるだけましだった」
「会話があるだけましって……。なんで……?」
「仲が悪い」
そのまんますぎる。どうして仲が悪いか問う気も起きない。ミアだってアンネリーゼが嫌いだ。嫌いだし怖い。極力近づきたくない。手のひらを踵で踏み抜いたり扇で鼻血を吹かせたりお茶に毒を盛ったりする人間を好きになるのは難しい。
「で、アンネリーゼお姉様はなんて?」
「『陛下も同様のことをお尋ねになりました』と。父上に答えたから俺に言う必要はないってことだろ。父上が言うには、アンネリーゼがバルチュ伯爵の屋敷で魔物被害者とおぼしき青年を癒したのは確かだけど、それがジェッソだとは知らなかったと。アンネリーゼはジェッソとまともに対面したことはなかったしな」
「アンネリーゼお姉様は何も知らなかったってことね」
「本当に何も知らなかったのかどうかは分からない。バルチュ伯爵の屋敷にいたことだって、アンネリーゼにとって特別なことではないらしいな」
「バルチュ伯爵夫人と懇意みたいで。カレンベルク家の騎士が、よく訪問に同行してる」
「俺の暗殺に関与してるかどうか、アンネリーゼははっきりしない。でも今はそこを追及してる暇はない。バルチュ伯爵が一番怪しいけど、怪しまれてるのを察したのか領地に引きこもりやがった」
「それ、自分がやりましたって言ってるようなものじゃないの?」
「バルチュ伯爵家ほどの名家になると、王家でも追及が難しいんだよ。そこは父上にじっくり追い詰めてもらうことにしてだな、俺はもう首謀者の特定は済んだってことにして、魔物の被害地域へ行きたい。毎日国境あたりから書状が届くけど……戦える人間が王都でのうのうとしてる場合じゃないよ」
「わたしも連れてってよ」
「もちろん連れて行く」
一瞬の躊躇も見せず、ディートハルトは答えた。
「ミアだけじゃない。ガウも来てほしい。あちこち旅していろんな地域の冒険者ギルドを見てきたけど、北領のギルドほど統率がとれた冒険者の集まりはないんだ。あれってガウの力量だろ」
「うんうん。きっとそう」
老いてからのガウは、魔物討伐そのものよりも若い冒険者の育成や同業者の交流に力を入れていた。合同パーティーでの討伐もよく行っている。
「王立や領主の私設討伐隊だけじゃ限界がある。民間の力が絶対必要だけど……百戦錬磨の荒くれ者を仕切る自信は、俺にはない。ガウの威光と指導力を借りるぞ」
「おお~っ。そう聞くと、ガウってすごいんだねえ」
「凄いんだよ。だからガウに協力してもらうために、まず最初に北領の魔物を片付けないと」
「と、いうことは?」
ミアは顔を輝かせた。
キュプカ村が滅びる悪夢を見て枕を濡らす夜に、やっとさよならできる。
「行くぜ、ミア。北領だ」
「ミアを連れて行く? 正気ですか!」
完成した魔剣を届けに来たアウレールが、らしくもなく声を荒げる。
荒ぶる義兄はめずらしくて、ディーの横でミアは身を縮めた。
「魔力封じも魔障解除もできる魔物狩りの名手を連れて行かない手があるか?」
「しかしミアは……。封印・解除の聖女をゲートルドが狙っているのを殿下もご存知でしょう? ミアの母親は、ゲートルド王家や領主たちから何年も逃げ回っていたのですよ。ミアの存在は公開されています。噂がゲートルドに届いていないはずがないでしょう」
「ゲートルドにかっさらわれないように、ミアを城に閉じ込めて隠しておけと?」
「閉じ込めてとまでは言いませんが……」
「あのな、アウレール。匿えば匿うほど、ミア自身の勘が鈍るんだ。勘って魔物狩りの勘じゃないぜ。持てる力を腐らせずに生きるための勘だ。力が腐れば世界を恐れる。ミアみたいに活力のある人間が世界を恐れだしたら、ろくなことにならない」
「しかし、ミアはまだ十五歳です」
「俺が外に飛び出したのだって十五歳だ」
「殿下……」
「歳くってしがらみができてから飛び出すほうが、苦悩が多そうに見えるけどな」
父のことだなと、ミアは思った。
三人の幼い娘を放って行方をくらますなんて許しがたいが、その突飛な行動があって自分が生まれたのだから、なんとも悩ましい。
「では殿下。ミアがゲートルドに連れ去られたら、どう責任を取ってくださるおつもりで?」
アウレールの目が据わっている。
ものすごく心配されているのが分かって、ミアは胸が苦しくなった。
「連れ戻しに行くに決まってるだろうが」
ディートハルトの言葉に、今度は息が止まりそうになる。
「できるのですか」
「やる」
ああもう、這いつくばって床をバンバン叩きたい。
ミアは悶えた。これほどディーに必要とされるなんて!
(うれしぃぃぃぃ~)
「……わかりました。連れ戻しに行かずに済むよう、ミアを連れ去られないようにお願いします」
湯気が立ちそうなほど顔を赤らめたミアを見て、アウレールはあきらめたような深いため息をついた。
「当然だ。それとなあ、アウレール」
「なんですか」
「ローレンツも貸してほしい」
ミアとアウレールは顔を見合わせた。騎士でも討伐隊員でもないカレンベルク家現当主に、一体何をさせると言うのだ。
「なぜ、義父を?」
「ローレンツの魔力発動、君は見たことないのか?」
「ございません。殿下はおありで?」
「いや、ないんだけど」
(ないのかい)
「先日直接誘ったけど、断られた。陛下にも家族にも同意を得られるとは思わないと」
「それはそうでしょう……。義父本人も同意するとは思いません」
ディートハルトはしばらく考えたあと、「ローレンツに手紙を送る」と言った。
とりあえず話にけりがつき、アウレールは新作の剣を取り出して、ディートハルトに披露した。
「おお。これは凄い。ありがとう、さっそく騎士団のところへ行って試し……」
喜んで受け取ろうとするディートハルトの手が、すかっと空ぶった。
「くれないのか、アウレール」
「お渡しするのに、少々条件をつけてよろしいでしょうか」
「なんだ?」
アウレールは部屋の隅にさがり、ちょいちょいとディートハルトを手招きした。
「なんですか。わたしに秘密の話ですか」
のけ者にされてむくれるミアに「なんだろう?」という表情を向けて、ディートハルトはアウレールの側へ歩み寄った。
*****
「ミアに手を出したら、王子殿下であっても許しません。決してミアに手をつけないと誓ってください」
アウレールに険しい顔で突きつけられた条件に対し、ディートハルトは問い返さないわけにはいかなかった。
「それは、アンネリーゼを案じてのことか? それともミア?」
「……ミアです」
「ミアを思ってのことなら、君はどういう条件下でなら、俺がミアに触れても許す?」
ディートハルトの問いに、アウレールが真顔になる。
「本気でおっしゃってますか?」
「本気だ」
ディートハルトは一呼吸置いた。
自分ではとっくに気付いていた気持ちだけれど、はっきり口にするのははじめてだった。
「俺、ミアが好きなんだ」




