59・騎士聖女ミア
王都大聖堂準聖女控えの間は大騒ぎだった。
今朝方、精察の儀を経て新しく認められた聖女の名前が大僧正から発表され、その中にミア・カレンベルクの名があったのだ。
「ヤスミン、あなたよく落ち着いていられるわね」
「知ってたの? ミアが聖女だって」
準聖女たちが準聖女頭のヤスミンに詰め寄る。
「覚醒の予兆が来てるって話は、フローラ様から聞いてたわ」
「何? 封印・解除の聖女って。そんなの聞いたことないわ」
「私も神話でしか知らないわ」
ヤスミンは僧服の上に織りの凝った儀式用ケープを羽織りながら、肩をすくめた。
準聖女の中から聖女就役の儀の手伝いをするのは二名のみ。準聖女頭のヤスミンは毎回出ているが、もう一人は本人たっての願いでフローラに決まっていた。
「あたしたちミアにかしずくことになるわけぇ? ちょっと癪に触るわね」
「命令されても聞こえないふりしちゃいそう」
「あなたたちねえ……」
「ヤスミンはいいの? ミアにえらそうにされても」
「『聖女ミア』になら全く構わないわ。聖女はね、私たちには課されることのないお役目があるのよ。聖女にしか成せない使命があるの」
「お役目って言っても、ちょこっと怪我に手を当てるだけじゃない。怪我人や病人に触れるだけでいいなら、あたしだってできるわ。あーあ、聖女の力さえあればなあ」
「あたしも聖女に生まれたかった。そうすれば何もしなくたって高位貴族に嫁げるもの。一生贅沢し放題だわ」
「……」
言いたいことはたくさんあったものの、ヤスミンは黙っていた。
それに、準聖女たちの言うことも少しは分かるのだ。
ヤスミンの敬愛する大聖女コルドゥアと違い、現在王都大聖堂に属する聖女たちは、厳しい被災地や恐ろしい魔物被害の出た土地へなど誰も出向かない。
守られた王都の、静謐な聖堂の一室に居ながら、訪ねてくる怪我人や病人に癒しを施すだけ……。
それでも、何の力もない自分にはできないことをしているのだから尊敬に値すると、ヤスミンは自分に言い聞かせてきた。
(ミアなら、もっと自分から動ける聖女になるんじゃないかしら)
あの型破りな公爵令嬢なら、自分の聖女に対するもやもやした気持ちを晴らしてくれるのではないか。
聖女に対する憧憬や尊敬の気持ちを、思い起こさせてくれるのではないか。
ミアならば……。
儀式用ケープの紐をきゅっと締め、ヤスミンはフローラを見た。フローラも愛らしい仕草でケープの紐を結んでいるところだった。手元を見るために伏せられた睫の長いことと言ったら。同性でも見惚れてしまう。
「フローラ様はさ、姉妹の中で一人だけ聖女じゃないわけでしょ? 腹違いの妹まで聖女になったこと、どう思うのかしらね?」
準聖女の一人がひそひそ声で意地悪く言う。
「訊いてごらんになったら?」
突き放すようにヤスミンは答えた。
フローラだったら妹を誇らしいと言い、自分は準聖女として出来ることを精いっぱいやると言うだろう。そこに準聖女たちが期待するような、嫉妬や羨望や自己憐憫はない。
(フローラ様ほど心の綺麗な方はいらっしゃらないわ)
フローラの心はどこまでも澄んでいて清らかだ。
大地の精霊は、なぜフローラに聖女の力を与えなかったのだろう。こんなに清らかなフローラが聖女にならなかったことは、ヤスミンの心に聖女に対する疑問を生んだ。
聖女って本当に、聖なる存在なのだろうか?
「支度ができたわ。ミアの晴れ姿を見られるなんて、本当に楽しみ」
フローラがにこにこしながら近づいてくる。古くからいる準聖女数人はフローラの表情にどす黒い感情が浮かばないか期待して見ているが、新しく入った準聖女はフローラの純粋さを素直に受け止め、共にミアの聖女就役を喜んでいた。
「私もミア様の晴れ姿を拝見したかったですわ。さぞご立派なのでしょうね。なんと言ってもフローラ様の妹君ですもの」
「ミアはとても明るくて活動的で、剣術も達者な自慢の妹なの」
「まあ。剣術も?」
「かっこいいのよ」
「ますます拝見したくなりました」
新人が、まだ見ぬミアに憧れを募らせている。
ヤスミンはミアが聖堂に来た初日に、ミアが下着姿で拳を振るさまを見たわけだが、引き締まった体とキレのある拳はたしかに強そうでかっこよかった。
(あのミアが聖女ねえ)
なんだか可笑しかった。ヤスミンは含み笑いを浮かべ、筋肉質な聖女はなかなかいいと思った。
儀式での準聖女の仕事は、参列者の案内や聖具の移動などの雑用だ。聖堂における小間使いのようなものなので、人々は参列する聖女たちは見ても、準聖女など気にも留めないのが普通だ。
しかし、フローラは別らしかった。聖堂に来る人々は、細々と立ち働くフローラを見て一様に目を細める。
美貌や高位貴族らしい所作の美しさはもちろんあるだろうが、フローラの人目を引く輝きはそれだけではないとヤスミンは感じていた。
聖堂という清浄な場に、フローラの存在はぴたりと嵌っているのだ。フローラが聖堂で軽やかに動き回る様は、風の精霊が空を舞うような、大樹が新芽を芽吹かせるような、自然の華やぎがあった。
フローラの影響で、動機の清らかな準聖女志願の少女が増えてきている。この調子でいけば「準聖女は貴族の愛人候補」という薄汚い印象を払拭できるかもしれない。
(フローラ様のおかげね。フローラ様とミアの)
儀式の始まりを告げる鐘が鳴る。
礼拝堂入り口近くに控えたヤスミンとフローラの前を、聖職者の面々が通り過ぎる。大僧正、僧正、聖女たち……。
筆頭聖女アンネリーゼが通り過ぎるとき、歩調が遅くなったように感じた。面を伏せているから、聖女アンネリーゼがどこを見ていたのかヤスミンにはわからない。
(フローラ様を見ていたのかしら)
フローラが聖堂という場に調和しているとしたら、聖女アンネリーゼは聖堂という場から浮いているように見える。聖堂にアンネリーゼの存在感はきつすぎるような気がする。そんなこと、ヤスミンは誰にも言ったことはないが。
今回の儀式で、かつてのアンネリーゼに迫る力の強い聖女が就役するという。宮廷の重鎮であるラングヤール侯爵の孫娘だそうだ。しかし、話題になっているのはミアのほうだった。旧大国時代の神話にしか出てこない聖女が出現したのだから、無理もない。
大僧正のお言葉から始まった儀式は粛々と進み、ついに新しい聖女たちが奥の扉から入場する段となった。各家で準備した聖女のローブをまとった十代前半の少女たちが、順番に姿を現す。
一番小柄な金髪の少女がラングヤール侯爵の孫娘だろう。まとうローブの色調は地味だが、凝った刺繍が全体に施されているのが遠目にもわかった。
名家の誉を背負った、まだ十歳の少女。
ヤスミンとて、聖女になりたくなかったと言えば嘘になる。聖女コルドゥアのように人のために生きる聖女になりたかった。しかしヤスミンは、ハルツェンバイン国で最高の価値を持つ娘になりたかったわけではない。
お高くとまった聖女たちより、フローラみたいになりたい。聖女コルドゥアに近いのは、アンネリーゼではなくフローラのような気がする。
そんなことを考えていたら、ざわ……と礼拝堂の空気が揺れた。
奥の扉からミアが入場したのだ。
ヤスミンはあやうく「は?」と声をあげるところだった。
(ななな、なんで? なんであの格好?)
混乱気味に、瞳だけ動かして隣のフローラを見る。フローラの頬は上気して赤らみ、瞳は潤んでキラキラしていた。
喜んでいる。ものすごく。
(いいの? えええ~? いいの?)
凝りに凝った刺繍を施した重々しいローブの少女たちの中で、ミアは一人異彩を放っていた。とんでもなく似合うところがまた、ミアらしいのであるが。
(様になってるし、ミアのことだから見掛け倒しじゃないんだろうけど。にしてもこれってありなの? ねえ?)
ミアは特別誂えの騎士服だったのだ。
ラングヤール侯爵の孫娘が、目をひんむいて騎士姿のミアを見ている。皆の注目と最高の誉を受けるはずだった十歳の少女は、完全にお株を奪われた形だ。
正直に言えば――ヤスミンは胸がすく思いだった。
『聖女であることは戦うこと』
聖女コルドゥアの遺した言葉だ。コルドゥアは重たいローブなど脱ぎ捨てて、戦場のような過酷な現場にだってどんどん赴いた聖女だったのだから。
「騎士姿ってことは、ミアって聖堂に勤めないの? えーつまんなーい! いろいろ訊きたかったのに」
聖女就役の儀ののち、噂を聞きつけた準聖女仲間がわらわらとヤスミンを取り囲んだ。ミアが聖女なんて癪にさわるとか言っていたくせに、好奇心のほうが勝るらしい。
「私だっていろいろ訊きたいわよ。まさかの騎士服! 驚いたわ」
「癒しじゃなくて戦闘属性ってこと? それって聖女なのかしらー」
「状態異常を正常化するなら聖女なんじゃない?」
「まあそうか」
「戦闘属性なら、戦地に行かされるってことなのかしら」
「えー。あたしそんなのごめんだわ」
「あんた聖女じゃないでしょ」
「そうだけど」
「昔は癒しの聖女だって戦地に行ったのよ。隣国と戦争が多かった時代は」
「昔は昔よ。あー、あたし今の時代で聖女に生まれたかったわ。いいなあ、精霊に選ばれた子たちは。将来安定で」
寄り集まってざわざわと好き勝手なことを言っていると、当のミアが礼拝堂裏口からひょいっと出てきた。ミアは準聖女仲間の集まりを見つけると、とととっと近づいてきた。騎士服のままだ。
「あらミア~! やーね、似合ってるじゃない」
物怖じせず話しかける準聖女は貴族ではなく商家の娘だ。伯爵令嬢のヤスミンのほうが、正式に聖女となった者に気安くするなんて畏れ多いと思ってしまう。
「それ、どこの騎士団の服?」
「どこでもないんですよ。まだ所属が決まってないんで」
聖女になったミアのほうがえらいはずなのだが、話し方が準聖女の後輩のままである。真面目なヤスミンは注意しようとしたが、ミアに質問が殺到して話に入れない。
「聖堂に来ないの~?」
「癒せないですもん。わたしなんてここじゃ用無しですよ」
「じゃあどこに所属するの?」
「うーん。王立騎士団か王立魔物討伐隊ですかね」
「そのほうがミアっぽいわ。『脱いだらすごいんですよ』だもんね、ミアは」
商家の準聖女が拳を振る真似をし、どっと笑いが起こる。
「忘れてくださいよ~っ」
ミアが赤くなってばたばたと手を振っている。
変わり種とはいえ正式に聖女となったのだから、もう少し威厳を持ってほしいとヤスミンは思う。フローラに注意してもらおうと姿を探すと、皆に交じってにこにこしている。
(だめだわ……。聖女アンネリーゼが何かおっしゃってくださらないかしら)
裏口ではなく正面のほうから聖女の一団が出てきたので、ヤスミンはそちらに視線を向けた。
聖女アンネリーゼの気配はすぐにわかる。アンネリーゼだけ、別空間から切り取って貼り付けたかのように、存在感がくっきりしているからだ。
アンネリーゼは準聖女の一団を見ていた。
しかし、その目はミアを見ていなかった。
アンネリーゼが睨むように瞳を固定している先にいるのは、フローラだった。
(またフローラ様をご覧になってらっしゃる)
フローラが聖堂に来るようになってから、アンネリーゼの射るような視線を追うと、そこにいるのはいつもフローラだった。姉が妹を慈しむまなざしではない。
フローラを見るアンネリーゼのまなざしは、視たくないからこそ注視してしまうような、ひりひりした感情を伴うものに思えて、ヤスミンはすぐに目をそらしてしまう。
アンネリーゼとフローラ。
この姉妹には、一体何があるのだろう。




