58・精霊の道しるべ
ディートハルトとジェッソが病室に戻され、謁見の間にはミアだけが残された。元々、午後に王様に謁見する予定だったのだ。すっぽかしてしまったが。
「陛下、王妃殿下、本日はまことに申し訳ありませんでした」
ミアは改めて王と王妃に謝罪した。
「まあなんだ、ご苦労だったな」
事情を知った王妃様は、ねぎらいの言葉をかけてくれた。王様は威厳漂う渋面だったが。
「明日の朝、そなたの聖女精察の儀の結果が公布される。正式な聖女精察の儀の結果は、法典により公布が義務づけられている」
王様が厳かに告げる。ミアは面を伏せて拝聴した。
「聖女は国のものだから、ではない。聖女は精霊のしもべであるからだ。我が国土は精霊の加護によって国の形を保っている。聖女と魔法使いは力を分け与えられた精霊のしもべであり、精霊のしもべが人の世の便宜のため王族や貴族としてまとまりを持ち、人の棲む地を任されているに過ぎない」
ミアは伏せていた顔を上げた。
王様はまっすぐミアを見ていた。
「聖女ミア・カレンベルク。そなたはハルツェンバインの地を守護する精霊の名に恥じぬよう、しもべとして国土を護らねばならない」
「はい」
「私から言うことは以上だ。後は王妃と話すがいい」
王様は玉座を立ち、再度面を伏せるミアの横を通って、厳かに謁見の間から去った。
(聖女はハルツェンバインの地を守護する精霊のしもべ――)
ミアは王の言葉を反芻した。
この謁見で、王家に忠誠を誓わされると思っていた。将来ディーの臣下としてディーの手助けができるなら、王家のものになるのも構わないと思っていた。
しかし、陛下は。
ハルツェンバイン王ディートヘルムは。
ミアに王への忠誠など求めなかった。ただ、精霊の名に恥じるなと。
「聖女ミア」
ミアが静かな感動に打ち震えていると、王妃がその名を呼んだ。王妃もかつて「聖女マルガレータ」と呼ばれていたのだとミアは思い至った。
「はい」
「場所を移るか。この部屋は広すぎるからな」
王妃はミアを連れて、王家の私的な応接間に移動した。メイドにお茶の支度をさせ、すぐに下がらせる。二人きりになると、目の前のお茶請けの菓子を見てミアのお腹がぐーと鳴った。
「申し訳ありません……」
「夕食がまだだったか。悪いな。すぐに済む」
王妃は食べろ食べろとばかりに、自分の分の焼き菓子もミアの前へ突き出した。いいのかなあと思いつつ、空腹には逆らえない。遠慮なくいただくことにする。
「討伐は楽しかったか?」
「はい。えっ、あっ、ごほごほ……」
うっかり正直に答えて慌てたせいで、無作法にもむせてしまった。
「ディートハルトにも困ったものだ」
困ったものだと言いつつ、王妃様はなんとなく機嫌が良さそうに見えた。
「なあミア。リューレイ国の神話で、『精霊の道しるべ』を知ってるか?」
「たしか、精霊が使命を与えた人間の話だったと記憶しておりますが」
ドロテアから課せられた淑女教育の一環で、ハルツェンバイン・ゲートルド・リューレイの旧大国三国の神話をミアは全て読まされていた。
「そうだ。リューレイでは、人間は死んだのちに精霊に与えられた使命が何であったか知るとされている。しかし、人生半ばにして己の使命を悟る者もいる。その者が『精霊の道しるべ』だ。『精霊の道しるべ』となった人間は、精霊に課された使命に引っ張られるようにまっすぐ生きる」
「はい」
「神話に過ぎないがな。だが、私の人生に二人、これが『精霊の道しるべ』かと思った者がいる。一人は大聖女コルドゥア」
「大聖女コルドゥア……」
ドロテアとアンネリーゼとフローラの母。人々がいまだ崇拝してやまない聖女の頂点だ。当代一の聖女だったにもかかわらず、王家には嫁がなかった。嫁いだのは今ミアの目の前にいるマルガレータだ。
「彼女が、最も力が強いだけの聖女だったら、私は王妃の座になどいない。コルドゥアが王妃の座を蹴ったから、何の因果か私がここにいる」
「蹴った……? なぜですか」
「王妃は聖堂に所属しない。聖女である前に国母とされ、聖女としてのつとめは制限される。コルドゥアはそれが我慢ならないと言っていた。彼女は『人を癒すこと』に強い執着があった。己の身も顧みない強い使命感があった。三度目の妊娠の経過が思わしくなかったのに、コルドゥアは聖女として求められればどこへでも行った。伝染病が蔓延する貧民街でも、危険な被災地でも、魔物被害が出た山奥の村でも。無理を重ねて、その結果として命を落としたようなものだ」
王妃はひどく残念そうだった。
聖女コルドゥアと王妃様は、個人的な親交があったのかもしれないとミアは思った。二人とも聖女だから、きっとどこかで接点があったのだ。
「コルドゥアは聖女に付随する地位には無頓着だった。社交の場で貴族連中にちやほやされるのも嫌いでな。大事なのは『癒すこと』だった。あまりの無欲さに人間味を感じられないこともあったな。そんなとき思った。彼女は『精霊の道しるべ』だと」
王妃は言葉を切って、お茶を口にした。
ミアはカレンベルク家の玄関ホールにある肖像画を思い浮かべた。どことなくぎこちない、不思議な微笑を浮かべた大聖女コルドゥアの像。
「で、もう一人がアレだ。息子の奴」
「ディートハルト殿下ですか?」
「石化中、意識があったら絶望していそうなものだが、奴は目覚めた後のことを計画していたかのように動く」
「そうですね。全然絶望してた気配ないですね。目覚めて当然みたいなかんじで」
「妙に腰が据わっとる。ディートハルトを見ていると、私はコルドゥアを思い出してな。少々恐ろしい。コルドゥアはまっすぐ生きるあまり、命を落としたからな」
「……」
「ミア」
「はい。王妃殿下」
「陛下や私では奴の手綱はとれん。陛下も奴を従わせるのは無理だと悟っておるから、国一番の魔術師を護衛につけたのだ。さらに古代の聖女までつけるかと笑われるかもしれぬが……奴が請うのなら、奴を助けてやってくれ」
「はい。もちろんです」
「感謝する」
「でも、あの――」
ディートハルトを守り助けるのはミアの望むところでもあったが、ミアにはもう一つ守りたいものがあった。
「なんだ?」
「もし、ディートハルト殿下の許しが出たら……わたしを北領キュプカ村へ行かせてもらえませんか。キュプカ村はゲートルドの国境に近く、魔物被害が心配です」
「そなたの故郷か」
「はい」
「ディートハルトが陛下から国境の魔物討伐に関する権限を得たら、奴の判断に任せる。ただ、暗殺犯を突きとめぬことには、陛下は奴に権限を与えないだろう」
「暗殺犯……」
「キュプカ村にはどうせモニカが行っているのであろう? ブランケン領を潰した女傑に今は任せておけ。まったくどいつもこいつも、権力なんて屁とも思わんやつらばかりだな」
王妃マルガレータはそう言いながら、やはりどこか愉快そうだった。
「聖女ミア就役の公布は明朝八時、就役の儀は王都大聖堂にて明日正午だ。儀式では本来ローブをまとうが、ミア」
「はい」
「そなたは別のものを着てみないか?」




