54・聖女精察の儀、再び
聖女精察の儀当日。
「ちょっと仰々しくないでしょうか、ドロテアお姉様」
聖堂に向かう馬車に乗り込んだミアは、同行の姉にぼやいた。
カレンベルク家で一番いい四頭立ての大型馬車で向かうのは、まあ分かる。公的な場においては公爵家の格を示さねばならないからだ。馬車をカレンベルク家の騎士が守るのもわかる。
しかし、カレンベルク家の騎士の周りをさらに王立騎士団が囲むのは、やりすぎではないだろうか。ちょっとした隊列になっていて、道行く人が何事かと立ち止まって見ているではないか。
「宮廷はあなたのことを隠さないということでしょう。陛下は、新たな封印・解除の聖女はハルツェンバイン国の所属だと、国内外に知らしめるおつもりです」
「なんだか話が大きくなってついていけません」
「これからですよ、ミア」
「はいー……」
ミアが不安まじりのため息をつくと、ドロテアがそっとミアの手をとった。
「あなたに何があろうとも、カレンベルク家本家はあなたを守り、支えます」
「ドロテアお姉様……」
「分家筋や他家へ嫁いだ者が横槍を入れてきても、本家はこちらですから。あなたは次期当主のわたくしが教育を授けた、カレンベルク公爵家令嬢です。よその家の者が無礼なことを言ってきても、堂々としていなさい」
「はい。しょぼくれずに張っ倒します」
「張り倒すのは心の中でなさい」
「はいー」
ミアが苦笑すると、ドロテアも小さく笑った。
聖堂に到着すると、馬車どまりに何台もの立派な馬車が停められていた。
聖女精察の儀に参加するのは、十六歳の誕生月翌月の貴族令嬢と、聖女覚醒の予兆が現れた娘だ。 貴族ではない娘が予兆を示すことはごくまれで、今回の儀式に平民はいない。
聖女を妻とするのは上位貴族ばかりなので、聖女の血を引くのは主に家格が高い家の令嬢である。ミアも一見それ側ではあるが、内実は色々と訳ありの特殊例だ。さぞ好奇と反発の目で見られることだろう。
ドロテアの後に続き、ミアも楚々とした足取りで馬車を降りた。公爵家の騎士と王家の騎士が整列してミアを見守っている。
(見守ってくれてるのは公爵家の騎士で、王家の騎士は『見張ってる』が正しいんだろな)
何度も手合わせしてきた公爵家の馴染みの騎士と目が合う。
その若い騎士は、目立たないよう小さく親指を立ててきた。
見知った顔の騎士たちを見回すと、全員笑いをこらえるような顔をしている。
(ミア様が聖女とかウケるーとか思ってるんでしょ。あんたらは)
見守られているというより、見世物になっている気分だ……。
全員あとでギッタギタにしてやろうと思いつつ、公爵家令嬢として恥ずかしくないよう、背筋を伸ばして表情を引き締める。
ふと、騎士のものではない視線を感じた。
そっと目をやると、カレンベルク家に負けず劣らず仰々しい馬車から降りて来た令嬢がミアを見ていた。
十歳くらいだろうか? 輝く金の巻き毛に大きな青い瞳の、とても華やかな令嬢だ。生まれながらの令嬢は十歳で完成されているものなのか。子猿だった自分とは大違いである。
その令嬢は目をそらすでもなく、不躾と言っていいほどミアを眺めまわしてから、同行の母親らしき婦人に何か言い、二人でくすくす笑った。
(かんじ悪いな)
「ラングヤール侯爵家のブリギッタ様です」
ドロテアがそっと教えてくれる。ラングヤール侯爵と言えば、宮廷の重鎮で王都派の中心人物だ。社交界ではディーの政敵とみなされているらしい。
ドロテアがラングヤール母娘に会釈するので、ミアもそれに倣った。ブリギッタ嬢と母親も会釈を返してきた。
「ラングヤール侯爵夫人と娘さんですか?」
「次期当主夫人とその令嬢です。ブリギッタ様は侯爵の孫に当たります」
「あのお母様……どこかでお会いした気がします」
「王都大聖堂で二番目の間にいらっしゃる聖女バルバラです」
「ああ! そうでした、そうでした」
王都大聖堂は一番目の癒しの間にアンネリーゼ一人が、二番目の癒しの間に聖女が二人いる。二番目の間には、アンネリーゼよりやや年上の若い聖女と中年の聖女がいた。聖女バルバラは中年のほうだ。
「あのお母様、王都大聖堂で二番目か三番目の聖女ってことですね」
「そうなります」
「準聖女だったわたしのこと覚えてらっしゃるかなあ。ヘマしてヤスミン様に怒られてたとことか。うわっ、恥ずかし!」
それでクスクス笑われてたのかもしれない。ならば仕方がない気がしてきた。
「……あなたは気楽ですね」
あきれ口調でドロテアが言った。
つきそいのドロテアと別れ、精察の儀を受ける娘たちだけが集う控えの間に通される。
ミアを案内してくれたかつての準聖女仲間がちらちら見てきたので、ミアは口パクで「おひさしぶり」と伝えた。
勝手知ったる王都大聖堂である。
精察の儀の前に、控えの間から抜け出して関係者エリアに行く時間くらいあるのは知っている。
ミアはもちろん、フローラの様子を見に行くつもりだった。
とりあえず控えの間に入り、固い椅子に腰かけていると、馬車どまりで会ったラングヤール侯爵の孫娘に声を掛けられた。
「カレンベルク公爵家のミア様でいらっしゃいますわね?」
「はい」
子供特有の甲高い声で問われ、淑女のほほえみで応じる。
「あたくし、ラングヤール侯爵家のブリギッタと申しますわ。母がこちらの聖堂の高位聖女ですの」
「聖女バルバラでいらっしゃいますね。お母様にはお世話になりました。ついこの間まで、準聖女としてつとめておりましたので」
「準聖女。ふふっ」
ブリギッタが鼻先で笑うと、なぜか控えの間にいるほかの令嬢たちからもクスクス笑いが漏れた。
準聖女時代の失敗のあれこれがそんなに広まっているのかなあ――などとのんきに考えるほどには、ミアは鈍感ではなかった。
これはつまり、あれだ。嘲笑による優位性の誇示。
「公爵家の令嬢なのに、準聖女。ふふっ。あら失礼。めずらしくて、つい」
周囲のクスクス笑いが大きくなる。
今気付いたが、この部屋にいる数人は十六歳より年若い少女ばかりだ。十六歳の誕生日を過ぎた娘と覚醒の予兆が来た娘は、控えの間が別々だったことをミアは思い出した。
つまりこの部屋にいるのは、聖女となることがほぼ確定している令嬢ということだ。貴族の娘で聖女という、ハルツェンバイン国で最も価値が高い女性となる少女たち。
「あきらめて準聖女におなりになったのに、予兆が来たのですわね。喜ばしいことですけど……ミア様っておいくつ?」
「十五歳です」
「十五歳! まあ、ずいぶん遅かったのね。あたくしは十になったばかりですの」
「お若いですね」
「予兆が来る年齢が若いほうが、聖女の力が大きいのですわ。十歳は、とても若いのですって」
「そのようですね」
アンネリーゼは異例の九歳だったらしいし。それを言ったらブリギッタがへそを曲げそうなので、黙っておくが。
「ギリギリ十五歳で聖女になっても、ねぇ? 平民相手の大部屋の聖女がせいぜい……あら失礼」
この子は少し黙ったほうがいいんじゃないかとミアは思った。
聖女のほとんどが大部屋の聖女となるのだから。この控えの間にいる令嬢たちだってそうだろう。クスクス笑いがぴたりと止んで、空気がピリピリしてきたではないか。今から周囲を敵だらけにしてどうするのだ。
「あたくし、精察の儀は済ませていませんけど、力が凄いので、もう聖女としておじい様のお役に立っておりますの」
ミアの心配をよそに、ブリギッタの自慢は止まらない。
「すばらしいです」
「つい先日も、おじい様の護衛騎士の傷を癒しましたの。右手の甲をこう、刃物で深ぁく傷つけておりまして」
ブリギッタは左手で、右手の甲を横一文字に斬る真似をした。
「とってもきれいに治しましたわ! 刀傷をきれいに治せる聖女は少ないんですって。おじい様が大変驚かれて。フェリクス殿下の婚約者候補に、あたくしを推すっておっしゃいましたの!」
フェリクスの名が出た途端、同室の令嬢たちが一気にざわついた。
「フェリクス殿下はまだ婚約者がいらっしゃらなかったわね」
「そうだわ。聖女の力が大きければ、フェリクス殿下の婚約者に……」
「うちだって侯爵家よ。あの子より私が……」
ブリギッタが投げ込んだ火種により、令嬢たちの間に火花が散る。
(フェリクス殿下大人気! えー、やだやだ。フェリクス殿下はフローラの!)
勝手ながらミアの中ではフェリクスとフローラが薔薇園で寄り添う図が完成しているので、大変不愉快だ。
(聖女の力が何さ。フローラの清らかさが最強よ!)
「あらミア様。どうなさったの?」
憮然としているミアに、ブリギッタが目をとめた。
「ミア様もフェリクス殿下をお慕いしてらっしゃるの? 身の程知らず――あら失礼。でもミア様って、大聖女コルドゥアの血を引いてらっしゃらないのでしょう? いくら公爵家令嬢で、少しばかり聖女の力がおありでも、ね? お気の毒ですけれど」
憐憫を張り付けたにやけ顔で、ブリギッタが言う。
妙に突っかかってくると思ったら、それが言いたかったわけだ。格上の公爵家だからって、大聖女の子ではないのだから出しゃばるなよと。
(くだらな~)
このクソガキは被災地か戦地で奉仕させて、性根から叩き直したほうが良くないか? ゲートルド人ならきっとそうするだろう。
「そうですね。わたしなどとてもとても。失礼します」
バカバカしくてつきあってられなくなったので席を立つ。
控えの間を出ようとしたら、「お逃げになったわ」とくすくす笑う声がまた聞こえた。
準聖女のみんなは今ごろ泉から聖水を運んでるところだよね~と思いながら、ミアはすたすたと外廊下を歩んだ。
「あれっ。ミア?」
さっそく、かつての準聖女仲間に声を掛けられる。聖杯を礼拝堂に届けた帰りらしい。
「なによあんた。第三王子の侍女に出世したんじゃなかったの?」
あれって出世なのか。毎日追いかけっこしてるだけなのだが。
「いや~。今日は聖女精察の儀に」
「ああ、十六歳になったのね」
誤解があるようだが、面倒なので訂正はしない。
「フローラどうしてるかなって思いまして」
「フローラならあそこよ」
準聖女仲間が指さす先に、庭園でフローラが人々に囲まれている姿があった。お年寄りが多く、若い男性はいない。ちょっとほっとする。
フローラは話しかけてくる人々ににこにこと応じ、しばらくすると小さな旗を持って人々を先導しはじめた。
「なんですかあの旗。あんな仕事ありましたっけ?」
「ご祈祷の案内よ。最近、お祈りにくる人が多いのよ。地方からわざわざ来る人もいるわ。第一王子が倒れたでしょ。快癒祈願ね」
「へええ」
ディートハルトの魔障ならもう癒えたが、暗殺未遂の疑いが濃厚なため、回復は伏せられているのだ。
「聖女アンネリーゼのお力を持ってしても、第一王子はまだ治らないわけ? あんたお城にいるんでしょ。どうなの、ディートハルト殿下の容態は」
「えーと……魔法による障害は、聖女の癒しでは治せなくて……」
アンネリーゼの名前が出ると、どうしてもぎくりとしてしまう。
錐で突かれたように胸が痛い。
「もしかしてあたし、訊いたらまずいこと訊いた?」
「えっ」
「あんたがめちゃくちゃ暗い顔になったから。相当まずいの? 殿下は?」
「いえいえ。そんなことないです。結構元気みたいです」
ミアはあわてて否定した。
実際、木からバルコニーに飛び移るくらいには元気になっている。
「まさか、実はもう逝去されたとかないわよね?」
「ないですって!」
「まあ、一介の侍女じゃ何も知らないか。ディートハルト殿下って平民には人気なのよね。とくに田舎の人に。亡くなったりしたらきっと大変」
準聖女仲間は勝手に暗い想像をして、祈祷者の列を眺めてしんみりした顔をした。
「令嬢の間ではフェリクス殿下が人気ですけどね」
「そりゃあそうよ。どこの聖女様がフェリクス殿下を射止めるのかしらね~」
「聖女じゃなきゃダメなんですか?」
「そりゃあそうよ。王家だもん。……もしかしてミア、狙ってた? 無理よ!」
「狙ってません!」
「お城でさ、フェリクス殿下を見かけたりする? あ~いいなあ~! あたしも第三王子の侍女やる!」
「木登りできなきゃ無理ですよ」
「なにそれ。……おっと、ヤスミンだわ。さぼってたら怒られちゃう。またね、ミア」
準聖女仲間が小走りに去っていく。
最初のうちはミアに意地悪してきた彼女だが、去り際に「またね」と言ってくれる程度には通じ合えるようになった。そう思うと、準聖女のおつとめも悪くなかった。
「ミア! 来てたのね。聖女精察の儀ですって?」
入れ違いに、ヤスミンがミアを見つけて駆け寄ってくる。
「お久しぶりでーす! わあ、なんか戻って来たみたいでうれしい」
「フローラ様に伺ったわ。覚醒の予兆が来たのなら、ミアは聖堂に戻ってくるのでしょう? 処置室ではなくて、癒しの間だけれど」
「う、うーん」
さすがに「実は癒しの聖女じゃないんです」とは、この場で言えない。
「楽しみね。私、本当に楽しみなのよ。ミアだったら、今の縛られた聖女の在り方を変えてくれるんじゃないかと思って」
「縛られた聖女の在り方……」
「やだ、難しく考えないで。ミアとフローラ様が来てから、準聖女控えの間の雰囲気がだいぶ良くなったの。あいかわらずの子もいるけど、ミアがいなくなってさみしがってる子もいるわ。新しく真面目な子も入ったわ」
「ほんと?」
「本当よ。あ、フローラ様~! こっちこっち!」
列の引率を終えて戻ってきたフローラを、ヤスミンが呼び止めた。ミアを見つけたフローラの、咲きほころぶかのような笑顔が輝く。
「フローラだ! うわぁんフローラ~。会いたかった~!」
束の間だったが、久しぶりの再会を三人で喜ぶことができた。
フローラとヤスミンの元気な様子に満足したミアは、控えの間に戻った。
ブリギッタはまだまだ絶好調で、「あたくしの精察が済んだら、きっとお城に早馬が向かいますわ!」などと言って周囲をげんなりさせている。
アンネリーゼの精察の結果がすぐにお城へ伝達され、瞬く間に第一王子の婚約者に決まったことを踏まえての発言だろう。
ラングヤール家ならば、ブリギッタをフェリクスの婚約者に推せる力を持っている。
(なんでこう、強い聖女って揃って性格が悪いんだろう……)
アンネリーゼのことは極力考えないようにしているのに、ブリギッタを見ているとどうしても思い出してしまう。
(こんなクソガキなんかより、フェリクス殿下には絶対フローラのほうがお似合いなのに)
横目でブリギッタを見ていたら、うっかり目が合ってしまった。
ブリギッタがなぜか、ふふんと唇の端を吊り上げる。
「ラングヤール家は、叔父様が王立魔物討伐隊総隊長の大役を任されておりますの!」
(あっそう。ふーん)
「王家からの信頼が厚いんですのよ!」
(へー。だから?)
「お母様は高位聖女ですし、あたくしも高位聖女になりますわ!」
(はいはい。そうでしょうとも)
「宮廷の重鎮でいらっしゃるおじい様がおっしゃいますの。これからはラングヤール家の時代になると!」
(なんでこの子、家自慢しながらこっち見るの?)
自慢をかましながら、ブリギッタがミアのほうをちらちら見てくるのだが。彼女につられて、ほかの令嬢もミアを見てくる。
(あ。もしかして)
ブリギッタ・ラングヤールは「カレンベルク家」に対抗意識を燃やしているのかもしれない。王家の騎士まで引き連れてやってきたのを見られたわけだし。
(やれやれ)
ならば、受けて立つわけにはいかない。
ドロテアならこんなちゃちな子供の喧嘩、絶対買いはしないからだ。
心の中で「黙れよクソガキ」と悪態をつきながら、ミアは淑女の笑顔を保った。
*****
「うわああああああああん!」
聖女精察の儀から戻ったブリギッタ・ラングヤールは、自室に閉じこもりベッドに突っ伏すと、大声で泣きわめいた。
今日は、記念すべき日になるはずだった。
未来の大聖女として栄光の第一歩を踏み出す日のはずだった。
誰もがブリギッタの精察の結果に驚き、ブリギッタを仰ぎ見たのに。ブリギッタが口をつけた聖水は誰よりも鮮やかな青に染まり、またしても大聖女の再来かと、場が騒然となったのに。
早馬がお城に届けた伝文は、ブリギッタの精察結果ではなかった。
なんなの。あのオレンジに染まった聖水は。
ミア・カレンベルク。
最後に、彼女が口をつけた聖水が透明なグラスに注がれたとき、騒然としていた礼拝堂は静まり返った。
僧も聖女も皆、何が起こったかわからなかった。
大僧正だけがすべてを心得ていて、しんとした堂内で神話の一文を読み上げた。
その者、魔の術を封じ、またかけられし魔の術を解く。その者の水は橙色にうつろふ。
――いにしえの聖女。
第六章終了。ミアの立場が固まってきました。次回からディーと力を合わせてがんばっていきます!
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