38・再会
「ミア。おれは今日逃げないから、寝てていいんだぞ」
一睡もできなかったものの、ミアがいつも通り上階へ出向くと、開口一番ユリアンがそう言った。
「いえ。殿下といさせてください」
「ミアがそうしたいならいいけど……」
ほんのり頬を染めてユリアンが答えた。何か言いたそうにしているが、思いつかないのかそわそわしている。
「ユリアン殿下ってお優しいですね」
「なっ……。やさしくなんかないぞ!」
「きのうは殿下を慰めに行ったのに、最後は逆に慰められちゃったし」
「おまえの顔がやばすぎたからだ。今もやばい」
「そうですか?」
「すごいやばい。いいから座れ」
「はい……」
ミアはおとなしくユリアンの向かいに腰かけた。
メイドがお茶を出してくれたので、ありがたく口をつける。
ミアがお茶を啜る音だけが、ユリアンの部屋に静かに響いた。
「なあ……ミア」
「はい」
「ミアってその……あにうえのことが好きなのか?」
「わからないです」
「わからないって」
「十歳から会ってなかったし」
「十歳のころは?」
「好きでした……すごく。うっ……」
「わっ! おいこら、泣くな!」
「ごめんなさい……うっく」
「泣くなよ~」
「泣き止もうとはしてるんですけど……」
「じゃあもういい。泣け」
「はい。うう……ひっく」
ミアはユリアンに細かい説明はしなかったが、十歳のころ半年間一緒に過ごしたと言ったら、大体の事情は察したらしかった。ディートハルトの家出のことは知っていたのだろう。
九歳に甘える自分が情けなくもあったが、どうにもならない。
遠慮なく泣いていると、誰かが部屋を訪ねてきたらしい。乳母が取り次いでいる。改まった口調だからえらい人だ。
(泣き止まなくちゃ)
ハンカチーフでごしごしと目をこする。
泣いていたのはバレバレだろうが、貴人を前に涙まみれよりはましだろう。
「あっ母上」
ユリアンの呼びかけに、訪れたのは王妃だと知る。
ミアは椅子から立ち上がり、面をうつむけ淑女の礼をとった。
「よい。楽にしろ。顔を上げろ」
謁見のときと同じ端的な物言いで、王妃がミアに声をかける。
ミアは泣きっ面を上げた。王妃は軽く驚いたように目を見張った。
「泣いていたのか」
見ればわかるだろうと思ったが、「はい」と答える。
「泣いていたところをなんだが、来い。そなたが必要だ」
王妃はくるりと背を向けた。
ついて来いということだろう。
連れていかれた部屋にはアウレールとジェッソと王宮医がいた。
ミアの姿を見て、アウレールが弾かれたように立ち上がり、ミアに駆け寄った。
「ミア……。『ディー』なのか?」
その一言で、ユリアンにした簡単な説明が、もうすっかり治療団に伝わっているのだとわかった。
「絵しか見てないけど、たぶん……」
「……なんてことだ。王妃殿下、ミアがもう少し落ち着くまで待ってもらえませんか。あまりにも残酷だ」
「残酷かどうかは本人に訊け」
「どういうことですか?」
ミアは部屋の面々を見渡し、最後にアウレールを見た。
「じゃあ僕が説明する。ディートハルト殿下は現在、話せないし動けないけど、どうやら意識がある。魔力で辿ると、ときどき強い情動を示していることがわかる。強い情動を示すと……つまり感動したり感激したりされると、治癒が飛躍的に進むんだ。殿下本人の生きる力が増して、治癒魔法を受け入れやすくなるかんじだ」
「それとわたしがどういう……」
「ディートハルト殿下は、君のパーティーで得た魔物の鱗を、ずっと肌身離さず身に着けていらしたんだよ」
『これ、一生大事にするから。ミアがなでた鱗』
(あの言葉どおり、ディーは本当にずっと――)
むりやり引っ込めた涙が再び湧き上がる。
別れの日、母モニカの墓の前で、ディーに縋りついてわんわん泣いたときの気持ちまでもが蘇ってきてしまう。
ディー、行かないで。
できることならそう言いたかったあの日。
去っていく幌馬車をただ見送るしかなかったあの日。
ディーのいなくなった家の床に突っ伏して、秋の日が落ちるまで、ずっと泣いていたあの日。
「私がディートハルトなら、おまえに会いたいと思うぞ」
低く静かに王妃が言った。
「だから呼んだ。残酷だったか?」
「いいえ」
泣きぬれた顔を上げて王妃を見る。
毅然とした顔をしているが、本当はきっと豊かな表情を持っているのだと、なぜか思わせる女性。
(ああそうか。誰かに似てると思ったけど……)
ディーに似てるんだ。
「わたしも会いたいです。ディートハルト殿下に。ディーに」
ディーに会いたい。たとえどんな状態でも。
「ミア、きれいになったね」なんて言ってもらえなくても。
わたしがわたしだとわからなくても。
ディーに――会いたい。
「うん。会ってくれ。状態は石化だ。見たことあるか?」
「あります」
「頼もしい。来い」
ディートハルトの病室は、ミアが毎日ユリアンを追いかけていた王家の私的な庭に面した位置にあった。
(こんなに近くにいたんだ。ユリアン殿下とわたしの声が聞こえるほどに)
耳が聞こえているのなら、自分の声もユリアンの声も、届いていたかもしれない。
「天幕を開けてくれ」
王妃の声に、看護婦がベッドの天幕を開いた。
ミアは静かに、ベッドに横たわるディートハルトを見た。
(ああ……ちゃんとディーだ)
もっとごろりとした岩のようになっているのかと思った。
ディートハルトは美しい彫像のようで、ミアは聖堂の前庭にずらりと並ぶ聖女像を思い浮かべた。
「驚かないな」
「綺麗なので」
「綺麗か」
「綺麗です。とくに顔が――ちゃんとディーで。前よりかっこよくなってて」
ディーと言ったら、眉が少し動いたように見えた。
「妙齢の娘にかっこいいと言われているぞ。息子よ」
王妃はディートハルトの頬を人差し指でちょんとつつくと、横に避けてミアに前へ出るよう促した。
治療団の面々に見つめられながら、ミアはディートハルトに近づいた。
「この娘が誰だかわかるか? 美人だぞ。見たいだろ。見たいだろうなあ。うん。そのうち見ることができる。ミアだ」
「ミアでーす」
王妃の口ぶりにつられて、なんだか間抜けな名乗り方になってしまった。「ミア」だけだとわからないかなと思い、「ガウのとこの」と言い足す。
言い足さなくとも驚いた顔になったように見えたが、動きが微弱なので念のためだ。
でも大丈夫だったようだ。
この状態のディートハルトを見慣れたアウレールが「非常に驚いてらっしゃる」と呟いたから。
「何か話せ」
王妃が直球過ぎる話の振り方をしてきた。
「あっ、はい。ディーに会ったら最初に話さなくてはと思っていたことがあるのですが、その話でよろしいでしょうか?」
「それがいい」
「はい」
ミアはディートハルトに向き直った。
顔を覗き込むようにして、静かに話し出す。
「……あのね、ディー。わたしがアルホフ商会にさらわれたときのことなんだけど。ディーはわたしが殴られて怪我したと思って、すごく気に病んでたでしょう。わたしが血まみれだったから。でもね、あの血ね――わたしの血じゃないの。わたし、口を押さえられたときに、敵の手のひら食いちぎっちゃって。あれはアルホフの手下の血なの。狂暴だと思われたくなくて言えなかったんだけど、ディーがすごく気にしてたから。やっぱり言わなくっちゃと思って……」
室内に微妙な沈黙が流れた。
その沈黙を破ったのは、王妃でも王宮医でもジェッソでもアウレールでも看護婦でもなかった。
「くくっ……」
くぐもった笑い声が一瞬、聞こえた。
全員がディートハルトを見る。
どう見ても、口角が上がっている。
「わ、笑った……」
信じられないというように、アウレールが呟いた。
第四章終了。ついにディーとの再会を果たしました。次回、舞台がいっとき王都を離れます。
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