第五三話「そんなことに二〇〇〇年もかかったなんてとは思う」
南へ向かってゴトゴトと馬車に揺られることぴったり二週間。私たちはかつてアバドンの封印があったダークエルフの森、ロイヒテンダーバルトも越えた遥か南の国境付近、ライヒェ荒野へとやって来たのだった。
「やぁっと着いたのか、身体が固まっちまうかと思ったぜ」
メタトロン様はそう言って伸びをしているけど……途中町に立ち寄った時や野営の時に鍛錬していたのは見ている。最強の天使とは言っても、そういう地道な努力があってこそなのだろうなぁ。
ラグエル様はと言うと、しょっちゅう神術で各地の天使とやり取りをしていたようだった。神聖語は私も習得しているので会話の中身も分かるのだけれど、聴かないのがマナーだと思い離れていたので何の用件だったのかは知らない。
今回旅に同行しているのは私、シャムシエル、サマエルさん、メタトロン様、ラグエル様とギュンター様率いる近衛兵の皆様だ。母さんとアンナは既に自宅へ帰っている。妹が私と離れても平気になってしまったようで少し寂しい。
「ギュンター様、早速ですが、封印の場所についてお教え頂けますか?」
「はい、聖女様。ご案内いたします。オットー、三名ほど護衛を見繕ってくれ」
下馬したギュンター様が副官のオットーさんに指示を出している。ギュンター様は公爵家の三男と聞いているのに、聖女とは言え平民の私に対しても常に礼儀正しい。だからこの人は信頼しているんだよなぁ。
近衛兵の皆様が準備出来たところで、封印の地へと出発する。ギュンター様曰くここから大体一五分近く馬車の通れないような狭い道を歩いていくらしい。
「随分と寂れた場所だな。だが、あそこには町の跡も見えるな」
翼から神気を放出し、シャムシエルが少し上から辺りの様子を観察している。一見何も無い荒野だというのに、昔は町があったのか。
「ここは人間とは仲の良かったシャラが居た頃は栄えていたんだがな。俺たちがシャラを封印したとは言え、アイツは悪気も無く人間に対しても優しい奴だったから、当時は俺も良心が痛んだな……」
「そうなのですか……」
シャラ自体は無害なのに封印してしまうのはどうかと思うけど、当時はカナン神国も悪魔を問答無用で倒していたし、今の価値観で推し測ってはいけないのだろうなぁ。
そうだ、その辺り気になることがある。いい機会だし聞いておこう。
「メタトロン様、お伺いしたいことが御座います」
「ん? なんだ?」
「カナン神国は何故、悪魔を敵対視しなくなったのですか?」
私が見上げながら隣のメタトロン様に尋ねると、彼は露骨に眉根を寄せた。聞いちゃマズい内容だった?
「それかぁ……、やっぱり気になるか?」
「は、はい。それまでは悪魔に対して強硬な姿勢を貫いていた神国が、何故に軟化したのかは私だけでなく、悪魔に対抗する力を授けるために長い間封印されていた彼女も気になることだと思います」
私はそう言って、辺りを警戒しながらもこちらの話を窺っているであろうシャムシエルの方を見上げた。背の高いメタトロン様といい高い位置に居るのでさっきから首が疲れる。
「……そうか、そうだったな。シャムシエルは一二〇〇年もの間悪魔に対抗する聖女を生み出す使命のために封じられていたんだったな。だったら聞く権利はある」
シャムシエルは一二〇〇年前、イールセン聖王国が有事の際に巫女へ聖女の力を与えるため一冊の本に封印される大役を負った能天使の一人である。
だけど、王侯貴族と教会の腐敗が進んだイールセン聖王国は一二年前に内乱で滅亡、シャムシエルを封じていた本も略奪されてしまったのだ。
だから、彼女こそ神国が軟化した本当の理由を聞く権利があり、メタトロン様にもそれを教える義務があるのだ。
「簡単に言うと、神国が悪魔を敵対視しなくなった理由。それは合理性だ」
「合理性……?」
「そうだ。当時、多くの種族が版図を広げていく世界に対して、俺たちの考えはあまりにも曲がったものだと気付いたんだ」
天使の役目は神の教えに従って人類を導くことだ。そして悪魔という存在が神以外に人類を導くこともある。それは異端だ、許されざることだと当時の神国の天使たちは考えていた。
でも、悪魔と呼ばれる存在と言ってもただの魔族や亜人、獣人だって居た。それらの種族は神が生んだ人類でない異端なものだという事だけで悪魔と蔑まれていたのだ。
ある日、ある天使たちが気付いた。彼らは神より直接生まれた訳では無い異端とは言え、何の罪を犯しているのだろう、と。
「勿論、その天使たちは処罰された。だが、その考えはその天使たちに留まらず、多くの者に広まった。それと同時に、こんな考えも生まれた。魔族などの異端でも神を崇めることは出来るだろう。彼らが異端と言う考え方は傲慢に過ぎないか? 無闇に殺す意味とはなんだ? 自分たちのやっていることに正しさはあるのか、とな」
一度自分たちの行いに疑問を持ってしまった天使たちは、御前の天使たちに考えを求めた。でも、御前の天使だって神の考えをもって行動しているだけに過ぎない。
異端だから殺す、封印する。それは神の考えを拡大解釈した結果に過ぎないことにやっと天使たちは気付いた。そして魔族や亜人、獣人だけでなく堕天使などの本当の悪魔と呼ばれる者たちにも、神の教えを説くようになったのだそうだ。
「だが、今の今まで殺し合いをしていた相手だ。そう簡単には受け入れられることは無かった。長い年月を経ても、未だに神に対して強い恨みを持つ者たちも居る」
「……合理性というのは、そういった意味でしたか……」
要は、神の教えを拡大解釈していた自分たちの間違いを認めたということか。随分と長い年月を必要としたものだ。
「アタシたち堕天使は、とっくにそんなことには気づいていたけどねぇ」
「そうだな、サマエル。お前に二〇〇〇年近く遅れてやっと俺たちは気付いたのさ」
「ほーんと、頭の固い天使たちはこれだから」
「まったくだ。返す言葉がありゃしない」
サマエルさんとメタトロン様は、クククと含み笑いをしている。自分を封じた御前の天使たちに対してもこの態度なんだから、サマエルさんも心が広いよなぁ、と思う。
話を聞いて何を思っているのかは分からないけれど、シャムシエルは前を向いたまま、静かに上空を舞っていた。
◆ひとこと
神国が方針転換をしたのが約一〇〇〇年前ですが、
シャムシエルが本に封じられたのは一二〇〇年と少し前なのです。
もうちょっと早く気付いていれば、ですねぇ。
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