第一一二話「命を懸けてくれた逆転のチャンスを無駄にはしない」
「きゃああ! わ、わたくしの腕が!」
アンナを前に思考を巡らせていた時、背後でマスティマの悲鳴が上がった。
急いで振り返ると、母さんにナイフを突きつけていた筈のマスティマの右腕がごっそり肘あたりから消失しており、傷口から血を噴き出している。
見れば、マスティマの足元にナイフを持ったままの彼女の腕が落ちており、そして彼女の背後では、血に濡れたサーベルを右手に携え、胸を押さえて苦しむアザゼルの姿があった。
「アザゼル……! 貴方、裏切るのですか!」
「……この……ようなことに……手を……貸せるか……」
そうか、アザゼルが呪いの発動を覚悟してまで、マスティマを裏切って剣を振るってくれたのか!
状況を把握した母さんが、すぐに自分を拘束していたマスティマの左腕を掴み、投げ飛ばした。床に叩きつけられ、マスティマはくぐもった呻き声を上げる。
「〈隠された剣〉! あのシスターを斬り裂いて!」
私の命令で、落ちていた魔剣がマスティマに襲いかかる。しかし彼女はすぐに起き上がると、飛来した〈隠された剣〉を蹴り飛ばし、背中から一対の黒い翼を広げたかと思うと落ちていた自分の右腕を掴んで出口へと駆け出した。逃げるつもりだ!
「覚えていなさい! 神に背く貴女たちには必ず神罰を下します! 必ず! 必ずです!」
「……〈隠された剣〉、追わなくて良いです、戻りなさい」
万が一マスティマと戦っている間に魔力が尽きたら〈隠された剣〉は力を失うため、私は大人しく魔剣を戻した。
力天使マスティマか。この件は、カナン神国に報告しなければな。
「すまない、聖女リーファよ。助かった」
「うむ、恩に着る。まさか私の呪いが解かれる日が来ようとは」
「いえ……」
マスティマが去った後、私はすぐに〈祝福があるように〉でアザゼルとシェムハザの呪いを解いた。ベリアルがシャラにしていたように深部へ根差した呪いが残っていないかを念のため母さんに確認して貰ったけど、大丈夫なようで一安心だ。男とキスするような羽目に陥らなくて良かったよう。
「その言い方からすると、随分と長い間呪いを掛けられていたようですね?」
「ああ、俺はもう七、八〇〇年にもなるか。マスティマは神国が方針を変えたにも関わらず、天使と人間に試練を与える為に活動を続けていたのだ。神国も奴を持て余している」
感慨深くそうのたまうアザゼル。そんなに長い間言いなりにされていたのか、可哀想に。
「お母様、すぐにアンナを連れて家に戻りましょう。マスティマが何か行動を起こす前に、神国へ報告しなくては」
「ううん、そうは言うけどね、リーファちゃん。暗い山道、アンナちゃんを連れて下山するのは危険よ。朝になるまで待たないと」
「……そう、ですよね」
「大丈夫。向こうにはシャムシエルさんとサマエルさんが居ます。なんとかしてくれるわ」
そう言って、母さんは私の頭を撫でてくれた。
仮眠を取り、朝を迎えて私たちはアザゼルたちの案内の下、下山を始めた。アンナは起きたら家でなかった為に混乱した様子だったけれども、「お姉ちゃんたちと遠足だ!」などとはしゃいでいた。ホントにマイペースな子だこと。
シェムハザが上空から警戒しながら先行してくれているので、私たちは今のうちにアザゼルからマスティマの情報を確認しておくことにした。
「まず、マスティマが天使と人間に試練を与える天使であることは、奴が話した通り事実だ。悪魔を従えて天使と人間に悪行への誘惑を行い、それに抗えない者に罰を与える。それが奴の役目、だった」
「だった、ということは、今は違うのね?」
母さんの問いに、アザゼルは「その通りだ」と頷く。
「一〇〇〇年と少し前、そのように試すような行為は傲慢であると神国は方針を切り替えた。だがマスティマはその方針を聞き入れなかっただけでなく、神に仇なす者を裁き始めた。まぁ、神に仇なしているかどうかは奴が決めているのだが。つまり、今回は聖女リーファよ、お前がそれと判断された訳だな」
「それは……何と言いますか……」
一人の判断で裁判して刑を執行とか、あまりの傍若無人っぷりに私は顔を引き攣らせた。狂信者が力を持つとこうなるのか。
「何故神国はそのような者を放置しているのですか?」
「それはだな、厄介なことに奴を擁護する天使もいるからだ。昔の方針を捨てていない超保守派というのも神国の中には居るらしい」
「そうよねぇ、神国も一枚岩ではないものねぇ」
「そういうことだ」
うぅむ、神の下に集っているのだから意識は同じかと思ったら、そうでも無いのね。ちなみに母さんがその辺に詳しいのか聞いてみたら、昔、神都ハルシオンへ行ったことがあるらしい。そこで世界や神国の成り立ちなど色々と学んだのだとか。
「帰ったらすぐに陛下へ連絡、そして神国へ取り次いで貰いましょうねぇ。クレームよクレーム」
クレームて。まぁ天使に殺され掛けたので気持ちは分かるんだけど。
◆ひとこと
リーファちゃんは男性にぶっちゅーするのは勘弁してほしいそうです(笑)
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次回は明日21時半頃に更新予定です!




