第一一一話「悪魔の天使、そんな存在がここに居た」
「やはり、ということは、気づいていたのですか? 聖女リーファよ」
「……貴女は最初から怪しかったですからね」
「まあ、わたくしもまだまだのようですわね」
こんな状況にも関わらず、ミスティは穏やかな笑みを崩さずに居る。その所為で、私はこのシスターらしき何者かから何処かしら狂気を感じていた。
「リーファちゃん……、この女は本気よ。質問は考えた方がいいわ」
「ですって」
震えた声を上げる母さんにナイフを押し当てたまま、ころころと笑うミスティ。母さんの言う通り、質問次第では本当に母さんの命が危ないな。
「……単刀直入に聞きます。彼らに呪いを掛け、従え、村を襲わせたのは貴女ですね?」
「ええ、そうですわ。一度目の巨人は奇跡を確認するため、二度目の兵士は愚かにもわたくしの正体を暴こうとしたため。三度目のゴーレムは……言うまでも御座いませんわね」
あっさりと認めた。これ以上黙っていることも出来ないと思っているのだろう。
しかし、一体全体どういうことなのか。ここ数日共に過ごした限り、彼女の神への信仰は間違い無く本物だった。それも元女神であったシャラという存在を許さぬほどに。
「貴女は神に仕える存在だったのではないのですか?」
「ええ、敬虔なシスターであると自負しております。それは間違い御座いません」
「……でしたら何故、悪魔を従えているのですか?」
「あら、神に仕えていたら悪魔を僕にしてはいけませんの?」
なんだか眩暈がしてきた。女神という存在を認めないのに、悪魔は下僕にするのか。どういう理屈なんだろう。考えたら負けな気がしてきたけど頑張ろう。
「そもそも、わたくしは悪魔を従えることについては神国より認められた天使です。一国の聖女如きに兎や角言われる筋合いは御座いませんわ」
「……なんですって? 天使?」
見た感じ、ミスティが神気を放出している様子は無い。天使はその身から神気が漏れ出ているので、すぐに分かるのだ。
疑念を抱いている私の様子に、ミスティは何処か誇らしげに胸を反らして見せた。
「わたくしの真の名は力天使マスティマ。一度は悪魔へと堕ちた身なれど、その神への愛の深さ故に、天使の位へ戻ることを許された存在なのです」
悪魔でありながら、天使の位に戻った存在だって? そんな事があり得るというのか?
「……信じられません」
「事実ですわ」
あくまで微笑みを絶やさずに、そう答えるミスティ、いやマスティマ。それが本当だとしたら神国の懐の深さを感じるものの、だとしたら村を襲ったりアンナを殺させようとしたりした事は一体何だというのか。
「さて、聖女リーファ。貴女だけ質問するのも公平ではありませんわね。わたくしからも質問させて頂きます」
「……何でしょうか」
この後に及んで私に聞くことなどあるのだろうか? 四六時中私を欺きながら監視していたというのに。
「貴女は何故、あの魔族を生かしておくのですか?」
「……は?」
後ろ手にアンナへ指を差しながらのマスティマの質問に、私は間抜けな声を上げた。何故ってそりゃ……。
「……妹ですし、何より罪の無い者を殺す事など、常識として赦される行為ではありませんが」
うん、至極まっとうな答えだよね。人間、家族とは言え赦されない罪を犯したならば手を汚すことはあるかもしれないけどさ。わざわざ質問するような事じゃないでしょ?
でも、私の答えはマスティマにとっての正解ではなかったようで、残念そうに溜息を吐いている。
「聖女リーファよ。貴女は神に仕えている聖女の自覚があるのですか? 神への愛が本物であるならば、魔族という存在は許して良い筈が無い。アレは存在自体が罪なのです。あの神を騙る精霊にしてもそうです。天使と人間以外の知恵あるものは存在してはならないし、神は唯一無二の存在なのです」
「………………」
コイツはアレか、狂信者という奴か。
神国もそのような排他的な観念は一〇〇〇年ほど前に捨てた筈なのに、未だにこのように行き過ぎた者は残っているらしい。神国も何故こんな奴を放置しているんだ?
「わたくしは天使と人間に試練を与える天使。その使命として、貴女の行動は見過ごせませんわ、聖女リーファよ。貴女は試練に打ち勝つことが出来なかったのです」
マスティマはそう言って、母さんの首に回した左腕に力を込めた。母さんが苦しそうに小さく呻く。
「や、止めなさい!」
「では、あの魔族を殺せますね?」
「……くっ……」
私は悔しさに歯軋りした。ナイフを投げつけたり、〈隠された剣〉を使う手はもう通じないだろう。むしろコイツならば、ナイフが目に突き刺さっていても平気で母さんの首に刃を突き立てるかも知れない。
苦しみ続けるシェムハザの脇に転がるナイフを拾い上げ、私は再び祭壇の方へと進む。その様子を、マスティマは油断なく眺めている。
考えろ、何か手は無いか?
アンナの胸にナイフを突き立てたように見せかける? 駄目だ。きっと止めを刺していないことは魔力を感知して分かってしまうだろう。
一か八か、母さんが傷つくのを覚悟した上で飛び込み、〈復活〉を使ってすぐに癒す? いや駄目だ。もし即死してしまえば、奇跡でも魂を呼び戻すことは出来ない。
どうすることも出来ないのか? 私は母さんと妹の命を天秤にかけなければならないのか?
万策尽きた私は一人、アンナを前にその身を震わせていた。
◆ひとことふたこと
マスティマはヨベル書という偽典(聖書として扱われる宗派もあるようですが)に登場する、別名マンマセットとも呼ばれるれっきとした天使ですが、正体は悪魔です。
悪魔でありながら神の管理する天使でもあるという、天使の中でもとりわけ異質な存在です。
何故そんな存在が居るのかというと、マスティマは配下の悪魔を使って人間を誘惑し、抗えぬ者を告発するという役目を持っているからです。神の忠誠心を試しているのですね。
この天使は神にとって「必要悪」の天使なのです。
名前の意味はヘブライ語で「敵意」。ホントにこんなの飼ってて大丈夫ですか神様。
力天使は能天使よりも位がひとつ上です。
だからミスティの正体に気づいていながらも、シャムシエルは何も言えなかったのですね。
--
次回は明日21時半頃に更新予定です!




