第9話:こ、婚約者ですって?
嫌な予感がする。
誰でも、そんな直感めいたものを抱くときがある。
今日は何をしてもダメだろうな、とか。
今日なら何でもできそうなハッピーデーとか。
直感的に不思議とそういうものを感じる日がある。
「何でしょう。ものすごく、嫌な予感がするのは……」
どこか胸がざわつくのは気のせいか。
撫子は始業式である全校集会を終え、自分の教室に戻っていた。
あとはHRだけで今日は終了。
帰りに猛と寄り道でもしていこうかな、と考えていた。
そう思った時、クラスのドアを勢いよくあけてくる少女が一人。
それは隣のクラスの恋乙女だった。
「――な、撫子ちゃん。大変なの~!」
「恋乙女さん? どうしました?」
「まずいことになってる。大変なピンチが訪れてるよ」
慌てふためく彼女が手を取って、さっさと教室を出ていくように促す。
「早く来て! やばいことになってるから」
「あ、あの、意味が分かりません……どうしたんですか?」
「やっぱり何も知らないんだ。ほらぁ、早く帰る準備をして」
「わ、分かりましたから。事情を話してくださいよ」
急かされるように準備をすると教室から飛び出した。
廊下を駆け足で走りながら猛の教室を目指す。
「大変なんだよ。たっくんが……たっくんがっ!」
「兄さんがどうしました?」
彼の身に何かあったのだろうか?
そんな不安が胸をよぎった。
恋乙女はかなり動揺している様子だ。
「落ち着いて聞いてね。たっくんの教室に転校生が来たの」
「えぇ。そんな話を私も聞きました」
「相手が金髪碧眼の美少女だって話は?」
「それは初耳ですね。外国人の方ですか?」
彼女は首を横に振って否定する。
「……日本人だよ。確かイギリス人のハーフさん」
「あら、それは人気が出そうな人です」
「本題はここから。その相手って言うのがたっくんの婚約者を名乗っているらしい」
「は?」
「さっそくSNSでも噂になってるよ」
その瞬間、心の中に黒いものが沸き上がる。
「こ、婚約者ですって?」
誰の許可を得て猛の婚約者気取りなどしているのか。
間違いなく、無許可である。
「ふざけた真似を」
一瞬にして怒りの炎を燃え上がらせる。
「どこのどなたか知りませんが、私の愛する人を横取りするような真似をするなんて」
「な、撫子ちゃんの顔がマジ怖い……」
「悪ふざけにもほどがありますね。すぐに始末しましょう」
「あ、あわわ。撫子ちゃんが本気の目をしてる」
「サクッとやっちゃってもいいですよね?」
「ダメー!? というか、逆に返り討ちをされちゃうかも」
恋乙女はその相手の事をよく知ってるような口調だった。
撫子を返り討ちにするなんて、中々いない。
「もしかして、相手に心当たりが?」
「……あります。あのね、“四季彩葉”って名前をご存じない?」
「四季、彩葉……?」
それは脳裏に刻まれた名前だった。
――私にとって、あまり好ましくない相手の名前だったはず。
薄っすらと思い出せる名前。
忘れてはいけない、名前。
「四季彩葉? イロハ……どこかで聞いたような気がします」
「昔、私たちがたっくんの家で遊んでたことを覚えてる?」
「人の顔や名前までは何となくしか覚えていませんが、そういう時期がありました」
「撫子ちゃん、大人しかったし」
「私は兄さんを離れた場所から見つめていることしかできませんでした」
人見知りの塊だった撫子は当時、子ウサギのように大人しい子だった。
今はあの頃に比べたらずいぶんとマシだ。
人は成長する生き物である。
「その中に、金髪の女の子がいたことを覚えてない? 印象的だったでしょ」
彼女に言われて思い出した。
目立つ髪色なのでさすがに記憶の端に残っていた。
「確か、兄さんの傍にはいつも金髪の女の子がいましたね」
「そうそう」
「恋乙女さん達からも慕われてた皆のお姉さんのような存在。まさか、あの人が?」
「その人が四季彩葉だよ。私は彩葉姉って呼んでたけど」
彩葉は猛ともとても親しかったのは覚えている。
年賀状も毎年のように来ていたはずだ。
「兄さんにとっては幼馴染ですよね。確か、日本中を転々としていたとか」
「最近になって都内の方に戻ってきてたの。私も何度か会ってたし」
「つまり、学校をわざわざ転校してきたということですか」
「そうだね。でも、まさか、たっくんの婚約者なんて話になるなんて」
「事前に知らされてはいなかった、と」
「うん。だから、びっくり。あの件が現実味を帯びてきたってわけかな」
あの件とは以前に恋乙女が警告してくれていたことだ。
猛に婚約者を作ろうとする優子の動きがあったということ。
「夏休みに会った時のおばさん。かなり本気だったもん」
「……四季彩葉。あの人が兄さんの婚約者ですって?」
あれ以来、何の音沙汰もなかったのですっかりと忘れかけていた。
平穏の裏で何かしらの策をめぐらせていたのだ。




