第100話:『約束』『幸福』、そして……『復讐』
「まさか、相談相手は淡雪さんだったのか?」
困惑しつつ猛が質問すると淡雪は小さく頷いた。
あっさりとその件を認めたのだ。
「……えぇ、そうよ。数日前、眞子さんから悩みがあるって相談されたの」
「悩み? 俺たちの行為を目撃したってやつか」
「彼女はとても混乱していたから、落ち着かせるために相談に乗ったわ」
「そんなことがあったんだ」
それは猛が眞子にキスを目撃された日だったそうだ。
――そういえば、あの日、彼女は友達から姿が見えないと言われていたっけ。
調子が悪くて保健室で休んでいただけと聞いていたが……。
「彼女の相談内容は『好きな男の子が過ちを犯そうとしている』と言っていた。私はよく意味を理解できずに『過ちならば止めてあげないとね』と安易な言葉で励ましたわ。それがこの件だったなんて、私は想像さえもできなかった」
「淡雪さんが椎名さんの相談に乗っていたなんて」
「ごめんなさい、猛クン。あの時に私がもっと深く彼女の相談に乗ってあげられていれば、こんなことにはならなかったのかもしれないのに」
「はいはい。そうやって、兄さんに媚びを売るのはやめてください」
わざとらしい茶番に、失笑する撫子。
今日の彼女にはどうにも挑発的な所が見られる。
「……まさか、私が『噂を流せ』と言ったのだと、撫子さんは言いたいの?」
「えぇ。噂を流布させて、他人の印象操作するのは貴方の得意分野でしょう」
「得意分野って言われるようなことをした覚えは……」
「――恋人ごっこ」
そのキーワードに淡雪が言葉を詰まらせる。
「覚えているんでしょう? 1年前に兄さんと貴方は恋人ごっこを楽しんでいた時期があったじゃないですか。あの時に利用した手です」
あの時と言えば、周囲に誤解させるように噂を流した。
恋人ごっこの雰囲気作りに利用した。
――あることないこと、噂を流して、それっぽく見せて。
結果として、二人は付き合っているのだと周囲に誤解させた。
恋人ごっこの雰囲気を楽しむために。
「私は当時を知りませんが、あらゆる人から聞き出しました。当時、貴方達の関係を恋人関係だと思させていたのは積極的な貴方の言葉だったそうですよ」
「そうね。意味深な発言をしてみたり、あえて噂を肯定することを言ってみたり。噂は噂を呼び、恋人同士と思いこませたのは事実よ。あの頃の私はそれを楽しんでいたもの」
「それには俺も協力したぞ。でも、あれはただの演出だ」
「えぇ、猛クンの言う通り。恋人ごっこはあくまでも遊び。周囲からも恋人同士だと思われている雰囲気を作りたかっただけだもの。そんな前の話だけで、私を疑うの?」
あの時と今回とは違うだろう。
噂を流すくらい、誰だってする行為だ。
「椎名先輩は例のクラスメイトからこう言われたそうですよ。『過ちは止めてあげないといけない。例えば、周囲の声には耳を傾けるかもしれない』、と。それは悪魔の囁きですよね」
「私はそんなことを言った覚えはないわ」
さすがに不愉快なのか、淡雪も眉をひそめる。
屋上に不穏な雰囲気が流れる。
「白々しいですね。私、貴方の事が確かに嫌いですけど、それは兄さんの恋のライバル的な意味合いでした。今は人間性そのものを嫌いになりそうです」
「それは残念ね。誤解はぜひとも解きたいわ」
静かな怒りを見せる撫子に対して淡雪もひるまない。
「周囲の声=噂を流すこと。椎名先輩はそう認識して、あんな事件を起こしました。思いの外、噂が広がりすぎて制御不能になってしまったようですけどね」
「拡大解釈ね。私の発言にはそんな意図はない。話し合えばいいと思っただけよ」
「本当ですか? いえ、違います。貴方は悪意を持って言ったんですよ」
「いい加減にして。撫子さんはどうしても私を悪役にしたいようね」
呆れ気味に彼女は自分の髪をかき分ける仕草をする。
「私が眞子さんを利用して噂を流したという証拠でもあるのかしら?」
撫子は眞子を実行犯、主犯は別にいると言っていた。
――その主犯が淡雪さんだっていうのか? 嘘だろう。
到底、信じることなどできない。
「ありえないよ。淡雪さんに限ってそんな……」
「兄さんは須藤先輩の事をどれだけ知っていますか?」
「どれだけって……俺はこの1年間、彼女と友人として付き合いを続けてきた。性格や人柄もよく知っている。彼女は誰かを傷つけたりしない」
恋人ごっこをしていた頃も、その後もずっと彼女を見てきた。
友人としての彼女には信頼がおける。
「魔が差せば、どうでしょう? 笑顔の似合う天使ですら魔が差せば、堕天使に落ちるものです。どんな人の心にも、魔は差すものですよ」
あの優しかった眞子がこんな騒動を起こしたように。
人は制御できない負の感情を抱いた時、思いもしないことをしでかす。
「椎名先輩の相談を聞いた時、貴方はピンっときたんです。これは“大和兄妹”の事を言ってるのだと分かったはず。以前から貴方は私達の関係に気づいてましたし」
淡雪は何も答えず黙り込む。
「相談に乗るフリをして、貴方は彼女を言葉巧みに誘導した」
「誘導なんて人聞きの悪いことを言うわ」
「悪意のある噂を流し、私達にダメージを与えてやろうと考えたんでしょう」
「そんな真似をするはずないでしょ。貴方の妄想に過ぎない」
「……須藤先輩の心にも魔が差したんです。『気に入らないから、少しくらい痛い目を見させてやりたい』、その程度の軽い感情だったのでしょう。私にも経験がありますよ。兄さんがモテるから、好感度を下げようしたりしたこともあります」
ふとした考えがよぎり、小さな悪意が芽生える事は誰にでもある。
『ふふっ。兄さん、今日もまた“一緒”に“お風呂”に入りましょうね』
『私の小さな頃の写真でも生徒手帳に挟んでおけば、兄さんは“ロリコン&シスコン”という不名誉な称号を与えられて世間から冷たい目で見られるでしょう。兄さんの人生をどうにかしてしまう、確実な方法ですよ』
大事にならない程度ならば、と撫子だって猛をピンチにすることもあった。
この程度ならば、と思っていても事態が思わぬ方向にいくこともある。
「椎名先輩にしても須藤先輩にしても、本気で私達を潰す気ではなかったんです。本気ならもっと別の手段がありますよ。私ならそうしますね」
噂と言うのは間接的な手段だ。
直接的な手段を取った方がはるかに簡単で成功率も高い。
「ただ、嫌がらせ程度の事がしたかっただけです。今回はそれ以上になりましたが」
「……でも、それならおかしくないか? どうして、淡雪さんが俺達に協力をするんだよ。嫌がらせをした相手が自分だってバレるかもしれないのに」
リスクを伴う行為をしてまで協力する必要はない。
椎名さんが犯人だとバレたら困ると思うのが普通だ。
「俺にかかってきた電話の相手を調べてくれた。相手が椎名さんだと突き止めたのは淡雪さんだぞ? そんな協力をする必要なんてないはずだ」
疑われないためにしたと言うのなら、協力するフリだけでいい。
淡雪が眞子の正体をバラすのはあまりにもリスクが高く意味不明だ。
「……えぇ。自分でしておきながら、先輩にもそれは不測の事態だったんです。まさか、椎名先輩があんな真似をするなんて思いもしていなかったんです」
「あの時、私の目の前で猛クンに電話がかかってきて、びっくりしたわ。脅迫なんてひどいと思った。それで調べたら、彼女が疑惑にあがったの。それだけでしょう?」
「まだ認めませんか? どうして、自演がバレる恐れがあるのに私達に協力したのか。答えは簡単ですよ。貴方にとっても、それは困ることだったんです」
「――っ」
その時になって、初めて淡雪の表情が変わった。
瞳に焦りのようなものさえ感じる。
「何で俺達への脅迫電話が淡雪さんにとって困るんだ?」
「……どうしてでしょうねぇ、須藤先輩?」
撫子はようやく追い詰めたと言うような表情をして見せる。
この瞬間、その顔を待っていた。
まるでそんな風にさえ思える。
「兄さん。思い出してください。あの電話の内容は何でしたか?」
「……俺達の関係を周囲にバラす?」
「公表されたら困りますね、私達にとっては致命的です」
「それに両親を巻き込みたくはなかったからな」
だが、そこで淡雪が関係する意味が分からない。
「えっと、つまりは……どういうこと?」
「少しはご自分で考えてください」
「遊びじゃすまなくなったから罪悪感が芽生えたとか?」
「外れです。罪悪感? その程度ではありません。貴方は本気で恐れたんです」
「……私が何を恐れていると言うの? これは貴方達兄妹の問題よ。私には関係ないわ。ただ、友達を助けてあげたかっただけよ」
友達が困っていれば助けてあげたいという好意。
「そういえば、以前に会った時、言った言葉を覚えていますか? 須藤先輩の好きなクローバーの花言葉にはもう一つの意味がある、と」
「あれから調べてたわ。意味がもうひとつあったのね」
彼女は寂しそうな横顔を見せながら言った。
「クローバーの花言葉は『約束』『幸福』、そして……『復讐』」
復讐、と唇を動かした彼女の顔色は悪い。
いつもの余裕は淡雪にはなかった。
「……文字通り、『復讐』がしたかったんでしょう。貴方はずっと、私や兄さんが嫌いだったんです。その想いが胸の奥底にずっとあったんです」
「ま、待ってくれ? え? 復讐って……?」
「兄さん。私達の出会いは間違いなくただの偶然ではなく運命ですよ。須藤淡雪、貴方にとって大和兄妹は憎むべき対象だったんです」
――俺が淡雪さんに憎まれている?
動揺して困惑する彼は言葉が信じられないでいる。
「淡雪さん。どうして? 意味が分からない?」
混乱する猛の手を撫子はそっと掴んで落ち着かせる。
「話を戻しましょう。なぜ、突然、彼女は兄さんに対して協力したのか。それは私達の両親に関係が発覚することを恐れていたからです」
「――ッ」
きゅっと彼女は唇をかみしめる。
「椎名さんの脅迫電話は想定外でしたね? こんな形で関係が発覚すれば、きっと“あの人”を傷つけてしまう。それを貴方はとても恐れていたんです」
「……撫子。分かりやすく言ってくれ」
「須藤先輩の世界で一番大切な人は誰だか知っているでしょう」
「お母さんだろ?」
マザコン気味なほどに、愛する相手。
淡雪の弱点といえば間違いなく母親である。
「幼い頃に離婚してから、離れて暮らしている、おかあ……え?」
言葉に詰まり、淡雪の蒼白している顔に視線を向けた。
誰かを傷つけたくなかった。
秘密をばらされて困るのは、なぜだったのか。
「えぇ。そうなんですよ。大好きなお母さんです」
「ちょ、ちょっと待って。撫子、まさか」
「――須藤先輩の愛する実の母親は、私達の母である“大和優子”なんですよ」
想像すらしていなかった。
あまりにも衝撃的な事実が明かされた――。




