#71 クラウシフ 罪人の血
葬儀の準備は、バルデランがほとんどやってくれた。
だが仕事も、葬儀が済むまでは休みだ。
俺のやることといえば、イェシュカの訃報を送る相手を選別することくらいだ。自分で書いた封筒の宛名を確認するたび、イェシュカの死を改めて思い知らされる。努めて意識しないようにした。
遠方の相手には急報を手配した。
ドニーは国内に戻ってきている時期で、すぐに連絡がとれた。
他の友人たちも大方すぐに連絡がついて、残るのは前線基地にいるはずのハイリーだけ。急な葬儀になるので、やや日取りを後ろ倒しして設定したが、彼女にはどれだけ急いで報せをだしても、おそらく間に合わないだろうと思われた。
一通り作業を終え、俺は薄暗い部屋で椅子の背もたれに体重を預け、大きく息を吐く。
なにを考えるのも億劫だった。すべてどうでもいいような気にもなっていた。
どんな状況でイェシュカが亡くなったのか、バルデランには聞いた。実際その場を見たアンデルは今は寝込んでいて話を聞ける状況じゃないから、はっきりしたことはわからない。
事故だろうか、自殺だろうか。
外は土砂降りで、雨はしばらく続きそうだ。肌寒いが、上着を羽織る気にもならない。こういう天気の日、夜中まで机に向かっていると、イェシュカがトレーに温めたミルクを載せてきてくれた。湯気の向こうで「根を詰めすぎないでねクラウシフ」と微笑む。それで肩にガウンをかけてくれた。触れる指はカップの中のミルクより優しい温かさ。
「殺しちまった」
つぶやきが、ひとりの部屋には大きく響く。
◆
アンデルの意識がはっきりしたのは葬儀の前日だった。まだ熱があるので無理はできないというのに、本人はバルデランが止めるのも聞かずにイェシュカの眠るベッドに向かった。そして、そのベッドの端にすがりつく。泣き出すかと思ったが、蒼白な顔をして唇をわななかせただけで、ずっと黙っていた。
◆
葬儀会場。式が終わり、挨拶なんかでばたついている俺に声をかけてきたのは、ケートリー氏だった。
「子どもたちを?」
「ええ、このまましばらくお預かりしようと思いまして。今はそちらも落ち着かない状況でしょうから。大丈夫です、きちんと面倒は見ていますから」
「それは……ありがたいことです」
「では、家内と一緒に子どもたちは一度引き上げさせます」
「よろしくお願いします」
ありがたい申し出ではあるが、完全に信用はできない。イェシュカが病に臥せっている間、一度も会いに来なかった親だ。今日はどういうつもりか、夫人の方が泣いてみせたが……演技か、それともシェンケルとの紐帯になる娘を失って嘆いているのか判断できかねる。
いや、イェシュカ亡き今、子どもたちだけがシェンケルとケートリーを結びつける要素だから手放したくないのだろう。だとしたらきっと子どもたちの待遇は悪くないはずだ。優しくされているかは別として。アンデルが会いに行っても会わせてもらえないくらいなので、自由はなさそうだが、数日、落ち着くまでは預けておくくらいなら大丈夫だろう。
去っていくケートリー夫妻の後ろ姿を見送って、ふと顔を横に向けたら、雨が筋になって涙のように流れ落ちる窓があった。その先の暗い景色に、わずかの間見惚れる。
――疲れたなあ。
正直な感想が口からこぼれようとしたときに、赤い髪を黒い帽子に押し込んだ、喪服のハイリーが立っているのを見つけた。そうだった、さっきの別れの挨拶の列に彼女もいた。相当無理をしてきてくれたに違いない。それだけ、ハイリーにとってもイェシュカは大事な親友だった。
「ハイリー。わざわざ来てくれたのか、悪いな」
「クラウシフ……」
声を掛けると、ハイリーは目を伏せて悼むような表情で礼をした。
いっそ、お前はなにをしていたんだと殴られてもいいくらいなのに、彼女は俺に「少し休め」だなんて気遣いの言葉をかけたりする。そんなことをされたから、俺はつい、本音をもらしてしまった。
「は……。さすがにこれは堪えるぜ。どうしてこうもうまくいかないんだ」
らしくない、とハイリーも思ったのだろう。驚いた顔をしたあと、気の毒そうに目に涙を浮かべてみせた。しくじった、こう湿っぽいのは性に合わない。むしろ、自分の無力さを突きつけられる気がする。
励ましのために叩いた彼女の二の腕は相変わらず硬くて、だが温かくて弾力も質量もあって、生命力があった。誰でもいいから、生きている者の抱擁がほしいと思わせるほど、たしかな感触だった。その場にいたらさらに弱音を吐きそうだ。
都合よく、青白い顔をしたアンデルがふらふら歩いてきたから、ハイリーにアンデルを押し付けることにした。
ハイリーはアンデルのことを見つけ、悲しみの表情にさらに労りと親しみを加えた。アンデルはアンデルで疲れて傷ついた顔を恥ずかしげもなく晒して。
二人の間にある信頼感か連帯感かに、俺は疎外感を覚えずにはいられなかった。
◆
雨は降り止まない。
葬儀が終わっても、空が明るくなることなく、そのまま日が暮れた。
質素な夕食のあとに、俺は冷え冷えした私室で、イェシュカの遺した身の回りの品を広げた。仕事が再開し、遺品整理の時間が取れなくなる前に、あらかたさばいてしまおうという魂胆だった。なにかしていないと落ち着かなかったし、気持ちの整理もしたかった。一生、気持ちが整理できるわけないのは薄々勘づいている。
彼女が大事にしていた手紙や本は、分類が大変そうなので後回しだ。
ドレスのたぐいは、子供たちも男ばかりだし、流行り廃りもあるしということで基本的には処分。靴もだ。宝石などの装身具は、高価なものもあり、イェシュカの思い出の品も多そうだから、俺が贈ったもの以外はケートリーに返す。
イェシュカが最も大事にしていたと思われる、鍵付きの金細工の美しい宝石箱を開けたときだった。
控えめなノックがあって、返事をしたら、アンデルが入室してきた。顔色が悪い。昨日までは寝込んでいたのだ、体調不良をぶり返したのかもしれない。
「どうした、具合悪そうだぞ。寝てろよ」
「手伝おうと思って。兄さんさえよければ、いくつかイェシュカの身の回りのものをハイリーにも形見分けしたいんだ。基地に戻る前に渡せたらいいな」
「それは構わないが、今日はもう休め。ぶっ倒れそうだぞ……おいっ」
言ったそばから、かくりと膝を折ったアンデルが、ふにゃふにゃ床に倒れ込みそうになる。俺は立ち上がって、その体を抱き起こした。ちゃんと飯を食ってるはずなのに、軽い体だった。だが背丈が俺とほぼ変わらない、脱力したそれを抱えるのは一苦労で、うっかり宝石箱をひっくりかえしてしまった。アクセサリー類が床に散らばる。踏んで転けないよう足捌きは慎重に。真珠の耳飾りを踏んで捻挫、なんて無様な負傷はしたくない。
「ごめん、……めまいがして」
「お前体すごく熱いぞ。熱があるんじゃないか」
「そうかも……」
「バルデラン! 医者呼んでくれ」
「兄さん、大げさだよ」
嫌そうに顔をしかめながらも、自力で立ち上がれないらしいアンデルは、ぺたんとその場に座って頭を両手で抱えた。
バルデランの靴音が、廊下の向こうから近づいてくる。
俺はアンデルの足元に目を止めた。あぐらを崩した姿勢で、膝が、床の上に散らばった首飾りに触れている。さっきぶちまけたものの一つ。忌まわしき我がシェンケルの家宝だ。
赤い、輝きが。
俺は息を吐くのを忘れて、その首飾りを凝視した。
なぜ、今それが輝いている? そんなに煌々と。俺はギフトを行使してないのに。
「アンデル……」
「……大丈夫、だから」
俺が呆然と口にした名前で、自分が呼ばれたと勘違いした弟が、苦しげに呻いた。




