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#36 ハイリー 開戦

 昼間の荒野、剣が太陽の光を反射する。毒竜に突き立てれば、その輝きは吹き上がった黒い血で曇って消えた。

 気持ちよく酸を吹いていたのに、急に後ろから斬りかかられてさぞ不満だろう。耳をつんざく咆哮とともに、毒竜が背中の大きな翼を広げた。怒り狂って酸をさらに吹きちらし、その翼で飛び上がる。


「隊長ー!」


 副隊長のサイネルの声がしたか。彼が配下に指示する笛の音がどんどん遠くなる。


 毒竜と一緒に上昇した私は、短剣を竜の翼の根本に刺して体勢を安定させた。身を起こしたら風の抵抗で落下しそうだ。耳元で風が唸っている。

 どうにか、鱗が密集した長い喉に手を伸ばした。


 首をひねった毒竜が、どっと青い液体を吐いた。強酸。篭手とその下の肌が刺激臭をさせて溶解していく。激痛で頭の片隅が白く灼熱した。地面に残った部下たちが酸の雨から逃げ惑い悲鳴と怒号をあげていることだろう。しかし下を確認している暇はない。サイネルがなんとかする。


 脆すぎる鎧に歯噛みしながら「やはり鎧うならマルート鋼製だな」と心の中でつぶやき、硬い鱗の下に目当てのものを探り当てた。引きちぎる。爪が折れたが大した痛みじゃない。


 急所である逆鱗の下の核をむしり取られ、毒竜が断末魔の叫びをあげる。背筋が凍るようなその咆哮は荒野にこだました。途中で音の調子が変わってよく聞こえなくなる。鼓膜が破れたか。


 木よりも高い位置から毒竜とともに落下する私を受け止める者はない。砂埃を巻き上げ、きりもみしながら地面に衝突した。


 一瞬、意識を失っていたらしい。まぶたの向こうに光を感じ、ふと我に返った。


「隊長」


 サイネルの声だ。目を開けたら、兜を脱ぎ灰色の髪と目を乾いた風に晒している彼がいた。私の上に掛かっていた毒竜の翼を退かしてくれたようだ。


「隊長、ご無事ですね」


 ほぼ断定口調のそれに、毒竜の亡骸の下からよろよろと手を伸ばして応える。溶解した篭手の残骸が手首周りにわずかにへばりついている。動こうとしても上にのしかかっている毒竜――馬二頭くらいの重さはあるはず――が邪魔で動けなかった。下敷きにならないように受け身をとりつつ避けたつもりだったのだが、上手くできず、右半身が翼と尾っぽに挟まれてしまったようだ。


『無事じゃない。右足が動かない。折れている。右腕は感覚がない。あちこち痛くてどこが悪いかよくわからない』


 肺が潰れてごぼごぼしか言えない。サイネルは嫌な顔をし、毒竜の分厚い翼をさらに持ち上げた。他の兵士たちもそれに倣う。やりかたが雑だから、余計なところの骨が新たに折れた。肋骨。殺す気か。

 

 完全に巨躯が退かされて、すぐに私は動けるまでに回復した。とはいえ、損傷した内臓や骨折した箇所はまだ痛みを訴えている。あと一時間くらいすれば完治するだろうが。


「これを使ってください」


 サイネルが自分の外套を放ってよこした。見れば右半身だけ強酸で溶けて鎧もその下の服もぼろぼろだった。ありがたく頂戴する。そばの配下はすでに毒竜の解体に入っていて、誰もこちらを見ていない。見慣れた光景だからだろう。こういうとき興味深そうにこっちを見てるのはたいてい新入りと決まっている。


 体は治っても服は直らないのがとにかく嫌だが、今では心得ている副隊長のおかげで恥ずかしい思いをすることは減った。不便なので、火や酸に強い生地を誰か早く開発してくれないか。投資してもいい。人前で露出する趣味はないのだ。


 部下たちは慣れた手さばきで毒竜の遺骸の牙や爪、立派な鱗、舌や目玉をばらしていく。これが国の貴重な収入源になっているのだ。自分たちの戦功にもなり、約二百人いる配下の手当がこれで決まる。もちろん、私のも。


「まったくもう。いくら手っ取り早いからといって、そう、毎回毎回単身突っ込まれては困ります。陣形が崩れるじゃないですか」

「毎回じゃないだろう、サイネル。あ、いたっ、いたたっ痛い痛い。もうちょっと優しくして」

「変な声出さないでください気持ち悪い」

「ひどいな、いたっ」


 変な方向に曲がっていた右腕は、嫌な感触に顔をしかめながらもちゃんと固定してくれたサイネルの手の中で、ぱきぱきとこれまた嫌な音をたてる。どす黒く変色した指先まで正常な色に戻り、握ったり開いたりと通常の運動をこなせるまでになった。


「さて、そちらの損害は」

「軽微です。軽傷十二名、戦闘不能は二人。毒竜との戦闘では驚くべき結果ですね」


 腕をぐるぐる回す私に、サイネルが報告した。


「よし」

「なにがよし、ですか、もう。ちゃんと部下たちに説明するか退避させてから突っ込んでください」

「そう言われても、好機は待ってはくれないし」

「いいですか、あなたが勝手に死んだら我々は体勢を立て直すのにどれだけ――」


 小言を続けようとした男の頭上を、隼が旋回していった。その脚に、小さな筒がついているのを私は見つけていた。

 

 急ぎの便りだ。なにかあったか。

 隼を腕に招き、その筒から文を取り出したサイネルは、内容を読むなり眉を吊り上げた。

 撤収の支度を進める部下たちを憚り、耳打ちしてきた。


「結界が?」


 つぶやいた私に向けて小さく顎を引いたサイネルが、指示を待たずに配下への撤収の号令をかけた。


 マルートからの物資の供給に使う軍用道路付近の結界が破れ魔族が侵入した。死傷者多数。物資も失われた。すぐに対策会議を始めるから司令を受け取った者たちは至急基地にもどれ。

 司令官からだった。



 前線に来て十ヶ月。

 理想と現実の壁を何度も突き付けられ、そのたびに落ち込んだり奮起したりを繰り返してきた。目まぐるしい日々だった。

 軍の内情は、思っていたよりごちゃごちゃしているという印象だ。権力闘争が絶えないのは、どこでも一緒なのかもしれない。


 ユーバシャールの五子として入営した私は、きっと楽な方なのだろう。くさくさしているのが顔に出るとサイネルに「よくその程度のことでぐちゃぐちゃ言ってられますよね」とため息をつかれてしまうから。


 しかしながら、この会議の無駄な時間にため息をつくなという方が無理だ。

 先程から繰り返されているのは、どの部隊が件の現場に赴くかという、可及的速やかに決定すべき案件の議論なのだが……。

 そんなの、今行ける部隊で行くしかない。任務は、現場周辺の魔族討伐と警戒、それから輜重隊の護衛。とくに護衛任務は急務で、襲撃により大損害を被った輜重は今、他基地に物資を輸送できない状態である。となればこの損害を引きずると、いずれ前線に影響が出るわけだ。


 悪いことに、マルートからの支援物資が到着した直後に起こったことで、マルート側の人員にも被害が出ている。物資引き渡しに使われるプーリッサ国土内の道路の警備は当然我が国の責任で行われている。速やかにその信頼回復をはからなければ、国交に影響が出る。マルート鋼という、祝福不要で魔力対策できる新開発の加工金属を優先的に輸入させてほしいとこちらがお願いしている側だと言うのに。


 まだ新人の私などはそんなふうに単純に考えるのだが、上はそうではないらしい。やれ前回のなんとか戦のときはあちらの部隊はしくじったから適任とは言えない、とか、装備の都合を考えるとそちらの部隊は準備ができてなかろう、とか。よその部隊の細かい事情までよくよく把握していて、忠告しあっている。


 遠くの席で虚空を見つめている長兄、大きな体でちまちまと資料に番号付けをしている三兄もこの状況にうんざりしているのだろう。遠くまで出てしまっていて集合がかからなかった欠席の次兄と四兄は幸運だ。

 

「であれば、今回は我が軍の部隊にお任せいただこう。先日の亡霊騎士討伐に赴いてから十分休養をとっているのでな」


 しかつめらしい顔をしてテーブルに肘をつき手を組んでいた父が、手を上げた。室内の倦んで弛緩した空気がぴりっとした。


 私の直属の上司たる長兄いわく、このところ父は追い風に恵まれているようで、立て続けに戦功をあげているのだ。その中に、私の怪鳥討伐の戦績も含まれているそうだ。あれで私は、下級士官その一から、長兄の麾下の部隊その一の隊長に昇進した。国主ヨルク・メイズがなぜかやたらとそれを買ってそうするように命じたというのだ。そんなに喜ぶほどのことか、と我が事ながら思うのだが……。

 

 一月前に大規模な交戦をしてから、父の麾下は遠征もせず、基地の周辺の守護を主としてきた。兵は十分英気を養えている。


「反対は……ありませんな」


 父の言葉が会議の締めになった。

 次の打ち合わせに出るために、東軍の出席者は立ち上がった。私もだ。



 会議室を出て、飾り気のない灰色の石造りの廊下を歩く。

 窓から薄曇りの空が見える。あちらの方角に、向かう西部基地がある。

 西部基地の輜重隊にはビットがいる。彼は無事だろうか。新月祭からもう何ヶ月経った? その期間一度も連絡をとっていないが、心配はしている。


「ハイリー殿」


 向こうから歩いてきた男に声を掛けられた。ヨナス・リャーケント。四十年配、金色の髪に細面の優男だ。


「ああ、リャーケント殿、お久しぶりです」

「例の輜重の件、東軍が任されたそうですな。活躍を期待してますよ」

「はい、しっかり務めます」


 敬礼し、横を通り過ぎる。頬にねばつく視線を感じた。胸の奥がざわざわする。


 この男は好きになれない。親しくもないのに名で呼んでくるのも気持ち悪い。

 入営してすぐに体を触られたのも私はまだ根に持っている。頭にきたから一発ひっぱたいてやったら、暴力行為を兄に言いつけられたし。


 兄は私の味方をしてくれると思ったのに、隙を見せるなと冷たい言葉ひとつ寄越して、味方するどころか謝罪してこいといったのだ。理不尽だ。


 ――ハイリー。お前はこういうこともあると織り込み済みでここにきたいといったのだろう?


 そうだといえばそうだし、違うといえば違う。


 自分が悪目立ちするだろうことはわかっていた。親兄弟の七光だとかそんなことを言われるだろうとは。あるいは、不便は覚悟してきた。着替えや睡眠だって、男性と違っていろいろと困ることがあるだろうと。


 だがこれは違うだろう。子供だってわきまえている礼儀すら持ち合わせぬ相手に払う敬意などない。最初に伺いをたてるだけテリウスのほうが紳士的だったではないか。


 うっかり食事の時間がかぶって食堂で一緒になったりするとしつこくしつこく絡んできては、立ち入ったことを聞いてくる無神経さも大嫌いだ。

 恋人は? 結婚の予定は? 好きな男はいるのか? 普通殴られた相手には近づかなくなるものではないのか。馬鹿なのか、あんなのなんてことないというポーズなのか。鼻を折られて涙目になっていたのにお調子者め。


 裏ではこそこそ私の噂をしているくせに。家柄を盾に女まで前線に呼び込むなんてユーバシャールも困ったものよ、とかそういうものだ。たしかに他の家の出身だったらできなかったろう。

 だが、普通の男には飽きてしまった売女だから男をあさりにきたんだとか、より強い男の種が欲しくて入営したじゃじゃ馬だとか、出処はどこだというような悪意ある噂を耳にすると、さすがに心に膿がたまる。お前たちは何をしに前線にきたんだと聞きたくなってしまうほどだ。


 馬鹿馬鹿しいとわかっていながらも、疲れているときなんかに彼の冗談を聞くと、嫌気が差す。それでうっかりため息を吐こうものなら、サイネルに「そんなことよりこっちの報告書の仕上がりに頭を悩ませていただきたい」と冷たい言葉を投げ掛けられる。仕事熱心で頼もしい副隊長殿である。


 ささくれ立つ私を癒やしてくれるのは、たまに送られてくる可愛いアンデルからの手紙だけだ。

 書き取りを一緒にしてあげたときとは比較にならないほど字は上達したし、内容も面白い。

 彼の知的好奇心は旺盛で、植物や動物の知識はとっくに私以上だ。なにかあったときに使えるかもしれないと、スケッチも添えられた「食べられる草」一覧を送ってくれたことがある。微笑ましく思いながらも彼の画力の高さに唸らされた。……私は絵が苦手だ。


 イェシュカが妊娠したという報告も、アンデルの手紙でもらっていた。あああの子はもう母親になるのかと、嬉しく、ちょっと寂しくなった。アンデルはイェシュカの出産を楽しみにしているようで、詳しくその経過を教えてくれる。

 無事出産が済んだらお祝いのために一度帰省したいと、彼女の出産予定日を指折り数える日々だ。


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