角ウサギのロティ アヴェルデワイン風味(8)
解体は、だいたい皮を剥くところからはじめる。
鳥ならば羽をむしるところからだ。
場合によっては血抜きを優先することもあるようだけど、ウサギは血が大切だと言われている。
(血の香りがする赤身肉がおいしいんだよ、ってよく言ってたっけ……)
魔生物なのだから普通のウサギと一緒と考えるのはちょっと違うと思うのだが、実は扱いについてはそれほど大きな違いがあるわけではない。
刃をいれるのに魔力が必要とされるだけで、たぶん、食材という意味ではそう違わないのだ────サイズがだいぶ大きかったり、やや異形と思えるパーツがあったりするけれど。
角ウサギを解体するのは初めてではない。
栞はそれほどウサギ料理が得意というわけではないが、仔ウサギならばきっと肉も柔らかくて美味しいに違いない。
(何を作るべきかしら?)
もちろんリクエストのあったロティは作るとしてもこのサイズならば他にもいろいろと作れるだろう。
ウサギ料理と聞いて一番最初に思いつくメニューは、パイだ。
(ピーターラビットのお父さんのパイ……子供心に衝撃的でしたね、あれ)
物語に出てくる食べ物は、だいたい食べてみたいと思うものだったが、あれだけは食べたいとは思わなかった。
「ソーウェルさんは、角ウサギの解体ってしたことあります?」
「いや、私のところに来る時にはもう肉のブロックになっていました。……王宮の料理人と言っても、魔生物を自在に調理するほどの魔力はありません。このあたりでは角ウサギのレベルはさほどではないのかもしれませんが、私はさほど魔力が多くありません。点火する火種程度にはなるが、魔生物を焼くことができるほどではないのです。解体などはとてもとても……」
ソーウェルは首を横に振る。
「えー、でも、ポドリーはできたじゃん」
「あれはコツを教えてもらったからで……」
「……なら、私が知っている方法で解体させてもらいますね」
とはいえ、栞が知っているのはあちらでの方法だ。でも、この方法で今までも何度か角ウサギを解体してきたから、たぶん大丈夫だろう。
「えーっと、ウサギはまず皮を剥ぎます。最初は、アキレス腱……って言ってもわかりませんね。えーっと、足のこの辺りの皮をぐるりと一周切ります。で、腿の内側から皮の間に包丁をいれて脛の骨の間にそって皮を切り進めます」
栞は時々手を止めて、ナイフを入れる箇所を皆に見せる。
「で、股関節まで皮を切って開いたら内腿からお尻まで剥きます……両脚とも」
ナイフの切れ味が良く、ものすごく綺麗に皮が剥けた。
「それから、尾のところもはずしてしまいます」
全員が真剣に栞の手元を見ている。
イラストなどではウサギの尾はふわふわの毛玉のように描かれるけれど、実際のウサギの尾の部分の毛は短くなっていてふわふわした感触はまったくない。
「このあたりを気をつけながら少しずつ剥いて、ここまできたらお尻の方から引っ張って剥ぎます。あ、胴体の上の方をちょっと持っていてください」
ソーウェルに手伝いを頼み、栞は小さめのナイフの先で皮と筋膜を剥がしながらさらに剥き進めてゆく。
「……結構、力いるんだね」
「うん。でも、温もりがまだ少しあるから剥ぎやすいほうだよ。冷たくなっちゃうと硬くなるから、もっと大変。あと、これ、大きいからね」
四人がかりで持ち上げたり、ソーウェルに押さえてもらったりしているわけで、とても一人では解体できないだろう。
(ウサギの解体がここまで大変だってところに、ものすごく異世界みを感じる……今更だけど)
栞は、狩猟をしたことはない。ないが、獲物を捌いたことはある。
勤務していたホテルのレストランのメニューにはジビエがなかったが、父のレストランには季節になるとかならず特別メニューとしてジビエが出たので、シーズンの間には何度か食べさせてもらった。
でも、その父のレストランでも特別な場合以外はすでに解体済の肉を使っていた。
(肉になっちゃうとジビエといえど、別にそれほど調理に違いはないんですよね)
ウサギ、鴨、鹿、イノシシ、雷鳥やウズラ……そのすべてを、栞は解体して調理をしたことがある。
日本ではあまり狩猟は盛んではないから、その半数以上が父に連れられて行った旅先での経験だ。
(子供の頃は、なんで私がこんなことを……って何度も思ったけど、その経験が、今ここで活きてるから、何が幸いするかわからないよね……)
皮をきれいに剥ぎ取ったあとのウサギは、耳はなく、顔も剥かれ、前足と後ろ足も切り落とされている。現代日本に生きる大概の人が目を背けるだろう代物だ。
(別に全然平気ってわけじゃないんだよ、私だって)
ウサギや小動物を可愛いという気持ちは栞にだってあるのだ。ふれあい動物園でウサギと遊んだことだってあるし、飼いたいと思ったことだってある。
でも、食材だと認定すれば、それは食材なのだ。
こうして皮を剥いで肉にしてしまえるし、調理だってするし、より美味しくするための工夫は厭わない。
(食べることだってできるし、美味しいって思ってしまう)
それを罪だとは思わない。
生きるためには食べなければならない。
(食べるというのは、他の生物の命を食べることだ)
大事なのはそれを無駄にしないことだと栞は思っている。
「ここまでで一番気をつけなくちゃいけないのは、肛門のまわりを外すときかな。オスの時は特に気をつけること。下手に傷をつけると匂いがついて肉が使い物にならなくなるからね」
「はーい」
「お、おう」
ディナンがややひきつった表情でうなづく。
「次に内臓を抜きます」
「……血抜きはしないんですか?」
ソーウェルさんが少し驚いたような顔をした。
「ケースバイケース……えーっと、時と場合によりますね。これは見たところ必要ないと思うんです。変な言い方をしますが、今回の場合はものすごく新鮮な死にたてのウサギでさっきまで時間も止めていましたから、あまり血なまぐさくなさそうです。なので、血が多く含まれている心臓と肺を傷つけないように抜くことができればほぼ血抜きはいらないと判断しました」
説明しながらも栞はさっさと心臓や肺、その他の臓器を抜いて銀色のバットの上に綺麗に並べて行く。これらは食材として使わない場合はすべてマクシミリアンの研究所で研究素材となる。
「……ただ、ウサギによって結構状態が違ったりするので、皮を剥いだ後の肉の色がもっと赤黒くなっていたら血抜きをします。そのへんの加減は剥いてみないとわからないんですよね。とりあえず今回はたぶん大丈夫です。少し血なまぐささを感じるようであれば、味をつけるときに加減すればいいので。血抜きをしすぎてしまうとウサギらしい旨みがなくなってしまうことが多いんです」
「ああ……確かに。私が知っているのは普通のウサギですが」
「あんまり変わらないですよ、たぶん。……私もそれほどたくさんの角ウサギを解体したことあるわけじゃないですけど。……あと、獣の肉全般に言えることですが、旨みって血に含まれていることが多いと思うんです」
「それ、わかる! トカゲ類とかは別だけど、赤身の肉ってほどほどに血とか脂がないと全然美味くない!」
ディナンが実感がこもった感想を口にする。肉好きのディナンらしい納得の仕方だった。
「確かにそうですね」
「そういえば、時々、肉料理が出たときに血を飲みたいっていうお客さん居ますよね。いつもお断りしていますけど」
リアが思い出しながら首を傾げる。
「おそらくそれは、血にはいろいろな効能が宿っていると考えられているからですよ」
ソーウェルが教えてくれた。
「効能って、魔力が増えるとかってこと?」
リアが不思議そうに首を傾げる。
「ええ。でも、実際には血を飲めばその効能が得られるというような単純なものではないらしくて……」
「じゃあさ、もしかしてその人達って、おししょーの料理で得られるような効果が血には宿ってるって考えてる、とか?」
「そうです。……魔生物を食べることで、一時的に魔力を増大させたり、あるいは疲労を回復させたり、枯渇しかかった魔力を回復させたり……さまざまな効果が得られることは密かに知られていましたし、古来より魔生物を食べることは薬食いと言われてきました。ただ、調理らしい調理など誰もできなかった……生肉を食べるより血を飲む方が心理的抵抗が少ないせいか、あるいは手を加えない方が効果があると考える者がいるせいか、血を求める者は今でも多いのです」
「……だから、血入りの腸詰めとかが人気なの?」
リアは自分があまり好きではない血の入った腸詰めが、わりとよく注文されることをいつも不思議に思っているらしくソーウェルに尋ねた。
「血に効能が宿ってるという考え方の人はわりと多いですから、それもあるかもしれません」
「ふ~ん」
「えー、でも、本当のところはどうなの? 本当に効能あるの?」
ディナンは軽く首を傾げる。眉唾だと思っているのかも知れない。
「私が知る限りでは、絶対効果があるとは言い切れないようですよ。そのあたりはマクシミリアン殿下がお詳しいと思います」
「あー、プリン殿下ってそういうの研究してるんだっけ?」
知らないところでいっぱい仕事してるんだな、あの人、とディナンは少し感心したような表情になった。
「はい。もちろん、そればかりではないようですが……ヴィーダもご存じなのでは?」
「ええ、まあ、全部じゃ無いですが研究には協力しているので……。血についても研究所にはいろいろなデータがありますよ。ただ、協力はしていますけれど、私が興味があるのは料理の味についてなので、味に関係のありそうなところはわりと覚えているんですけど、効果についてはあんまり……」
「お師匠様らしいですね」
リアがくすくすと笑う。
「……そもそもが、魔力の増強効果とかそういう効能とかが私にとってはよくわからないから。……それに、作る料理にどんな効能があろうが、私は料理人でしかないから」
栞はただ美味しい一皿を作ることを目標としている。栞の作ったものに何らかの効果があってもそれは副次的なものでしかない。
雑談をしている間にも、栞の手はちゃんと動いていて、作業台の上には切り分けられた前足、腿、胴が並んだ。
「ここまで来ると、すごーく見覚えあるものになるね。この後はどうするの?」
「氷温熟成させるよ。……だいたい一週間くらい」
「え? じゃあこれ、食べられるのは一週間後?」
「そうだね」
「「えーーーーー」」
栞がうなづくと双子はそっくり同じ表情で声をあげた。
「他のお肉だって、いつも熟成させるでしょ」
「そうなんだけど!」
「熟成させて食べた方が絶対に美味しいから……でも……」
栞がどこかいたずらめいた表情をする。
「「でも?」」
「……どうしても早く食べたかったら、プリン殿下を巻き込むと良いと思うわ」
「なんで?」
リアの疑問に、栞は笑顔のまま答えなかった。




