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角ウサギのロティ アヴェルデワイン風味(6)

「…………そういえば」


 ふと、栞が何かを思い出したように口を開く。


「……ん?」

「バカなこと言ってるって思わないで下さいね。この流れならちょっとくらいバカなこと言っても白い目で見られないかなって思って言うんですけど」

「ああ」

「さっき、蝕が発生したときなんですけど」

「うん」

「……『蝕』が一直線にこのホテルを抜け、街に向かっているじゃないですか」


 栞はこっちからこっちと目の前で指を移動させて示す。


「ああ」

「私、その瞬間を見たような気がするんです……」


 いささか自信なさげな物言いは栞にしては珍しいものだ。


「……いつものように空間が歪んだり溶けるような感じじゃなくて、もっと単純で物理的な……何か巨大な生物が猛スピードで移動したみたいだな、なんて思ったんです。ほら、モグラがトンネル掘って移動するときとかみたいな……大迷宮になら、あのサイズのトンネルを一瞬で掘れる魔生物とかいるんですかね?」

「……シリィ!!」


 心地よいぬくもりのような空気に浸っていたマクシミリアンは、突然、冷たい水を頭からぶっかけられたような気分になって立ち上がった。


「もしかしたら、見間違いかもしれないんですけど」

「いや……初動報告では、空間の癒着が見られないと言われて、おかしいと思っていたんだ」


 それならば納得できる、とマクシミリアンは一人で何度もうなづいた。

 一口に『蝕』と言っても、それが引き起こす現象はさまざまだ。

 『大暴走』が最終的な災厄であるとすれば、そこに至るまでにはいろいろな前兆とも言うべき出来事がある。

 融合した空間から魔生物が落ちてくるのはそれほど珍しくないことだし、このホテルのスタッフはかなり慣れてもいる。


「……でも、そんな大きな魔生物が大迷宮からこぼれ落ちることがあるんですか?」


 魔生物の生息域である大迷宮とこの地上世界とは同じ界にあるが領域が違う。

 栞には界が同じで領域が違うという言い回しが良くわからなかったようだったので、マクシミリアンはそれを『同じ空間にはあっても見えない薄い膜のような者で隔てられている』ということなのだと説明したことがある。


『蝕』とは、二つの領域を隔てるその膜が大迷宮側に生じた強い魔力によって溶けたり破れたりして空間が融合し、大迷宮のものがこちらに、こちらのものが大迷宮側に流れ出す現象だ。

 こちらの領域にとって、魔生物や大迷宮の産物は異物である。

 異物に対する防御機構が働くらしく、強い魔力を持つ魔生物がこちらに来ることは少ない。


(だが、皆無というわけではない)


 ごく稀に大きな穴が開き、たまたま防御機構が弱く、そして偶然そこを通ってしまう魔生物がいる。


「…………ある」


 マクシミリアンは静かにうなづいた。


「……いつだったか、厨房にもカマキリが出ただろう? あれは最低でもレベルⅣ。有する魔力量も多く、本来だったらこちらにこぼれ落ちることができるモノではない。でも、こちらに現れた」

「でも、もしあれが生き物の仕業だとしたら、ものすごく大きいですよ?」


 栞はチラリと一直線に進む痕跡に目をやる。カマキリを思い出したせいか、顔色はあまりよくない。

 あの一件は虫嫌いの栞の心に随分と大きな傷を残しているらしい。


「基本的に迷宮に生きる魔生物は大きい。…………かつて地上を襲った大災厄────大迷宮からあふれ出した魔生物は、それはそれは大きかったというし、それにシリィ、イルベリードラゴンの中には、このホテルのドームとほぼ体長を持つ大きさのものもいるくらいだぞ」

「……ああ、なるほど」


 言われてみれば、と栞は納得できたという表情でうなづいた。


「私の知る限り、イルベリードラゴンは大迷宮でも最大クラスの魔生物だ。さすがにまだイルベリードラゴンが大迷宮から出てきたことはないはずだ」

「……ドラゴンではないにせよ、あんな痕跡を残すような巨大生物がそのへんの地下にいたら、控えめに言っても大惨事になりますよね?」

「ああ。……だが、そうはさせない」


 マクシミリアンは、くっと口元を引き締め、背後の部下達を振り返る。


「……イシュ、グレン、出るぞ。皆にも声を掛けろ」

「はい。装備は通常装備で?」

「ああ。そのままでいい」

「まずは、地下捜索ですか?」

「とりあえず痕跡を辿る。……もし、本体を見つけたら、手出しはせずに足止めしろ」

「えーーーー、手出しせずに足止めって何ですか、その無茶ぶり」

「おまえは街中で暴れるつもりか、馬鹿者! 私が大迷宮にそれを送り返す。まずは被害を広げないことが最優先だ」

「りょーかい」


 厨房を出るときにマクシミリアンはちらりと振り返った。

 栞は、作業台で手を動かしながらも何かを考えている様子だった。



◆◆◆◆◆◆◆



「……あれ? お師匠様、プリン殿下達は?」

「んー、『蝕』で大型魔生物が街に出てる可能性があって、それで急いで出て行った」

「大型魔生物?」

「客席フロアを一直線に横切ってる倒壊の痕跡が、大型魔生物の地下移動痕かもしれないという可能性に気付いてしまったの……」

「……おししょーが?」

「……うん。私が」


 大変申し訳ないことだったが、気付いたら言わずにはいられなかった。

 間違っている可能性もあるのだが、それならそれで栞の見間違えの笑い話になるだけだ。

 リアとディナンは微妙な表情で栞を見る。


「お師匠様って、何でそういうのに気付いちゃうの?」

「……いや、何かその瞬間を見た気がして…………でも、一瞬だったから自信ないんだよ」

「別にいいじゃん。そうじゃないってことがわかるだけでも大事だよ」


 ディナンは大真面目に言った。


「地下移動する魔生物って何かなぁ? モグラとか?」


 リアはうーん、と首を傾げる。


「……亀、とか?」


 栞には魔生物の生態に関する知識はあまりないので、どうしても日本での知識からひっぱってくることになる。


「あー、ムラセルヴァ王亀! キゼラウス陸亀もありかも!」


(何か名前からして大きそうな……ガメラサイズとか? こっちに来てから亀はまだ料理したことないけど……、ガメラサイズの亀ってどういう風に調理するのかしら? 亀っぽいのってスッポンくらいしか扱ったことないんだけど)


 考えてみると、栞の亀料理のレパートリーは少ない。

 せいぜいスッポン鍋くらいだろう。


(まあ、甲羅さえなければトカゲ類と一緒って考えれば何とかなりそうではあるけど……)


 大雑把に考えて、同じ爬虫類だと思えば何とかなる気がする。

 爬虫類の調理については、こちらに来てだいぶ慣れたのだ。


「あとは、トカゲとか蛇とかもありじゃねえ?」

「え、蛇どうやって地下を進むの? 手は無いでしょう? 土をかき分けられないと思うけど?」


 思わず矢継ぎ早に質問を発してしまう。


「魔生物は魔法使える種がいるんだよ。だから、普通ならできなさそうなことでも魔法でできちゃう場合がある」

「へえ……」

「そういうのが魔力耐性高い奴なんだ。イルベリードラゴンも、ポドリーもそう」

「あ、それは何となくわかる。マグロ包丁使わなきゃいけないのは、だいたいそうだよね」


 耳慣れた名前が出てくると、途端に話の内容がわかりやすくなるような気がする。


「そうそう」

「あとは、地下を移動するっていうと……蚯蚓とかかなぁ?」


 どれもピンとこないな、とリアは笑う。


「あとはおししょーの嫌いな昆虫類……蟻とか、何かの幼虫とか…………」

「わぁ、今、鳥肌立った」


 栞はぶるりと小さく身体を震わせた。


「えー、名前聞くのも嫌なの?」

「嫌です!!。……でも、虫だと食べるとこないから、ここには回ってこないね」

「…………食べられる虫もいるんだよ、お師匠様。でも、ここのホテルではたぶん取り扱ってないと思う…………クリグ以外は」

「え?」


 語尾が聞き取りにくくて聞き返す。


「ううん、何でもない。……お師匠様が嫌いだから、食材としては取り扱い禁止になってるから」

「…………知らなかった」


 昆虫類が好物な人がいたら申し訳なかったかもしれない、と栞が言うと、ディナンがあっけらかんとした顔で言った。


「えー、別にそれくらい大丈夫だろ。おししょーは、プリン殿下の誓約者(ヴィーダ)なんだから」

「…………そういうものなんだ?」

「そういうものだよ」

「そういうものです~」


 栞のやや引きつり気味の笑みに、二人は当然という表情をみせる。

誓約者(ヴィーダ)』────自分を指すその言葉が意味する重みを少し理解できたように思えたけれど、事あるごとに自分が思っている以上にずっとずっと重いのだと思い知らされる。

 栞は小さな溜め息をつき、そして首を横に振った。


(……とりあえず、今は目の前の仕事から片付けよう)


 ここで思い悩んでも無駄だったので、栞は軽く首を振り、頭を切り替えた。





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