角ウサギのロティ アヴェルデワイン風味(3)
「……リア、ディナンも、休憩にするよ~」
全員分のお茶を用意した栞は、客席フロアの方で大喜びで採取している双子に声をかけた。
「りょーかーい」
「はーい」
大樹の奥の森だか林だかわからないところに踏み込んでいるらしい二人の声が遠くから聞こえる。
(返事あったし、そのうち来るからいっか)
先に始めることにして、栞はグレンダードの方を見る。
「メロリー卿はどうします?」
「あー、イシュが食べ終わったら交代でもらえる?」
「はい」
フィルダニア王家の人間は気さくな者が多いので、部下と同じテーブルを囲むことを気にする者はいない。
なので、これは純粋に護衛の職業意識なのだろう。
(…………つまり、いつもより今は危険ってことなんだ)
護衛であっても同じテーブルを囲んでお茶にすることは珍しくなかったし、そもそもグレンダードはそのへんが一番ゆるゆるな側近だ。でも、それがしないというのなら、何らかの理由で危険度があがったと思うべきだろう。
「……殿下、狙われてるんです?」
「ああ。…………まあ、いつものことだが」
「変な言い方ですが、いつもより狙われてるんですね?」
「……そうだな。なんでそう思った?」
「メロリー卿が立ってるからです」
マクシミリアンは苦笑した。
本来、護衛は一緒の席に着いたりはしない。
いついかなる瞬間でも護ることだけを考えねばならないのが護衛の役目だからだ。
だが、マクシミリアンは自身がほとんど護衛を必要としていないやや反則的な能力を持つために、だいたい護衛も含めて席を共にするのがいるものことだった。
「……本当は、これが通常営業だ」
「それは知っていますが…………」
珍しい姿なのでついまじまじと見てしまう。
「僕だってやるときはやるんだよ~」
あはははは、と笑うグレンダードの表情はいつも通り柔らかい。
「……まあ、いいです。お疲れ様な殿下にはスペシャルなサイズをどうぞ」
栞はマクシミリアンの前に、ガラス器にフルーツとともに美しく盛り付けたプリンを差し出した。
世間ではマクシミリアン・サイズと呼ばれるようになった大きなプリンだ。
このサイズのプリンを自重で潰れない固さ、かつ、口の中でなめらかに感じられる絶妙具合に作るのにはそれなりの熟練の技がいる。
(でも、うちのレストランにいたらきっと一ヶ月もすれば、他の何が作れなくてもプリンだけは作れるようになるよね……)
それくらい、このレストランではプリンをたくさん作っている。
「シリィ…………」
マクシミリアンは目を潤ませ、やや頬を紅潮させてはにかんだ笑みを浮かべた。
ちょっと対応に困ってしまうほどの大喜びな様子だ。
「どうぞ、召し上がれ」
こくこくと素直に頷く様子は微笑ましさを感じるが、中身はあくまでもマクシミリアンである。
「イシュとソーウェルさんもどうぞ。……今日は水晶糖を使ってみました。甘みがちょっと違うと思います」
イシュルカとソーウェルと自分には普通サイズのプリンだ。二人は、マクシミリアン・サイズと自分のサイズを見比べて面白そうな顔をしている。
「……ああ……私はこの瞬間のためにきっと仕事を頑張っていたのだな」
プリンを口にしたマクシミリアンはうっとりとした表情でほぉっと吐息をもらした。
ぷるぷるというよりはどっしりとした固めのプリンは、スプーンを入れるだけでワクワクしたのだが、口に入れた瞬間にそれはときめきに変わった。
濃厚な卵とミルクの風味がしっかりと感じられるのはいつも通りだったが、ほろ苦いカラメルのそのほろ苦さがいつもよりずっとまろやかだ。
濃厚な甘みが、カラメルのほろ苦さと合わさった瞬間のこの何とも言えぬ味わいをマクシミリアンは何よりも好んでいる。
どっしりとしているにも関わらず、口の中にいれると淡い甘みを残してはかなく消えてしまうのが良く、つい口に運ぶ手が止まらなくなってしまう。
いつもと同じく……いや、いつも以上にその美味が身体にしみるかのようだ。
「頑張った殿下にはおかわりのご褒美もありますからね」
「……ああ……」
マクシミリアンにとって、その言葉はまるで天から降る神の言祝ぎだった。
だから、言葉らしい言葉を発することもできなかったし、嬉しすぎてそれをどう表していいかもわからなくて、はにかんだ笑顔でその降って湧いたような幸福を噛みしめた。
◆◆◆◆◆◆◆
イシュルカとグレンダードが護衛を交代したところで、リアとディナンがもどってきたらしい。
「あれ? ソーウェルさん、どこ行くの?」
「ああ、リア、ディナン、おかえり。……ちょっと大食堂を見てきますよ。……おや、随分な大物を狩りましたね」
「たっだいまー、これ、リアの獲物」
「でしょう……ソーウェルさんにもごちそうするね」
声はすれど姿は見えず……二人は厨房の出入り口近くで職員用の大食堂へと行くソーウェルと話しているらしい。
副料理長になっているソーウェルにはある程度の自由裁量権がある。
今までだったら栞が行かねば話にならなかったことも、ソーウェルに依頼できるようになったので大食堂との打ち合わせを頼んだ。
(レストランは休業になるだろうから、当面は復旧に当たる職員の大食堂が最優先だよね)
大食堂自体は無傷だと聞いているが倉庫の状況はどうなのだろうか?
備蓄状況もわからない。レストラン・ディアドラスの食糧倉庫はこのホテルのどこよりも広く、備蓄している食材の種類の豊富さもその量も他とは比べものにならない。
(しかも、常に備蓄は溢れんばかりなんですよね)
マクシミリアンの最大の仕事は大迷宮での調査や討伐だからして、常に食材は供給され続けている。
だから、もし職員用大食堂で足りないと言うのならば、ディアドラスの倉庫から出すことをマクシミリアンに提案するつもりだ。
(……あとは、ソーウェルさんの見てきた状況を聞いて、何か差し入れることも考えよう)
職員用の大食堂の料理人たちはきっとフル回転しているだろう。
あそこの料理人たちは皆の食事を作ることに頭がいっぱいで、自分たちが食いっぱぐれることもしばしばだ。
(調理スタッフが簡単につまめるものとか……早急に届けさせた方がいいかもしれない)
多少多めに作って、余るようなら食堂で使ってもらってもいいのだ。
栞は大食堂への差し入れについて、頭の片隅に書き込んでおく。
「おししょー、見て見て!」
「じゃーん、今日の獲物です~」
声は聞こえるのになかなか来ないのを訝しく思っていたところ、二人は随分と大きな獲物を運んできていたらしい。
ディナンが前足をリアが後ろ足を持って、二人がえっちらおっちらと運んできたのは、大きなウサギだった。
もちろん、ただのウサギではない。
今はもうないが、額の真ん中の赤い痕からは鋭い一角が生えていたはずだ────この厨房でも何度取り扱ったことのある角ウサギである。
「引きずらないように頑張ってもってきたんだよ~」
「……二人とも怪我はしてない?」
「全然」
「大丈夫です~」
二人は顔を見合わせてから嬉しそうに笑った。
「……どうしよう、さっさと解体しちゃったほうがいいですか?」
マクシミリアンを振り向くと、マクシミリアンは空中に幾つかの呪文と図形を描き出している。
「いや、時間を止めておくから先にお茶にすると良い。……二人とも、今日のプリンもいつも通り絶品だぞ」
ふわりとマクシミリアンの手から離れた図形は、二人の手にしたウサギの下に移動し、ウサギをのせたまま隣の作業台へと着地した。
「はーい。殿下、ありがとうございますー」
リアが嬉しそうに言って、壁際の手荒いようシンクで丁寧に手を洗い始めた。この厨房では二度洗いが必須だ。
「まだ生まれて間もない仔ウサギだな……純白の体毛ってのは珍しい」
夢中でプリンを口に運んでいたグレンダードが、手を止めてその姿をまじまじと見ている。
「白ってレア種なんだ? 角がまだすごく短かったからまだ仔だろうなとは思ったけど」
先に手洗いを終えたディナンが、洗い立てのタオルで拭きながらやってくる。
厨房では手を拭くタオルの共有は禁止だ。使ったらすぐにランドリー用の籠に入れ、二度使うのは禁止。毎日、専門のスタッフに回収して洗ってもらえるようになっている。
「能力的にレアかどうかは別にしてここまで真っ白いのは本当に珍しいですよ」
イシュルカも興味深そうな表情でウサギを観察している。
「フロアにある大樹の洞でこいつが寝てたときに蝕がおこったみたいで……目が覚めて出てきたところにちょうどリアがいてさ……」
「お目覚めのおやつ! みたいな顔で襲ってきたから、つい……」
「つい?」
「つい、ロッドで鼻面ぶん殴ってしまって……」
ぷっとグレンダードが噴き出した。
「えー、なんでそこで魔法使わないのさ。リアちゃんなら一発で仕留められるだろ」
「私、とっさには火魔法になっちゃうから、自分的に室内での魔法は禁止してるの……火事西茶ったら怖いし……だから、思いっきりフルスイングしちゃった」
なんでそこで物理攻撃に走るんだよ、と耐えきれなくなったグレンダードは腹を抱えて笑っている。
「そうしたらちょうどいいとこに入ったみたいで伸びちゃったから、そのままトドメさした」
ほら、とディナンが見せたのは淡いクリーム色に円錐状の魔石……元は角だったものだ。
角ウサギの弱点はこの角で、角を無くすと死んでしまう。
こんな風に綺麗に根元から折ることができると、折れた角は結晶化して魔石になるのだ。もちろん、魔石は高く売れる。
「これ、毛皮が真っ白で傷もなくてすごーく綺麗だと思うの。魔法で焼いたり凍らせたりしてないし、刀傷もないし!」
高く売れるかなぁ? とワクワクした顔をするリアに、マクシミリアンが力強くうなづいた。
「そのレベルならオークションにかけられるぞ。……後でシリィに剥いでもらえ。一番美しく剥げる」
「いいよー、丸剥きしよう。内臓抜いたり、血抜きするのは二人も手伝うんだよ」
「おう」
「はい」
獲物を食材にするのも料理人の大事な技術のうちだ。
(あちらの世界ではほとんど必要とされなかった技術だけどね……)
今ここで役に立っているのだから、芸は身を助く────基、身につけた技術というものは何かしら自分を助けてくれるものだということを栞はしみじみと感じていた。




