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ソルシエールのコンソメ フィルダニア風(1)


 作るのに覚悟の要る料理がある。

(……覚悟……というのもどうかなって思うけど、やっぱり、覚悟って言うのが一番近い気がする)

 栞にとってそれは、コンソメだ。

 コンソメ・ドゥーブル────あるいは、ダブルコンソメと言う方が分かりやすい人もいるかもしれない。

(最もベーシックな……基本中の基本のブイヨンをベースにしたスープ)

父・一郎の一番の得意料理で、栞の一番の好物だ。

そして、たぶん、これまで一番多く作った料理でもある。

(なのに、今まで自己採点で百点をとれたことがないんだけど……)

 八十点はとれている。よほどのことがなければもう失敗したりしないし、お客様にお出ししても恥ずかしくないレベルで作ることができている自信はある。

 ただ、記憶の中の味が────父が作ったその味が、いつもそれを上回っている。

(パパのコンソメが一番美味しい……)

 思い出補正で美化されているせいではない……と栞は思っているが、そこは判断がつかない。



「お師匠様、どうしたんですか?」

 真夜中の厨房で、大きな寸胴鍋を前に考え込んだポーズのまま固まっている栞を見つけたリアが背後から声をかけた。

 リアはシャワーを浴び、髪もきちんと乾かした後のパジャマ姿だ。寝る前にお手洗いに行くために部屋を出てきたのだが、厨房から光がもれていることに気づいて見に来たのだ。

 三人が寮として使っているこのコテージの厨房は、設備がなかなかに充実している。

 魔力火が使える焜炉が設置されていることにリアは一番驚いた。このコテージはかつて王族の乳母だったという妖精族が住んでいたというからそのせいかもしれない。妖精族は総じて高い魔力を持つことで知られているから魔力火用の焜炉の方が便利だったのだろう。

「……ああ、リア。……ちょっとどうしようかな、と思ってることがあって……」

 栞の言葉はやや歯切れが悪い。

「……今から何か作るんですか?」

 既に日付は変わっている。明日も仕事があるから、できるだけ早く寝台に入って身体を休ませた方がいい。でも、栞がこれから何かを作るのなら自分も手伝いたい、とリアは思う。着替えるのはちょっと面倒くさいけれど、それでも手伝いたいという気持ちの方が強い。

「……それを迷っていたところ」

 栞は少し難しい顔をしている。

「……何を作ろうとしてたんですか?」

「……コンソメ・ドゥーブル……」

「……コンソメって何度か作ってますよね? っていうか、ブイヨンまでならいつも作ってるし……一昨日だってドガドガのチキンコンソメ作りましたよね?」

 栞が難しい顔をするようなものなのだろうか?と不思議に思う。

「ああ、うん。あれもコンソメ・ドゥーブルだよ……ようはいつものブイヨンをベースに更に濃い出汁をとってスープにしたものがコンソメ・ドゥーブルっていうの。チキンでもできるし、他の肉でもできるの……ドラゴン肉でもできるといえばできるね」

 栞は少しだけ遠い眼差しをして、そして続けた。

「……あのね。そろそろあなた達にもコンソメを仕込まないといけないかなって思ったの。……でも、正直、自分でも満点のコンソメを作れたことないのに、教えてもいいんだろうかって迷ってしまったんだよね」

 それで、今からコンソメ・チャレンジしようか悩んでいたとこ、と言う栞の表情は、その内容のわりには晴れやかに見える。

「え? あれでもまだ満点じゃないんですか?」

「うん。……記憶の中に、もっとおいしい味があってね。それを越えられてない。……いつも、何かが足りない気がしてて……私には本当のコンソメは教えられないかもしれないって思えて……」

「そんなことない! お師匠様の料理は世界一美味しいです。だから、足りなくなんかない! 私はお師匠様に教えてほしい!!」

リアは両手を握り締め、思わず勢い込んで告げた。目を丸くしている栞の表情に、言葉遣いが悪かったかと思って、小さな声でもう一度付け加える。

「……あの、私は、お師匠様に教えてほしいです」

「ありがとう、リア。……思い出の記憶補正が働いているかもなんだけどね。でもまあ、しょうがないの。パパ……私にとっての父は、永遠の師匠みたいなもので常にそびえたつ壁だからね。別に自信がないっていうわけじゃないんだけど……」

(……本当にそうだろうか……?)

 自信がないわけじゃないと口にしながらも栞は自問自答する。

 こちらに来て一年半になろうとしている。

 日本から逃げ出してきた己に、そんな自信があるのだろうか? 

「お師匠様の師匠?」

「ええ。……ああ……父にとっては、あなたたちは孫弟子になるのね」

「まごでし……」

 リアはぱちぱちと目をしばたたかせた。

「あなたたちからすると、大師匠ってことかな。……あなたたちに教えているレシピもほとんどが父のレシピが基本なの。シンプルな基本の料理が好きな人だったから……基本ができれば応用はいくらでもできるからっていう主義でね。私もそう思ってる」

「基本?」

「そう。……コンソメができれば、私が教えたいレシピの半分以上が作れるようになる。だから、コンソメが一人で作れるようになったら半分くらい免許皆伝かな」

 『免許皆伝』の単語にリアはドキリとした。そうなれたらもちろん嬉しい。でも、そんなのはまだまだ先の話だ。

最近、メインの料理を任せてもらうこともある。まだ、自分の皿だけでまかなえたことはないけれど、自分が少しづつだけど成長していることを実感できていて、仕事が楽しくて仕方がない。もちろんまだまだ一人前ではないことを他でもないリア自身が自覚している。

「いつものブイヨンとそんなに違うんですか?」

「うちでブイヨンって言っているものは、コンソメ・サンプルとかコンソメ・ブランって言うこともある一回目の『出汁』だね。で、それをベースにして更に出汁をとるから、ドゥーブル……二回出汁をとったものって言うの。三回出汁をとるレシピもあるけど、うちのレシピは二回。でも、材料がほぼ倍量になるから、すごく濃い出汁になるの。……実際にはもう何度も作ってるよ」

「なのに、あんな難しい顔してたんですか?」

「満点とったことないっていうのもあるけど……単純にコンソメだけで勝負したことないよなーとかいろいろ思うこともあってね」

「コンソメだけで勝負?」

「そう。野菜も何も入れないコンソメだけのスープを出したことはないなって……」

 料理は目でも食べるものだ。だから、皿や盛り付けにもこだわる。

 別に奇をてらったものを作っているわけではないが、コンソメだけの皿というのは栞がこれまで作ってきた料理の中ではとても地味なものになるだろう。

「それ、見た目とか地味じゃないですか?」

「スープだけだからね」

 でも、コンソメはただそれだけで完璧なスープだと栞は思っている。

(……決めた……)

 コンソメを作ろう、と栞は決意した。

「リア、コンソメを教えるのは少し待ってね────やっぱり、自分で納得いくものができてからじゃないと教えられない」

 父を越えるものではなくとも、自分が納得がいくものが作れれば……自分の中でもやもやするこの気持ちは晴れるような気がする。

「私の……ここでしか作れないコンソメを作るから」

「はい」

「そうしたら、リアとディナンにはそのコンソメを覚えてもらうから」

「はい」

 リアはこくっと素直にうなづいて言った。

「……お師匠様のコンソメを楽しみにしてます」

「ありがとう。……さあ、そうと決めたら、さっさと休もうか。……明日も早いからね」

「はい。……おやすみなさい、お師匠様」

「おやすみ」


 栞は、最後に火の元を確認してから厨房の照明を切った。部屋のあちこちで、光源である蓄光石がぼんやりと光っていた。





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