ポドリーのグリエ 旬野菜のエテュペ添え(18)
「……悪いね、こんなところまで夜食を運んでもらって」
「いえいえ。遅くまでお仕事ご苦労様です」
重い石の扉を開けてくれたのは、やや顔色の悪いイシュルカだった。
妖精族の血が濃く流れるイシュルカは、見た目よりもずっと強靭で体力がある。三徹くらいは何でもないと豪語する人間が、ずいぶんと疲れている様子だった。
「……失礼します」
足を踏み入れた扉の内側は、少し空気が違うように思えた。
ホテル内には、栞が足を踏み入れたことのない場所がたくさんあるし、入ったことのない部屋もたくさんある。実はこの部屋もそんな部屋の一つだった。
もっと奥に図書室があるから扉の前を通ることはあったが、中に入ったことはなかった。
興味深く周囲を見回せば、壁一面が棚になっていてぎっしりと本が詰まっている。
(……もしや、ここも図書館の一部なのかしら?)
部屋の様子から考えるに、どうやらこの部屋は閉架書棚のある一画らしい。
ほとんどの書棚には扉があり、扉の取っ手に鎖がまかれていて鍵がかけられている。
扉のない棚からは細い鎖が伸びていて、革製の表紙を持つ大きな本へと繋げられていた。おそらくそのあたりには禁帯本ばかりが置かれているのだろう。
(なんか、いかにも……な本だなぁ)
鎖で繋げられているのは、怪しい魔術書とか魔導書とかと言われても不思議ではない装飾の施された本だ。仕事中でなければちょっと開いてみたい装丁のものが多い。
(……何か呪われそうだけど)
壁という壁のすべてが本棚であるにも関わらずそれほど圧迫感を感じないのは天井が高いせいだろう。だが、納められている本がすべてかなりの年代物だったり、希少価値がありそうな本ばかりのようで、違う圧力が湧き出ているような気がする。
「……何かすごいことになっていますね」
そして、部屋の中央の大きな机の上には古そうな本が山と積まれ、あるいはペーパーウェイトを使って特定のページを開きっぱなしにして何冊も広げてある。それから、色の変わった紙の束や巻物が乱雑に広げられていて、惨憺たる有様になっていた。
「片づけは後でまとめてやるつもりだよ」
イシュルカは苦い笑いを浮かべる。
「時間が空いていたらお手伝いします」
「うん。その時は頼むよ」
(……殿下はどこだろう?)
気配はする。栞にそれがわからないはずはない。
(……あ……)
ふっと神経に何かが掠る。
「……シリィ?」
本の山の隙間で持ち上げるのも苦労しそうな大判の本に目を走らせていたマクシミリアンが、顔をあげた。
「……殿下、お夜食をお持ちしました」
少しだけ空気が和らいだ。
「ああ……ありがとう。もうそんな時間なのか……」
マクシミリアンはぐるりと首を回し、目をしばたたかせる。
「……そこには置けませんよね。空いているテーブルはないんですか?」
それから、大きなのびをした。
(まあ、どうにもならなかったら、このワゴンを台の代わりにしてもらってもいいんですけど……)
「……そっちの奥に司書の作業台に使っている小さな机があるから、そこでいただこうか」
「わかりました。……殿下とイシュは手を洗ってきてください」
「わかった」
「わかりました」
うなづいた二人が連れ立って奥へと足を向ける。
プリンが大好きなマクシミリアンが、デザートに必ずプリンがあるとわかっている夕食を突然キャンセルしたので何事かと思っていたが、何やら問題がおきているらしい。
(……朝の時は何も言ってなかったから、どうしたのかと思ったんだけど)
何か心がざわざわする感じがしていて何かあったことは伝わってきていたけれど、栞は栞でオーサの事やディナンの事でわりといっぱいだったから気にしている暇はなかった。
でもこうしてマクシミリアンと顔を合わせると、それなりに異常事態がおきていたことがわかる。
つながりがあるといってもそれは細い糸でつながっているような……それくらいのものだ。
(せめて糸電話くらいの感度があればいいのに)
心が読めるとまでは言わないが、もう少しわかりたいと思う。
強い感情に糸が震えるくらいでしかないからこういう時はもどかしさを覚える。
◆◆◆◆◆◆◆
「……これはバケットサンドだな?」
ボックスを開いたマクシミリアンが目を輝かせる。
栞が何を作ってもマクシミリアンは喜んでくれるので、とてもありがたい。
「はい。……味が二種類あります。あと、こちらがスープです。コンソメに卵を落としてとろみをつけた簡単なものですが、身体が温まりますから」
春が近いとはいえ、夜はまだだいぶ冷え込む。石造りの建物だから猶更だ。熱いスープは熱いというだけでごちそうになる。
(……どうしよう? 聞いていいものなのかな?)
何が起こったのか……あるいは何を捜しているのか……マクシミリアンにプリンを諦めさせたのが何だったのかを知りたい。
「……ん? これはもしやポドリーか?」
かじりついたマクシミリアンがおや、という表情で手を止めた。
「はい。どちらもポドリーがメイン食材ですよ」
「……うん。……悪くない」
マクシミリアンは満足気にうなづく。
「……殿下、熱いですけど、こちらもおいしいです」
イシュルカはコロッケサンドの方から食べ始めたらしい。
はふはふと息をふきかけて冷ましながら口に運んでいる様子が何やらかわいらしく見える。
「ああ、そっちも楽しみだ」
柔らかな笑みが満面に広がる。
マクシミリアンがこんな風に笑うのはおいしいものを食べている時くらいだ。
一口、また一口と食べ進めるたびにリラックスしていくのがわかる。
デザートのプリンを出したところで、マクシミリアンのリラックスモードは最高潮に達していただろう。
だから、少しだけ迷いながらも訊ねてみた。
「……ところで、何があったんですか? 二人はここで何を調べているんです?」
マクシミリアンとイシュルカが顔を合わせ、そしてマクシミリアンが小さくうなづく。
「……フランチェスカについてちょっと調べていまして」
「フランチェスカ?」
「いえね……ドドフラがあんまりにも流行したおかげで、ちょっと他国から言いがかりをつけられましてね」
「言いがかり?」
「ええ。……このままだとフランチェスカが絶滅するんじゃないかと……そんなことになったら我が国の責任だぞ、と」
「……魔生物は絶滅させたらいけないんですか?」
「いや、そんな決まりはないし、人間が迷宮に潜りはじめたそもそもの最初は、人類の敵である魔生物を狩るためだった……それが希少な種の生き物だからって手加減できるはずがない」
「そうですよね」
「だから、そこらへんの取り決めがないか、ちょっと調べているところだ」
「なるほど……」
(こちらの世界にも希少生物の保護なんて考え方があるんだ……)
「シリィ、そっちはどうだった?」
「オーサですか?」
「ああ。……私としては別に馘首でも良かったんだがな」
「そんなこと言わないでください。……私の教え方が悪いってことだってあるんですから」
「……教えてもらう身でありながら、己の立場をわかっていないあれが悪かったに決まっている。……一度は許したが、二度はない」
マクシミリアンは冷ややかに言った。
いかにも王子様らしい冷徹さが見え隠れしている。
「……本人もわかっていると思います」
「……む……」
何に気づいたのか、マクシミリアンの表情が険しくなる。
「シリィ」
至極真面目な表情でマクシミリアンが名を呼んだので、栞は少し姿勢を改めた。
「はい」
マクシミリアンがおもむろに口を開いた。
「今日のメインの一つはポドリーだったのか?」
「はい。……絶妙な焼き加減でふっくら香ばしくグリエしたポドリーにエテュペを添えました。ディナンがだいぶ作れるようになったんですよ」
真面目な顔で何をいうかと思えば、そんなことだったんで栞は少しだけおかしな気持ちになる。
「へえ……。ああ、それなら明日、いや、明後日までにこれを片付けるからそうしたらまた同じものを作ってもらえるか?」
「はい。……今日と同じくディナンに作らせても?」
「ああ、構わない」
栞の視線にマクシミリアンは小さくうなづく。
「私が帰国をしたとしても作れるように鍛えているつもりなんです」
栞は当たり前の顔をして告げた。
(……リアとディナンの二人がいればこのレストランが開けるようにする……)
それが栞の二人の師としての目標だ。
(それで、オーサは……そうだな、このコロッケサンドが作れるようになればいいかな、うん)
これが作れれば、きっと自分でいろいろ工夫することができるだろう。
「……え?」
マクシミリアンは何かを問おうとして口を開きかけ、躊躇い……もう一度、栞に話しかけようとしたが、声にはならなかった。
(……あと一年と少し……)
己の思考の中に沈む栞は、そんなマクシミリアンの様子に気づくはずもなく……。
(私はどうしたいんだろう……)
栞は、まだ自分の未来を決めかねていた。
ポドリーのグリエ 旬野菜のエテュペ添え END




