ポドリーのグリエ 旬野菜のエテュペ添え(11)
歯が立たない。
いや、刃が立たないと言うべきなのか。
意気揚々と手にしていた小出刃で魔石をはずそうとしていたオーサは、すぐに己の無力さを知った。
無力などと言うことすらもできない。
オーサの手にしていた小出刃は、殻に突き立てるどころか、傷ひとつつけられないのだ。
(魔力はちゃんと流しているのに……)
魔生物を解体するためには魔力が必要だというのは当たり前の常識だ。
オーサは魔術師になれるほどではなくとも、それなりの魔力を持っている。料理人としてはかなり上のほうだという自負もあった。
(だからこそ、選ばれたのに)
なのに、こんな簡単な下拵えひとつできないのだ。
道具が悪いのかもしれないと思って、ディナンのつかった小出刃と交換してもらってもダメだった。
オーサは、あまりにも自分が何もできなくて泣きたくなった。
ソーウェルはといえば、オーサの様子などまったく知らぬとばかりに殻や魔石の周辺を顔を近づけたり目を眇めたりして観察している。
「ディナン、絶対にこの結晶をとらなきゃだめなのか?」
「ダメ。魔生物の生死の判断は難しいんだ。どんなに死んだように見えても何がおこるかわからない。ポドリーの場合は、魔石をはずして完全に安全だってわかってからじゃないと下拵えもできない。おまえ、腕食われるかもしれないと思いながら作業したくないだろ?」
ディナンは何を言ってるんだという表情でオーサに言い聞かせる。
「……できないんだ」
オーサは素直に言った。
ここで素直にそれが言えるのがオーサの長所であり、短所でもある。
ディアンは小さくクビを傾げた。
「まず、何ができないんだ?」
「……刃が立たない」
「ポドリーの殻に刃を立てるなんて、オレら程度の魔力じゃあ、ぜってー無理。魔石と殻の継ぎ目に刃をいれるんだ」
「これのどこに継ぎ目があるんだよ?」
「もう一回、見本みせるからよく見てろ」
ディナンは、オーサの手の小刃を借り、オーサと場所を代わる。
そして、極薄の皮手袋に覆われた指先で境目らしき場所を探った。
「ここだ」
オーサの目にも、ソーウェルの目にも、そこに境目があるようには見えない。
けれど、ディナンの目には見えているのだろう。迷いなく小出刃の刃を突き立て、更に深くに押し通す。
そして、さほど力もいれずにその柄を左に倒すと、コロンと魔石は転がった。
「オレも別に最初からできたわけじゃないから。数こなせばできるようになるから」
「……どのくらいやればできるようになる?」
「んー、二百くらいやれば何となくわかるようになる」
「え?」
「まあ、とりあえず、今日はその一匹でやってみなよ。あ、ソーウェルさん、わかりました?」
さすが王宮の総料理長だっただけあるというべきか、ソーウェルはあっさりとその境目に刃を突き立てていた。
「ええ」
「そこで、魔力を流し込んでもう少し奥に突き立てて。魔石に添わせるイメージで」
「……ああ、なるほど」
ソーウェルが出刃を握った手に力をこめると、コロリと殻から魔石がはずれた。
「おー、さすが」
ディナンは小さく口笛を吹く。
「おししょー、これ、ここにあるので全部?」
「そう。全部処理しちゃって。……リア、アクをこまめにとって。オーサ、手袋は絶対はずさないでね。殻の表面って結構ザラザラしているから指先傷つけるから」
「……あ、はい」
「時間かかってもいいから、今日は、境目がわかるようにしよう。……ディナン、ソーウェルさんと続きやっちゃって。野菜の下ごしらえはこっちで受け持つから」
「スープは?」
「それも私が見てる。そっちおわったら、卵とってきて」
「プリン用?」
「そう。プリン用」
次々と指示がとばされるのを理解しながらも、オーサには何も手伝うことができない。
目の前で忙しくなく皆が動き回っているのに、自分ひとりがかやの外だ。
(境目……)
そんなものわかるわけがない!という気持ちと、ソーウェルはできたのだという気持ちの間で揺れる。
何よりも、自分の指導係についているのがディナンだということにひっかかりを覚えていた。
(ヴィーダならば……)
栞が教えてくれれば、と思う一方で、こんなことを自分にやらせている張本人だという反発もある。
(オレはヴィーダの技術を受け継いでブーランジェとして独立するためにここに来たのに)
とはいえ、今の身分はただのパン焼き職人の見習いだ。どんなに下ごしらえは自分の仕事ではないと思っても、この厨房の総責任者である栞の言葉に逆らうことはできない。
殻につきたてようとした刃は、ガチリという鈍い音をたてるだけだ。
「オーサ、力任せにつきたてても刃こぼれするだけですよ」
「……はい」
ソーウェルの言葉にオーサはうなづく。
かつては王宮の総料理長だったソーウェルはオーサにとって雲の上の人だった。そんな風に言われれば、うなづかないわけにはいかない。
でもその一方で今は同じ見習いにすぎない、なんて考えてしまったりもする。
オーサは、自分の中のさまざまな気持ちをどう整理していいかよくわからなくなっていた。
自分より、ディナンのほうが経験があるのだからできなくても仕方がないと思う一方で、自分と同じくはじめて兆戦したと思しきソーウェルがあっさりとそれができてしまったことがひっかかる。
(いや、ソーウェル様は、王宮の総料理長だったんだし……)
それくらいできて当たり前だと思いながら、納得できない気持ちがあった。
「……お師匠様、どうなさったんですか?」
「んー、オーサが悩んでるなって思って」
「まあ、誰でも十回や二十回は経験する壁ですから!」
リアは放っておいてあげてください、と言って鍋に向き直る。
「私たちも同じことしてますから」
役に立たない無力さを、何度も感じた。
クタクタになって魔力切れで動けない自分たちの横で、顔色の悪い栞が肩をまわしながら下拵えをするのを見ているのが一番辛かった。
あの気持ちに較べれば、ポドリーに歯がたたないことなんか、絶望でも何でもない。
そもそもオーサは魔力切れにすらなっていない。
「お師匠様、味見をお願いします。……ちゃんと、中まで煮込めたと思います」
余計なことを言ってしまった、とリアは心の中で舌打ちした。
自信がないことが丸わかりだ。
「はい」
栞は、おたまで小皿にとってから、そっとスープに口をつけて味を確かめる。
口の中に広がる甘みは、臭みを消すためにいれたたまねぎを主とした野菜の甘みだ。
それに、肉のおいしい脂の味が上手に絡むと何ともいえない味になる。
(よいお肉は脂がおいしい)
栞は脂身があまり好きではない。あのぷよぷよのゼラチン質が嫌いだ。
食感もいやだし、なかなか溶けずに口の中がねっとりとするのもいただけない。
(でも、おいしい脂は別)
口の中でとろける脂は許す。
食べた瞬間にお肉の旨みがいっぱいになって、舌に甘みをのこしてとろける脂は至福だ。
そういう脂は大好きだし、そもそもおいしい肉料理の基本はほどよい脂がある材料を選ぶことが一番のコツだと思っている。
(あとは、変にこねくりまわさないでシンプルに調理すること)
材料が良いのが最上なのだ。そういう意味では、このレストランは最高に贅沢をさせてもらっている。
(私にはあんまり価値がわからない部分もあるけど)
どれほど高級素材だと言われても、異世界人である栞にとってその価値はどうも実感しにくい。
(最高級神戸牛よりもドラゴン肉はだいぶ高級っぽい)
尺度となる基準が違うこともあるが、結局、マクシミリアンたちが狩ってきた素材であること。マクシミリアン自身が、まあ、元手はタダみたいなものだなどと軽口を叩くので未だによくわからない部分が多いのだ。
(自分で原価計算するべきなのか……いや、でもそもそもこっちの物価の基準がよくわからないからなぁ)
こちらで暮らし始めてもう二年目なのだからだいぶ馴染んできたし、いろいろわきまえてきたと思うのに、知れば知るほどわからなくなる部分もある。
それを面白いと思う気持ちと、あちらの世界との違いを強く感じてホームシックのような切ない気持ちとが入り混じる。
別にここが異世界だからそう感じるわけではない。
(私にはもうどこにも『家』はないから)
ただ一人で在る孤独。
それはもうどうしようもないことだった。
あちらの世界でも、父を亡くしてからずっと感じていた。
(でも……)
あちらにいるより、こちらのほうが、不思議とその気持ちは薄いし、思い出すことも少ない。
それはきっと、あちらよりこちらのほうが、濃い人間関係を築いているからだろう。
(殿下とはどこかがつながってるみたいなものだし)
「あの、どうですか?」
「食べてみるね」
おそるおそる問うリアに小さくうなづいて、栞は菜ばしでつかんだ煮込み肉を小皿にとった。
こちらには箸はなかったが、殿下に頼んで作ってもらった。
五角形の聖銀製の箸はつまみやすいし丈夫だ。金属よりも木の方が栞の好みだが、菜ばしとして使うのならこちらのほうがいい。
煮込み肉は繊維にそって簡単に裂けるくらいに柔らかく煮込まれている。
一度、表面を焼いていることで、うまく脂を肉の中に閉じ込めることができ、しかも余分な脂を落とすこともできている。
尻尾部分の先のほうは脂分が多いから、下手をすれば
「うん。中の煮込みムラもないね。上手に火を通せたね」
口に入れ、咀嚼すると肉がほろほろと口の中で解ける。
(あ、ちゃんとおいしい脂だ)
上手に煮えているから、脂身もトロリととろける。
(でも、味が薄すぎるかな)
「生姜が少し足りなかったですか?」
「というよりも、もうちょっと塩コショウだね」
「しおこしょう……」
栞はもう魔力は大丈夫かとリアとディナンに聞くことがない。
それがリアにとって一番嬉しいことだった。自分たちが成長した確かな証だからだ。
「リアの今後の課題は塩の使い方かな。ディナンは使いすぎなことが多いけど、リアはもうちょっと大胆に使っていいよ。……まあ、確かに入れすぎはリカバリーできないから、慎重になるのは悪く無いけれど、仕上げる時にはしっかり味を作ること」
あと、これくらい必要かな、と、栞がおたまにとった塩の量は、リアだったら絶対にいれない……いれられない量だった。
それを丁寧に溶かしいれ、味をみてこしょうをふる。
「味、みて」
渡されたおたまでリアは小皿に少しだけよそう。
「……こっちのほうが、おいしいです」
こうして栞が味をととのえるとよくわかる。
肉には最適な塩味がある。それよりも濃すぎても薄すぎても『美味しさ』はくすんでしまうのだ。
肉の味をひきたてつつも、決して塩味で殺すことのない最適なその味を、栞はまるで魔法のようにつくりだす。
リアが、少しづつ少しづつ塩を足し、味を見てまた足すうちに足した量が少なすぎて前との味の違いがよくわからなくなり、結局、少し足りないかもしれないと思うところでやめてしまうのに比べると栞の調味は大胆だ。
味をみながら、ほとんど迷いなく調味料を加える。
それがぴたりと決まるのだ。
(このへんの量の加減っていうのは結局、慣れだからなぁ)
「ありがとう。塩の加減が迷い無くできるようになったら免許皆伝だよ。……最終的にはそうなってもらう予定だから」
「お師匠さま……」
「大丈夫。慎重なくらいでちょうどいいからね」
リアは優柔不断ではないし、曖昧な性格でもない。
ただ、まだ自信が無いのだ。
己の舌に、あるいは己の技術に自信が無い。だからブレるのだ。
(……まだ、基準となる味が刻み込まれてないってことだよね)
己の父親が、どのようにして自分に味覚の尺度となるものを仕込んでくれたのかを考えながら、ちらりとディナンに視線をやった。
ディナンは微妙な表情で肩を竦めて見せる。
その視線の先では、オーサが途方にくれて立ち尽くしていた。
どうしたものかと思いながら近づこうとした栞に、ディナンは首を横に振った。
最後までやらせろ、ということなのだろう。
栞がうなづくと、ディナンは安堵したようにうなづいた。
(初めてのチャレンジでできなくても、別に即座にクビとかしないのに)
出会うまでかなり過酷な環境におかれていたディナンは、何でもすぐにできなければいけないと思っている節がある。
ちらり、とソーウェルのほうをみれば、ソーウェルもまたディナンと同じ意見なのか静かにうなづいたので栞は声をかけることをやめた。
(見守るのって、大変)
つい、手を出したくなってしまう。
でも、自分もまたそうやって見守られて育ててもらったことを考えて、栞はぐっとこらえた。




