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ポドリーのグリエ 旬野菜のエテュペ添え(5)

「ところでヴィーダ、もう、今夜のお客様の打ち合わせは終わってしまいましたか?」

「いいえ。まだ、これからです」

「では、ぜひ、私もご一緒させてください」

「それはかまわないんですが……ソーウェルさん、もしかしてもう今日から、厨房に入るおつもりですか?」


 そう問いかけながらも、ソーウェルがそのつもりであることは見ればわかる。

 やる気まんまんの老人は、目の前でいそいそと白い上衣に腕を通したのだ。これは王宮厨房人達のそろいの制服で、あちらで言えばコックコート……料理人の制服だ。

 ソーウェルはここの厨房で決まりになっているキャスケットタイプの帽子もちゃんとかぶっている。

 

「もちろんですとも。……これまで何度かお手伝いに来ておりますから、それなりに手順は承知しております。見学が必要ということであれば、見学するのもやぶさかではございませんが……」

「いえいえ、そういう意味ではないです。ただ、今回、こちらに来るにあたってお引越しとかいろいろあったと思うので、お疲れではないかと思いまして」


 手伝いに来たのとは違って、今後こちらで働くつもりなのだから当然転居してきているに違いない。

 マクシミリアンと同行しているのだから、移動の魔法陣を使っているにしても引越しというのは労力を費やすものだ。


「なーに、料理人は一にも二にも体力勝負ですよ。隠居とは仮の姿。まだまだ私も現役ですから」


(……なんかさっきと言ってること違うし!)


 心配はないとにこやかに笑うソーウェルのその様子は、疲れの影はない。

王宮の総料理長という重職を辞したせいだろうか。むしろ、以前よりずっと若々しくさえみえる。


「……そうですか」


 ご心配なくと笑みを見せる目の前の穏やかな風貌の老人に、栞はひきつった笑みを浮かべた。こういう時、何と言っていいかがわからない。自分の語彙力のなさにがっくりしてしまう。


「シリィ、ソーウェルの心配をする必要はまったくない。この爺は、こんなひょろひょろのナリをしているが、その拳で騎士団の若造共を黙らせる実力者だ。もちろん、シリィなど比べ物にならないくらいに腕力もある。どんどん力仕事もやらせるといい」


 呆れたように言うマクシミリアンに、栞は目をしばたかせた。


「はい?拳で黙らせる?」


 何だかとても不穏当な単語を耳にしたような気がする。

 栞の視線に、ソーウェルはにこやかに口を開いた。


「騎士の家の末っ子に生まれたので、幼いころはそれなりに剣術も格闘術も魔術もやらされていたのです。騎士家なんて貧乏なのが当たり前で、次男、三男ともなれば継ぐ家もなく、将来、軍に入ることを目指すのが当たり前で……私の死んだ父は格闘術の名手でしてね。そのせいで私も含め子供たちは徹底的に鍛えられたんですよ。おかげでこの年齢になるまで、大きな病気も怪我もしたことがありません」

「……なるほど」


 この場合、栞にうなづく以外のことができようはずがない。


「鎧を身に着けての格闘術ってのはなかなか大変なものなのです……ご覧の通り、背はあまり伸びなかったのですが、力には自信があります。王宮でも、時々、気分転換に騎士団の訓練に混ぜてもらっていましたから」


 ソーウェルは、厨房の制服は軽くて大変によろしい、と茶目っ気たっぷりに笑って続ける。

 目線は栞とほぼ変わらないから、こちらの成人男性としてはかなり低い方だろう。

 だが、身についたその雰囲気が、彼を小さいとは決して思わせない。


「それに王宮の調理器具は魔法具でないもののほうが多いのです。軽量化のかかっているものもそれほど多くありません。王宮厨房の一番大きな片手鍋は平均的な戦斧よりも重いんですよ」


 私はそれをずっとふるってきたのです、と告げるその様子は自信に満ちている。


「しかもだ。この爺は、ここに来るにあたって探索者の資格まで取得したのだぞ……実技も知識も上から数えたほうが早いという優良合格者だ。ちなみに人族の最年長合格者でもある」

「……でしょうね」


 栞はソーウェルの正確な年齢を知らないが、おそらく大幅にその最年長記録を更新したに違いない。

 おそるべき老人パワーである。


「そういうわけなので、私をそこらのじじいとは一緒にしないで下さい」

「おまえのような爺がそこらにうじゃうじゃいたら、世も末だ」

「お褒めに預かり恐悦至極でございます。殿下」


 ソーウェルは、作法に従い恭しく頭を下げる。


(すごい。……プリン殿下に負けない人、初めて見た)


 栞は言葉にはしない……というか、できない……頼もしさを感じていた。



 



「今日のお客様は、まず六時スタートが3組8名。狼種の獣人の方と人魚種との混血の方がいます」


 リアがボードを片手に皆に告げる。


「……狼種の方って何か駄目な食材ありましたっけ?」


 犬と狼は一緒なんだろうか?いやいや、動物とごっちゃにするのはよくないだろう、と栞は心の中で呟く。

 種族の禁止素材というのは個人の好き嫌いなどとは比べ物にならない。

 アレルギーと似ているが、アレルギーよりもわかりやすい。

 

「ネギ系統の野菜は避けたほうがよろしいでしょうね」

「人魚種の方は、確か肉類が苦手ですよね?」

「はい。混血であったとしても苦手な方が多いので、魚介メインのほうが良いと思います。ただ、肉類でも、白身のトカゲ系統は大丈夫だと思います」


 種族的禁止食材についての大雑把な知識は栞も持っているが、やはりこの場で確認できると話が早い。


「なるほど」


 話を聞きながら、栞は、今日入ってきた材料と今ちょうど使い頃になっている素材を頭に思い浮かべる。


「それから、七時スタートは、4組、10名様ですね。こちらは、蛇族の方がいらっしゃいますが、特に禁止食材はないからとのこと。全7組のお客様のうち5組が滞在のお客様です」


 リアが手にしたボードをまわしてよこす。

 それぞれが目を通すものだが、わざわざ読み上げて打ち合わせるのは確認も兼ねているからだ。

 禁止食材というのは、生命にかかわることなのでどれだけ注意してもし足りるということはない。


「大丈夫。メニューはかぶらないから」


 メニューは毎日違う。メイン食材が一緒でも調理の仕方が違えば別物だし、フルコースの組み立てが違えばまったく印象も違ってくる。

 季節折々の素材にもこだわっているから、リピーターであっても同じ料理にあたることはおそらくほとんどないだろう。

 

「前菜にスケルトンフィッシュのカルパッチョ、それから、チェシェールと黄トマトのサラダ。スープはホロネギと青縞トカゲのコンソメ、それから、メインは、ポドリーのグリエの旬野菜添えとイルベリードラゴンの炭火焼ステーキ。ソルベは柑橘系のものを考えてます」


 栞の並べるメニューをリアはボードのメモに書き留めてゆく。


「で、人魚種の方のみ、イルベリードラゴンを別なものにするかお伺いします。ドラゴン肉は食べたいと言われるかも知れないので」

「はーい」

「で、お師匠様、デザートは?」

「ほうれん草とニンジンのムース。これは完全新作」

「あれ?プリンじゃなかったの?」


 ここのところ、栞が作っていたのは野菜プリンだったはずだ。


「プリンはまだ完成してないの」


 このままでもおいしいといってもらえるとは思う。

 だが、ただおいしいだけではダメなのだ。

 あと一味が足りない。


「ムースとプリンって、なんか違うのか?」


 ディナンの何気ない質問に、思わず栞とリアの声が重なった。


「まったく違うから!」

「全然違うじゃない!」


 ソーウェルは目をぱちくりとしばたかせ、ディナンは静かにうなづいた。


「……うん。悪ぃ。そうだよな。違うよな」


 ここで余計なことを言ってはならないということを、彼はちゃんと学習している。

 特にプリンと名のつくものに関するときは注意しなければならない。マクシミリアンを巻き込む可能性が高いからだ。

 だから、重ねて問うことはなかった。


「ソーウェルさん、他に何か気付いたこと、ありますか?」

「いえ。特には……」

「じゃあ、下拵えをお願いします。ディナン、とりあえず、コンソメからはじめてて」

「りょーかい。んじゃ、肉と骨とってくんわ。ポドリーはどうすんの?」

「ポドリーは、五時までに届く予定」

「あれ?殿下、さっきまで居たじゃん?」


 調達係であるマクシミリアンはついさっきまで厨房にいたのだ。

 この手のものは、基本、自給自足なのでどこかから買い入れるはずがない。


「メロリー卿達が潜ってるから」

「ふーん。……また、何かしたの?」

「さあ」


 栞は首を傾げる。

 グレンダード=メロリーは、しょっちゅう、罰ゲーム的に大迷宮においやられているのでその理由には誰も関心がなくなっている。


「んじゃ、リア、ソーウェルさんと野菜頼む」

「はーい。ソーウェルさん、食料庫行きましょうか」

「かしこまりました。……ポドリーの調理というのはよくするんですか?リア」

「んー、結構多いですよ。使いやすいし、おいしいですから。分厚く切って焼いたのとかいいですよね!」

「ええ。……狩りたてのポドリーを調理できるなんて、ワクワクしますね」

「ソーウェルさんもしたことないの?」

「私が扱ったことがあるものは、冷凍保存した一部分だけなんですよ。解体もしたことありませんし……」

「あー、ポドリーの解体は簡単です」

「そうなんですか?」

「ええ。殻のとこに小さな短剣つっこんで、こう、くっついてるところをグルリと切るんですよ。それで、スコップつっこんでかきだすようにして、殻からひっぺがすんです」

「ほう……」

「ちょっと力いりますけど、うまくやればスポって抜けますから」

「なるほど」


 身振り手振りをおりまぜて一生懸命説明するリアにソーウェルは柔らかな笑みを向ける。


(……バルギスさんが見たら、きっと目を剥くわ)


 王宮で総料理長として厨房に君臨していたソーウェルは、仕事中はにこりともしなかったのだ。

 

(とりあえず、何とかなりそうかな)


 二週間後に、特別な客を迎える予定があるといわれている栞は、それまでに何とか厨房の体制を整えてしまおうと考えていた。

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