第84話 ダンスパートナーの意味
「え? は、陽斗さん? そ、それは本当ですの?!」
陽斗が聖夜祭でダンスパートナーに誘われたと口にすると、穂乃香が慌てた様子で会話に割り込んできた。
「え、あ、うん」
普段の穂乃香は人の会話にいきなり割り込むような無作法をすることはない。
そのことに驚きながらも陽斗は素直に頷いた。
「その誘いを受けたのはいつのことだい?」
穂乃香を落ち着かせるためだろうか、雅刀はコホンとひとつ咳払いをすると陽斗に確認する。
「あの、図書室でのお仕事が終わって戻ってくる途中です。茶道部と華道部の部長さんから声をかけられて」
その言葉を聞いて、穂乃香は陽斗が料理部に入部するまで茶道部と華道部の、特に部長を務めている生徒から度々勧誘を受けていたことを思い出した。
どちらも陽斗のことをかなり気に入っていた様子で、強引なことはしなかったものの料理部に決めた事を伝えると目に見えて落胆していたことを覚えている。
穂乃香は当時もやきもきしていたが自分の気持を自覚した今はそれどころではない。
「陽斗さん、彼女達は聖夜祭でどのダンスを一緒に踊りたいとおっしゃっていたのですか?」
不安になった穂乃香が思い切って訊ねてみる。
「え? いえ、特にどのダンスとかは言われてない、かな? 単に聖夜祭で一緒にダンスを踊って欲しいって言われただけで。でも僕、生徒会役員が聖夜祭の間何をするのかよくわからなくて、そんな時間があるかどうか知らないので返事ができなかったんだ」
陽斗は何故穂乃香がそんなに慌てていたのかわからなかったが、勝手に返事をして生徒会業務に支障が出ると困るんだろうと考えていた。
「そうか、これは僕の説明不足だったね。西蓮寺くんが外部入学だったことを失念していたよ。
聖夜祭での生徒会の役目は、当日の準備が終わるまでで終了なんだよ。後は他の生徒たちと同じく、聖夜祭を楽しんでほしい。2学期最後の大切な交流の場だからね。片付けも業者に委託しているし、それを終えてからのチェックは教員の先生がしてくれることになっているから」
雅刀がそう言うと、陽斗は恥じ入るように顔を赤くして頭を下げた。
すると、雅刀はなにやら意味深な笑みを陽斗に向けて言葉を重ねる。
「そうそう、聖夜祭では誰とダンスをしても構わないし、できるだけたくさんの人と踊って欲しいという要望があるんだ。交流を深めるのが主眼のイベントだからね。
ただ、一曲目のファーストダンスを誰と踊るかは伝統的に意味が込められているんだよ」
雅刀の言葉に首をかしげる陽斗。
「か、会長!」
穂乃香が頬を染めながら制止しようとするが雅刀は構わず続ける。
「ファーストダンスを踊るパートナーは好意を持っている相手に申し込むんだ。相手はそれが嫌でなければ受けるし、応えられなければ断る。
そして、ファーストダンスを踊った相手と同じパートナーでラストダンスを踊るのは、その想いが通じたという意味らしいね」
雅刀の説明にしばらくは意味がわからなかった陽斗だが、その”好意”の意味合いを理解すると途端に顔を赤くする。
「あ、えっと……」
なんと返して良いのかわからずしどろもどろになる。
「でも西蓮寺くんはファーストダンスを申し込まれたわけじゃないみたいだし、嫌じゃなければその人達と踊るのも良いんじゃないかな」
雅刀はそうアドバイスを贈るが陽斗はますます困ったような顔になる。
実は二人の先輩からダンスの誘いを受けた際、冗談めかした口調ながら『ファーストダンスでも良いわよ』などと言われていたのだ。
ファーストダンスの意味を知った今となればそれが陽斗を揶揄っているのだろうと想像できるのだが、なんとはなしに陽斗はそれを言い出せずにいる。
そして、この事態に焦っている人物がもう一人。
年末年始に陽斗や重斗達と一緒に過ごすということで浮かれてすっかり聖夜祭のことを失念していた穂乃香は、陽斗の報告でようやくその事を思い出した。
のだが、雅刀がファーストダンスとラストダンスのことを陽斗に教えてしまったために逆に陽斗を誘いづらくなってしまったのだ。
このタイミングでファーストダンスに誘えば愛の告白をしているのと同じである。
かといって、誘わなければ他の誰かが陽斗にファーストダンスを申し込んでしまう可能性に思い至り、どうしていいかわからずに困り果てていた。
翌日、穂乃香は食堂でセラと壮史朗の3人で昼食を摂っていた。
この日は天気が良いということで陽斗は千場達3人と賢弥と一緒に購買でパンを買って中庭に行ってしまっている。
陽斗がいないということで壮史朗はひとりでさっさと食堂に向かおうとしたのだが、目ざとく見つけたセラに捕まってこうして一緒に食べることになったのだ。
「随分と辛気臭い顔をしているな。昨日までは悪いものでも食べたのかというくらい浮かれてて気色悪かったが、今度はどうしたっていうんだ? どうせくだらないことだとは思うが」
「き、気色悪いとは随分な言い草ですわね。天宮さんには関係のないことですので放っておいてください」
昨日までの機嫌良さげな様子から一転して穂乃香は何度も溜息を吐きながらチマチマと料理をつついていた穂乃香に、訝しげに壮史朗が訊ねると、穂乃香は憮然として言い返した。
「にひひ、穂乃香さん、ひょっとして陽斗くんが聖夜祭のダンスパートナーに誘われたからじゃない?」
「んな?!」
すぐにセラが思い至ったらしく、ニヤニヤしながら言うと途端に穂乃香の顔が紅潮する。
その表情を見ればセラの言葉が図星だったことはすぐに知れた。
壮史朗は呆れた顔で大げさに溜息を吐いて見せる。
「やっぱりくだらない内容だったな。そんなもの、気にするくらいなら四条院も西蓮寺に申し込めばいいだろうが」
「そうよねぇ。穂乃香さんはやっぱりファーストダンスを陽斗くんと踊りたいんでしょ? あと、ラストダンスも」
セラのそれなりの家柄の令嬢とはいえやはり年頃の女性としては一番の関心事は色恋だ。
目の前に人参をぶら下げられた馬のように目を輝かせて身を乗り出す。
「そ、それは、その、陽斗さんから誘っていただけるのなら吝かではありませんが、わたくしから言い出すのは少し……やっぱりそういうのは殿方から言っていただきたいというか……」
普段の凛とした態度はどこへやら、穂乃香は恥ずかしそうに小声で言いながら身を小さくする。
「ふん。そんなことを言っている間に他の女がかっ攫うかもしれんぞ。西蓮寺は押しに弱そうだからな。真剣に頼まれたら断れないんじゃないか?」
「あ~、そうかも。陽斗くんって基本的に人の頼みは断らないし、優しいもんね」
「うぅぅ」
壮史朗とセラの言葉にますます落ち込む穂乃香。
いかにもありそうなことなので容易に想像ができてしまう。
「ですけど、その、ファーストダンスの意味を鷹司会長が陽斗さんに説明してしまったので、わたくしからは言い出しづらいですわ」
「それは、そうねぇ。今からじゃさり気なくってのも難しいだろうし。今からできることって考えると、今年のファーストダンスは諦めて、陽斗くんが誰ともファーストダンスを踊らないように誘導するくらい、かな?」
「それこそ西蓮寺の自由だろう。たしかにアイツはいまいち恋愛とかは疎そうだが、全く興味がないってわけじゃないだろう。さっさと告白でもなんでもして交際までこぎつけるのが一番だろうよ。そうなってしまえばわざわざ四条院に喧嘩を売ってまで西蓮寺にちょっかいかけるやつは出ない、かもしれん」
「そこは断言してくれませんこと?」
「知るか! とにかく僕は面倒事は御免だから巻き込まないでくれよ。ただ、西蓮寺はかなりその手の好意には鈍感だと思うぞ。相手がその気になるのを待ってたらいつになるんだろうな」
壮史朗はそこまで言うと、後は知らんとばかりにさっさと席を立って食堂をでていってしまった。
好き勝手言われて面白くないものの、反論することもできず再び大きな溜息が漏れてしまう。
さすがにセラもこれ以上からかうことはできずに、奇妙な沈黙が続く中食事を続けるのだった。
そしていつもよりもかなり時間を掛けた昼食を終え、食堂から出た穂乃香とセラだったが、すぐにその足を止めることになった。
「穂乃香さん、少しだけよろしいかしら」
廊下に出たところで穂乃香を呼び止めたのはひとりの女子生徒。
リボンの色からすると2年生だろう。
ただ、穂乃香はその生徒を見たことはある気はするが、これまで話をした覚えは無く、名前も思い出せない。
「はい。この場でよろしければ」
穂乃香がそう答えると、女子生徒は頷いて口を開く。
「単刀直入にお聞きしたいのだけど、穂乃香さんと、生徒会副会長の西蓮寺陽斗さんは交際なさっているのですか?」
いきなりの質問に面食らってしまいすぐに言葉を返すことができない。
そして女子生徒が続けた言葉に、さらに言葉を失うことになってしまった。
「もし西蓮寺さんが穂乃香さんとお付き合いをしていないのなら、彼に聖夜祭のファーストダンスのパートナーを申し込んでもよろしいですよね?」




