第39話 チャリティーバザー
「あっ! 陽斗さん、お疲れ様です。どこまで行ってらっしゃったのですか?」
陽斗がブースへ戻ると穂乃香が少しだけ不満そうに出迎えた。
ブースはすでに全ての商品が並べられ、各クラスからの応援の生徒達が売り子をするために待機している状態だった。
多分1年のブースから離れていたことを怒っているのだろうと陽斗は素直に頭を下げる。
「ごめんなさい。何か仕事があるかと思って少し離れたら生徒会長に呼ばれて」
陽斗がそう言うと、穂乃香のどこか拗ねたような表情が少し暗いものに変わる。
「琴乃さまに? 何か言われましたの?」
突然変わった穂乃香の顔に驚く陽斗。
「え、えっと、特に何か言われたとかは。最初は鷹司副会長も一緒に居て、副会長が警備の打ち合わせ、かな? で離れたから生徒会長と二人で歩いて会場を回っていただけです。
あ、その時に穂乃香さんと天宮君の印象が高等部に来てから変わったって言ってましたけど」
「そう、ですの?」
その言葉を聞いてなんとも微妙な顔をする穂乃香。
「うん。僕は中等部のときの穂乃香さん達を知らないから教えてくれたんだと思うけど。
あの、穂乃香さんって、生徒会長とあまり仲良くない、の?」
穂乃香の様子を見てひょっとしたらと考えた陽斗が訊ねる。
思い返してみれば中等部から知っている者同士なのに穂乃香と琴乃が会話をしているところを見たことがない。琴乃から質問を投げかけられて穂乃香が答えたり、指示を受けたりということはあったが、あくまで生徒会の業務に関する事務的なものばかりだった。
どことなく穂乃香の琴乃に対する態度は硬いように陽斗には見えていた。
問われた穂乃香の方は複雑そうな表情を見せる。
「仲が悪いというわけではありませんわ。
琴乃さまはとても素晴らしい方ですもの。嫌う理由はありません。
ですが、そうですね、琴乃さまと居るとコンプレックスを刺激されてしまうというか、自分の至らなさが目について情けなくなりますの。
まず家格では四条院家は琴乃さまの錦小路家に太刀打ちできませんし、琴乃さまご自身も成績優秀でスポーツも武道も秀でておいでです。誰にでも分け隔てなく思いやりを持って接する一方で厳しさも兼ね備えていらっしゃいますし、人を動かす術も心得ておられます。それに加えてあのように美しくいらっしゃるのですもの。
わたくしも琴乃さまに憧れている者の一人ですわ。
それだけに、何一つ敵うもののない自分に嫌気がさすことがありますの。琴乃さまと比べればわたくしなど……」
穂乃香は淡々と、いや、気持ちを押し殺しているような様子で言う。
おそらくは内心を、それも密かに抱えていたコンプレックスまで口にするつもりなどなかったのだろう。
穂乃香としては陽斗が琴乃に呼ばれたと聞いて心配になっただけだったのだが、ほんわかしているようでこれまでの育ちから人の表情や雰囲気の変化に敏感な陽斗は穂乃香が琴乃のことを口にしたときのわずかな硬さを察していた。
そのせいで思わず琴乃を気遣うような表情を見せ、その気持ちが穂乃香の心にスルリと入り込んで気持ちを吐露させたのだ。
ちなみにこれが陽斗が彩音に保護されるまでの十数年生き延びてこられた理由でもある。
陽斗はとにかく聞き上手で、幼く見える外見も相まって相手を警戒させることなくリラックスさせて話を引き出すことができる。
だから新聞の勧誘でも販売店でトップクラスの成績を残していたし、勧誘した相手も毎月の集金を楽しみにしていたほどだ。
もっとも例のごとく、陽斗にその自覚はまったくない。
それはともかく、その自嘲気味な言葉を聞いた陽斗はショックで思わず強い口調で穂乃香の言葉を遮った。
「そんなことないです! 穂乃香さんはとってもスゴイ人です!!
僕みたいに何も知らない奴にも最初から優しくて、色々知ってて、カッコ良くて、それに、あの、とっても綺麗です!
生徒会長も綺麗ですけど、それとはまた違って、えっと、僕は穂乃香さんに憧れてて、あ、あの……」
だんだん尻すぼみになる言葉。
穂乃香の表情を見ていたら我慢できなくなって大きな声を出したものの、周囲に他の役員や応援の生徒が居る中でそんなことをしたものだから当然陽斗は視線を集めてしまう。
そうなればさすがに陽斗もそれに気付いてしまい、だんだん恥ずかしくなってきてしまったのだ。
感情にまかせてかなり赤裸々に内心を口にしていたのだから尚更である。
そして陽斗の心の声をぶつけられた穂乃香はというと、惚けた顔で陽斗をぼんやりと見つめ、恥ずかしさのあまり顔を赤くして上目遣いで穂乃香の様子を伺う陽斗と目が合うと、ボンッと音が鳴りそうなほど耳まで真っ赤に染めた。
「そ、そそそ、そう、ですの?
は、陽斗さんはわたくしのことを格好良くて綺麗だと、そう思って、えっと」
突如繰り広げられたラブコメ的展開になんともいえない空気が漂う。
「なんだろう、同じ歳だって知ってるのにお巡りさん呼んだ方が良いような気がしてきたんだが」
誰かがボソリと呟いた言葉に、幾人かが頷いている。
幸いなことにそれは陽斗と穂乃香の耳には届いていないようだが。
「おい。そろそろ開場の時間だぞ、って、何をしてるんだ?」
「あ、天宮君、これは、その……」
陽斗のクラスから選抜され、今まで警備や入場の説明を受けていた壮史朗が戻り、その奇妙な雰囲気に眉を顰める。
「なんでもないわよぉ。さっ、四条院さんは今のうちに手を洗ってきたら?」
「そ、そうですわね! ちょ、ちょっと失礼させていただきますわ」
いつの間にやらギャラリーに加わっていたらしいもう一人の選抜メンバーであるセラが口元をニヨニヨさせながら誤魔化し穂乃香を促すと、穂乃香もそれに乗ってそそくさとその場を離れる。
「……まぁいい。各自持ち場につこう」
何があったのかは知らないはずの壮史朗が、それでもどこか呆れたように溜息を吐きながら音頭をとったのだった。
バザー開始の時刻になると運動公園のグラウンド内に一斉に人が詰めかけてきた。
特に鐘やブザーが鳴ったわけではないが、急に人が増えたことで陽斗は開場になったことに気付く。
穂乃香とのやり取りで顔を赤くしてアワアワしていた陽斗は慌てて割り当てられた持ち場に走る。
陽斗のバザーでの仕事は入口周辺で箱を持って募金の呼びかけだ。
あくまで今回の催しは恵まれない子供のためのチャリティー活動であり、バザーもその一つであり、当然平行して募金活動も行う。
ただ、毎回バザーの売り上げはかなりのものになる一方、募金はあまり芳しくないらしい。
それも無理のないことで、黎星学園は多くの資産家や実業家の子女が通う近隣でも有名な私立学校であり、当然、この場にいる生徒達は裕福な家の者がほとんどだ。
外見も仕草も言葉遣いも育ちが良さそうな生徒達が募金箱を持って寄付を呼びかけても説得力に欠けると感じる人が多いだろう。
バザーの方はあくまで質の良いものが安く手に入るから賑わうだけで、募金は来場者からすれば『まず自分達がすればいいじゃないか』といった感覚なのかもしれない。
もちろん気持ち程度でもしてくれる人はそれなりにいるし、生徒達の家と取引なり繋がりなりがある入場者や芸術科の生徒の作品を目当てに来ている人達は心証を良くしようという考えなのかしっかりと寄付をおこなってくれる。
そもそも、生徒達も生徒達の親も別口で毎回少なくない金額の寄付をしてくれているのだ。いちいち吹聴しないだけで。
そんな募金係には陽斗の他に3人の女子生徒が割り当てられていた。
高等部から一人と中等部から二人のいずれも快活そうな生徒達だ。
彼女たちも例に漏れずそれなりの資産家の令嬢だがあまりそういった雰囲気はなく普通の高校生に見える。
陽斗とはこれまで準備や打ち合わせなどで何度も顔を合わせておりそれなりに会話も交わしている。
「あ~っ! 西蓮寺先輩、遅いですよ!」
「ご、ごめんなさい」
本来なら開場の直前には来ていなければならないので陽斗は真っ先に謝った。
「駄目ですぅ。遅刻した先輩にはお仕置きが必要ですぅ。よって、頭を撫でさせるべし!」
「ま、また……」
『遅い』と口にした生徒とは別の生徒が悪戯っぽい表情を浮かべて言い切るとおもむろに陽斗の頭を撫で始める。
高等部のものとは微妙に異なるブレザーを着た中等部の生徒達だが、最初の顔合わせの時からどういうわけか陽斗の小柄な外見に色めき立ち、やたらとこうして絡んだり頭を撫でようとしてくるのだ。
別に先輩という立場であるはずの陽斗を小馬鹿にしたり軽んじたりしているというわけではなく、会話は真剣に聞いてくれるし指示にも素直に従ってくれるのだが、先輩への敬意と小動物への愛護が彼女たちの中で奇妙に同居しているらしい。
すぐにもう一人も加わって二人がかりで“罰”と称した頭撫で攻撃が開始された。
わずかひとつふたつとはいえ年下の、さりとて陽斗よりも背の高い女子に仔犬のごとく愛でられ陽斗は恥ずかしいやら情けないやらで不満そうな上目遣いで顔を真っ赤に染める。
そのことが逆により一層そういう扱いを助長させているのに陽斗は気付いていない。
「ほら、貴女達、おふざけはその辺にしておきなさい」
「「はぁ~い」」
最後の一人、高等部2年の女子生徒が可笑しそうに笑いながら嗜めると、陽斗の頭を撫でくり回していた二人は大人しく離れた。
陽斗がホッと息を吐いた一瞬の隙を突いて嗜めたはずの高等部女子が陽斗の頭を一撫でする。
「あぅ」
「ごめんなさいね。髪が乱れていたものだから」
そう言われてしまうと陽斗としては何も返せない。
開場されたというのに陽斗達がこんなやり取りをしているのにも理由がある。
といっても大したことではなく、募金の呼びかけは基本的に入場してくる人ではなく、帰る人に対して行っているからだ。
バザーに来る人達は少しでも早く並べられた商品を見たいだろうし、目当てものを買うまでは財布の紐は固くなっているだろう。
それに気が急いている人に募金などを呼びかけても逆に煩わしく感じる人も多いだろうということで、入口周辺に立ってはいるものの呼びかけ自体は帰ろうとしている人にしているのだ。
本来ならばそれでも入口近くという目立つ場所でじゃれ合うのは問題なのだろうが、そこはやはりボランティアの学生なので多少の目こぼしはされている。
そんなこんなでようやく陽斗達は事前に決められた場所にばらけて立ち、帰ろうとする人を待つ。
ちなみに、不特定多数の人が来場するバザー会場にはトラブルが起きたときに対応する生徒会役員だけでなく、プロの警備員も大勢配置されている。運営する生徒達自身が良家の子女ばかりなのだから当然のことである。
そのための費用はバザーの売り上げからではなく生徒会の運営費から捻出されているが、今回の警備費用は臨時で多額の寄付が寄せられたため警備員の数も大幅に増員されていたりする。
開場から小一時間が経つ頃になるとポツポツとバザー会場を後にしようとする人が出始めた。
陽斗は出口に向かおうとする人に向かって募金をお願いすべく精一杯の声を張り上げた。
「お願いしま~す! 難病の子供や事故で親を亡くした子供たちに支援をお願いします!」
大勢の人の居る中で大声を出すのは恥ずかしいという気持ちはあったが、陽斗がお世話になった人達の中には子供を事故で亡くしたり子供が難病で病院に入院していたりといった人も居た。
そのことを思い出し、陽斗は懸命に募金を呼びかける。
「あ、ありがとうございます!!」
その熱意が伝わったのか、陽斗の目の前に中年の女性が立ち止まって財布を取り出して中から硬貨を全て取り出し募金箱にジャラリと入れてくれる。
陽斗は本当に嬉しそうに満面の笑顔をその女性に向けてお礼を言う。
「っ?! え、偉いわね。頑張ってね」
心からのお礼の気持ちを向けられた女性は年甲斐もなく頬を染めながらぎこちない笑みを浮かべて労いの言葉をかけ、それに対しても陽斗がお礼を言うと今度は優しげに眼を細めながら立ち去っていった。
声を上げ始めて早々に募金をしてもらえたことで一層気合いの入った陽斗はさらに頑張って募金を呼びかける。
その小柄な容姿に目を引かれたのか、帰る来場客の多くが陽斗に目を向け、日本人の業で目が合うと募金しなければならないと思うのか、数多くの人が金額は様々ながら募金箱に寄付を入れていく。
陽斗はそのすべての人に心からの感謝を込めた満面の笑みでお礼を言っていく。
どういうわけかプルプルと小刻みに震え出す中年の男性や、鼻を押さえてそそくさと離れていく女性が数人居るようだが。
そんなことが続き、陽斗の周囲に人が立ち止まることが増えると、いつの間にか陽斗の前に列ができはじめる。
列があると思わず並んでしまうのも日本人の性質らしいが、ここでもまた同じ現象が起きたというわけである。
募金した人が妙にゆっくりと立ち去っているのもそれに拍車を掛けているようだ。
「あっ! そんなに大丈夫ですか? 募金の気持ちだけでも嬉しいので無理のない範囲でしてくださいね!」
陽斗の方を見ながら財布から福沢さんを取り出した若い女性に訊くと、その時に初めて気付いたらしく女性が慌てて野口氏にチェンジする。
「ご、ごめんなさい。あの、これで」
「ありがとうございます! 気をつけて帰ってくださいね!」
「はひっ! が、頑張ってね」
人見知りの傾向があるとはいっても善意を向けられれば表情は明るくなる。
そして無防備な笑顔を向けられれば自然と気持ちは優しくなるし気前も良くなるというものだ。
ただし、それでも全ての人がそうだとは限らない。
「ふん! 金持ち学校のボンボンが募金活動かよ。人に金をせびるならお前らが出せば良いじゃねぇか。
どうせ生まれたときから何一つ不自由なんかしないで親に甘やかされてるんだろうが! 食う物にも困る貧乏人の気持ちがわかるのか? あ゛?」
不意に浴びせられる悪意の籠もった言葉。
だが、今回ばかりは相手が悪かった。
その程度の罵声など陽斗にとっては囁き程度のものでしかない。なので、ちょっと困ったような顔をしつつも素直に返す。
「えっと、僕、両親の顔も憶えてなくて、少し前までは給食くらいしかちゃんと食べられなかったから少しはわかる、かな?
あ、でも、別に募金って気持ちだし、学校のみんなもちゃんと募金してます、よ?」
陽斗に素で返された男はギョッと目を剥いて改めて陽斗を見る。
食事量も増えて多少ふっくらとしたとはいえ、明らかに標準よりも大幅に小柄で痩せた体格。周囲の他の生徒に比べてどう見ても裕福な暮らしをしてきたような雰囲気は持っていない。
さらに一瞬見せた淋しそうな、悲しそうな表情はその言葉が嘘ではないと思わせるには十分なものだった。
ギンッ! っと音が鳴りそうなくらいの凄まじい圧力を伴った視線が男に集まる。
一瞬で庇護欲を爆発させた女性達が陽斗を守るように男と陽斗の間に立ち塞がったり囲んだりする。
やっかみ9割で難癖をつけた男はその様子に怯むと同時に気まずそうに目を伏せた。
「あ、なんだ、その、……悪かった」
ボソッとそう呟くと、男は財布から数枚の紙幣を無造作に引っ張りだすと些か乱暴に募金箱に突っ込むとそそくさと立ち去っていった。
「あ、ありがとうございます! 帰り道気をつけてくださいね!」
突然周囲の雰囲気が変わったことに驚きながらも陽斗は明るい声で男を見送った。
もちろん『帰り道~』云々は脅しでも捨て台詞でもなく、帰り道の安全を願ってのものである。
「大丈夫? あんな変な人が言った事なんて気にしちゃ駄目よ?」
「そうよ! キミの学校がしてくれるバザーは私達も楽しみにしているし、こうやって募金活動をしているキミはとっても偉いわよ」
「ご両親、いらっしゃらないの? うちの子にならない? どう?」
朗らかな陽斗とは対照的に鼻息荒く男を威嚇していた女性達は口々に陽斗を慰めたり褒めたりしている。
若干危ないことを言い始めている女性も居るが、どこぞの屋敷で警備の任に就いているはずの大柄な男や小柄な女が何故かすぐ側に来ているので大丈夫だろう。
それからバザーの終了まで周囲から人が途切れることはなく、途中で何度か重くなりすぎた募金箱を交換する羽目になりながら募金活動に励んだ陽斗。
結局休憩も取り損ねたのだが、充実した晴れ晴れとした笑顔が途絶えることはなかった。
そして、この日の寄付額は歴代最高額となったのは言うまでもないだろう。




