第26話 入学式と生徒会長
麻莉奈の登場に驚いた陽斗だったが今は担任の筧による入学式の説明真っ最中である。
そう思って表面上は頑張って平静を装う。のだが、このクラスでの陽斗の注目度は意外に高い。
なにしろ普通科では全体で一割も居ない外部入学者であり、なにより外見が幼く背も小さい。顔立ちが整っている分どうしても可愛らしさが目立つのだ。
それに念願の高校生活初日とあって表情は明るく、友達を作りたいとも思っているので心安い雰囲気を振りまいている。
だから陽斗に関心を持ったクラスメートは多いし、基本的に素直な気質なので副担任が紹介されたときの驚きようはあっさりと周囲にバレている。ただ、育ちが良い良家の子女ばかりなので、気にはしつつも騒いだりはしないだけだ。
とはいえ今の陽斗には麻莉奈に事情を尋ねる手段はないので機会があったら聞いてみようと心に決めるくらいしかできないのだが。
筧教師の説明が終わり、講堂に移動する。
普通の学校ならそういった行事は体育館で行うのだろうが、黎星学園には舞台や式典などを行う講堂があり、入学式や始業式などの行事はそこで行われるのが常なのだそうだ。伊達に大学並みの敷地を持ってはいないということなのだろう。
1階まで降りてから渡り廊下を通って講堂の入口まで行くと、一旦そこで待機して全員が揃ってから1組から順に入場していく。
上級生は既に入場しており、新入生を迎え入れる形だ。
校内の施設とは思えない千人くらいは入れそうな講堂に拍手で迎えられて入場し、整列したまま席に着く。
その後はごく普通の、いや、来賓の挨拶などは無かったので割と簡素な入学式が続いていた。
まずは学園長、次に理事長の挨拶があり、続いて役職変更のあった在来の教師、新任の教師の挨拶と続く。
基本的に人員の異動の少ない私立高校だが、黎星学園の場合は中等部もあることから時折人員の交代などが行われる。ただそれでも完全に新規で教員を採用することは少ないらしく、今年は麻莉奈一人だけが新任で他に2名が中等部から異動してきていたようだ。
多少緊張はしていたようだが、進学塾の講師をしていただけあって人前で話すことに慣れていた麻莉奈が如才なく挨拶を終えると、最後は生徒会長からの挨拶で終了となる。
(わぁ! すっごく綺麗な人だぁ!)
壇上に上がった女子生徒を見て陽斗は思わず感嘆の声を内心で上げる。
烏の濡れ羽色というのだろうか、つややかで長く真っ直ぐな輝く黒髪にはっきりとした目鼻立ち。
華やかというよりは静謐な白百合のようなたおやかさを持っているように見える。
もちろんその女子生徒を見る陽斗に下卑た心根など欠片もなく、ただ(高校って凄い人がたくさんいるんだなぁ)などと考えるのみである。
「皆様、黎星学園高等部へ入学おめでとうございます。
高等部で今期の生徒会会長を務めさせていただいております、錦小路琴乃と申します。
本年も内部進学者186名、外部からの入学者10名を迎えることができました。
我が校は将来国家と経済の中核を担う人材と成れるよう、知識だけでなく人間として優れた方々を育てるべく様々な取り組みと教育を行っております。
その一環として、中等部から進学された方々は既にご存じかと思いますが、カリキュラムに含まれない学内行事は全て生徒会を中心に学生が主体となって企画、運営をしています。
皆様がこれからの学園生活で様々な経験を通して人として成長し、多くの人と交流し、互いに切磋琢磨することを願っています」
内容そのものはありふれたものだ。
特に外連味があったわけでもないし、感動するような言葉がちりばめられていたわけでもない。
ただ、その立ち居振る舞いや鈴のような透明な声音に込められた凛とした意志の強さに自然と目が引き寄せられる。そんなカリスマともいえる雰囲気をもった生徒会長の姿に陽斗は憧れがこもった目を向ける。
中学では多くの生徒が陽斗に対しての虐めに加担していたし、同級生にも先輩にも憧れを抱くような生徒は居なかった。小学校では数人が、中学校にいたっては若菜とその友人数人と多少話をする程度で、尊敬とか憧れといった相手とは無縁だった。
それに、そもそも陽斗自身に学校で人と交流するだけの余裕もなかった。
だが今の陽斗は家庭にも経済状態にも恵まれ、念願だった高校生活もスタートさせた。
そして新たな世界にはこれまで陽斗が会ったことの無いような凄い人達が沢山いる。そのことが陽斗の目を輝かせていたのだった。
挨拶を終え、壇上から生徒達を見渡した琴乃と陽斗の目が一瞬合う。
その時にわずかに笑みを浮かべたような気がしたが、さすがに気のせいだろうと陽斗は考えてわずかに速まった鼓動を落ち着けた。
その後一礼した琴乃が舞台を降りるとそれで入学式は終了した。
この後は教室に戻り担任教師からの今後の事柄に関しての説明を受ける。
といっても入学案内に大凡は書かれているので簡単な確認だけだ。
後日、委員を決めたりといった普通の学校と同様のイベントがあるらしい。
それからもう一つ。
「はい、それでは帰りに忘れずに購買部で教科書等を受け取っておくように。この後はチャイムが鳴るまで交流時間となります。できるだけ中等部とは別の人達と交流をするようにしてください」
そう言って筧教諭と麻莉奈は教室から出ていってしまった。
そう、琴乃が挨拶で言っていたように黎星学園では生徒同士の交流を重視している。
それもある意味当然で、良家や資産家の子女が集まっている普通科はもとより、美術家や音楽家を育成する芸術科の生徒であっても卒業すれば人との交流は避けられない。というよりも、むしろ普通のサラリーマンやOLと比較して遥かに多くの人と交流する機会があるだろう。
であれば最低限ある程度のコミュニケーション能力が必要だし、そうでなければ簡単に人に流されたり騙されたりすることもある。
このあたりは在籍している生徒の立場が通常の学校とは異なるためだろう。
なので、月に一度1時間ほど普段よく話をする相手とは異なる人と交流する機会をカリキュラムの一環として設けられている。これは高等部に限ったものではなく、中等部でも同じだ。
その他にも学校行事として他のクラスや別の科の生徒と交流するものもいくつか予定されているらしい。
入学式前に穂乃香に話したように陽斗はこの学校でできるだけ多くの友人を作りたいと思っている。
小学校、中学校時代はアルバイトをしなければならなかったという以外にも家庭環境や同級生達からのイジメもあり友人になってくれるような相手は少なかった。
逆に職場を始めとした周囲の大人達には恵まれていたので陽斗自身は自分を不幸だとは思っていなかったのだが、それでも辛い、悲しいと思うことはあり得ないほど多かったし、友人に囲まれて楽しそうに笑っていたクラスメートを羨ましいと思ったことは何度もある。
だから取り巻く環境が180度変わった今、始まったばかりの高校生活ではできるだけ沢山の友達を頑張って作っていこうと心に決めていた。
そんな訳なのでせっかくこういった交流のための時間が設けられているのであれば利用しない手は無い。
のだが、意気込んで席を立ち上がったはいいものの、どうやって最初の一歩を踏み出していいのかわからず固まってしまう陽斗。
周囲を見回すと少し離れた場所に穂乃香の姿が見える。
普通に考えれば既にある程度話をした穂乃香を通じて交流の輪を広げるのが確実なのだろうが、中等部で確固たる立場を築いていた穂乃香の周りには数人の生徒が囲んでいて陽斗がその輪に入っていくのはハードルが高い。
さりとて他の生徒に自分から話しかけるにもこれまでの学生生活でほとんど経験が無い分それも難しく、どうしていいのか考えつかずに戸惑ってしまっているのである。
実は穂乃香の方も陽斗を気にしていて、話しかけようとは思っていたのだが行動に移す前に他の生徒から話しかけられてしまい、邪険にするわけにもいかずにチラチラと陽斗に目を向けるのが精一杯といった状況だったりする。
そんな中、1人の女子生徒が陽斗に向かって歩き出した。といってもわずか数歩のことだが。
「えっと、西蓮寺、陽斗くん、だよね?」
「え?! あ、う、うん」
明るい栗色の髪に日本人にしては彫りの深い顔立ちの、大人っぽい印象をもつ女子生徒が友好的な笑顔で陽斗の前に来る。
「初めまして、かな? それとも久しぶりって言ったほうがいい?」
大人びた笑顔を悪戯っぽい年相応の笑みに変えて言う女子生徒に陽斗は首をコテンと傾げる。
どこかで見たことがあるような気もするが、陽斗が記憶を探っても一致する知人はおらずクエスチョンマークが脳内を駆け回る。
「私も外部入学者なの。試験会場で会ったわよね? 話とかは、してないけど」
「あ!」
言われて陽斗も思い出した。
試験会場で昼食後に目が合った女の子である。
その時は制服姿ではなかったので気付かなかったが、確かにその時に見た笑顔と目の前のそれが陽斗の記憶と一致する。
「私の名前は都津葉セラ。よろしくね」
セラに名乗られて陽斗も改めて自己紹介を行う。
この学校では普通の学校で行われるような入学初日にクラス内で自己紹介するといったことがないらしく、自己紹介も含めて交流時間にそれぞれがおこなうことになっているのだ。
内部進学者が大多数であることと、こういった自己紹介も自分から積極的に行わなければならないという方針によるものなのだろう。
それにしても陽斗から見てセラは屈託がない。
同じ外部からの入学者なのに物怖じしている様子がないし周囲の雰囲気も気にしていない様子だ。
陽斗の表情からそういった内心を読み取ったのか、セラが種明かしをしてくれる。
「親の仕事柄この学園の生徒とも何人か以前から交流があるの。だからそういった家柄の人達には慣れてるし、それにこのクラスにも知り合いがいるのよ」
つまりは同じ外部進学組であっても立場が陽斗とは違うらしい。
こういったときに普通なら嫉妬したり劣等感で落ち込んだりするのだろうが、陽斗の反応はというとキラキラとした憧れを含んだ尊敬の眼差しを向けるのである。
陽斗の自己評価というのは、はっきり言って低い。
物心ついたときには最も身近であった母親(当時はそう思っていた)やその知り合いの大人達から罵倒され虐げられ続けてきたのだからそれも無理はない。
幸い周囲の別の大人達があれこれと情をもって接してくれたため必要以上に卑屈になることはなかったが、それでもいまだに自分には足りないものが沢山あると思っているし、それだけにもっと頑張らなければと考えている。
自分に無いものを他人が持っていることが当たり前だという価値観であり、それを妬んだり羨んだりする方に意識が向かないのだ。
だからこそ馬鹿にされても気にならないし、ここのようにある意味恵まれた環境で育った生徒達を見ても自分と比べるということをしないのでネガティブな感情を抱くことがないのだ。
セラはそんな陽斗に邪気のない笑顔を見せると、少し離れた席で椅子に座ったまま他の生徒と交流している様子のない男子生徒を呼ぶ。
「賢弥、こっちにおいでよ。陽斗くん、紹介するね。このクラスにいた知り合いで、私の幼馴染みでもある武藤 賢弥」
賢弥と呼ばれた男子生徒はひとつ小さな溜息を吐くと、仕方がないといった様子で自分の席から立ち上がると陽斗達の方に歩いてきた。
(わぁ! 大っきな人だ)
陽斗が目を見開いてそう心で呟いたとおり、賢弥は180センチを優に超えるであろう身長と、何かスポーツをしているのかガッシリとした体型をしていてとても高校入学したてとは思えないほど大柄な生徒だった。
「武藤だ。よろしく」
低い声でボソリとそれだけ言う賢弥に、それでも気圧されることなく笑顔を向けながら手を差し出す陽斗。
「西蓮寺陽斗です。えっと、できれば名前の方で呼んでください。あの、仲良くできたら嬉しいです」
そう言いながら手を差し出したままの陽斗に賢弥は意外そうな表情をする。
そして、陽斗の手をグッと握る。
ゴツゴツと分厚く大きな手だ。握手すると陽斗の小さな手はほとんど見えなくなるほどすっぽりと収まってしまう。
「もうっ! 相変わらず愛想がないんだから。陽斗くん、賢弥は無愛想だけどけっこう良い人だから何か困ったことがあったら言うと良いよ。昔から空手とかもやってて結構強いらしいし」
「……無愛想で悪かったな。まぁ、何かあったら言え」
それだけ言ってさっさと席に戻ってしまう賢弥を肩を竦めながらセラが見送る。
せっかく得意気に紹介しようとしたのに盛り上がることもなく終わったので少々バツが悪そうだったが、陽斗としては知り合いを紹介してくれただけで充分嬉しいし、何より男らしい体格と態度は陽斗にとってほぼ無条件に憧れの対象である。
(格好いいなぁ。僕もいつかあんな風になれたら良いんだけど)
なんて事を考えてたりする。
「は、陽斗さん、さっそくわたくしの他にもお友達ができましたの?」
そんな風に声を掛けられ、少しビックリしながら陽斗が振り向くと、そこには穂乃香が立っていた。
どうやら囲っていた他の生徒達との話を切り上げて陽斗に声を掛けたようだが、どことなく不機嫌そうな、拗ねたような口調である。
「穂乃香さん! えっと、同じ外部進学組で試験会場も一緒だった都津葉さんに知り合いの武藤君を紹介してもらってたんです」
対する陽斗はといえば、穂乃香の顔を見て明るく顔を綻ばせる。
その表情にあっという間に毒気を抜かれた穂乃香は、自分の態度を恥じるように頬をわずかに染める。
「初めまして、四条院、穂乃香さま、ですね。都津葉セラと申します。よろしくお願い致します」
「え、あ、はい。こちらこそよろしくお願い致しますわ。えっと、都津葉さんは、ひょっとして」
「はい。穂乃香さまのご実家には父が大変お世話になっております。私の事はセラとお呼びください」
「そうでしたか。でも家のことは学校では関係ありませんから気にしないで下さいませ。ただ父が幾度かとても信頼できる方だと言っていたので名前が耳に残っていて。気に障ってしまっていたらごめんなさい。陽斗さん共々仲良くしていただけると嬉しいわ」
「過分な評価ですが、それを聞いたら父は大喜びします。あの、実は私は父からしょっちゅう『女らしくない』とか『もっとお淑やかにしなさい』と叱られるような娘なので、失礼があったらごめんなさい」
「まぁ! 私も似たようなものですわ。あまり身構えずに接してくださいね」
この辺りの社交性はさすがに育ちの良さというべきか、セラと穂乃香はあっという間に打ち解けたようで、逆に陽斗が話に入っていけなくなってしまっていた。
それでも2人が楽しそうに会話するのをニコニコと見ていた陽斗を穂乃香がすぐに気付き、慌てて謝罪する。
「も、申し訳ありません。そ、それで、その、声をお掛けしたのは、購買部への行き方を陽斗さんは知らないかもしれないと思って、交流時間が終わって、よろしければご案内しようかと、その……」
先ほどセラと話していた時の凛とした態度はどこへやら、一転して恥ずかしそうに穂乃香がそう切り出した。
もちろん陽斗の返事は、
「良いんですか? えっと、お願いします」




