第217話 若獅子(ワンコ)の軌跡
祝!
100万字突破!
「板東さん、ちょっといいかな」
都内にある雑居ビル。
やや古ぼけた感のあるオフィスで、奥のデスクからの呼び声にモニターを睨んでいた無精髭の中年男性がその目つきのまま視線を向ける。
「そ、そんな目で見ないでよぉ」
情けない声で抗議しているのは30代半ばほどの痩せぎすの男だ。
「アンタ、編集長だろ。ここのボスなんだからもっと堂々としててくれ」
溜め息を吐きつつ、板東と呼ばれた中年男がいかにも仕方ないといった風情で立ち上がり、編集長のところに行く。
「いや、あのね? 僕だって板東さんみたいなベテランを格好よく呼びつけることができたら良いなぁとは思ってるんだけどさ。これまで散々迷惑掛けてフォローしてもらった立場じゃ無理だよ」
「はいはい、俺がもうちょっと可愛げがあればちったぁ違ったんでしょうよ。で? 用があったから呼んだんだろ」
愚痴り始めた編集長に辟易した様子で板東が話をぶった切って続きを促す。
「えっと、板東さん、まだ皇さんの孫を追っかけてるんですよね? その、さすがに皇さんを敵に回すようなことはマズいんじゃないかなぁと」
その言葉に、板東が苦虫を噛みつぶしたように顔を顰める。
「皇氏に喧嘩を売るような馬鹿な真似はしてませんよ。ただ、彼の動向は財界に与える影響が大きすぎるんで、少しでも正確な情報を把握しておきたいだけです」
「で、でもさぁ、最近になってようやく姿を現すようになったお孫さんのことを皇さんは溺愛してるって話だし、少しでもネガティブな記事が出たらウチみたいな弱小出版社なんてあっという間に消されちゃうよぉ」
「だから! 記事はアンタが全部チェックするんだろうが! もしマズいと思ったらそこで止めれば良いだろう。とにかく、俺は別に皇氏やその孫を貶めたりするつもりはない。心配すんな!」
板東はそう言って自分のデスクに戻った。
まだ不安そうにそれを見送る編集長をことさら無視してモニターに視線を移す。
やがて諦めて小声でブツブツつぶやき始めたのを感じて板東は聞こえないように長い溜め息を吐いた。
「先輩、編集長泣きそうな顔で小さくなってますけど、良いんですか?」
オフィスに入ってきたばかりのスラリとした体型の女性が、編集長の様子を見て板東に顔を寄せて訊いてきた。
確かにやり取りを見ていなければ異様に思えても仕方がない。
「いつもの気弱な虫が騒いでるだけだ。少しすれば元に戻るだろうさ」
「編集長にそんなことを言えるのは先輩くらいだと思いますよ」
あの編集長も普段は気難しい顔で記者が持ってきた原稿に容赦なくダメ出しをする厳しい人なのだが、どうも新人の頃に板東に散々鍛えられたせいか彼に対してだけは弱気だったりする。
もっとも、別に嫌っているわけでも仲が悪いわけでもなく、板東のことをかなり頼りにしているようなのだが。
「それで、今度はどんな記事のことでイジメたんですか?」
「俺がイジメてる前提かよ。お前も言うようになったじゃねぇか」
「私も先輩に鍛えられてますからねぇ」
女性はやや薄い胸を張ってみせる。
この打たれ強さと図太さは記者向きなので、なんだかんだと世話を焼いていた板東だったが、偶然にも出身高校が同じだったことから二回りも歳が離れているのに先輩呼びだ。
「別に大したことじゃねぇよ。俺が今追っかけてるネタが皇絡みってことで編集長の心配性が顔を出したんだ」
「皇って、あの財界のフィクサーって言われてる大富豪ですか? そりゃ心配にもなるでしょう。というか、本当に大丈夫なんですか?」
板東の言葉に、程度こそ違えど編集長と似たような台詞が飛んでくる。
「さすがに怒らせるような記事を書くつもりはねぇよ」
苦笑しながら説明を始める。
「俺が気になってるのは皇氏の孫って男の子のことだ。3年近く前に突然現れて、その前がまったく不明。面白いだろう?」
「不明って、そんなことあるんですか? あまり一般には知られていないといっても皇氏は政財界ではポッと出の成金でもなければ知らない人はいないってくらいの家ですよね。その跡取りだったら少しは情報が出てるもんじゃ」
「いや、本当に突然出てきたらしい」
そう前置きして板東はこれまで調べたことを並べていく。
「まず大前提として、皇氏、皇重斗には間違いなく孫がいる。愛娘だった西蓮寺葵の息子だ。ただ、噂では乳児だった頃、誘拐されたらしい」
「ゆ、誘拐!?」
「あくまで噂だ。警察の公式発表は無いし、当時の報道機関のどこも報じてない。はっきりしているのは、それ以降皇氏の娘や孫が表舞台に出ることは一切無くなった。まぁ、これは娘婿の西蓮寺佑陽氏が事故で亡くなったからその心労からだという話だが」
「皇氏と交友のあった財界人でそのことを口にする人は誰もいなかったから、ただの噂話で終わったんだよ。まぁ、確証の無い話を吹聴して皇氏から睨まれたい奴なんて居ないだろうからな」
「…………」
「で、その孫が見つかったって噂が流れたのが3年前の年明け頃。ある企業が開いたパーティーの席で皇氏がそのようなことを口にしたのが広まったらしい。それと前後して、皇氏の邸宅に男の子が暮らし始めたのを目撃した人が居る」
「ちょっと待ってください。誘拐された男の子が戻ってきたってことですか?」
「例が無いわけじゃないさ。誘拐したものの、解放することも殺すこともできず、情が移って育てていた子供が何年も経ってから保護されたなんて話は国内外問わずいくつか報告されている」
「はぁ」
「皇氏ほどの人が孫と他人を間違うなんてことは無いだろうし、わざわざ替え玉を用意する意味も無い。それに、その年の夏には、それまで疎遠だった皇氏の妹も帰国して、一緒に暮らし始めている。本当の孫、大甥でもなければそんなことはしないだろう」
「そして、その孫が初めて公の場に現れたのが錦小路家主催のパーティーだ。どういうわけか、皇氏と距離を取っていた錦小路家の所有する会社の催しに、四条院家の令嬢を伴ってやって来たらしいな」
「皇と錦小路って不仲じゃなかったんですか?」
「どちらも屈指の資産家だからあえて距離を取っていたって話だ。重要な案件では秘密裏に協力することもあったぞ」
財界に対する影響が大きすぎる両家は常に一定の距離を保ちつつ、互いを監視するかのように振る舞っていたのは一部で知られていた。
「とにかく、その頃から段々露出することが増えてきたが、名前が公になったのは、ほら、一時期話題になったろ? 退職や転職を支援する非営利団体、その発起人としてだ。まぁ、その時は完全に無名だったから誰も気にしなかったようだがな。皇姓を名乗っても居なかったし」
「あ~、あの退職代行会社の人たちが激怒してたアレですか。っていうか、皇氏の孫ってまだ高校生じゃなかったんですか?」
「多分、将来のための実績作りとして名前だけ連ねたんだろうさ」
「うわぁ、金持ちってやることがいちいち大げさですよねぇ」
呆れたように言う後輩に、板東は肩をすくめる。
「ただ、どうもただのボンボンってわけじゃなさそうでな。去年、アメリカの大富豪が後継者を決めたと話題になっただろう」
「ああ、親族同士で骨肉の争いを繰り広げて、かなりの騒ぎになったやつですよね。確か子供や孫が何人も逮捕されたって報道があったのは覚えてます」
「その後継者レースの結果に皇氏とその孫が関わってる」
「マジです?」
「噂だ。今のところは」
全ては噂。
今のところは何の確証も無いし、政治家や芸能人と違って財界は口が堅い人間が多く、なかなか情報を漏らしてもらえない。もちろん、皇氏に睨まれたくないという考えも強いのだろうが。
ただ、過去の経歴がわからない上に、孫が現れたのと同じくして皇氏がこれまであまり積極的に関わろうとしていなかった錦小路家や天宮家と交流したりと孫の影響を感じさせる事柄が増えているのも確かだ。
「でも、確か皇家って総資産は数兆円とかって話じゃないですか。それを全部引き継ぐ男の子って凄いですよね。人生勝ち組どころじゃないですよ」
「金融資産の運用益は税率が低いから、今も毎年数百億の利益があるらしいぞ」
「なんですか、それ! こっちは朝から夜遅くまで働いてもぜんぜん貯金できないのに、お金持ちってズルくないですか?」
「お金の妖精は寂しがり屋なんだとよ。仲間がたくさん居る場所に集まるんだろうさ」
「……メルヘンな台詞、先輩には似合わないですよ」
「う、うるせぇ」
ちょっと洒落っ気を出したつもりが、思いっきり引かれて板東は顔を赤くする。
「と、とにかく、どうにも興味をそそられる素材なのは確かだからな。調べるのは半ば趣味みたいなものだ。できれば直接会ってインタビューしてみたいんだが」
「いや~、ウチの雑誌って一応経済誌ですけど、どっちかっていうとゴシップ寄りじゃないですか。さすがに無理ですって。相手にもされませんよ」
「だろうなぁ。……なぁ、一応、万が一に賭けて、美作からオファーしてみてくれないか。俺はこの業界長い分、名前を知られてるから断られるだろうが、お前ならまだ無名だし、ワンチャンあるかもしれん」
「……別に、良いですけど。駄目でも文句言わないでくださいね」
「わかってるって。そうだな、結果にかかわらず焼肉奢ってやるから」
板東の言葉に、後輩、美作祥子は笑顔で頷いた。
数日後。
「あの、先輩……」
「ん?」
「えっと、皇氏のお孫さんと、その、アポ、取れました」
「はぁ!?」
板東はデスクに山積みになった資料やパソコンもろとも盛大にひっくり返った。
今週も最後まで読んでくださってありがとうございました。
そして感想を寄せてくださった方、心から感謝申し上げます。
数あるWeb小説の、この作品のためにわざわざ感想を書いてくださる。
本当に嬉しく、執筆の励みになっております。
なかなか返信はできませんが、どうかこれからも感想や気づいたこと、気になったことなどをお寄せいただけると嬉しいです。
それから、当作品の新刊、「実家に帰ったら甘やかされ生活がはじまりました」の第5巻が発売になって早くも10日ほど。
ライトノベルは発売2週間を過ぎると新刊の棚から消えてしまいます
そして、その期間で続巻を出していただけるかが決まる
どうか、どうか!
買ってくださいませ!
というわけで、
それではまた次週の更新までお待ちください。




