第207話 陽斗の工場見学
「陽斗さまはどうしたいですか?」
唐突に投げかけられた和田からの質問に、陽斗が言葉に詰まる。
こうして学園を休んでまで宝田の実家にやって来たのは千場に頼まれたということもあるが、陽斗自身が友人の力になりたいと思っていたからだ。
ところが実際に会って話を聞いてみると、宝田の実家が経営する会社は状況が厳しいのは確かだが危機的な状態とはいえず、陽斗が力添えなどしなくてもなんとかなりそうである。
だが陽斗はそれでは意味がないのではないかと感じていた。
それに、宝田家の両親が今腐心しているのは、これまで自分たちを支えてくれた下請けや取引先の中小零細企業の行く末だ。
彼らは自分たちの生活のことだけではなく、周囲の人々の生活まで気遣い、対応に追われている。
でも、と、陽斗は考えを巡らせる。
(きっと同じように一生懸命頑張って技術を磨いて、でも景気とか取引先の都合で苦労してる会社は沢山あるんだよね)
それならば、そういった中小零細企業を助けることができれば宝田の家も、もっと言えば沢山の企業の支援にもなるのではないだろうか。
陽斗はこれまで重斗を見てきて、彼が単に資産を増やすことではなく、築いてきた莫大な資産を背景とした影響力を使って、収益性に乏しく、それでいて重要な技術を有する企業を支援したり、海外への技術流出が懸念された企業を買収して海外資本の流入を防いだり、はたまた伝統技術の保全に資金を投入したりしているのを知った。
その取り組みに賛同する多くの資産家や企業経営者の協力もあり、日本は先進国としては希有なほど、失われ国内回帰が不可能な技術が少ないのだ。
先進技術と基礎技術、高度かつ高付加価値の製品と平易な量産製品のどちらも保持している国はほとんどない。それこそが日本の製造業の強みであり、同時に思い切った産業構造の転換ができない原因でもある。
陽斗は伸一やその両親、和田と彩音、そして隣の穂乃香の顔を見る。
宝田家の面々は戸惑ったような表情で、和田と彩音はわずかに笑みを浮かべ、穂乃香は全てを受け入れるかのような穏やかな微笑みで陽斗を見返している。
その視線に勇気づけられ、陽斗は伸一の両親に頭を下げた。
「あの、宝田さんの取引先に連れて行っていただけないでしょうか。製造現場と作っている物を見てみたいんです。その、仕事の邪魔はしないようにするので」
「それは構いませんが。一応夕方に近くの会社へ行く予定がありますし」
当然ながら宝田夫妻は困惑するが、それでも無下に断るでもなく同行を許可してくれた。
父親、宝田社長がいったん離席し、電話で先方に確認を取ってから陽斗たちを連れていったのは、車で30分ほどの距離にある工業団地の一角にある小さな工場だ。
倉庫のような建物がふたつとプレハブの事務所があるだけの、見るからに小規模な工場で、従業員は10数名の町工場と言って差し支えない会社だった。
「ここは電子基板の被覆材を加工する会社です。電子基板を製造するためには欠かせない材料で、基板の保護や絶縁、熱管理のために重要で、ほんのわずかな厚みの違いで効果が違ってしまったり十分な性能を出せなかったりします。ここの職人さんは機械でも検出できない数千分の1ミリという違いを見分けてくれるのでずいぶん助けてくれましたよ」
「数千分の1ミリ!? 凄いですね」
「家電も車も、組み立てそのものはどこでもできるでしょうが、細かな部品の製造は技術の塊なんですよ。ほんの少しの品質の差が製品の性能に大きく影響しますから」
移動しながら説明してくれた宝田父の言葉に陽斗が驚く。
技術そのものもだが、こんなどこにでもあるような小さな工場がそれだけの技術を持っていることを意外に感じているのだろう。
そんな陽斗の反応は予想どおりだったのか、宝田社長は軽く笑いながら事務所ではなく、工場の扉を開けて中に入り、陽斗たちもそれに続く。
工場の中はいくつもの機械が並び、作業服姿の年配男性数人がそれらを操作して居るのが見える。
「こんにちは。社長さん居るかい?」
「あっ、宝田さん! すいませんねぇ、いつもわざわざ来てもらっちゃって」
宝田社長が大きな声で呼びかけると、奥の方の機械に頭を突っ込んで作業をしていた初老の男が手を止めて近づいて来た。
機械油に汚れた作業着、ヨレヨレの作業帽と頬に付いた油の跡。
とても取引先の社長を迎える姿とは思えないが、宝田社長も本人もまるで気にする様子はない。
「いや、急にウチのポンコツ設備の機嫌が悪くなっちまって。俺と一緒でジジイはすぐにヘソ曲げやがる」
「どう答えても失礼になりそうだから言わないでおくよ」
長年の付き合いなのだろう、気安いやり取りを笑いながら交わす。
「ずいぶんと可愛らしいお客さんも来てくれて、ありがたいねぇ。こんな汚ねぇ工場で驚いたかい? 何にもしてやれねぇが、好きなだけ見てってくれよ」
陽斗と穂乃香にも目を向け、人の良さそうな笑い顔を浮かべてくれたこの工場の社長さんが言う。
「こっちの工場じゃ、メーカーさんから送られてきた材料を伸ばして必要な厚さに揃えるんだ。まぁ、いくつかの工程があるんだが、出来上がったら向こうの建物で洗浄して、梱包してる。精密機械にゃほんのちょっとのゴミが付いててもマズいからね」
社長さんは学生の社会科見学のように、いくつもの工程や機械を見せながら説明をしてくれる。
どの機械も古く、音も煩いが手入れは行き届いていて、工場内は意外に綺麗に保たれている。
陽斗はもちろん、穂乃香や彩音も興味深げに工程を見たり説明を聞いている。
「えっと、経営が大変だって聞いたんですけど、他に取引先を増やしたりはできないんですか?」
一通り見学が終わり、プレハブの事務所で粗末なソファーに座ってから陽斗が訊ねると、それまでまるで孫にでも接するかのようにニコニコとしていた社長は困ったように眉を寄せた。
「ウチも宝田さんのところに頼るばっかりじゃなく、なんとかしようとはしてるんだけどねぇ。なまじっか物作り一筋にやってきたせいで他の会社に営業ってもどうすりゃいいのか分かんねぇんだよ。一応使ってくれそうな会社に電話したり宝田さんから紹介されたところに行ってみたりはしたんだが、どこも馴染みの工場があるらしくて難しいんだよ。悪いねぇ、ジジイの愚痴を聞いたって面白くねぇだろ?」
「長く電子機器を製造している日本の会社はあまり取引先を変更したり増やしたりはしないのです。比較的新しい会社は利益重視で中国や他のアジア諸国の会社に製造を委託していますし。それに、営業専門の社員を雇えない会社も多くて」
宝田社長が説明を補足してくれる。
家族経営の零細を含め、小規模な製造企業は営業を社長自ら行うことが多い。
これは営業職の社員を抱えるだけの余裕がないことと、専任で営業活動をして仕事が増えても実際の生産能力的に限界があるからだ。
そのため、中小零細企業の多くが、大手メーカーの下請けや孫請けとして取引先にほとんどの売上を依存し、生産量も価格も取引先の都合次第となってしまう。
さらに加えると、同業他社も多いので、多少不満があったり値下げ圧力を掛けられても、他に選択肢がないために唯々諾々と従わざるを得ない。
「海外進出は考えないのでしょうか。ネジや特殊な技術でNASAに認められた町工場などもあると聞いていますが」
穂乃香の質問には彩音が口を挟んだ。
「そういった事例のほとんどは運良く海外企業の目に止まり取り引きを持ちかけられたというケースです。言葉も慣習も法律も違う海外に事業展開するのはかなりハードルが高いのでそれなりの資金力が無いと難しいでしょう」
聞けば聞くほど課題の多い日本の製造業の実態に、陽斗と穂乃香は顔を見合わせたのだった。
「今日はありがとうございました」
「いえいえ、お礼を言わなければならないのはこちらの方です。皇さんのお孫さんが息子の心配をしてくれて、事業のことまで気遣ってくださったのですから。私たちは引き続き取引先への営業支援などをおこなっていきますので、もし可能であれば皇さんにも協力を願いたいとお伝えください」
最後は冗談めかしてだが、これも宝田社長の本音だろう。
陽斗はしっかりと頷いて、この日聞いた話を重斗に伝えると答えた。
「さて、陽斗さま、どう感じられましたか?」
リムジンのドアが閉まり、走り出したタイミングで和田が陽斗に話を振る。
「えっと、なにか、もったいないっていうか、もっとできることがないのかなって」
「それは、今日訪問した工場が、ということですの?」
「ううん、そうじゃなくて、ああいう凄い技術を持っていても景気とかに振り回されて大変な苦労をしてる会社って、もっと沢山あるんだよね? そういう会社を助ける方法ってなにかないのかなって思って」
日本の製造業の数はおよそ66万3千社。その内中小企業は66万社ほどであり、99.5%を占めている。さらに、従業員20人以下の小規模企業は58万8千社にも上る。
これらの多くは事実上価格決定権がほとんどなく、納入先企業の動向次第でたちまち経営が立ち行かなくなる薄氷の上で運営を続けている状態だ。
そしてその中には熟練の職人が数多く含まれ、正しく人材の宝庫でもある。
精度が高く、あり得ないほどに低い不良率、取引先の要望を限界を超えてまで叶えようとする技術力と柔軟性、可能な限り納期を守る誠実さはこの国の製造業を土台から支えている。
残念なことに、政治家や官僚、大企業の重役ですらその価値に気付いていない者が多いのが実情なのだが。
「海外、特にアメリカやEUならば製品を欲しがる企業も多いでしょうな」
どこか試すような口調で和田が言うと、陽斗はなにか思いついたように目を見開き、さらに考えを巡らせる。
その様子に、和田と彩音、穂乃香は口を閉ざして邪魔をすることはなかった。
「あの、考えたことを聞いてもらって良い?」
数十分後、陽斗は思いついたことを語り出した。




