第109話 些細な結末
「陽斗さん!? どうしたのですか!」
体育館でもめ事を起こしていた二人の先輩を引き連れて陽斗と巌は生徒会室に戻ってきた。
のだが、部屋に入るなり穂乃香が叫び声を上げた。
「うわっ! 陽斗君大丈夫?」
「鼻血か? もう止まってる?」
陽斗は鼻にティッシュを突っ込んでいて一部血がにじんでいるし、顔も所々赤黒く汚れている。
すぐに穂乃香が駆け寄り、気遣わしげにマジマジと陽斗の顔を覗き込む。もちろんわずか十数cmの至近距離である。
穂乃香の一見きつめに見える整った顔をすぐ近くに感じて陽斗の顔に血が集まる。と、当然ながらせっかく止まっていた血がまた流れて大騒ぎになってしまった。
苦笑する男子の先輩役員から新しいティッシュを受け取って鼻に詰め、ウェットティッシュで顔を拭いてから、陽斗は穂乃香や、壮史朗を伴って戻ってきたばかりの雅刀に事情を説明する。
「つまり、彼らがどうでもいい、つまらない諍いを起こした挙げ句、陽斗さんに怪我を負わせた、そういうことですわね?」
漫画的な表現でいえばハイライトが消えた感じだろうか、まるで地の底から響いてくるような低い声で言いながら穂乃香が生徒会室の隅に並んで座らされている3年生男子二人に目を向ける。
「ひぃっ!」
「し、四条院さん、待ってくれ! 西蓮寺君に怪我をさせたのは悪かったけど、別にわざとしたわけじゃ」
顔を真っ青にして椅子ごと後ずさりながら必死に言い訳をする。
「穂乃香さん、大丈夫だから。それに僕が急に割り込んだから手が当たっちゃっただけだし」
「それはそうかもしれんが、そもそも先輩達がつまらないことで争うからこんなことになったんだろう。この学園の生徒なら家同士の関係も無視できないだろうが、いちいちそんなのを持ち込まれたら周囲の人間が迷惑するだけだ」
壮史朗までが不機嫌そうにそう言い放つ。
下級生といえど四条院家と天宮家という国内有数の名家の子女である。たった一年の年齢差などあってないようなものだ。
しかも、言われている内容は至極もっともなことなので反論のしようが無い。
「まぁまぁ、四条院さんと天宮君も落ち着いて。西蓮寺君の怪我は事故だよ。本人も責める気は無いようだし、良いね?」
雅刀が宥めるように言う。
不承不承ながら頷く穂乃香と壮史朗。
「けど、二人の言い争いは今に始まったことじゃないし、所属している部やクラスからも苦情が寄せられているのは事実だね」
穏やかな口調ながら辛辣な内容に、二人がさらに小さくなる。
実際、二人を除けばバレー部とバスケ部の関係は悪くない。同じ体育館を利用することが多いし、争う理由も無いのだ。
それは3年のクラスでも同じことで、二人が張り合ったり言い争ったりするのに巻き込まれて迷惑している生徒も多いという。
「企業というのは同業や他業種を相手に切磋琢磨するものだから、法を犯さない限り争うのは別にかまわないんだけどね。それが他の生徒の迷惑になるのは問題だとおもわないか?」
雅刀の言葉に気まずそうに目をそらし、その先で目が合ってしまった二人がまた睨みあう。
それを見て雅刀がため息をつきながら処置なしとばかりに首を振る。
「あの、家のことは別にして、どうしてそんなに仲が悪いんですか?」
「それは……」
「別に大したことじゃないけど」
陽斗の質問に、今度は互いにそっぽを向きながら言いよどむ。
「聞くだけ馬鹿馬鹿しいぞ」
「天宮君、知ってるの?」
「中等部の頃から有名な話だからな。俺達が1年、先輩達が2年の時に……」
「ちょ、ま、天宮!」
壮史朗が話し出すと、途端に慌てる二人。
それを無視して話を続ける。
「クラスでも人気のあった女子生徒を巡って大喧嘩したらしい。家同士はライバルとはいえ、元々は普通に会話する程度は関係が良かったという話だが」
「その話はわたくしも聞いたことがありますわ。肝心の女子生徒は別の殿方と交際を始めたそうですが」
「笑いかけてくれたとか楽しそうに話をしていたとか、そんなしょうもないことで言い合いになったらしいからな。相手だって付き合いきれないだろうさ」
壮史朗の言葉が先輩二人のメンタルを滅多斬りにする。
いつしか椅子に座ったままどんよりとした空気を放出し始めた彼らを見て、雅刀だけで無く穂乃香達も大きなため息を吐いた。
「う~ん、結局先輩達が和解しないと解決しないんだよね? どうしたらいいんだろう」
「いっそのこと、二人の諍いに巻き込まれて怪我をしたと皇氏に言ったらどうだ?」
「重斗お祖父様が怒りそうですわね」
「そうなったら争うどころじゃなくなるだろう。少しばかり荒療治だが、二度とつまらないことで喧嘩しようなんて思わないだろうよ」
非情な壮史朗の言葉に、まるで死人のような顔色になるふたり。
もしこのことが親に知られれば叱責どころの話ではない。
「お祖父ちゃんには言わないよ! それに、僕よりも、部活の人とかクラスの人に迷惑をかけちゃ駄目です。仲直り、してくれますか?」
言いながら、陽斗は二人の先輩の顔をジッと見つめる。
威圧するでも、責めるでもない、まっすぐな眼差しに居たたまれなくなって揃って顔を伏せる。
「迷惑をかけて申し訳ない。仲良く、は、できないかもしれないけど、もう喧嘩しないようにする。本当に」
「お、俺も、約束する。それと、顔を叩いてしまってごめん」
やがて素直に頭を下げた二人を動かしたのは、皇家の威光かそれとも陽斗の思いが通じたのか。
「やれやれ、甘いことだ」
「それが陽斗さんの良いところですから。厳しさはわたくし達が担えばよろしいのではなくて?」
「ふん、勝手に僕を頭数に入れないでもらおう」
「相変わらず素直じゃないですわね」
外野のやりとりを余所に、陽斗はなんとかトラブルを収拾できたことにホッとするのだった。
もっとも、この展開について行けない生徒も若干一名。
「あ~、結局なにがどうなったんだ?」
巌は大きな身体で目を泳がせるばかりだった。
東京丸の内にあるオフィスビル。
国内有数の企業グループの中核に名を連ねる会社の本社が入っており、日中は多くの社員がひっきりなしに出入りして活気に溢れている。
しかし、夜の8時を過ぎると大半の社員は退社し、ガランとしたオフィスは数人が残業しているだけだ。
「あ、本部長、お疲れ様です。どうかなさったのですか?」
若い社員が廊下ですれ違った男性に頭を下げると、本部長と呼ばれた男は人好きのする柔らかな笑みを浮かべて首を振った。
「やぁ、遅くまでご苦労だったね。なに、帰宅途中にやり残した仕事が残っているのを思い出してね。慌てて戻ってきたんだよ」
「御子神本部長にしては珍しいですね。何かあればお手伝いしますが」
「いや、すぐに終わる内容だから気を使ってくれなくても大丈夫だよ。ただ、今日中に終わらせなきゃならなくてね」
御子神の言葉に、若い社員は意外そうな顔を見せたものの、それ以上なにも言わずに一礼して帰って行った。
社員の背中が廊下の先に消えた途端、それまで浮かべていた笑みを消し、急ぎ足で先に進む御子神。
そして本部長室とプレートが掛けられた部屋に着くと、カードキーをかざしてドアを開く。
「くそっ! どうして嗅ぎつけられた? あと少しで準備が整うのに、このままでは……」
部屋に入るなり、忌々しげにつぶやきながらデスクのパソコンの電源を入れる。
それと同時に引き出しから書類の束を取り出して手に持っていた鞄に詰め込んだ。
パソコンが立ち上がると、社内システムを起動し、取締役しかアクセスできない社内情報を呼び出す。
「な?! パスワードが違う?! 馬鹿な!」
御子神の目に映るモニターの画面には無機質なパスワードエラーの表示。
何度打ち直してもそれが変わることはなく、試しに管理者用の画面を呼び出そうとしてもそちらも同じく弾かれてしまう。
「ずいぶんと慌てていらっしゃるようですな」
「?! だ、誰だ!」
不意に横から声をかけられ、御子神が腰を抜かさんばかりに驚く。
ドアが開く音などしていないのだから当然だ。
「い、いつの間に? い、いや、ここは取締役本部長の部屋だぞ! 誰に断って勝手に入ってきたんだ!」
動揺を隠し、声の方を向きながら声を荒げる。
そこに居たのは中年の男と、まだ20代に見える若い男の二人。
「いつから居たのか、ですか。それは最初からと申し上げておきましょう。我々が部屋に居たところを入ってきたのはそちらですからな。それに、ちゃんと許可も得ていますよ。御子神さん、私の顔をお忘れですか?」
そう言われて、御子神はようやく相手の顔を見る。
「っ!? た、高桑」
「おや、呼び捨てですか? 別にかまいませんが、普段の穏やかな口調とはずいぶん違いますね」
「人当たり良く、誰に対しても公平な理想の上司、というのは仮面を通した姿だったというわけですか」
もう一人の若い男性も、どこか呆れたように口を挟む。
「も、持ち株会社の統括部長である貴方が何故ここに? そ、それに、ご子息まで一緒とは」
目を泳がせながら訊ねる御子神に、高桑と呼ばれた中年の男が肩をすくめる。
「それは御子神さんが一番ご存じなのでは? 今も、自分が関わった証拠を消すために慌ててこの部屋に来たのでしょう?」
「錦小路本家の指示で貴方を調べさせていただきました。十分な証拠も押さえましたし、パスワードを変更したのも我々です」
「…………」
息子の方がそう言うと、御子神は悔しそうに唇を噛む。
「機密情報の漏洩と先端技術の持ち出し、インサイダー取引、仕手筋との密約、いろいろとやってくれたものです。まぁ、そちらもすでに手を打っていますので、それほど痛手は被らずに済みそうですがね」
「社内やグループ会社の協力者も判明しています。言い逃れはできませんよ」
「く、くそっ!」
逃げようとしたのだろうか、御子神は舌打ちして部屋の入口に向かって走るが、たどり着く前にドアが開き、警備員が行く手を阻んだ。
「無駄ですよ。警察に突き出す前に、本家で詳しい事情を話していただきます。貴方一人でここまでのことができるとは思えませんからね」
「よろしくお願いします」
若い男が警備員に向かってそう言うと、彼らは御子神の両腕を抱えて引きずるように連れて行った。
それを見送り、高桑親子が大きくため息を吐く。
「危ないところだったな。もう少し遅れれば逃げられていたかも知れん」
「疑われているのを知っていたようだったね。把握できていない協力者が居るのかも。もう一度洗い出ししてみるよ」
「ああ、徹底的に調べろ。ご当主が用意してくれた汚名返上の機会だ。見落としの無いようにな」
この親子は二ヶ月ほど前、重斗や陽斗のところに謝罪に赴いた高桑家の家長とその長男である。
その時に、なんとか皇家と和解することはできたものの、高桑家としては絶大な影響力を持つ家の不興を買ったという汚点がある。
錦小路家の分家として、なんとしてでも早期に挽回しなければならないのだ。
「それにしても、皇氏への借りが増える一方だな」
「ん? どういうこと?」
父親の呟きに思わず聞き返す。
「お前は聞いていないかもしれないが、あの御子神に注意するよう琴乃お嬢様に忠告したのは皇桜子さんだ」
「?!」
「だが、御子神の言動を不審に思ったのは、お前も会っただろう、皇重斗氏のご令孫である陽斗君らしい」
「それは……」
「社内の誰も疑っていなかった男の不正を、たった一度見ただけで感じとったとすれば、恐ろしいとすら思えるな」
高桑親子は、一度会っただけの、小学生とすら思えるほど小柄な少年を思い浮かべ、苦笑を浮かべた。




