住人達の攻防 3
今日一回目の更新です。
「クレハ様、お待たせしました。夕飯、できました」
リビングのソファに座り本を読んでいた私に、キッチンからシヴァくんの声がかかった。
私は本を閉じて、顔を上げる。
「うん、わかった。じゃあ皆を呼んでくるね」
「はい、お願いします」
「うん」
私は本を棚に戻すと、リビングを出て階段を昇った。
全員がリビングに揃い、いつもの自分の席についていく。
テーブルの上にはすでに、シヴァくんが作ってくれた、今日の夕飯のメニューであるサラダと、チキンのトマトソースがけ、そしてかぼちゃのスープが人数分並べて置かれていた。
「じゃあ、食べ……たいんだけど……」
私はそう言って、困ったようにテーブル脇を見た。
そこには、床に座りこんだイリスさんの姿があった。
「あの、イリスさん? 何でそこに座っているんです……?」
これまでのイリスさんの言動や態度から予想はつくが、私は一応尋ねた。
「イリスさん、私の隣でも、フレンさんの隣でも、席は空いていますよ?」
「……イリスさんの食事は、ギンファちゃんの隣に用意しました」
「早く席につきなよ。でないと食事ができない。全員が席に揃ってから食べるのが、この家の決まりなんだから」
ギンファちゃん、シヴァくん、フレンさんも、イリスさんに席につくように促す。
けれどイリスさんは、勢いよく首を横に振った。
「い、いいいえ! 皆様と同じ席につくなど、そんな恐れ多い……!! 私のような者は床で十分でございます……!!」
「え?」
「え……」
「は?」
「……イリスさん。ですから、その"私のような者"って言葉を言うのは、やめましょうってば……」
ギンファちゃんとシヴァくんはイリスさんの言葉に目をまあるくし、フレンさんは呆れたような顔をして、私はもう何度目かわからない言葉をまた繰り返した。
「あっ……! も、申し訳ございません、クレハ様!!」
「……"クレハちゃん"です……」
「……なるほど。クレハちゃんは言葉からイリスさんの意識改革をするつもりなんだね?」
「え?」
突然そんな事を聞かれ、床に座るイリスさんからフレンさんに視線を移すと、フレンさんはいつの間にか私に視線を移し、じっと見つめていた。
い、意識改革?
「えっと……そう、ですね? そういう事になるんでしょうか。イリスさんの言動が、あまりにも卑屈というか……自分を卑下する言動ばかりだったので……直すべきかな、と思います」
何しろ、動物達にまで様をつけるくらいだし。
イリスさんはどれだけ自分を下に見ているんだろう……?
「ふぅん。……確かに、この状況を見る限り、放置していい状態じゃあなさそうだね。わかった、手伝うよ」
そう言うと、フレンさんは席を立ち、イリスさんの後ろに回り込んだ。
「え? ……あ、あの、フレン様……? きゃぁっ!?」
イリスさんが恐る恐るフレンさんを振り返ろうとすると同時、フレンさんはイリスさんの両脇を掴んで立ち上がらせた。
そのままずるずると引きずる。
「僕の事は、"フレンさん"か"フレンくん"でいいよ。歳もそんなに変わらないだろ? さ、君の席はここだよ。さっさと座りなよ」
そう言って、フレンさんは引きずっていたイリスさんの体を椅子の上にドサッと落とした。
「フ……フレンさん、あんまり乱暴にするのは……」
「大丈夫、飴と鞭の使い方は心得てるよ。ただ優しくたしなめるだけじゃ、なかなか変わらないものだよ、クレハちゃん」
「そ……! ……いえ、そうかもしれませんね。でもフレンさん、極力、乱暴にするのは、控えて下さいね?」
「……はいはい、善処するよ。さ、食事にしよう。……君ももう大人しくそこに座って食べるよね? イリスさん?」
「……は、ははははい……!!」
威圧感のある笑みを浮かべたフレンさんに、イリスさんは怯えた顔でこくこくと頷いた。
……いいのかな、本当にこれで?
「えっと……それじゃ、とにかく、食べようか。……いただきます」
「「「 いただきます 」」」
「……い、いただきます……!」
フレンさんが再び席につくのを確認して私がそう言うと、皆もそれに続いた。
そのあとは、いつもの楽しい食事になった。
時々、イリスさんの卑屈な発言が、飛び出したけれど。
そして、食事が終わったあと。
それぞれに自分が使った食器をキッチンの流し台へと運び終えるのを見て、私は皆を呼び止めた。
「皆、今日の解散は、ちょっと待って貰っていいかな? イリスさんの練習につき合って欲しいの」
「練習、ですか?」
「うん。私達の呼び方を、変える練習。ちゃんと本人を前にした状態でやったほうがいいと思うんだ」
「ああ、そうだね。慣れる意味でも、そのほうがいいかもね」
「わかりました! おつき合いします!」
「ありがとう。じゃあイリスさん。"様"をつけずに私達を呼ぶ練習、始めましょう!」
「……え……!?」
「もう何度も言ってますけど、私の事は、"クレハちゃん"です」
固まるイリスさんをスルーして、私はそう告げた。
「僕はさっき言った通り、"フレンさん"か"フレンくん"ね?」
「私は、"ギンファちゃん"でいいです!」
「俺は、"シヴァくん"でいいです」
「え……え……っ!! そ、そんな、わ、私のような者が皆様をそんな……!!」
「イリスさん? それは言わないようにと、言っているでしょう?」
「あっ……! も、申し訳ございませんクレハさ」
「"クレハちゃん"、です! さぁ、言ってみて下さい」
イリスさんの言葉を遮って、私は強い口調で言った。
「……えっ……!!」
イリスさんは再びぴしりと固まったが、私はイリスさんをじっと見つめて呼ぶのを待った。
「……ク……ク、ククククククク……!!」
「……何が面白いんですか? イリスさん」
やがてイリスさんは口を開いたが、どこかおかしな笑い声にも聞こえる言葉を発されて、私は思わず突っ込んでしまった。
「……ク、クレ、クレクレクレクレ…………!!」
「……何が欲しいのさ、イリスさん」
今度はフレンさんが突っ込んだ。
「……クレ、クレクレ……クレ、ハ、さ……っ、うっ、ごほっ!! ごほごほごほっ!!」
「あっ!? だ、大丈夫ですかイリスさん!?」
ギンファちゃんは突然むせて咳き込んだイリスさんに駆け寄り、背中をさすった。
「………………」
シヴァくんは微妙な顔でその光景を見つめている。
「……ただ"様"抜きで名前を呼ぶだけでこれとはね。かなり骨が折れそうだよ、クレハちゃん?」
「……そのようですね。でも、ご協力お願いします、フレンさん」
「……了解」
苦笑しながら私がそう言うと、フレンさんはため息をつきながらも頷いてくれた。
結局、イリスさんが私達の名前をちゃんと呼べるようになったのは、それからたっぷり、二時間後の事だった。




