嵐襲来 2
ラクロさんが現れると、女性の顔はみるみるうちに青ざめた。
ピタリと動きを止め、その場に縫いつけられたかのように佇んでいる。
……よ、良かった、もう何もしてこない。
「ラクロさん……来て下さって、ありがとうございます…助かりました」
「…………」
ラクロさんは何も言わず、リビングを見回した。
「……エンジュ。このテーブルは、何故壊れている? そこの床は、何故穴が空いている? ……落ちている石は、何だ?」
「っ! ラ、ラクロ様! 私は、ただ……!」
「何だ、と、聞いている」
「……っ……あ、あの、その……」
低い声で淡々と尋ねるラクロさんから視線を外し、俯くと、女性は小刻みに震え出した。
……あれ、何だかちょっと、可哀想かも……?
この状況は、そう、蛇に睨まれた蛙状態だ。
「……あ、あの、ラクロさん。私に怪我はありませんし、テーブルと床を直して貰えれば、それで」
この人が言っていた事から察するに、こんな事した理由も、何かの誤解から始まってるんだろうし。
「……貴女は黙っていて下さい、華原さん」
「……え」
ラクロさん?
「エンジュ、質問に答えろ。……そのまま黙って、済ませられると思うな」
「……そっ……その女が、いけないんですわ! その女が、ラクロ様とルークをたぶらかしているから!!」
「……は?」
えっと……今、何て?
「思い上がって、ラクロ様とルークをいいように手玉にとって!! その挙げ句に、ラクロ様にルークを、ルークを罰房になんて入れさせるなんて!! あ、あんな、一切の音を通さず、一筋の光さえ射さない、全くの闇の中に、一週間も……!!」
「……へ……?」
罰房?
一切の音を通さず、一筋の光も射さない?
一週間……?
「……彼女が、俺に、ルークを、罰房に入れさせた、と?」
「そうではありませんか! でなければ、お優しいラクロ様が、こんな、こんな酷い罰を与えるわけありませんものっ!!」
「…………」
「お目を覚まして下さいラクロ様!! こんな悪女など、もう気にかける事はございませんわ!! 捨て置けばいいので……きゃああっ!?」
「えっ!?」
捲し立てるように言葉を紡いでいた女性が、突然悲鳴を上げて床に倒れた。
のろのろと顔を上げると、信じられないものを見る目でラクロさんを見た。
えっと……今、何が起きたの?
ラクロさんが、軽く手首を動かしただけ……だったよね?
「……よくわかった、エンジュ。お前は馬鹿げた誤解から、こんな大それた事をするほどの愚か者だったんだな」
「ば、馬鹿げた誤解……!? 違いますわ!!」
「違わない。……わかっていないのかエンジュ? ……お前は、人間が天使界の事を知っていると、そう言っているんだぞ? しかも罰房などという、裏の事を」
「……え……。……あっ……!?」
「……今気づいたのか。……馬鹿馬鹿しくて話にもならん」
「え……で、でも、でもそれじゃあ、ルークを罰房に入れたのは……」
「俺自身の判断だ。そして神様も承認なさった」
「そ、そんな……!?」
女性は驚愕に目を見開いた。
「……ラ、ラクロ様……私、私、どうなりますの……? ……ラクロ様ご自身の判断で、神様も承認なされた、正式な罰則に対し……思い込みと勘違いで、ラクロ様とルークの加護対象を、襲撃……?」
「……どう、なると思う?」
「……っ!お、お許しを……! ラクロ様! お許しを!!」
「……それは、神様に言うんだな。お聞き下さると、そう思うなら」
「ラクロ様!!」
…………ええと。
ここは私の土地で、私の家の中だよね?
それなのに、私一人、完全に蚊帳の外になってるんですが……。
目の前で繰り広げられてるのは、全く意味のわからない話。
ただかろうじてわかるのは、何だか凄く大それた事になっているらしい、という事だけだ。
神様と天使達との事らしいし、私にはさっぱりわけがわからないから、口を挟めない。
ラクロさんには、黙っててって言われたし。
……ラクロさんと女性のやり取りは、まだ続いている。
いつ終わるのかな……私関われない話なら帰ってからやってくれないかな?
……掃除でも、しようかな。
テーブルの半壊した部分に置いてあった私の食べかけの朝ご飯と食器が床に落ちて散乱してるし。
せっかく作ったご飯が……ああ、もったいない……。
私は掃除をする事に決め、掃除道具を取りに行こうと、リビングの扉へ足を向ける。
けれど扉の前には、女性が座りこんでいる。
……邪魔だ、通れない。
「……あのぅ。ここ通りたいので、ちょっと横にずれてもらえませんか?」
「……え……?」
「……華原さん?」
私が声をかけると、二人はまるでその存在を思い出したかのように私を見た。
……いや、まあ、実際、すっかり忘れて、今思い出したんだろうけど。
「掃除をしたいので、掃除道具を取りに行きます。扉の前にいられると通れないので、ずれて下さい」
「……掃除……?」
「……あっ。……いえ、華原さん。その必要はありません。……エンジュ。自分が散らかしたものの後片付けくらいは、できるな?」
「……あっ、は、はい! 状態還元! 対象、テーブルと床!」
女性がそう魔法を唱えると、テーブルは元に戻り、床の穴はふさがった。
「エンジュ、食器もだ」
「あっ……! た、対象追加! 食器!」
割れた食器が元に戻った。
「……華原さん。食事ですが……」
「それはいいです。一度落ちてるのを見たものを、食べる気にはなりませんから」
「……申し訳ございません」
「も、申し訳ありません!! ……えっと……廃棄! 対象、朝食!」
散らばった朝ご飯が消え、リビングの中はすっかり元通りになった。
「よし。では帰るぞエンジュ。続きは神様を交えて話す」
「……は、はい……」
「華原さん、これで失礼します。ご迷惑をおかけしました」
「も、申し訳ありませんでした! 失礼します!」
「……ラクロさん!」
挨拶後、いつも通りすぐに姿が消えかけて、私は慌ててラクロさんを呼び止めた。
「……はい?何でしょうか?」
女性の姿は消え、ラクロさんだけが残った。
「……あの。……私が言っていい事じゃ、ないかもしれませんけど……。……あんまり、酷い罰には。……あの人も、馬鹿天使も……」
このままでは、あの人は厳しい罰になるんだろう。
話してた内容から、それだけはわかる。
「……お願い、できませんか……?」
私が遠慮がちに言うのを見て、ラクロさんは苦笑した。
「……貴女は、本当に優しい人ですね。ひとつ間違えば、大怪我をしていたかもしれないというのに」
「それは……。……でも、しなかったですから。……それに私、優しいわけじゃ。厳しい罰になるのを知って、自分が罪悪感を感じたくないだけかもしれませんし」
「……たとえそういう気持ちがあったとしても、それが全てではないでしょう? 貴女はそういう人ですよ」
「……買いかぶりすぎです」
「ふ。……処罰については、考慮はしましょう。……それでは、また」
そう言うと、今度こそラクロさんは消えた。
「……考慮、は、ね」
私はそう呟き、苦笑した。




