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売買契約 3

広い部屋に通され、ソファに座るよう促される。

大人しく座ると、目の前のテーブルにお茶とお菓子が置かれる。


「どうぞ召し上がって? お口に合うといいのだけれど」


ハイヴェル侯爵夫人は、そう言って優しげに微笑んだ。

……手をつけて、大丈夫だろうか。

この人は、何故か私の名前を知っていた。

錬金術士であることも。

……さっきあのお兄さんが口にしていた言葉を思い出す。

『調べてらしたからなぁ、あの方』……確かに、そう言ってた。

『調べてた』のが私の事で、『あの方』がこのハイヴェル侯爵夫人なら、私の事を知っているのも納得がいく。

……ただ、何のために調べたのか、が、わからない。

その理由が判明するまでは、出された物を素直に食べる気にはなれない。

警戒心は必要だ。


「……お食べにならないの? 甘いものはお嫌いかしら?」

「……先に、お話をお聞きしたいです」


私がそう言うと、夫人は笑みを深めた。


「そう。なら、単刀直入に言うわね。クレハ・カハラさん。私と商品の売買契約を結んで欲しいの」

「……売買契約……?」

「ええ。今後、私が欲しい品は、貴女に作って欲しいのよ。貴女がギルドに納品してくれた品、とても質がいいのだもの。他の方の品を受け取る気にはもうなれなくてね。だから是非、お願いしたいの」

「……それって、私に、貴女の専属錬金術士になれ、という事ですか?」

「いいえ? それは違うわ。そんな契約を交わしたら私、街の人達に恨まれてしまうもの」


……へ?

街の人達に恨まれる?

いや、意味がわからないんですが……何で、そういう話に?


「……ふふ。意味がわからない、という顔ね? 気づいていないのね。可愛いこと」

「は……?」


気づいてない?

……何に?


「まあ、その事はいいわ。……結びたい契約は、専属契約ではないの。ただギルドを通さずに、直接貴女に依頼をしたいの。ギルドに出せば、貴女が依頼を確認しないうちに他の方が依頼を見て、納品してしまうかもしれないでしょう? ……今までずっとギルドに依頼を出してきたけれど、納品された品は、ちょっと……満足できる物では、なかったの。けれど貴女の品は違ったわ。とても気に入ったのよ。だから、失礼だとは思ったけれど、その品を納品した方の事を、貴女の事を、調べたの」

「……それで、名前を知っていたんですか」

「ええ。……どうかしら? 私と契約を結んで下さる? ギルドを通さなければ、手数料が発生しないから、その分を貴女への報酬に上乗せできるし、それに、ハイヴェル家の領地で取れる錬金術の材料を、貴女に格安で売るという利点もつけてもいいわ。……この街にない材料も欲しいでしょう? ハイヴェル家は侯爵家だから、領地もそれなりに広いわ。この街にない材料も、きっとたくさんあると思うわよ?」

「……報酬の上乗せと、この街にない材料ですか。それは、魅力ですね。特に材料は、ギルドで冒険者の方が持ち込むのを待つか、旅の行商人さんが来るのを待つかしか、入手の方法がないですし」

「でしょう? 悪い話ではないはずよ。私は質のいい品を、貴女は高額報酬と入手困難な材料の一部を手に入れられるのだもの」

「そうですね、確かに魅力的なお話ではあります」


……だけど。

ギルドを通さない、という点はちょっと、考えものだ。

何故なら、錬金術では、爆弾や毒薬など、危険な物も作れる。

契約した後、もし、契約したという事実をたてに、そういう品の作成を強要されたら。

そしてそれをもし、悪い事に使われたら。

私は犯罪の片棒を担いだという事になってしまう。

だから、間に入ってくれる人がいなくなるような契約を結ぶなら、私は自分で相手が善人かどうかを判断しなきゃならない。

けど私は、目の前のこの人の事を何も知らない。

だからこの人が悪い事をしない人かどうかの判断ができない。

魅力的な条件につられて頷く事も、危険だからと断る事も、今この場では、するべきじゃない。


「……お返事は、保留にさせて頂いてもよろしいでしょうか」


私はまっすぐに夫人を見てそう言った。

すると夫人は、何故か満足そうに微笑んだ。


「……貴女の懸念事項は、私が危険な品を依頼しないかどうか、という事かしら?」


微笑んだまま尋ねられた言葉に、私は目を見開いた。


「……私、わかりやすいですか……?」

「まあ……ふふっ。……そうではないわ。私が、錬金術がどういうものかを、ちゃんと理解している……それだけの事よ。……安心して。私がそういう品をお願いする事は決してないわ」

「……。……申し訳ありませんが、その言葉が真実であるかどうかを、私は判断できません」

「ふふ、そうね。だから保留なんですものね。……なら。依頼品によっては、貴女は断る事ができる。そして私は、断られたら素直に諦めて、二度とその品を依頼しない、という誓約を契約内容に組み込んだなら、承諾して貰えるかしら?」

「……え……。……は、はい、それなら。何も問題はないかと……」

「そう。なら、そうしましょう。今、契約書を作るわね。少しだけ待っていて」


そう言うと、夫人は席を立った。

私は視線で夫人の姿を追った。

……たぶん、この人は、最初からそういう契約にするつもりだったんだ。

でなきゃ、あんな、ある意味夫人に不利な条件、あっさりと口にしないと思う。

そう考えれば、私が返事の保留を告げた時、満足そうに笑った事にも納得がいく。

つまり、この人は。


「……夫人」

「あら、なあに?」

「貴女に疑念を持った事を、お詫びします。申し訳ありませんでした」


私がそう言うと、夫人は契約書を作る手を止め、驚いたように私を見た。

そしてすぐに、嬉しそうに微笑む。


「……驚いた。……そして、貴女の事、とても気に入ったわ。いつでも屋敷に遊びに来て? 用事がない時でも大歓迎よ」

「……はい。なら、お言葉に甘えて、時々お邪魔させて戴きます」

「ええ、待っているわ。……さあ、できた。どうぞ内容を確認して?」

「はい。……うん、問題ないです」


私は二枚ある契約書を両方確認すると、自分の名前を書いて、サインをした。

次いで、夫人もサインをする。


「はい、これは貴女の控えよ。こちらは私の控えね。……これで、契約成立ね。これからよろしくね? クレハちゃん」

「はい。こちらこそ、よろしくお願いします。夫人」

「あら。私の事は、アイリーンと名前で呼んでちょうだい? そのほうが嬉しいわ」

「あ……はい。なら、そうさせて戴きます。アイリーン様」

「ええ」


その後、私はお茶とお菓子を美味しくいただいて、ハイヴェル侯爵邸を後にした。

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