売買契約 2
依頼主の家に向かう前に、動物屋に行き、アージュに会った。
用事ができたから今日は遊べなくなった、と伝えると、とても残念そうな顔をされて、胸が痛んだ。
けど貴族街へ行くとわかると、『なら今日はそこを案内するよ!』と言って、結局一緒に行く事になった。
そういうわけで、私は今アージュと二人で、高級住宅地を歩いている。
あ、コタもいるから、二人と一匹で、だった。
高級住宅地、別名、貴族街。
その名の通り、貴族が多く住むこの一角は、立派な造りのお屋敷がズラリと並んでいる。
「それで、どこのおうちにご用があるの? クレハ?」
「えっと~……ハイヴェル侯爵邸、って書いてある。この辺、みたいなんだけど……」
私は一度地図を見て確認すると、辺りをキョロキョロ見回した。
「おや? どうしたんだい君達? 迷子かい?」
「え?」
背後から優しく声をかけられ、振り返る。
「あれ? 君は確か……」
「あ」
声をかけてきたのは、あの時の騎士のお兄さんだ。
ここにいるという事は、今日のお仕事は街の見回りなんだろうか?
「……クレハ、気をつけて! 知らない人に声をかけられたら、まず警戒しなさいって、お父さんに言われてるの! 優しそうに見えても、優しいとは限らないからって!」
そう言って、アージュは少し後ずさる。
うん、教育はしっかりできているようですよ、アーガイルさん。
どこかの馬鹿天使にもこれくらいしっかりして貰いたいものです。
……あ、決してラクロさんの教育が悪いとか言ってる訳じゃないですからねラクロさん!
そこは誤解しちゃいけません。
「はは、お嬢ちゃんはしっかりしているね。偉い偉い。そうだよ、知らない人には気をつけなきゃ駄目だ」
「アージュ、この人は騎士さんだよ。だから大丈夫だよ」
「駄目だよクレハ! 騎士様の格好をしてるだけかもしれないんだから! ……こういう時は、ええと……そうだ! 身分証を見せて下さい!」
「うん、そうだね。いいよ。はい、どうぞ」
お兄さんはアージュに身分証を差し出した。
アージュは身分証を見る。
「……お兄さん、お名前は?」
「セイル・クレベル。21歳だ」
「……うん、合ってる。はい、返します。疑ってごめんなさい」
「構わないよ。それで、君達は迷子かな?」
「あ、いえ、ハイヴェル侯爵邸を探しているんです。ギルドのおじさんから、届け物を頼まれまして」
「……ハイヴェル侯爵邸に、届け物? ギルドからって……ああ、君の依頼品だね? クレハちゃん」
「え? はい、そうですけど」
「……調べてらしたからなぁ、あの方。良かったね、と言うべきかな。羨ましいよ」
「えっ?」
「……いや、何でも。……ハイヴェル侯爵邸なら、すぐそこだよ。案内するから、ついておいで」
「え、あ、はい! ありがとうございます!」
「ありがとうございます!」
「どういたしまして。さぁ、こっちだよ」
お兄さんに連れられ、私達は再び歩き出した。
ハイヴェル侯爵邸は、さっきの場所から歩いてほんの数分の場所にあった。
門から中を覗くと、玄関前に馬車が停まっているのが見える。
「あれ……お出かけかな? 困ったな、出かけちゃう前に渡さないと」
「……アイリーン様……」
「え?」
小さく呟かれた声に顔を上げると、お兄さんが何故か切なげな表情で馬車を見つめていた。
「……お兄さん?」
私が思わず声をかけると、お兄さんはハッとしたように軽く目を見開いた。
「……あ、ああ、ごめん。……失礼いたします! ハイヴェル侯爵夫人、ギルドからのお客様をお連れいたしました! ご開門願います!」
お兄さんはキリっとした表情を作ると、大きな声ではっきりそう告げた。
すると、馬車の後ろから、女性が一人と、女性の数歩後から男性が一人、こっちに向かって歩いて来た。
「まあ……セイル。お久しぶりね。すっかり騎士が様になって。見違えたわ」
「アイリーン様……! お久しぶりでございます。またお目にかかれて、大変嬉しく思います」
「まあ。ふふ、私も嬉しいわ。立派になった貴方を見られて。……誰か、大切な人はできた?」
「っ。……いえ、まだ……」
「あら。なら頑張って探しなさい。できたら是非、紹介してちょうだいね」
「……アイリーン様! 私は……!」
「ギルドからのお客様を、お連れしてくれたのだったわね。ご苦労様セイル。あとはこちらで対応するわ。職務に戻って大丈夫よ?」
「!! ……はい。……失礼、します」
そう言って頭を下げると、お兄さんは肩を落として去っていく。
……な、何だろう、今のやり取り。
あのお兄さん、最初は眩しそうな顔でこの女性を見てたのに、『大切な人は』って言われた途端、辛そうな顔になったよ?
でもお兄さん、この人を初め、『ハイヴェル侯爵夫人』って呼んだよね?
夫人って事は……。
……うわぁ……実る事のない身分違いの恋、ってやつかなぁ……。
私はちらりと、女性を見る。
綺麗な桃色の髪に紫の瞳。
どこか色気の漂う、すらりとした細身の美女。
私の視線に気づくと、女性は柔らかく微笑んだ。
「ようこそ、ギルドからのお客様。どうぞ中にお入りになって」
「あ、いえ。私、お届け物を預かってきただけですから。これ、お受け取り下さい。依頼の品です」
「ええ。それを貴女に届けて貰えるようにお願いしたのは私なの。少し、お時間を頂けるかしら。貴女とお話がしたいのよ。どうぞお入りになって? クレハ・カハラさん」
「えっ……!?」
どうして、私の名前を。
「えっと……じゃあ、私は帰るね? またねクレハ」
「あっ……う、うん。ごめんねアージュ。またね」
「あら、お帰りになるの? そんなに時間はかからないと思うから、別室で待っていて頂いてもいいのよ?」
「……えっ……いえ、帰ります。失礼、します」
「ああ、お待ちになって。それなら送らせるわ。可愛い錬金術士さんの大切なお友達に何かあっては大変だもの。イザーク、馬車を。このお嬢さんをお送りして」
「はい、かしこまりました。ではお嬢さん、こちらへ」
「えっ! ……ええと……」
「遠慮なさらないで? さあ、どうぞ乗っていって?」
「は、はい、じゃあ……ありがとうございます……」
アージュはイザークと呼ばれた男性に連れられ、馬車に乗り込み、帰って行った。




