笑い桜
地元のお寺には、何本も見事な桜があり、春になると寺の境内に近所の人たちが集まって花見をする。
この時期、日が落ちてから、一番大きなしだれ桜の下で翁の面を被った人たちが舞を踊っているのを見ることがあるという。これは桜の精なのだそうだ。それはそれは優雅で静かな舞で、その瞬間は、飲んで騒いでいた人たちもしんと静かになり、まるで別の世界にいるような感覚に陥るのだそうだ。
これを見た人たちは、その年に幸運に見舞われるという。残念ながら僕は見たことがない。
境内の端には、他の桜の木からぽつんと離れて、小さいが怖気ずくほどに美しい桜の木がある。そして、この木の下では「花見するべからず」の立て札が立っている。
住職に聞いても、先代より前からのことで、なぜその木の下で花見をしてはならないのかわからないという。とにかくこの下で花見をしてはいけないということだけは皆知っている。
僕が子供の頃、花見をしてる時に、この桜の下に陣取って周りの止めるのも聞かずに花見をはじめた学生らがいた。しばらくは何事もなかったのだが、そのうち一人の学生が突然ケタケタと笑い出して皆の注目を集めた。彼は笑いながら境内をぐるぐると走りはじめた。それを見た他の学生たちも,彼を指差し大声で笑い始めた。
その学生さんは、しばらく境内を走っていたのだが、突然外に走り出て、車道に飛び出し事故にあってしまった。命に別状はなかったが、怪我が治ったあと、突然気が狂ったように笑い出す癖は残ってしまった。木の下にいた学生たちも、所構わず笑いが止まらなくなることが暫くの間はあったと聞く。
あのとき僕の周りの大人たちも、学生らをただ笑って見ていたのが怖かったことを覚えている。




