第33話③ 終わりは不意にやってくる
狩猟隊隊長ブージュルードと、神官兵たちが天竜山麓へ向かっていって、間もなくのこと。
「それにしても止む気配がありませんね……今日の吹雪。久々の猛吹雪ですよ」
一寸先も見えない猛吹雪と、耳も目も凍る殺人的な冷気。口を開こうものなら、舌まで凍るような寒さだ。戸口の前に立つだけで、自分の吐息で前が霞んでしまう。
「雪の白は、王国の守護神の色です。
吹雪は守りの導きを意味し、羽衣の天盾とも呼ばれる……八竜を長く信仰してきた王国にとっては、ありがたいものの筈ですが」
シャリス大神官は、町役場の応接間にぽつんと取り残されていた。
歩いて10分ほどで教会に戻れるのだが、いざ帰ろうとした途端に吹雪いてきた。それも久方ぶりの猛吹雪だ。血の気の失せた蒼白な老婆など、瞬く間に死んでしまうだろう。
顔を真っ赤にして乗り込んで来たシャリス大神官だったが、神官兵らが出動したことで怒りが収まり───冷たく萎れた手を、お茶で温める背の丸い―――老婆に戻っていた。
「大神官様はどうして、こんな郊外にいらしたのですか?」
温かいお茶を差し入れた若いエルフの女性に、シャリス大神官は嫌な顔一つせず、真摯に応えた。
「サンプトの、リジッド様式で造られた第二教会は、女神教団の王国支部、その歴史において重要な位置にあるもの……後世に遺していくべき建造物です。
それが、悪しき魔王の復活以降、管理者たる神官が女神様の下へ召され、継ぐ者もいないと聞き……。
王国の安寧を、王都騎士たち、戦う者たちの無事を、女神に祈る務めを果たすに、場所を選ぶ必要はない……そう、思ったのです」
家と同様に、教会も管理する者がいなければ廃れていき、第一教会のように壊れていってしまう。
女神たちがいなくなった世、空白の神へ跪き、祈る意味など見出だせない―――と、八竜信仰に傾倒、はたまた、神は人を見捨てたと信仰を失っていく───今こそ、女神の復活が、民に”勇気”をもたらす必要があるのだ。
勇者の一族の末裔であるフォールガス王家が、女神再誕の役割を負わされたのは、それだけ崇高な血筋が故……非常な名誉なのだと、シャリス大神官は信じて疑わなかった。
「女神様は必ずや、我らの前に再び現れてくださる。
大女神様の最後の予言を果たせば……長き、悪夢の出口へと我々をお導きいただけるでしょう」
シャリス大神官は───エルフの職員に微笑み、胸の前で十字を切り───自信すら滲ませていた。
「あら?」
ビュゥウウ!
吹雪の中で誰かが町役場の扉を開け、冷気が足元を舐めるように吹き抜けた。
押し上げられる暖気に乗る、確かな……血の臭い。
「いやはや……すごい吹雪ですね。
寒くて鎧の動きが悪いのなんの」
入ってきたのは、鎧甲冑だった。吹雪に紛れる白銀の鎧に、白い斑点をつけた赤の毛皮マント……鷹の文様の下に、熊と剣の刺繍の施された胸のエンブレムは、鋭く引き裂かれている。
王都騎士だ。
足甲に付着する赤の染みはまだ、濡れている。
シャリス大神官は手に持っていたお茶を放り、立ち上がって魔術の詠唱を急いだが
ガシャン お茶が飛び散った絨毯のシミに、赤いペンキが撒き散らされた。
「これはこれは、シャリス大神官様。お久しゅうございます」
「―――ッ! ボルコワース!」
首の、鎧の継ぎ目の赤い錆、砕けた楔帷子の奥に致命傷の傷がある───何食わぬ顔の男。
凹んだフルフェイスのめくれあがった口元からは、髭をたくし上げるほどの、不自然な笑みがこぼれていた。
「お労しや、大神官様
確かあなた様は、王都魔術学院を主席で卒業なされた一級魔術師でしたのに。
生きている限り、老いには勝てないようですね」
サンプトの町に轟く阿鼻叫喚は、猛吹雪にかき消されていった。
「もう少し南に行けば……レコン川沿いに出られる筈よ」
ブラックパールの黒肌はすっかり白く染まり、手袋を外した手に焚き火の熱がじんじんと沁みていく。
外の様子を伺ってきたサーティアは、巣穴の奥で縮こまる小動物に微笑みかけることはなく、険しい表情を向けていた。
教会で必要最低限の物資を持ったサーティアは、マイティアを連れて、吹雪の中でも見える、幹に残しておいた魔力のマーカーを辿っていた。2人は今、王国の西側、北から南へと流れるレコン川沿いに南下しており、港町ポートへの中間地点にある洞穴で、一夜を過ごそうとしていた。
「吹雪が止んだら、夜が明けてなくとも進むわ。
今のうちに寝ておいて」
「…………。」
しかし、マイティアは薄い毛布に包まれた状態で、サーティアの方をじぃーっと見つめていた。睨みつけるような強い視線ではなかったが、怪訝な目を向けている。
「答えてくれるまで寝ないよ」
「そんな子どものような……」
サーティアは雪の絡んだ髪を掻き
「その日記に書いてあることは、事実よ。
あなたは女神の子、そして、私やランディアはあなたの、腹違いの姉で……女神の儀式によって、あなたは記憶を失い……カタリの里から瀕死で戻ってきたあなたを、私たちは匿ってきた」と答えるが、マイティアの視線は変わらない。
「それはさっき聞いたわ……私が、女神の子の使命を果たせていないことも」
「違う、あなたは立派に使命を果たそうとしていた。それを勇者が邪魔をしたのよ」
「私が聴きたいのは……彼が何者なのか、よ」
サーティアは力を込めて目を瞑り、首を横に振るばかり。マイティアと目を合わせようともしない。
しかし、マイティアは───日記が軋むほどにギュッと、手に力を込めた。
「カタリの里は”死者の世界”。
私はそこに入り、女神の儀式の途中で、勇者に邪魔されたと、お姉さまは思ってる……けどそれってつまり、勇者がカタリの里に入ったという前提で、お姉さまは話しているってこと。
大神教主か女神しか術式を知らない、魂に施される通行証、カタリの里に入るための魔力の印を、彼が持っているはずがないのに」
「それは……」
「2人は察しがついているか、知っているのよ。勇者が何者なのか。どうしてカタリの里に入れたのかを知っている。
その理由が、私を彼から遠ざけているの……ちがう?」
早口にまくし立てる、マイティアの表情は痛々しかった。今にも泣き出しそうに目を潤ませ、不安を堪えるように口を結んでいる。
きっと、彼女は彼女なりの答えを出しているはずだ。そして、その答えが意味する哀しみが、彼女の顔に滲み出ている。
「…………っ」
しかし、サーティアの口から出される答えを合わせてしまったら……マイティアは立ち直れるだろうか?
「私……勇者に会いたいわ。会って、話がしたいの。
そうしたらきっと……、今度こそ―――」
「ダメよ。これ以上、彼と関わろうとしてはいけない。
碌な事にならないわ」
「それじゃあサーティアは、私にどうしてほしいの?」
胸から噴き上がる感情の波に、張りぼての無表情が崩れ、サーティアは遂に嗚咽を漏らした。それこそ、鏡映しの様な、悲痛の表情だった。
「マイティア……あなたはずっと苦しんできたの
理不尽に、たくさんの血を流してきた……っ。
女神になる苦行という名目で、父である王に―――あなたは、務めを果たすまでの、猶予さえも奪われて来たのよ」
サーティアは妹の肩を掴み、懇願するマイティアの視線を振り払うように首を横に振った。
「お願いだから ミト、普通に生きていて。
笑ってていいの。あなたは立派にその務めを果たそうとしたんだもの……それでもう十分、十分やりきったわ。これ以上、あなたに何を望めるというの?」
「その普通が脅かされているこの時代に、役目と血筋を持って生まれた私が、使命を果たさないで、この―――背徳感と罪悪感をずっと背負って生きろって言うの?
救いを求める民を置いて逃げ出して? そんなの堪えられない!」
「王族としての矜持なんて持つ義理はない……女神にだってあなたを罰する権利はないわ!
からだ中ぼろぼろで、むねに風穴まであけて―――カタリの里なんて処刑場にッ―――大切な妹を 二度も行かせられる訳ないじゃない! あなたは何の罪も犯してはいないのに!」
姉の涙は頬で凍り、流れ落ちてはくれない。
しかし、マイティアは自身の備忘録を”遺影”の様に抱き締めた。
「この日記の中の私もきっと、今の私と同じことを思う筈よ―――。
彼が何者であろうと……一緒に戦ってくれるなら
私はもう一度だけ、勇気を持てるはずだって」
互いに一歩も折れようとしない中、吹雪の轟音の中に、ボスっ、ボスっ、何かが雪を踏みしめる音が混じる。
サーティアは涙目を擦り、マイティアの前に立ち塞がって短剣を抜くが
「まだこんなところにいたのか!?」
真っ白の分厚いカーテンから現れたのは、鎧甲冑姿のランディアだった。
「連中がミトに気付いた―――捜索に神官兵たちが来るぞ!」
「――――っ! だけど、この吹雪の中に出ていく訳には」
「いや! いますぐ出なくちゃダメだ! 連中は吹雪に慣れていやがる!」
背負って来た荷物の中から、二人分の分厚い毛皮のコートを取り出して投げ渡す。
そうしているうち、白のレースに赤みを帯びた光がゆらゆらと滲みだし――――。
「見つけたぞ!」
怒号に背を押され、二人はマイティアを連れて走り出した。
2023/02/12改稿しました(2023/3/6一部修正)




