⑳
「なんだよ! 元に戻れんのかよヤドゥフ!」
「誰が戻れないって言ったよ」
キキ島から神国にあるヤドゥフの別荘にまで転移したラタたち。
そして、ヤドゥフは八竜の姿から人の姿にしれーっと戻った。肘から先の両腕を失ったにもかかわらず、魔術で器用に帽子を浮かせると、額に刻まれた魔字を隠すように深く被る。
「八竜は、八竜自身が作り出した肉体や、他の生物の体を器とするが、魂の依代は一つとは限らない。
また、器となった者の魂は八竜の魂に吸収されるものの、八竜の意思によっては元の原型が保たれることもある。俺のようにな」
「じゃ、じゃあ、今のヤドゥフは実質的に八竜様ってことになるのか?!」
「拝んでもいいんだぜ」
「御利益あるか?」
「期待すんなよ」
「ちぇー」
「さて、俺は荷物をまとめてパッチャ村に戻ることにするよ。スティール様の器となった以上は、人社会への過干渉は他の八竜を刺激することになりかねないからな」
「パッチャ村? そこがヤドゥフの故郷なのか?」
「そうだ。霧氷樹海から北東、天竜山脈に沿って北上し、氷原の奥地にある小さな村だ。
気が向いたら顔を出しに来いよ、ラタ。ちゃんと防寒してな」
「おう。そんときはたっぷり貢物持っていくわ」
ヤドゥフが荷物をまとめるため別荘宅に入り、ハルバートと二人きりになったラタは少し気まずそうに
「これからどうするつもりなんだ、兄貴」
ハルバートにそう問いかけた。その声には兄を責めるような怒気が僅かに含まれていた。
「ユニバーシュたちに責任を負わせるためにも、私は地位を持たねばならない。
お前にその気がないと言うのなら、当初の計画通り私が勇者を名乗り、その名声を使い北の大地に国を建てる」
勇者と魔王の戦い、とりわけ竜化した魔王との戦いは文字通り雲の上の戦いであった。米粒よりも遥かに小さく、ラタと似通った顔のハルバートが戦っていましたと嘘をついたとしても、誰もそれを見破ることはできないだろう。何より、世間的にはラタよりもハルバートの方が知名度は高い。魔王を倒したのがハルバートであるとした方が、人々には受け入れられやすい筈だ。
「いきなり国を作るったって、民になる人はいんのか?」
「その点は抜かりない。かつてフォールガスに仕えていたモンジュ一族や、大戦時に戦いから逃れるべく北へ渡った者たちに、既に私はコンタクトを取っている。
また、私はエルフたちも引き受ける。戦争のない平和な時代の幕開けとして、種族の垣根を超えた国を作るつもりだ」
これにはラタは素直に感心した。昔からラタよりもしっかりと学を修めていた兄が、その本領を発揮しているように思えたからだ。
「生涯を賭けた平和への献身を、私の代で終わらせることなく、王を継ぐ者たちの責務として引き継がせていくことも誓おう。
それが、魔王を生み出してしまった私の贖罪であり、義務だと思っている」
「……一度だけ信じるぜ。
もう二度と、過ちを犯さないってよ」
ハルバートはラタの言葉をしっかりと噛み締めた後、黒曜石の原盤をラタに差し出した。
「失くすなよ」
「当然だろ、失くしたりするもんか」
ラタはそれを受け取った。手にずっしりと重くのしかかる黒曜石の原盤を見下ろし、彼は大きく深呼吸する。
一方で、黒曜石の原盤をラタに渡したハルバートは、肩の荷が降りたかのように安堵の溜息をついた後、俯いたまま自信なさそうに小さく弱音を吐いた。
「だが……ゴルドーは、罪を犯した私が島の外で生きることを容認してくれるのだろうか?」
「うーむ……ゴルドー様は確かにおこりんぼうだがよ、ダメならダメってしっかり叱ってくれる八竜様だと思うんだ。だから、兄貴が人生賭けて償うって言ってんのを本当に認めないつもりなら、今頃雷がゴロゴロ鳴ってんじゃねぇかな」
ラタがそう答えると、ハルバートは驚いたように目を丸めた後、僅かに微笑んだ。
「……ラタ、私はお前が誇らしいよ」
「きゅ、急にどうしたんだよ、恥ずかしいな」
「死霊となろうとも、清く正しい不屈の精神を持ち続け、お前は確かに魔王を倒した……どうかその心を、ずっと保ち続けて欲しいものだ」
「……そいつは、テッちゃんのお陰さ。
テッちゃんが俺の魂を守るために聖樹になって、一緒に戦ってくれていたから俺は俺のままでいられたんだぜ」
「聖樹?」
ラタはハルバートに聖樹のことを打ち明けた。
ラタの死霊術師でもあるテスラがその身を犠牲にしてラタを守っていてくれたことを知ったハルバートは、テスラに感謝し、聖樹がある臨界に人が立ち入らないよう地域一帯(霧氷樹海)を守ることを約束した。
「私はユニバーシュと話をしにいくつもりだ。
お前はどうする?」
「ユイフォートでちょいと調べたいことがあるんだ。
それに、天変地異や魔王の足で踏み壊されちまった地域の復興も、出来るだけ手伝っていきたいしさ」
ドンッ!
護衛たちが慌てて執務室の中に雪崩込んでくるほどの大きな音を立てて、ファウストは怒りを顕わにした。
(おのれ……! おのれおのれおのれ!!!
すべてを! 私の計画を! よくも無碍にしたな!!)
死霊術に縛り付けておけば理論上不滅である筈の魔王の魂を封印できる魔導具の存在は彼女にとっても計算外だったのだ。
(魔王は対八竜兵器アビスを制御可能にした私の最高傑作! その魂は赤月の竜モーヌ・ゴーンそのものと言って過言でない筈! それなのに! 神(八竜)を封印できる魔導具の存在が何故許されているの?!)
理解不能な八竜の判断に頭を掻き毟り、息を荒らげるファウスト。その姿に呆然と立ち尽くす護衛たちを「何を見ているの!? 出て行きなさい!」いつもの余裕さなど全く感じさせない怒号で追い返した。
(ハルバートめ! キキ島からの解放を“煽ててやった”というのに裏切りやがって……!
私の計画を台無しにした奴らの魂は、必ずこの手で穢し尽くしてやる!!!)
そんな彼女の怒りに誘われたかのように。
ゾゾゾゾ……ファウストの影からミミズのような小さな黒蛇が気配なく顔を出し、音もなく這い寄ると
「!?」
鋭利な黒い牙でファウストの足の皮膚を切り裂き、皮膚の内側に潜り込んだ。
身体の中枢へ向かって高速で昇っていく不快な異物感と激痛に襲われたファウストは慌てて自分の横腹を闇刃の闇魔術で切り裂き、内臓を食らう黒蛇を臓器ごと体外へ引きずり出した。
小指にも満たないほど小さかった黒蛇はファウストの血肉を食らいながら急速に大きくなり、既に彼女の手首ぐらいに太く長い蛇となっていた。
黒蛇が魔術を使いだす前に対処しなければ殺される───戦慄したファウストは咄嗟に黒の黙示録を取り出し、黒蛇に叩きつけるよう覆い被せながら、影封じの闇魔術を使った。
黒蛇は不気味さを感じるほど大人しく黒の黙示録の影に呑み込まれていったが、その見開かれた奈落のような黒目は最後までファウストを凝視していた。
〈八竜は不滅である〉
パタン、と、閉じられた黒の黙示録から黒蛇が二度と出て来ないよう、物理的に、魔術的に開くことを禁じてようやく、ファウストは恐怖で止まっていた呼吸を再開させた。
(エバンナ……!
この、死に損ないが……ッ!)
足から腹まで、黒蛇が辿った道に沿って血が溢れ出し、ファウストは立ち眩みを起こして机に寄り掛かった。もう少し反応が遅ければ、黒蛇の牙は心臓に達していたことだろう。
回復魔術を使って出血を抑えるも、内臓を幾つかやられていた為、一刻も早い外科的な治療が必要だった。治療師を呼ぶよう護衛に声をかけようと口を開こうとしたが……それよりも先に、執務室の扉がノックもなしに開かれた。
「珍しい表情をしているね」
「タイマラス!?」
抑えようとする護衛たちを押しやり、強引に中へ入ってきたのは、魔王に襲撃され重傷を負った筈のタイマラスだった。
服の袖も通せなかったのだろう、血の滲む包帯に巻かれた右腕はギプスでガチガチに固定されており、力なく体の横に垂れている。だが、左手には結晶樹で作られたステッキサイズの杖がしっかりと握られており、その杖と隈の濃い視線の先は間違いなくファウストに差し向けられていた。
「ファウスト様!? そのお怪我は一体どうなさったのですか!?」
「そんなことよりも何故、杖を持った者を私の前に連れてきたの」
出血しているファウストやタイマラスの奇行に護衛たちは戸惑いつつも、杖をタイマラスに向けた。しかしそれでも、彼は杖を降ろそうとしなかった。
「君は償いきれない罪を犯した。人が裁くには大き過ぎる罪をね」
「残念よ、タイマラス。あなたがそんなに浅はかな男だったなんて」
「……ミナ、“本当”の君ならば、私がこの部屋に入る前から気付くことが出来ただろうに」
タイマラスの言動に疑問符を浮かべたファウストは「?」タイマラスを注意深く観察した。そうして初めて、彼の周囲にちらつく極々小さな光の粒に彼女は気付いた。
その光の粒を、魔術を使って拡大すると、蝶の羽根を持った蟷螂のような翡翠色の“竜”が見えてきて———
「”アッヴァ”!?」
ファウストは数コンマ思考を巡らせた後に震撼した。
「一つだけ聞かせてほしい。
君の皮を被っている———“お前”は誰なんだ?」
その言葉に、目の色を変えたファウスト?がタイマラスに向けて魔術を放とうとした刹那———。
「!?!」
ファウスト?は球形の魔法陣の中に囚われ、まるで“時が止まったかのように”自由を奪われた。
( ま ず い こ れ は
時 空 魔 術 か )
精確には完全に時が止まった訳ではなかった。思考が出来るのだから。だが、飛び散った血は粒状に漂い、魔術を放とうと魔力管を流れていく筈の魔力は停滞し、思考は狂ったように遅延している。
「お止めくださいタイマラス様! 我々はあなたを攻撃したくありません!」
「コイツはミナ・ファウストの皮を被った別人だ」
「それを、証明する手立てはありますか?」
「愚問だね、それが可能だったなら私は君たちを敵に回したりしない」
攻撃を躊躇う護衛たちに囲まれたまま、タイマラスは深く息を吸う。共に切磋琢磨してきた幼馴染の姿をしている別人への殺意で理性を失わぬよう、眉間に深い皺を寄せてゆっくりと長く息を吐いていく。
「それにもう……事は済んだようだ」
「!?」
護衛たちがハッとファウスト?の方に目をやると、既にタイマラスの時空魔術は解呪されていた。だが、ファウスト?は立ったままピクリとも動かなかった。その瞬きさえもしない目からは既に生気が抜けていて、半開きになったままの口からは魂だけがそっくり飛んで行ってしまったかのようだった。
「感謝するよ、緑翠の竜アッヴァ。
私たちの研究が正しかったことを証明出来て感無量だ」
カラン、唖然としていた護衛たちが乾いた音に視線を戻すと、タイマラスは杖を床に捨て、飄々(ひょうひょう)とした様子で左手をひらひらと挙げていた。
「さて、私は逃げも隠れもしない。
ただ、痛いのは嫌いなんでね、お手柔らかに頼むよ」
黒の賢者ファウストが魔術研究の権威タイマラスによって殺されたことを、ナラ・ハは公表しなかった。ファウストの一族の副族長が彼女の跡を継ぐとともに、タイマラスは100年の禁錮刑───実質的な終身刑に処された。
しかし、老衰で死にかけながらも100年の長い時を牢の中で生き続け、遂には解放されたタイマラスは、身元引受人が目を離した少しの間に忽然と姿を消し、そのまま行方知らずとなったという。
人間とエルフの共通の敵、魔王を倒した勇者ハルバートが種族の垣根を超えた友好の証となる新たな国、王国を建てていた頃。
今まで一切動きを見せていなかった男が静かに、暗躍を始めていた。
岩肌と凸凹の目立つ地竜山脈の、東の奥深くに、その社はあった。
縦長の岩2本を地面に深く刺して出来た柱の間を蛇の皮で出来たしめなわで繋ぎ、天然の岩が折り重なって出来た僅かな隙間に無数の供物が捧げられている。小さな社だ。
「本当に此処かぁ?」
ゲルニカは部下を引き連れてその社まで来ると、地面にペッと唾を吐いた。
「朽葉の竜ウェルドニッヒよ、姿を現せ!」
そう声を荒らげてしばらくすると、積み重なった岩の隙間から、目のない茶色のトカゲが這い出てきて、ゲルニカたちを仰いだ。だが、ゲルニカの目に小さなトカゲは映らない。
「……ちっ、本当にこんなチンケな場所に八竜がいるのか?」
「麓の人たちはそうだ、と」
「そいつらを血祭りに上げたら出て来るかもな」
「如何致しますか?」
ゲルニカは少し考えた後でニヤリと笑みを浮かべると
「よぉーし、先ずはこの社をぶっ壊してみるか!」
大鎚を召喚し、背信的な蛮行に手を染め出した。
そんなゲルニカたちを見かねたからか
〈何のようだ〉
ウェルドニッヒはゲルニカだけに聴こえるよう言葉を発した。
「お! ようやくお出ましときたか!」
ゲルニカは、社に張り付いている小さなトカゲから発せられている声である事に気がつくと「小っさ!」大きく目を丸めた。
〈一連の騒動に加担したテメェから罪の意識を感じねぇ。八竜様に喧嘩を売りやがったってのによ、ふてぶてしい野郎だな〉
「バカ共の喧嘩を仲裁する為にちこっと神様のお力を借りたってだけじゃあねぇか。そうつまんねぇこと言わないでくれよ、八竜様よ。
それに、せっかくここまで来たんだ、ここは一つ俺の話を聞いちゃくれねぇか?」
トカゲはサササと岩を這い上がり、しめなわの上に乗ると、顎をしめなわにペタリとくっつけて不適な笑みを浮かべた。
〈まあ、俺様はゴルドーと違って寛大だ。
聞くだけは聞いてやるよ〉
「恩に着るぜ、ウェルドニッヒ様よ」と、感謝の意を伝えると、ゲルニカは
「あんたは八竜の中で突出した力を持っている。
例えば、生命を操る力とかな」
両手を大きく広げ、ウェルドニッヒの力を賛辞し始めた。
「あんたがいるからこそ、この世に生まれる感動があり、朽ちることで命の循環が維持されている。
それだけじゃない。あんたの魔は地中で鉱石化し、オリハルコンとなる。
俺はあんたのお陰で権力を手に入れたと言っても過言じゃあない」
〈それで?〉
お世辞など要らない、本音を言え。ウェルドニッヒの問いに、ゲルニカは声を大にして言い放った。
「俺に”不老不死”の力を授けてくれ!
その代償に何を求められようと、すべてを差し出してやる! それが俺の魂であろうとな!」
ゲルニカの言葉を聞き届けたウェルドニッヒは
〈それなら簡単な話だ。
“この俺になればいい”んだからよ〉
口の奥にある一つ目を突き出して不気味に笑ってみせた。
〈だが、何故だ? 不老不死ほどつまらねぇ力はないぞ。
生きることは変わること。
変わらないことは死に等しいことだというのに〉
「そいつぁ俺にとっちゃあ愚問ってもんだぜ、八竜様。
あんたたちには未来が見えているんだろう? 世界平和に人生を捧げてやったにもかかわらず、割に合わない俺の悲しい末路ってもんがよぉ」
〈あん?〉
「魔王を倒した勇者様が俺の命を狙っているのさ。魔王を作り出した罪を償わせるだとか何とか言ってなぁ……おー怖い怖い」
〈ほお……テメェ、よくもまあ被害者面出来るもんだな〉
「赤月の竜のお力を勝手に拝借しちまったことと、黒紫の竜をムシャムシャ食べちまったことは申し訳ねぇと思っている。女郎が俺に相談なく自分都合で魔王を八竜様にけしかけたんだ。魔術において、奴に敵う訳じゃねぇからな、俺には止めようがなかったんだよ。
だがよ、他に素材に使ったのはたかだか”自殺に失敗した”人一人の魂ぐらいじゃねぇかい。そいつ一人分で年間数十万人の命が失われるような悲劇を止めるきっかけが出来たんだぜ?
こんだけコスパのいい話は他にねぇだろうがよ」
〈コスパねぇ〉
ゲルニカに悪びれる様子はなく、ウェルドニッヒは半ば呆れた様子で目を細めた。
〈不老不死の力を手に入れたところで、追われる身であることには変わらねぇだろうに〉
「だからこその対策なのさ。
八竜様を噛み千切る化物さえも倒しちまった野郎に目をつけられた俺はもう、”この時代じゃ生きていけねぇ”んだ」
〈それはつまり、手に入れた地位も富も名声も捨てるということか?〉
「まあそうなるわな」
あっけらかんと語るゲルニカ。
数多の欲に塗れたこの男が国を治めるまでの力を手に入れたにもかかわらず、容易くそれを手放すというのだ。気が触れたか?とウェルドニッヒは微かに首を傾げた。
「何故かってか?
ウェルドニッヒ様も言ってくださったじゃあないの。生きることは変わることだと。
俺は権力者でいたい訳じゃない。金持ちや、人気者でいたい訳でもない。
俺はなあ、権力を手に入れる過程が好きなんだよ。金持ちになろうと奮闘するのがイイんだ。人気を得ようと躍起になることが生き甲斐なのさ。
苦難の道のりこそが人生だ。
まあ、それを楽しむには寿命が短過ぎるってのは、この世の難点だがなぁ」
ゲルニカが酒場で披露するかのような持論を語ると、ウェルドニッヒは口を大きく開いて喉奥にある眼球を突き出した。
〈ハッ、活きのいい魂なこった!
確かに、テメェの生き様には興味が出て来たぜ。同時に無様な死に様にもな〉
「んあ?」
ズズズッ、と、地響きと共にゲルニカの足下を通り過ぎた魔の気配、その方向に視線を動かすと
「ぎゃ!」「ぐわっ!!」
ゲルニカが連れてきた部下たちは、地面から突き出てきた土鎗に貫かれて石化し、粉々に砕けちった。
ゲルニカは即座に戦闘態勢に入ろうとしたが
「ぐおおおおっ!!?」
立っていられない縦揺れの地震になす術もなく、突如として開かれた大地の裂け目に落ちていった。
〈先ずは俺様の器に相応しい”形”に成形してやらないとな。
頼むからこの程度で死んでくれるなよ? 俺様を少しは楽しませてくれや。ゲハハハ!!〉
「ファウストは死んだ、か……」
千年戦争を終結へと導いた英雄の一人、ナラ・ハの長ミナ・ファウストの訃報を知らせる掲示板の貼り紙。それを目にした人々の多くは驚きで立ち止まり、彼女の早過ぎる死を悼む。
そんな群衆に紛れて、貼り紙の前に立つただの一般人ラタは、拳を固く握り締めていた。
当然、道行く誰しも”彼”のことを知らない。
魔王という悪役を演じさせるために心も体も魔に侵され、死霊にさせられた者のことを知らない。
“彼”の尊厳を踏み躙り、影で魔王を操っていた四人の王がもたらした世界平和は、しかしながら鍍金のように崩れ落ちるものではなかった。王たちは緊密に未来のことを話し合い、種族を隔てた溝を着実に埋めるべく奔走している。
そうして───魔王を封印してから数ヶ月経った今、街の中を行き交う人々の笑う声は、決して幻などではなくて……平穏な日々を享受している証拠なのだろう。
「奴が死んだことにホッとしている俺は悪い奴なのかねぇ」
そんなラタの呟きに、テスラ 静かには応えた。
『……そんなことはないわ。そう思われるだけの罪をファウストは犯していたのだから』
「……ありがとよ、テッちゃん」
ラタは地底国にある地上の街で酒を二つ買った。その土産を持って、彼は久方ぶりにゲルニカに会いに行くつもりだった。当然の如く、アポは取っていないが、ラタは無理矢理にでもゲルニカと膝を突き合わせて話したいことがあった。
「うん?」
地底国の中心、国土の大半を占める巨大な縦穴の縁に立ったとき、ラタの目に人だかりが映った。どうやら下層階へ降下する為の滑車のエレベーターに、大荷物を背負った救助隊が乗り込んでいるところのようだった。
「どうしたんだ? 事故か?」
「ゲルニカ様が地竜遺跡に向かってしまわれたのだ!」
「地竜遺跡?」
「臨界だよ! 瘴気に覆われた危険地帯だ!」
地竜遺跡は地底国を囲う地竜山脈の奥深くに眠る遺跡であり、人類が歴史を作るよりも以前、世界の理を刻み込む為に八竜が作り出したものではないかと言われている場所だ。だが、遺跡全体が濃い瘴気に覆われていたり、刻まれた魔字を解読出来なかったりして、未だ人類は遺跡が何処まで続いているのかさえも分かっていない。尚且つ、地竜遺跡は臨界、つまり、死者の世界に近い場所でもあり───時空の歪んだ場所でもあるのだ。
そんなところへゲルニカは何をしに向かったのだろうか? そんな疑問がラタの脳裏を過ったが、彼は考えるよりも先に口を開いた。
「俺も連れて行ってくれ!」
ラタがゲルニカに会いに来た理由もまた、地竜遺跡にあったからだった。
視界が霞むほどの瘴気が漂う空間を降りていく度、時空の歪みによるものなのか、深海へ潜るかのような強烈な圧がラタたちに襲いかかる。
瘴気から身を守る防護服を纏い、赤褐色の魔石で作られた細い洞窟を慎重に進んでいくこと数時間。地竜遺跡は、突如として現れる。
(此処が地竜遺跡か……)
青い竜結晶がまるでカビのようにこびりついた石造りの壁、上から下までびっしりと刻まれた無数の魔字は不気味に七色に輝いている。瘴気の濃度を測る計測器は最大値を振り切り、瘴気を存分に飲み込んだのだろうスライムが警備をするかのように徘徊している。
一攫千金を求めて魔石の洞窟を掘り進めて行ったかつての先人が不意にぶち抜いてしまった崩れた壁から遺跡に侵入したラタたちは早速、ゲルニカたちが此処を通ったらしい痕跡を発見し、背負った清浄器から送られてくる空気を深く吸い込んだ。
「なんということだ……!」
ラタたちと同じような防護服を着たドワーフたち(ゲルニカの護衛だろう)が、地面から突き出た土鎗に貫かれ、”魔石化”していたのだ。だが、ゲルニカの死体は見られない。
『溶けた魔石の中に落ちた人の体が魔石化してしまった例は過去にあるけど、人を魔石化する土魔術なんて見たことないわ……気をつけて、ラタ』
救助隊が魔石化した護衛たちの遺留品を回収しているうち、忍び忍び単独行動を始めたラタは、ゴルドーから得た力と知識で瘴気の中に紛れるゲルニカの魔力の残滓を追い始めた。
(ゴルドー様から得た知識によれば、地竜遺跡には世界が誕生したときの理って奴が書き残してある、とかなんとか……そこに魔王の魂を解放するヒントがあればいいんだが)
八竜はこの世の神だ。この世界の誕生の秘密を探れば、八竜、ひいては”彼”の魂と融合した赤月の竜のことをより深く知ることができるかもしれないとラタは考えたのだ。
「テッちゃん、この文字読めるか?」
『……時間をかければ、読み解けないことはなさそうね』
「マジか……俺にはサッパリだ」
『神に分け与えられた叡智と、魔法に対する基礎知識の埋まることのない格差ね』
「なんか一言多いような……、んおっ?」
迷路のような遺跡の中を小走りに進んでいると。
お ぎゃ あ あ あ ぁ ぁ
「赤ちゃん???」
『はあ?』
ラタは立ち止まり、鼓膜に響く喃語の出処を探す。
「今、赤ちゃんの泣く声が聞こえたような……」
『ラタ、それは幻聴よ。こんなところに赤子なんているわけがないじゃない。そんなものがいたとしたら魔物の類よ』
「うーむ、それもそうか」
気を取り直してゲルニカの気配を追っていくこと数十分。ラタはやたら明るい広間へと辿り着いた。
「こいつぁ、神秘的だなぁ……!」
多くの道がこの広間に繋がっているようで、蛍光色に光る水が壁から滲み出ては床に掘られた溝に流れて魔法陣のようなものを形成していた。その術の効果なのか、宙には無数の星々が輝いており、ランタン無しでも光源は確保されている。
そして。
「よお、首を長くして待っていたぜ。勇者様よ」
「ゲルニカ……!」
広間の中心には、防護服を装着していないゲルニカがラタの到来を予知していたかのように待ち構えていた。
すぐさま広間に入ろうと足を浮かせた瞬間に『待ってラタ』テスラはラタを制止させる。
『瘴気がこの空間だけ侵入していないのは不可思議よ。それにあの魔法陣……時空魔術の一種のように見えるわ』
「おお、流石は”賢者様”だ。そう易易と”罠”に嵌っちゃくれねぇか」
『!』
「罠だって?」
「この魔法陣は時空を切り離す魔術だ。
つまり、一度中に入れば、同じ時間軸に戻ることは不可能ってことだよ」
ゲルニカは不敵な笑みを浮かべ、ラタに向けてクイクイと指を曲げる。
「だが、俺様に用があるんだったらここに来なくちゃあ刃が届くことはねぇぞ。
どうする? 勇者様よ。
魔王を生み出した元凶を野放しにするつもりか?」と、あからさまな挑発をしてきた。
『コイツの挑発に乗ってはダメよラタ!
二度とこの時代に戻ってこられなくなる!』
「だが……」
『それにゲルニカからは異様な気配を感じるわ……! 私の言葉が聴こえている時点で、今までの奴ではないのは確実よ』
テスラにはゲルニカの魂におぞましい何かが蠢いているのが見えていた。放つ魔力の気配もかつて会ったときとは比較にならず、ポケットに両手を突っ込んで胸を反る体勢だというのにまるで隙が見えてこない。
「ゲルニカ、お前は一体何しに此処に来たんだ」
「俺はやり直しに来たのさ。
この時代で得るものは大概手に入れちまったからな。達成感を味わい尽くしちまって、つまらねぇんだよ」
「なんだと?」
「だから、時代を超えて俺はやり直す。そして、この手で再び俺の国を作り上げる。
勿論、手段なんざ問わねぇ。どんな卑劣な手を使おうとも、それで望むものが手に入るなら躊躇う理由はない。
言うなれば、これはゲームなんだよ。俺様が生き甲斐を感じる為の、手の込んだお遊びだ」
「───ふざけんなよ……っ!
そんなことの為に! そんなふざけた理由で魔王を生み出す片棒をかついだってのか!?」
「ふざけた理由とは心外だな。俺様は倫理観こそ溝に捨ててはいるが、為政者としての正義は成したと自負しているぜ。実際に、この時代の戦争を終わらせたやったじゃあねぇか。
国の為、民の為、未来の為、思い描く理想に近づけるよう、この手を血に染めようともやり遂げる。それが汚えと罵られようとも、信念を曲げねぇ覚悟のある奴が実権を握るべきなんだ。違うか?」
「なら、統治者であるお前がこの時代から去ったら残された人たちはどうする!?」
「馬鹿だな、後継者の選定と育成もやり甲斐の一つだろうが。そもそも人が突然死ぬことなんてザラにあることだろうがよ」
「───っ!」
「それに、ファウストのお陰で”魔王の作り方”の理屈はだいたい理解した。
新たな魔王を俺好みに一から作ってみたくもあるが……未来のテメェの墓からソレを回収して再利用するのも楽しいかもなあ!」
ラタはそれが挑発であることを重々承知していた。だが、到底耐えられるものでなはなかった。耐えるべきであるとも、彼は思えなかった。
「悪い、テッちゃん……俺はゲルニカを殺す。
コイツは未来に行かせちゃいけねぇ。ココで始末する」
『ラタ……、でも』
「テッちゃんを一人聖樹の中に残していきたくねぇし、ヤドゥフや兄貴にもう会えねぇことも、魔王の魂を救う方法を探すことすら頓挫しちまうことも分かってる。
だが、今……野郎を見逃しちまったら、俺は一生後悔する……俺たちが魂を費やして倒した魔王を、野郎は未来で復活させちまうかもしれねぇんだからよ……!」
テスラの沈黙は、ラタには長く感じた。
だが、彼女はラタの魂の手綱をしっかり握り
『あなたが戻るまで、私は待ってる』
そう、彼女らしくハッキリと応えた。
『ただし、時間軸がズレれば私の思念はあなたに届かなくなるわ。同時に、死霊術を保つことは出来ても、リアルタイムのあなたの戦いを把握できないから助けてあげられない』
「ああ、俺の力で野郎をぶっ飛ばすさ」
『…………。』
一瞬、テスラは何か言いたそうに声を漏らしたが
『……ラタ、必ず戻ってきて』
「おう。必ずだ」
彼女は喉につかえた言葉を口に出すことはしなかった───。
数分後か、数年後か、はたまた数百年後か……それ以上か。ラタが行き着く未来がいつになるのかは分からない。彼にとっては数分でも、歪んだ時間軸が再び交わる時まで、テスラは待ち続けることになる。
孤独なんて慣れっこだし、やろうと思えば現世に干渉する方法はあるし、世界の行く末を見届けていれば孤独の中でも一人、精神を保つことはきっと出来るだろう……が。
テスラが必死に呑み込んだ言葉は、情けなくなる程の弱音と僻みだった。
ああ……あなたは、私よりも
世界や未来を選ぶのね。
否、ラタという男は、誰にでも優しいのだ。
テスラもその見返りを求めない愚直な優しさに何度も命を救われたから分かってはいた。それでも、心の奥底に”自分を選んで欲しい”思いがあることを彼女は自覚していた。
───結局、テスラは自分の心に蓋をして
罠と分かって尚、踏み出すラタの背中を見送った。
そして……死霊術の糸の僅かな感触だけを残して、ラタとの接続が切れた瞬間
テスラは、ひとしきり泣いた。
「はあ……」
ラタは苛立ったように溜息を吐き、オリハルコンの大斧を乱暴に地面に突き立てた。
戦いは一瞬だった。お互いに出し惜しみなどせず全力でぶつかったからこそ、僅かな力量の差で一気に勝負がついたのだろう。
胴体を真っ二つに裂かれたゲルニカの死体を見下ろした後、懐から酒を入れたスキットルを取り出した。
「ごめんな、テッちゃん……完全に巻き込んじまったな」
聖樹の中で孤独にラタの帰りを待つテスラのことを考えると、ラタは胸が張り裂けそうになった。その胸の痛みを和らげようと、ほぼ無意識に清浄器のマスクを外して、酒を一息に飲み干した。
「……!? こい、つは……」
すると突然、ラタは強烈な眠気に襲われ、パッ、と、スキットルを手放した。乾いた音が頭の中をぐわんぐわんと反響する。
自分で購入した酒に睡眠薬が入っているなんてことはないだろう。瘴気に催眠効果があるとも聞いたことがない。
「くっ、そ……!」
自力でどうにかなるような眠気ではなかった為、ラタは死霊術の術者であるテスラが時空的に遠のいてしまったからなのだろうと考えた。
「ま、ずった、な……すぐ、戻ら……なく…ちゃ…」
なんとかして外に出ようと試みるも、立っていることもままならなくなってきて、ラタはその場にぺたんと尻をつけて座り込んでしまった。
「野、郎……こ、こまで、織り…込み済…み、だった、のか……?」
後悔する時間もそう長く残されていない。
ラタは朦朧とする意識の中で、肌見放さず持ち歩いていた黒曜石の原盤を取り出して、その埋め込まれた宝玉を擦った。
「はあ、はあ……、ごめんな……お前さんを、解放して…やり、たかったのに……俺も、眠くなっちまったよ……。なあ……。
今度起きたら……酒でも飲もうぜ、”レックス”」
ユイフォートの貧民街を巡って見つけた───孤児院出身で、身売りをしていて、ある日突然、行方不明となった一人の男の名前。
それが”彼”の名前なのかどうか本当のところは分からない。貧民街において、行方不明となる者は珍しくなかっただろうから。
ただ、名前を失ってしまった”彼”を呼ぶ名になればいい……と。
それから程なくして、ラタは眠りについた。
ゲルニカが不老不死(ウェルドニッヒの力)で蘇るとも知らずに。
次に目覚めるのが八百年以上先の未来であることも知らずに。
勇者は穏やかな寝息を立てて、眠り始めたのだった。
そして……。
ゲルニカが未来に持ち込んだ黒曜石の原盤を巡る戦いが勃発し、遂には魔王の魂がとある胎児の中に解き放たれてしまったとき。
大女神テスラは、深い闇に呑み込まれ
人類に牙を向ける、死神となってしまったのだった───。
金色の死神・完
ラタの昔話も終わりですね! ここまで読了いただきありがとうございました!
そしてネロスたちの物語に戻って参りますが、第5部の投稿開始までは、またしばらくお時間いただくことになります。時間がかかってしまいすみません。必ず完結させますので、お付き合いいただければ幸いです。




