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たとえ夜を明かすのに幾億の剣戟が必要だとしても【Web版】(書籍版タイトル:幾億もの剣戟が黎明を告げる)  作者: 御鷹穂積
ファイアスターター

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58◇膝枕

 



「大丈夫ですか? ヤクモさま。お加減がよろしくないようですが」

 翌日の昼休み。

 いつもの木陰で、モカが心配の声を上げる。

「うん、大丈夫。心配してくれてありがとう」

 正直、とても疲れていた。

 相変わらず座学や魔力を必要とする実技では劣等生であるし、師から修行をつけてもらい、その後は臨時《班》で訓練を行い、それとは別に赫焉の扱いを練習している。

 倒れる程ではないが、壁の外にいた時よりもやるべきことは増えている。

「壁の外って超寒いんですよ。特に模擬太陽の灯りが落ちた後なんてもう酷くて。だからわたしと兄さんはいつも寄り添って寝ていたんです。兄さんの心臓の鼓動が子守唄でした」

「素敵ですね~」

「でしょう? さすがはネアさん。でもですね? 最近兄さんとわたしは別々に寝ているんですよ。酷くないですか?」

「あらあら~。でも壁内は風が無い分、消灯後もそこまで寒くはないんじゃないですか~?」

「心が凍えそうなんです! あなたなら分かるのでは?」

「分かります~。小さいころは姉ちゃん姉ちゃんと甘えてくれていたんですけど、最近はもう冷たくて~。お風呂とかも一緒に入ってくれなくなって、時の流れって残酷ですよね~」

「そう! そうなんですよ! 昔は抱き合って眠ってたのに、今や別室ですよ。愛の冷めた熟年夫婦じゃあないんですから、気持ちが変わらない以上一緒でもいいと思うんです!」

「ですね~」

 妹との会話に花を咲かせているのはネアだ。

 アサヒが誘い、姉は喜んで、弟は渋々乗った。

「スペくん。私達も昔みたいに一緒に寝ちゃおっか?」

「ふァ」

「欠伸!? 昔はお姉ちゃんの話をちゃんと聞いてくれたのに……これが、反抗期っ」

 悲しげに身体を震わせるネア。

「お互い男の側が素直じゃないと大変ですね」

「ですね~」

 目許をひくつかせたスペキュライトがヤクモをちらりと見た。

「……おまえは、どう対処してる? この面倒クセェの」

「ある程度は流すかな」

「あぁ。だがこう……あんだろ、限界みてぇのが」

 ぞんざいに扱われるのにも許容量があり、限界を超えると怒るのだ。

 それはネアもアサヒも同じらしい。

「そうなったら、観念して本音で話すしかないね」

「……どこも同じか」

「じゃあ、スペキュライトくんもなのか」

 彼は馴れ合わないといったが、ヤクモはこの瞬間彼と何かを共有出来たような気がした。

「ヤクモさま」

 モカの声に、ヤクモは欠伸を噛み殺し、視線を遣る。

「どうしたのかな」

 見れば、彼女は正座の姿勢で、膝の上をぽんと叩いた。

「あ、あのっ、午後の授業もありますし、少しでも疲れがとれればと思いまして。よろしければ、私の腿をお貸ししますっ! まくらの代わりにはなるかなと!」

 確かに疲れているし、普段ならしない欠伸も漏れ出てくる。

 とはいえ、色々と問題があった。

 周囲の目もあるし、ヤクモ自身の羞恥心もあるし、なにより。

「……ほう、わたしの目の前で兄さんを誘惑するとはいい度胸ですね、おっぱいだけに」

 妹がそれを許す筈が無かった。

 モカは慌てて弁明する。

「はわわっ……誤解ですアサヒさまっ。アサヒさまはネアさんとご歓談中でしたし……」

「わたし達が恋バナに花を咲かせている隙きに兄さんを誘惑するとは許すまじ!」

「あの~、私達がしてたのって恋バナなんでしょうか~? スペくんは弟なんですけど~」

「いいんですよ、ネアさん。わたしには隠さなくともよいのです」

 アサヒが分かっているとばかりにネアの背中を撫でた。

「えぇと~……」

 アサヒはネアとスペキュライトの姉弟愛を恋愛と勘違いしているフシがある。

「おまえの兄貴は明らかに疲れてる。休ませてやろうってのがそんなに気に食わねぇのか?」

「むっ……た、確かにわたしの落ち度ですね。モカさんの判断が正しいことは認めましょう。だがしかし! 膝枕はわたしがすればそれで済む話です! さぁ兄さん、存分に妹の太ももを堪能して下さい!」

「いや、大丈夫。余計に疲れそうだし」

「そ、そんな…………あっ、ぬふふ、そうですかそうですよね。最愛の美少女の膝枕なんて、ドキドキして気が休まらないですもんね!」

「ソウダネ」

 妹が納得してくれるなら、そういうことにしておこう。

「とはいえ腹黒おっぱいに膝枕を譲るわけにもいきませんし」

「腹黒って言わないでくださいよぉ」

 涙目になるモカを置いて、アサヒがポンッと手を叩く。

「ネアさんならばどうでしょう。それならわたしも安心です」

 話を振られたネアは、嫌がる様子もなく満面の笑みで頷く。

「あら~。もちろん構いませんよ~? どうぞ、ヤクモくん」

 細い太ももを彼女が撫でる。

 現在は車椅子から降り、敷物の上に腰を下ろしていた。

「ダメだ」

 止めたのは、スペキュライトだ。

「スペくん? どうしたの? 私なら大丈夫だよ」

「とにかくダメだ」

 スペキュライトの気持ちは、なんとなく分かる。

 ヤクモだって足だけとはいえ妹を貸すような行為には抵抗がある。

 ネアは弟の理屈無き否定に、にんまりと笑う。

「嬉しいな」

「あ?」

「スペくんがまだお姉ちゃんっ子みたいで、嬉しいなぁ。うん、分かったよ。お姉ちゃんの膝は、当分スペくん専用にしておくね」

「おい、姉貴。オレはんなこと頼んでねぇ」

「でもお姉ちゃん離れもきちんとしないとだよ?」

「聞けよ」

 ヤクモとアサヒとは違うが、彼らもまた仲の良い姉弟なのだ。それこそ血が繋がった姉弟として、良好な関係を築いている。やや親密過ぎるようにも映るが、仲の良いことに問題はないだろう。

「ならば間をとって、わたしの太腿を使用するのはどうかしら。ラピスさんの膝枕なら一秒で夢の世界に行けるよと言ってくれたヤクモ」

「言ってないですね」

 反射的に答えて、それから驚く。

 瑠璃色の麗人、ラピスが隣に座っていた。

「ラピスさん、いつの間に」

「えぇ、わたしこそが天丼ネタにも限度はあるだろうと思いつつやめ時を見失ってつい繰り返してしまうラピスラズリ=アウェインよ」

 ――自分でネタだと認識してるのか。

 苦笑するヤクモ。

「ところで聞きたいのだけど、会長やトルマリンと一緒に何をしているの? 仲間はずれだなんて、悲しいわ」

「…………」

 昼休みに休むということは、出来なさそうだ。




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