291◇約束
ヤクモとアサヒは、試合会場へと続く選手通路を進んでいた。
既に何度も通っている道。
決勝を迎えるまで、あと数度通る道。
「アルマースさんですか……なにやら天然物っぽいですが兄さんを狙っている敵候補には違いありません。ぶっ倒してやりましょう!」
アルマースは《エリュシオン》奪還作戦で共に戦った仲間だ。
『耀』の一位で、太陽奪還を本気で目指している。
アカザ姉妹やトオミネ兄妹にとって、同じ志を持つ貴重な人材でもある。
いずれ時がくれば協力を仰ぎたい頼りになる領域守護者だ。
だが今日この時に限っては、打倒すべき敵。
「その動機はどうかと思うけどね」
ヤクモは柔らかく微笑みながら、横目で妹の様子を確認する。
闘志に燃えているのは事実。
だが同時に、身体が微かに震えていた。
大会本戦。予選だって全霊で臨んだが、予選は準決勝まで進めば本戦に参加することが出来た。
だが本戦は負けた時点で終わり。
次への可能性など残されない。
ヤクモとアサヒはじきに《黎明騎士》として承認されるだろう。
優勝者に与えられる特権の一つである、学舎の即時卒校は不要となるかもしれない。
だが二人が負けられない理由はそこだけにあるわけじゃないのだ。
家族が都市で暮らせるように、優勝する必要がある。
訓練生にとっての真剣勝負は、裏で賭けの対象となっていた。
それを利用しようと言ったのは師のミヤビ。彼女は自分の持ち金を全て弟子の勝利にベットし続けている。
優勝出来れば、その時には家族全員を一生養えるだけの額になるだろう。
最初は、ここまでが理由だった。
今は、もう少し増えている。
太陽を取り戻したい。
そして、なによりも。
背中を預けるに値する仲間達と、各学舎の優秀な戦士達と、本気でぶつかり合って、勝ちたい。
「大丈夫だよ、アサヒ。僕の刀の冴えは、何物にも劣らない」
不安を払拭出来ればと声を掛ける。
アサヒは、えへっと唇を綻ばせた。
「ありがとうございます。でも兄さん勘違いしてますよ。これは楽しみに震えているのです!」
「楽しみ?」
「はい! だってそうでしょう? 私達はもうすぐ優勝します。そうすると大会は終わるわけです。大会が終わるとどうなりますか?」
「……魔王討伐作戦が始まる?」
アサヒは自分の胸の前で腕を交差させた。
「ぶぅー! 違います! 世界一のらぶらぶかっぷるが爆誕するのです!」
「??? …………っ!?」
ヤクモは一瞬首を傾げかけ、すぐに気付いた。
少年はアサヒを家族として大切に思い、武器として絶大な信を置く一方で、一人の異性として強く惹かれている。
アサヒの方はこちらへの愛を隠しもしないので、二人の想いは一致しているということになる。
そうなれば、あとは結ばれるのみ。大した障害があるわけでもないのに関係性が発展しないのは、ヤクモに問題があった。
ヤクモは自分を器用な人間だとは思わない。戦闘での対応力は十年間に及ぶ命懸けの戦いの中で磨かれたものに過ぎないのだ。
こと恋愛においては初心者も初心者。初恋の少女と十年一緒に暮らしていて何も出来なかったような男なのだ。
そんな状態で、アサヒとの関係性を増やせば確実に混乱する。
家族、愛刀だけで今のところは精一杯。
恋人という要素が加わればそれを疎かにしたくないと気を揉み、結果的に刃が鈍ってしまうだろう。
いずれ慣れるかもしれないが、『いずれ』なんて不確定なものを受容出来る状況じゃない。
「そ……う、だね」
「何故そこで詰まるんですか? どうして嬉しそうにしてくれないんですか?」
妹の笑顔が怖い。
「先の話をするなとは言わないけど、目の前の戦いに集中しよう」
「まさか忘れてたとは言いませんよね?」
ずいっと顔を寄せてくるアサヒ。圧がすごい。
「言わないよ。忘れられるものだと思うのかい?」
彼女の目を見つめると、すぐにボッと顔が赤くなる。
「ぬわぁああ。兄ざんががっごいい……」
手で顔を覆い、悶え始めるアサヒ。
妹は自分からぐいぐいくるくせに、反撃に弱い。
通路の先に光が見えてきた。
会場につく。
「隊長、アサヒさん。御加減はいかがですか?」
鏡を砕いて鏤めたかのように、彼女の白銀の髪は美しい輝きを放っている。
彼女のパートナーである不思議な色合いの髪をした童女・アルローラの姿もあった。
「万全だよ。君達の方はどうかな」
「こちらも万全です」
「それはよかった。悔いの残らない試合にしよう」
「はい、今日は本気で臨もうと思います」
「……今日は?」
「隊長ならば理解出来るかと思いますが、モチベーションが行動に与える影響は馬鹿には出来ません。予選までの私は、その突破を目的としていました。隊長は快く思われないでしょうが、本戦に進めるのであれば何位で通過しようとも構わないと思っていたのです」
ヤクモは彼女の予選での戦いを見てきたし、共に戦ったこともある。
彼女は決して手を抜いていたわけではない。
それでも、気持ちが乗らなければ十全に力を揮うことは出来ない。
「前にもお話しましたが、私は仲間を求めています。『耀』の中では見つけられませんでした。ですから本戦でぶつかった相手の本気を引き出し、見極めるつもりでいたのです。この組は共に戦う仲間に成り得るか、と」
予選突破は彼女にとって前提でしかなかった。傲慢にも聞こえるが、彼女達はそもそもが学内ランキング一位だ。天才の中の天才でさえ平気で入校試験に落ちるといわれる学舎の中で、一位。
「もちろんラブラドライト組に負けた事実は消せません。今になってそれを悔やんでいますが、過去には戻れないので詮無きことでしょう。私は今日この場で、お二人に示します」
彼女の目的を思い出す。
太陽を取り戻し、ひなたぼっこがしたい。
その純粋な思いは、尊敬にさえ値する。自分の夢の為に人生を掛けることが出来る、強い心の持ち主ということなのだから。
そして彼女はその目的を果たす為に、同じ志と優れた能力を持つ強者を仲間に求めた。
ヤクモとアサヒは彼女の《班》に勧誘されたが、これを保留としたのだ。
「私はお二人に仲間になってほしい。同じ《班》に入ってほしい。私と共に戦うことが太陽奪還の近道であると、この戦いを以って証明しましょう」
「気持ちは嬉しいよ。君達が太陽奪還に協力してくれるならとても心強い」
「光栄です。覚えていますか? 勝った方が相手を自分の《班》に引き込める、そんな話をしましたね」
「約束はしてないけどね」
「そうでした。ですが、どうでしょう。ここで約束してしまいませんか? 隊長は優勝するおつもりなのでしょう? 試合の勝敗に何が乗せられたところで、気になさることはないのでは?」
少し驚いた。
今、アルマースはヤクモを挑発したのだ。
だがすぐに納得する。
彼女は本気なのだ。本気で太陽を取り戻したくて、本気で仲間を欲している。なりふり構っていられない。その気持ちは痛いほど分かった。
彼女だって優勝するつもりでいる。
でも、一人で正隊員になっても太陽は見られない。
肩を並べて戦う仲間が必要だ。
「構わないよ」
「ありがとうございます」
「ただ、僕達が勝った場合の条件は君の引き抜きじゃあない。勝手に決められることでもないしね」
ヤクモは風紀委の《班》に所属している。それなりに人数の多い《班》であるし、ヤクモ個人がメンバー増員を勝手に決められるものではない。
「承知しました。代わりに何を賭ければよいでしょうか。やはり身体ですか?」
「……なんで『やはり』なのかは聞かないことにするよ」
アサヒの視線も痛いことだし。
「僕が君に望むのは――太陽を取り戻した後で、一緒にひなたぼっこさせてくれってこと」
観客には聞こえないように、声量を落とす。
人の夢を無闇に広める趣味はない。
するとそれまで表情の動かなかったアルマースが、目を見開いた。
「……隊長。それでは負けてもよいかもと思ってしまいます」
「へぇ、モチベーションが上がらないかな」
アルマースが微笑んだように見えたのは、錯覚か。
「いいえ。勝った上で、改めてこちらから誘うことにします。隊長も安心してください。太陽を取り戻すまでの間、私がご家族の生活を支援しましょう。こう見えてお金と権限を結構持っているのです」
だから、負けても心配いらない。これもまた挑発であり、同時に気遣いでもある。兄妹が負けたら、彼女は今言ったことを実行してくれるだろう。
彼女は、こう言っている。
自分が勝っても、お二人の大切な人達が壁の外に追い出されることはない。
だから、私達は何を気にすることもなく全力で勝利を掴みに行く。
「ありがたいけど、その必要はないよ。僕らが勝つから」
「それを、これより決めるのでしょう?」
審判から声が掛かる。
《皓き牙》学内ランク四十位《雪華の燈火》ヤクモ=トオミネ
対
《燈の燿》学内ランク一位《極光》アルマース=フォールス




