276◇提案
「その口ぶりからすっと、お前も『彼女』とやらを知ってんのか」
ミヤビの声が鋭さを帯びる。
セレナは気にした素振りも見せない。
「きみたちは神様に逢ったことある? ないよね。でも知ってるでしょう? いや、今の人間は知らない子の方が多いのかな。とにかく、魔人にとって『彼女』はそういう存在なんだよ。いると信じる者もいれば、信じない者もいる。そして、極限られた魔人は知っている。答えをね」
「実在する、って答えをかな」
「うん」
「セレナ、きみは『彼女』を知っているんだね?」セレナの目が濁りかけたあたりで、ヤクモはすぐに言葉を続ける。「いや、逢ったことがある。違うな、《耀却夜行》に勧誘されたんじゃないか?」
それが功を奏したのか、セレナの瞳に輝きが戻った。
「さっすがヤクモくん。よく分かったね」
「僕が知る限り、『彼女』は『普通』の枠から外れた者達を受け入れている。きみなら充分、可能性があると思っただけだよ」
「えー、それって褒め言葉?」
「……確かに、気に入った人間の男を持ち帰って飼うだなんて変態魔人、中々いませんもんね」
アサヒはヤクモの腕にくっつきながら、冷たい視線でセレナを向けている。
「美しいものしか側に置いておきたくないなんて、普通の欲求じゃない? 満たす力があるから、振るっただけだよ。何もおかしくない」
重要なのはその点ではない。というより、関係はしているが核心ではない。
セレナは十年級だ。魔人の中では百年も生きていない若い個体。だがそれを考慮しても魔人らしくないのだ。人間の上位種としての自覚と理不尽を理不尽と思わず押し付ける思考はともかく、彼女が決定的に他の魔人と異なるのは――強さへの執着が薄いこと。戦いへの興味がほとんど無いこと。
他の魔人は違った。人間相手に手を抜くことはあれど、彼らは皆戦いに飢えていた。
最も例外に近いのは、《エリュシオン》を支配していた魔人・カエシウスか。だが彼は自ら積極的に人体実験を行っていた。『普通』から外れた者に手を差し伸べる魔王の行いを考えるに、いたずらに命を弄ぶカエシウスは勧誘対象にならないのかもしれない。むしろ、被害者達こそが――。
脳裏を過ぎった予想を、ヤクモはしばし隅に置く。考える必要があるが、今は時ではない。
「セレナは誘いを断った、ということでいいんだよね」
「そーだね。傷の舐め合いなんて馬鹿らしい。そもそも、セレナは自分と他人との違いとかどーでもいいし」
それは、嘘だろう。他者との差異をまったく気にしないというのは難しい。魔人でもそれは同じ筈だ。他者に興味が無いのであれば別だが、セレナはそうではない。興味を向けることが出来るのだから。いびつな形だとしても、出来るのだから。
「話が遅ぇんだよヤクモ。要は協力すんのかしねぇのかの二択だろうが」
「ババアに喧嘩腰で言われると萎えるなぁ。そういうとこだよほんと。損得とか信念じゃなくてその場の気分で動く相手への対応がなってないよ。セレナはヤクモくんとの会話を楽しんでるの、それ次第なんだよ、なのになぁ、はぁ《黎明騎士》なのにそんなことも分からないなんて悲しいね」
「……」
ミヤビは表情を険しくしたが、結局何も言わずヤクモに任せることにしたようだ。
「言い方は悪いけど、師匠の言う通りだ」
「ヤクモくんも急かすんだ?」
「いや、急いだ方がいいと言ったのはきみだろう?」
「んー? あぁ、さっさと捕まえた子解放した方がいいよ、ってやつね。あはは、確かに時間は無駄に出来ないねー。でもそれは、きみたち側の都合でしょ」
セレナとの協力関係を維持するのは、周囲が考えているよりもずっと難しい。彼女は面白そうだからヤクモに協力している。言ってしまえば、彼女を退屈させない見返りに協力してくれるわけだ。
たとえばヤクモが彼女に何も提供出来ず、考えつくべきことに思い至ることも出来ず、ただただ助けを乞うたとする。その時、セレナはヤクモとの協力関係をやめるだろう。自分を倒し、協力を持ち掛けてきた奇妙な人間への興味を失うだろう。
「そうだね、これはぼくたちの都合だ」
「じゃあセレナが協力する理由って何?」
このままヤクモ達を見捨てれば、近い内にランタンを取り戻しに《耀却夜行》の者達が現れる、とセレナは考えている。彼らに限って囚われのセレナとテルルを無視する、ということはあるまい。情けにしろ何にしろ、此処から出すことはする筈だ。
都市内での自由行動を認める、というのは報酬にはならないのだ。
もちろん、協力しなければ殺す、といった脅しも出来る。大抵の人間は思いつくだろうし、口にしてしまうかもしれない。だがセレナには無駄だ。彼女にも生存本能はあるが、それは己が己であることよりも優先されることではない。
戦いの中、逃げれば生き延びられるかもしれないという状況下で戦い続けることを選ぶ魔人がいた。
彼は死にたかったのではない。戦いから逃げないという己がまま、生を全うしたかったのだと、ヤクモは思う。
人間の脅しに屈して生き延びるなど、セレナは断じて受け入れないだろう。
そんなもの、美しくない。
ただそれだけの理由でも、充分なのだ。
「そうだね、ランタンを取り戻しに『彼女』の仲間たちが現れたら、僕らは全力で戦う」
「そっか、がんばって」
「あぁ、けれど前回もとても勝ったとは言えない結果だった。今回は、死ぬかも」
「ヤクモくんにしては弱気だ……ね」
途中で何かに気づいた様子のセレナ。まさかという顔で見上げる彼女に、ヤクモは続ける。
「いいのかい? 遊び相手を、誰とも知らない輩に殺されても」
目を丸くしたセレナは次の瞬間。
「ふ」
吹き出す。
「っははは、なにそれ。いや、ふふっ、さすがって言うべきだね、これは。あははっ、魔人相手にそんな理屈で通そうだなんて、きみはやっぱり、変だ。だってこういうことだろ? 手を貸してくれじゃなくて、自分の為に戦うべきだって、きみはそう言ってる」
そう。ヤクモは助けを求めたわけではない。セレナがヤクモという退屈しのぎを失いたくないのであれば、手を貸すべきだと言っただけ。
「はー……笑った笑った。そーくるかー。確かに言われてみればそうだ。『彼女』に思い入れはないけど、ヤクモくんが死んじゃうのは惜しい。少なくとも『彼女』はセレナを笑わせてくれないわけだし。外に出れるのが同じなら、ヤクモくんに手を貸した方がセレナの得になる。なるほどねー」
うんうん、と頷いた後、セレナはにぱっと笑う。
「いいよ、手伝ってあげる」
他の者があっけにとられる中、ヤクモだけ安堵していた。
「ありがとう」
「いいんだ。きみが『彼女』と逢うシナリオも、面白そうだから」
「分かってんのか? こっちは魔王を殺すつもりだぞ」
「分かってるよババア。出来ないんじゃないかって、そう思うけどね」
セレナのヤクモを見る視線に、どこか含みを感じる。
「さ、ランタンちゃん? とやらのところに連れてってよ」




