25◇成果
放課後。
寮の前まで戻ると、深緑が目についた。
樹木の葉ではない。人の髪と瞳。
少女だ。長い髪を低い位置で二つに結っている。
ついんてーる、というらしいとヤクモはモカに教わった。
腕を組み、つま先で地面を何度も叩きながら立っている。
そわそわしている。
ネフレンだった。
ヤクモ達に気づくと、気まずそうな顔をした。
「げ、ド貧乳自殺特攻女じゃないですか」
「……言葉が汚いよ、アサヒ」
「ネフレン……さま」
モカはつい昨日彼女に捨てられたのだ。気まずいどころではないだろう。
ネフレンもモカを見て、一瞬眉を歪めたが、そのことには触れなかった。
「き、来たわね! ヤクモ=トオミネ! あとついでに胸も刃も薄い、えぇとアンタなんだっけ、ウスイ=トオミネだったからしら」
「斬ります」
殺意を漲らせるアサヒをなんとか宥める。
「謹慎だってね、聞いたよ」
ネフレンに襲いかかろうとする妹を半ば羽交い締めのように止めながら、ヤクモは言う。
彼女は訓練生服も着ていなければ、《偽紅鏡》も連れていなかった。
謹慎中はどちらも纏うことが禁じられるのだという。
「そうね。甘んじて受け入れるわよ。アタシが……やり方を間違えた」
「今まさに、言葉も間違えましたけどね。万死に値します」
「言われっぱなしでいろって? 冗談」
「……先に悪態をついたのはアサヒの方だね。今回はネフレンが正しい」
「んなっ、兄さんはそこの高慢ちきな差別主義者の味方をするんですかっ」
「個人的な好き嫌いと、善悪は関係ないよ。言葉と行いを見て決めなきゃ。今のはアサヒがよくなかった。僕は、大事だからって理由で過ちを容認したくないな」
「んぬぅ……!」
妹は唇を尖らせたが、やがて納得してくれたようだった。
「に、兄さんの言うとおりです。あなたに対する個人的な嫌悪が強すぎるあまり、失礼なことを言ってしまいましたね。ごめんなさい。危うく昨日のあなたと同じような存在に堕するところでした」
「アタシ、謝られてるのよね? 何故だか責められてるように聞こえるわ」
「わたしは素直に謝罪したので、次はあなたの番ですよ」
「……そうね。アンタを傷つけると知りながら事実を口にしてごめんなさい。それと、名前は本気で忘れてたわ」
「兄さん! この女謝る気が微塵もありませんよ!」
――どっちもどっちだなぁ。
「謝ったじゃない。そんなに怒らないでよウスヒ=トオミネ」
「わたしはアサヒだ!」
ヤクモが口論に口を挟まないのは、昨日とは違い嘲笑の気配が無いから。
「それで、ヤクモ=トオミネ」
「あの、それ言いにくくないかな。ヤクモでいいよ。アサヒの名前も、覚えてあげて」
ネフレンが黙る。
視線が逸れ、指で耳たぶを摘んだり、頬に這わせたり。
やがてこくりと頷いた。
「そ、そうね! フルネームだなんて言いにくいし、そもそもアンタの方が先にアタシを呼び捨てにしたんだもの。アタシだってそうする権利があるわよね!」
アサヒは彼女のそんな反応を見て、「嘘でしょう……」と表情を歪める。
「あなた、命を救われたくらいで夜鴉に惚れたとかいいませんよね?」
ぼふっ、とネフレンの顔が真っ赤に染まった。
「はぁ!? まったくもってはぁ!? だわ! 言いがかりはよして頂戴! アタシはただほら昨日のあれよ! 誇り高き領域守護者として筋は通すというあれで礼をしにきただけなんだから!」
ヤクモの背中に隠れるようにして事の推移を見守っていたモカが、「こんなネフレンさま、初めて見ました」と漏らしたのが聞こえた。
「そうですか、良い心がけですね。有り金全部置いて消えてくれるだけでいいですよ」
「アタシはそんな無責任なことはしないわ! だってそもそも、アンタ達どうやって金を使うつもりなの?」
「どうって、それはこう、お店でほしいものを選んで、代金として支払うんだよね?」
ヤクモが言うと、ネフレンはフッと馬鹿にするように笑った。
「大正解よ、や……や、ヤ……クモ。でもね、それは普通の人間の場合」
「師匠に街を案内してもらった時は、何も変なことは無かったと思うんだけど」
ミヤビのことを思い出したのか、ネフレンは嫌そうな顔をした。
――頭突きとか、されてたもんなぁ。最後は落とされたし。
「それは《黎き士》だからよ。さすがに《黎明騎士》に生意気言うアホはいないでしょう。でもアンタらは訓練生」
「訓練生でもそこらの人間なんかに負けはしませんが」
「問題は実際の戦闘力じゃないわ。どう見えるかよ」
「あぁ、まさに昨日のあなたのような愚か者がいるかもしれないというわけですね」
「…………そういうことよ」
ネフレンは否定しなかった。無かったことには出来ないのだと、受け止めているのだ。
「もちろんアンタなら食事は食堂で、必要なものだって申請すれば大抵は通る。けど、折角都市内にいて街に出られないだなんてあまりに哀れだわ」
「あなた、上から目線以外で喋れないんですか?」
ネフレンは妹を無視した。
「そこでよ! ヤ、クモっ。アタシが案内してあげるわ!」
「でもあなた、名家の出身じゃあないでしょう。振りかざす威光なんて無いのでは?」
「ふんっ。だからこそ、よ。アタシの育った区域なら、誰もアンタらを蔑視しないわ」
「いや逆では?」
「あーもううっさいわね! えぇそうよアタシは差別主義者! 無駄飯食いなら減らすに限るって思うわ! 社会に貢献出来ない人間が、どうして貢献している人達の成果を貪るの。そんなのってないわ。それじゃあ、努力することに意味はなくなってしまう!」
「――――」
ヤクモもアサヒも、これまで彼女を捉えきれていなかったのだと悟った。
もちろん、性格が悪いと言えばそうなのだろう。おまけに言い方も悪ければ、お世辞にも善良とはいえない。やり方だって大いに間違えていた。
それでも分かる。彼女の実力は血の滲むような努力の賜物。
だからこそ、役立たずに冷たく接するのだ。
役に立っている人達が生んだ成果の恩恵をただ受けるなど許せないと。
「アタシは魔力税さえ納められないヤマト民族が滅ぶのは仕方ないと思うわ。それを冷酷だと言うならどうぞ。でも、そいつらの負債を全てアンタが支払って、そうまでして生かしたいっていうなら止めない。だってそうでしょう? 身内の問題が身内で片付くなら、文句なんてつける余地が無いもの。で、アタシが認めると言えば、少なくともアタシを知ってる連中は、アンタ達を客として扱う」
というようなことが言いたかったらしい。
「といわけで、行くわよ」
ネフレンは歩き出す。
「……あなたの奢りなんでしょうね?」
「今日はね。あんま期待すんじゃないわよ、そこまで懐温かくないんだから」
「あいすくりーむを食べたいです。六段積みで」
「……二段までならいいわ」
妹は行く気のようだ。
だが、ヤクモはまだ少し迷っていた。




