209◇才能
移動が再開してからすぐ、ラブラドライトがヤクモに視線を向けた。
既にアイリの武器化は解いてある。
「なぁ、ヤクモ」
「なにかな、ラブラドライトくん」
「長い。壁外にいる時は違う呼び方にしてくれないか、《隊》を率いていたならわかるだろう」
――……。
「そうだね……じゃあ、ラブとか?」
「……出来れば他人行儀に登録名で呼んでくれ。四十位でも構わないよ」
「そっか、分かったよラブ」
ラブラドライトは苦虫を噛み潰したような顔になる。
「……君のような人間は、苦手だ」
ラブラドライトからすれば、ヤクモが自分に敵対的でないのが不思議なのだろう。
確かにヤクモは彼のアサヒやツキヒへの態度を快く思っていないが、深い事情があることくらいは分かる。
そうでなくとも、此処は壁の外だ。内側での諍いを引きずった所為で他の者に被害が出るなんてことは避けたい。
「でも、段々と分かってきたよ」
「僕も読まれているのかな、さっきの魔人みたいに」
「それもある。ただでさえ君達の情報は少ないしね。とはいえ、今話しかけた理由は別だ」
「聞かせてくれるかな」
「君は、《隊》を率いていただろう」
「さっきも言っていたね。知っているのは『光』所属だからかい?」
あの作戦については現段階ではまだ公にされていない。
「そんなところだ。あの作戦には五色大家の者が大勢参加していただろう?」
「だとしたら」
「僕より手早く魔人を殺せた者はいたかな?」
「いなかったと言ったら、君は喜ぶのかな」
「自分たちの有能さに喜ぶのではないよ。僕らに劣る五色大家の連中の無能に胸がすくのさ。偉そうにふんぞり返る彼らが、僕程度に出来ることも出来ないのだとだとしたら、五色大家を特別扱いすることの意味はなんだ?」
そう言いながらも、彼に五色大家を見下す様子は見られない。
認めた上で、認めるわけにはいかないという感情に支配されている。
「うわ、暗っ」
「……君には話しかけていないだろうツキヒ=オブシディアン……いや、イシガミだったかな」
人間状態に戻ったツキヒが引いた様子でラブラドライトを見ている。
「ツキヒならきみより早く殺せたよ。小細工を弄するまでもない」
「才能にあぐらをかいた大雑把な魔法がそんなに誇らしいか? 僕は、そんな君達の性根こそを憎むよ。人の価値が、才能なんてもので決まって堪るものか」
ツキヒは断じて才能に依存した強者ではない。彼女の強さを支えるのは想像を絶する量の努力だ。
だがツキヒはそれを殊更に語ることをしないし、そもそもが普段の態度だ。
大分軟化したとはいえ、決勝以前の振る舞いはあまりに目立っていた。その上、努力の結果ではなく才能単体で相手を圧倒するような戦いを積み上げていたのも事実。
決勝戦だけでは、それまでのイメージを覆すには足りないのかもしれない。
直接戦ったヤクモや、彼女を知るアサヒとは違うのだ。
「はぁ? そんなこと言ってないし。いや……前は言ってたかもしれないけど」
「あぁ、君は言いたい放題だった。必死に努力する者達を平気で踏みつけにして、嘲笑う。天才に生まれなかったことが罪みたいに。そうして才能があることを前提したルールを作るんだ」
「ルールの方はツキヒが作ったんじゃないし」
「五色大家そのものについての話だよ。分からない君じゃないだろう」
「なに、誰か壁外行きにでもなった? でもそれ、五色大家だって従ってるルールだよ」
ツキヒの表情が歪む。
軽々しく口にしているわけではない。ただ、五色大家だからといって定められたルールを無視出来るわけではないと知っているから。従った結果、姉が捨てられたのだと知っているから。
ツキヒは既に人間状態に戻っていた姉に視線を向けかけたが、途中でラブラドライトに戻していた。
どんな顔をしているか、確認するのが怖かったのだろう。
そして、再びラブラドライトの顔を見た時。
その表情に、兄妹もツキヒも息を呑んだ。
――あぁ、彼は……同じなんだ。
「あぁ、実の娘さえ壁外に棄てる。それが出来てしまう。懸命に生きる者を『役に立たない』という理由でゴミのように棄てる。魔力炉性能が低い者、魔法を持たぬ《偽紅鏡》には、生きる権利が無いとばかりに……! そんなこと、ある筈がないのに……ッ!」
あまりに悲痛な叫び。
きっと、言うつもりは無かったのだろう。ツキヒとの会話によって、抑えきれなくなった感情が言葉となってしまった。
どうしようもなく実感の込められた言葉が示すのは、少年の喪失。
ヤクモとアサヒは、これまで多くの家族を失ってきた。十年戦って守ることが出来た家族よりも、死んでいった家族の方が多い。死なせてしまった、愛する者の方が多い。
アサヒがいたから守ることが出来た命がある。
ツキヒの扶けもあったのだと、のちに知った。
師が示してくれた道で、未来を拓こうとしている。
それでも、失われた命はもう戻らない。とても当たり前で、だからといって些かも薄れやしない悲しみと痛みは、死ぬまで残る。忘れることなど出来やしない。痛む傷を抱えて生きる他無い。
ヤクモは家族の為に、前を向くことにした。生きている者を、幸福にしたいと思った。
けれど、それが無かったら?
アサヒとたった二人ぼっちになってしまっていたら、どうなっただろう。
果たして今の自分は在っただろうか。
在ったとして、今ほどの熱量で進み続けることが出来ただろうか。
深い絶望を前に、屈折しないでいられただろうか。
「……っ」
ラブラドライトが我を忘れたことを恥じるように、唇を噛んで視線を逸らす。
「醜態だな……忘れてくれ」
「君は――」
「やめてくれ、ヤクモ。完全にとは言えないが君の境遇は聞いているよ。思うところがないと言えば嘘になるが、だからといって仲良く傷の舐め合いをしたいわけじゃあないんだ」
分かっている。
分かっているから、『分かる』などとは言わなかったのだ。
自分の持つ痛みを、似た経験をしているというだけの理由で分かった気になられることが、どれだけ神経を逆撫でするか、ヤクモも分かるから。
だが同時に、ただ放っておくだけではだめだということも分かる。適切に処置しなければ、傷は膿んでしまう。やがて全身を蝕み、時に死に至ることも。心の傷の場合、破滅を迎えるのは精神。
「自分達にしか物語が無いとは思わない。だが誰しも、自分こそは報われるべきと考えている。僕も同じだ。誰にどのような事情があろうと構うものか。頂きに立つことで、五色大家が信奉する才能とやらを否定してやる」
彼が憎んでいるのは、才能無き者を許容しない世界だ。
幼かろうが、老いていようが、優しかろうが、努力家だろうが、関係ない。
都市に貢献出来るか。魔力が出せるか。出せないなら、代わりに出す者がいるか。代わりとなるほどの何かを提供出来るか。その能力があるか。
無い者は、要らない。
そんな仕組みに対する怒り。
それはある意味で、ヤクモや、アサヒや、ヤマト民族の為でもある怒りだった。
彼は全ての才無き者が、それでも生きていていいのだと証明する為に戦っている。
決して壁の外に放り出され、魔獣の餌になるべきではないと。
才能のみで人を判断する世は間違っていると。
その為に、敢えて才能の塊である《導燈者》達に、当人らの《偽紅鏡》を『複写』して戦っているのだ。
今の世が価値あるものと判断するあらゆる数値で劣っていてなお、やり方次第で勝利を掴めると証明し続けている。
最も大切なのは、才ではなく人そのものなのだと叫ぶように。
「そうだね」
ヤクモは頷いた。
彼の想いの片鱗には触れられたように思う。
だからこそ、ヤクモの戦意は燃えていた。
「僕達も同じだ」
仲間とか、友人とか、妹の家族とか。
色んな相手と対戦し、ヤクモはその誰もが嫌いではなかった。むしろ、好ましく思う者ばかりだ。
全ての組に事情があり、懸ける想いがある。
それでも。
頂きに立つという意志が揺らぐことだけはなかった。
――『誰にどのような事情があろうと構うものか』
なるほど、ラブラドライトの言う通りだ。
「勝つのは、僕達だよ。それだけだ」
彼の想いがどれだけ好ましくとも、勝ちを譲ることは有り得ない。
互いに意思表示は済んだ。
「いや、ツキヒとヴェルだから」
一歩も引くものかと、ツキヒも進み出る。その横に、グラヴェルも並んだ。
「青春してるところ悪いが、前方に魔獣の群れだ。蹴散らすのを手伝え」
見れば、アークトゥルスがニヤニヤと三組を眺めていた。
聞き耳を立てていたのだろう。
「……趣味がいいとは言えないね、《騎士王》」
「余の視界で青臭い言い合いを初めたのは貴様らの方だろうが。ほれ、いいから行くのだ」
《騎士団》の面々も戦闘準備に入っている。
ラブラドライトとの関係はとても良好とはいえないが、それは《隊》でも言えたことだ。
それでも役目は果たす。その為なら、個人間の好悪を無視して戦うことも出来る。
「あ、また三秒あげよっか四十位」
「黙れ」
調子を取り戻したツキヒの軽口を一蹴するラブラドライト。
《騎士団》に続き、三組とも遠くより迫る魔獣の群れとの接敵に備える。




