20◇日輪
疲労困憊のネフレンと共に魔獣と戦いながら、なんとか壁側へと戻ろうとしていた時だ。
ヤクモは唐突に立ち止まった。少なくともネフレンにはそう思われた。
「ちょっと、どうしたのよ……!?」
「下がらないと」
「はぁ? 進む以外に無いでしょ!」
「いや、ダメなんだ」
空が輝いた。
まるで太陽が昇ったような輝きは、たった一組の領域守護者によるもの。
《黎明騎士》とそれ以外の領域守護者を隔てるものはいくつもあるが、その一つが《偽紅鏡》だ。
そうなった《偽紅鏡》は、それまでとはまったくの別物と化す。
理屈も条件も不明。
それ故に特別。
師匠の《偽紅鏡》であるチヨも、当然それに含まれる。
「……なによ、あれ」
炎だ。夜を照らす程の紅炎が、遥か遠くから噴き上がっている。
「師匠が僕らに気づいたんだ!」
「し、ししょ? ……って、まさか。アンタ本当に《黎き士》の弟子なの!?」
「うん。そんなことより、下がらないと!」
「なんで!? 助けに来てくれるってことでしょ!」
「違う。いやそうだけど。師匠のことだから僕のやったことに気づいて、怒ってるんだ!」
「アンタ《黎明騎士》に何したのよ!」
『兄さんがあの雌狐をあてにしていたとは……わたしだけでは足りないというのですか!』
――今そういう話をしてる場合じゃないんだけど……!
とはいえ妹のことだ、心配はしていない。
ヤクモはネフレンを引きずるようにして後退する。壁の反対側に向かって。
魔獣が迫ってくることもあり、すぐにネフレンは自分の力で走り始めた。
「ヤマトじゃっ、絶体絶命のピンチを一緒に逃げ回ることをっ、助けるって言うわけっ?」
息を切らしながら悪態をつくネフレン。
「現に今死んでないだろう?」
「くっ……それは、そうだけど! 限りなく時間の問題っぽいし!」
彼女は鎧に大盾に大剣と重装備だ。魔力強化も使えず、体力も限界となれば歩くだけで苦しいだろう。そんな中を全力疾走しながら文句を言う余裕まであるとは、鋼の精神力だ。
「よし、ここでいい」
止まり、再び壁側を向く。
「っ? ねぇ、ちょっとは説明してくれない!? アタシが言うのも、アレかもしれないんだけど」
「僕の言うタイミングで、正面に魔力防壁を展開して」
「それ説明!? 指示じゃない!?」
「頼むよネフレン」
「名前……っ。あぁもう! いいわよ分かった! 魔獣の群れが涎垂らしてアタシ達に向かってきてるけどのんきに立ち止まって、アンタの指示を待つわよ! これでいい!?」
ヤケになったように彼女は言い切る。
「ありがとう」
「ふんっ」
「それと、さっきのだけど」
「まだ何かあるわけ?」
「助けるってやつ。一応、これから先起こることも予想してのものだから」
「……どういう」
『魔法、来ます』
「集中」
「集中って……こんなヘロヘロの状態で目の前には魔獣の群れがいるってのに」
「ネフレン」
「わ、分かってるわよ!」
ものの一呼吸で、彼女は集中状態に入った。
紅い、炎の奔流。
視界を埋め尽くすほどの豪炎が周囲一帯を埋め尽くし、全てを呑み込んでいく。
暗闇も、大地も、進路上の――魔獣も。
熱が空間を舐る。
まだ遠いのに、肌が焼けるように熱せられている気がした。
《黎明騎士》第三格・《黎き士》ミヤビ=アカザ、チヨ=アカザペア。
《偽紅鏡》の銘は――《千夜斬獲・日輪》。
千の夜さえ狩り尽くして、日の目を見る者。
最も日の出に近い七人の一角。
『今です』「今だ」
アサヒとヤクモの言葉は同時。
ネフレンも即応。
残った魔力を振り絞って魔力防壁を展開。
豪炎と接触。
一瞬で魔力防壁が溶けて消える。
『一文字』
妹の言うように、刃を走らせる。
そう、どのような規模だろうと――魔法なら綻びがある。
横一文字に奔らせた刃は炎の中を通過し。
炎は二組の訓練生を呑み込む直前で――弾けて消えた。
「うそ…………生きてる」
体から力が抜けたのか、ネフレンが膝から崩れ落ちる。
『…………あのクソ雌狐。これわざとですよ。修行つけてるつもりなんですよ!』
「言葉が汚いよ……」
言いつつ、ヤクモもどっと疲れた。
終わってみればアサヒの言うとおり、師匠が助けてくれたのであり、炎も訓練の延長であるのだろう。
でもなければ、たまたまヤクモとアサヒの刃が届く範囲に綻びがあるわけがない。
他の領域守護者ならばともかく、周辺一帯を呑み込む《黎明騎士》の大魔法だ。
命懸けで立ち向かえば活路はある、なんてギリギリにも程がある助け方だ。
「おぅ」
タンッ、と。
空から降ってきたミヤビが軽やかに目の前へ降り立つ。
もはや驚くまい。師匠なら出来るのだろう。
「師匠、ありがとうございま――」
バシンッと頭を叩かれた。
「おまえら、随分とふざけた真似をしてくれたじゃあねぇか」
『なっ、兄さんを叩いた!? わたしの兄さんを!? なんなんですこの女! ちょっと美人でちょっと世界最強でちょっと命を救ったくらいで偉そうに!』
ちょっとでくくれる範囲を超えている。
「なぁ、おい。ヤクモくんよ」
ぺこ、ぺこと頭を叩かれ続ける。
『えぇいやめろと言うに! こんのっおっぱい魔王! ……確かに今回の兄さんの行動はわたしとしても苦言を呈したいところではありますが、おっぱいに兄さんを叩かれる理由はありません!』
その言い方だとまるで師の胸部がヤクモを攻撃したように聞こえてしまうが、当然違う。
ミヤビは手を止めると、真剣な表情をつくった。
ヤクモも息を呑んで待つ。
「あたし達ゃあヤマトの武人だ。死んでも守らにゃならん道理ってもんがあらぁな。そりゃあいい。おめぇは正しい。よくやった。だがなぁクソ共よ」
「言葉が汚いですよ……」
控えめに注意するが、師匠にそんなものは通用しない。師匠だから。
「特におめぇだヤクモ。アタシを動かしやがったな?」
「う」
そう。ヤマト民族の訓練生なんてヤクモ達だけ。光信号で報告が入れば、ミヤビは必ずや助けに来る。疑う余地は無い。彼女はヤマトの戦士だ。弟子を見捨てるものか。
「《黎明騎士》たるアタシを、師であるアタシをだ、動かざるを得ない状況に放り込んだ」
「いえ、それは」
「アタシはな、アタシを都合よく使おうとする輩が嫌いなんだよ。そんなやつはクソ喰らえってな」
「僕はただ、師匠を信じて」
「よく、覚えておけ」
「肝に銘じます!」
「そうしろ」
それから、ミヤビは思い出したように笑った。
とても、楽しそうに。
「だがそれはそれとして、今回のは中々だった。道理が為に命を捨てるのではなく、道理を通す為にあらゆるものを利用する。それこそがヤマトのやり方だ。誰も正しいことをしねぇなら、誰もが正しいことをせざるを得ない状況を作る。単純明快にして痛快無比! これぞヤマトの作法ってもんだよな。お前らを選んでよかったよ!」
今度は乱暴に頭を撫でられる。
つまり、弟子の行動で自分が動かされた状況が気に食わないだけで、やり方そのものは否定していないということか。
『なっ、なっ、なっ……兄さんの頭を撫でていいのは家族だけなのだがっ!?』
荒ぶる妹の声を聞きながら、実に師匠らしいなとヤクモは笑った。




