175◇有角
時は遡り、ミヤビと少年の邂逅後。
街の中心部に天高く伸びる尖塔。その地下牢へ出入りできる少年と接触を図ったミヤビは、少年が地下牢に囚われた誰かに懸想しているものと踏んだ。
そしてその予想は当たっており、助けたいかという言葉に少年は肯定を返した。
少年は食料を尖塔内部に運び、その一部を地下牢に持っていくのだという。
運搬に使用する孤輪車の中にミヤビは忍び込んだ。
よもや人類最強にして世界に七組しか存在しないとされる《黎明騎士》の片割れが、ボロい一輪車の中に隠れているとは誰も思うまい。
次の食事の時間まで待つ必要はあったが、あっさりと侵入を果たすことが出来た。
「……バレたら殺される」
塔の中は驚くほどに殺風景で、中心に昇降機、壁に沿って螺旋階段が設置されていた。
誰もいないことを確認し、ミヤビは素早く孤輪車から降りる。
顔面を蒼白にして震える少年に、ミヤビの胸が疼痛を訴えかける。罪悪感、というやつだ。
だがミヤビは心は持てど、心に足を掬われはしない。
「守ってやる、と言ってやりてぇがそうもいかねぇ。つーわけで、あたしがおっ始める前に逃げろ」
協力することを選んだのは彼自身。
であればミヤビに出来るのは協力者としての忠告のみ。
「ほ、ほんとにセリを助けてくれるのか?」
セリ、というのが囚われた《偽紅鏡》の愛称らしい。
「武士に二言はねぇよ」
「ブシ……? ニゴン……?」
「ヤマトの戦士は口にした言葉を嘘にゃあしねぇってことだ」
少年の頭を乱暴に撫で回し、地下牢に続く道へ急ぐ。
「いいか、あたしやセリのことは考えるな。自分が死なねぇように動け。わかったか?」
「……分かった」
少年はこちらを完全に信じたわけではなさそうだが、魔人に食料運搬を任される関係で彼らの会話が漏れ聞こえてきていたのだという。
それによって侵入者がおり、いまだ捕まっておらず、魔人を何体も殺したことなどを知った。
そこへ現れた見慣れぬ和装の女。
少なくとも魔人を殺せるということは分かっているのだろう。
そして、それだけの人間に縋ってしまう程に、少年は地下の《偽紅鏡》を救いたいと思っている。
可能なら少年の安全を確保してやりたいが、そのような余裕は無い。
それに、ミヤビと共に行動する方が余程危険だ。
そもそも、周囲の住民を巻き込まぬように戦ったことが前回の敗因。二の轍を踏むわけにはいかない。
「平然としてろ。さっきみてぇに顔を青くしてビクビクしてっと怪しまれるからな」
「うん……」
口で言われただけで対応出来れば苦労はしないだろうが、一応言っておいた。
心配でないと言えば嘘になるが、のんびりもしていられない。
ミヤビはそれ以降振り返ることなく進んだ。
少年の説明を思い出しながら地下へ向かう。
少年が世話を任されている《偽紅鏡》はたった一人だという。
それ以外はどうなっているか分からないと。
――一人だけってのは妙な話だ。
気がかりなこともある。
少年は《偽紅鏡》の容姿について語る時、何故か言い淀んだ。
階段を下り、扉を開けた先に薄暗い廊下が続く。
その廊下を挟み込むようにして牢屋がずらりと並んでいた。
「レヴィ……なの?」
幼い声。
レヴィというのは、少年の名だ。
「いんや。だがレヴィに頼まれてきた者だ」
「だ、だれっ? レヴィはどうしたの……?」
怯えるような声に、近づいていく。
牢の前に立って、少年が言い淀んだ理由を理解する。
「え……にん、げん?」
「……おいおい、角の生えた《偽紅鏡》だと?」
鮮血のように赤く長い髪と、同色の瞳。痩せこけていて木の枝を連想させる程の四肢、不信感に震える身体。
そして右側頭部からのみ伸びる、螺旋を描くような角。
――あぁ、クソ。
ミヤビはこの童女だけが隔離された理由を悟った。
他に《偽紅鏡》の生存者がいるにしろいないにしろ、この童女だけがある種の成功例なのだ。
――魔人の考えそうなこったッ!
怒りのあまり、無意識に拳が握られる。
魔人の中には人間の創造物を好む者も少なくない。
セレナであれば服や容姿の優れた男、クリードであれば強者や戦闘術、廃棄領域やかつての建造物や美術品などに価値を見出す者まで。
だから、ありえなくはないのだ。
人間が魔人に対抗する為に作り出した武器を、魔族用のものとして造れないかと考えることは。
そのアプローチは様々だろうが、容易に取り組めるのは繁殖だろう。
《偽紅鏡》の女を孕ませるか、《偽紅鏡》の男から種を絞るか。
セリは、おそらく魔人と人間の混血だ。
捕らえられているのは彼らにとって好ましい性能を発揮しなかったからか、それとも想定以上の性能を持ってしまったか。
殺す程に無価値ではないが用いる程の価値を見いだせもしないといったところか。
魔人がそう判断した《偽紅鏡》だ。
《黎明騎士》とはいえ、まともに扱えるか分かったものではない。
だが、そんなことはどうでもよかった。
大事なのは角の有無などではなく、意志のみ。
ミヤビは屈み込んで、顔全体で笑う。
「あたしはミヤビだ。よろしくな」
「みやび……」
「お前さんはセリってんだろ? いい名前だ。清廉で高潔って感じだな」
「レヴィは……」
「後で逢えるようにしてやりてぇとは思ってるが、その前にこっから抜け出さねぇとな」
少女はビクリと身体を震わせ、首を横に振った。
「そんなことしたら……」
「お仕置きされる、か? それが無かったら外に出たいか?」
「それは……でも」
長く囚われていたのならば、想像を絶する苦しみがあったことだろう。
そのことを思えば慎重に優しく接するべきなのだろうが、生憎と時間もなければミヤビにそんな繊細さは無い。
「残りたきゃ残っても構わん。当然の権利だな。だが……あたしを此処に入れたのはレヴィだ」
「――!?」
童女が目を見開き、格子前まで駆けてくる。
「お仕置きで済むかね?」
「そんなっ、ひどいわっ……!」
「誤解すんなよ、あたしとレヴィは対等さ。あいつが救いたいと言った、あたしは武器が必要だった。同じくらいに、お前さんとあたしも対等なんだよ。あたしは武器が必要だと言った。お前さんは仕置が怖いと言う。だからあたしは諦める。簡単だろう?」
「そんなのっ……」
ミヤビはあの少年を尊敬していた。
半分とはいえ、この童女は魔人だ。
それでもあの少年は、救いたいと心から言った。
角の生えた童女を、それでも人間として見た。あるいは種族など関係なく少女自身を見た。
美しい心の持ち主だ。
「あたしには武器が必要だ。この願いを満たしてくれるってんなら、お前さんの願いも叶えよう。あるなら、だがな」
童女の瞳が揺れる。
武器化には武器側の承認がまず必要。
助け出すには、《偽紅鏡》の側にも戦う意志が不可欠なのだった。
そうでもなければ、さすがのミヤビも格子を素手で破壊など出来ない。
「……レヴィを助けてくれる?」
「力を尽くすと誓う」
童女がごくりと喉を鳴らしこちらに腕を伸ばす。
「困りますね、人の持ち物に手を出されては」
階下にいたのは、ミヤビとチヨが一度敗北した魔人だった。
童女の手を握る。
「イグナイト――」




