171◇移動
魔力炉を再生するのにギリギリ足りる程度の魔力が貯められた魔石を手渡すと、セレナはすぐに実行に移した。
「随分ケチだね《カナン》は。まぁ、炉さえ戻れば問題ないけど」
「ケチ、だと? 貯蔵魔力の大半を無に帰した罪人に魔石を与えるだけでも感謝するべきだろう。貴様の蛮行によって都市がどれだけの被害を被ったか理解していないのか?」
セレナは模擬太陽稼働の為の魔石を盗み出した。
それは戦闘の最中に破壊されてしまったので、中の魔力は霧散。
《カナン》は一転、魔力不足に悩まされることになった。
だというのに、その張本人はそれを気にした様子もない。
エメラルドの言葉に、セレナは面倒臭そうに応じる。
「どれだけの被害を被ったの?」
「――魔人がッ」
視線だけで人を殺しかねない程の眼光はだが、セレナには通じない。
へらへらと受け流されるだけ。
「なにさ、男の子。あ、もしかしてあれ? きみのおにーさんとちょっと遊んだことを根に持ってるの? よくないよそういうの。器が知れるってゆうか」
エメラルドはヘリオドールの実弟だという。
そしてヘリオドールはかつて一度、セレナに負けている。
セレナの気安い物言いは、あまりにも無遠慮にエメラルドの逆鱗に触れた。
「……二度目の戦いで兄上の天槌によって地に叩きつけられたことを忘れたか?」
「それを言うなら、きみのおにーさんじゃあセレナを殺せなかったったことまで話してよ」
「ふん、無様に鎖に繋がれていたことまで含めて語って聞かせろ言うなれば、移動中にしてやる」
「ヤクモくんはやっぱり特別なんだなぁ。彼みたいにとは言わないけど、せめて最低限の敬意は払ってもらえないかな? あんまりぞんざいに扱われると、セレナ嫌になっちゃうかもよ?」
「その時は討伐してやる」
「だからさ――いや、いいや。わんわんって、吠えてて可愛いね」
セレナは肩を竦めた。
エメラルドはおそらく、わざとセレナに高圧的に接している。
魔人は人間を下に見ている生き物だ。実際、セレナもそこは同じ。
そんなセレナが素直に捕まり、それどころか協力を申し出た。
その意志が本物か試す為に、本物であったとして簡単に変わるものでないと確かめる為に挑発した。
魔人の精神からすれば許容し難い不愉快な態度にあてられても協力姿勢を崩さなければ、ひとまずは合格といったところか。
本気で人間に味方しているということはないにしても、情動に支配されないだけの『協力する理由』があることだけは確かと分かる。
他の者達がエメラルドとセレナの会話を止めなかったのも、彼の意図を理解してのことだろう。
納得したヤクモ組だけでなく、隊員達にもそれぞれ判断する資格がある。
それを見抜いているのかどうか、セレナは正しい対応をした。
途中の会話が彼女の精神性を物語っているが、自制を働かせたこともまた皆に伝わった筈だ。
「それでは移動を開始いたしましょう。隊長、ご指示を」
スファレが畏まった態度でヤクモに命令を仰ぐ。
口許が緩んでいた。わざとだろう。
ヤクモは苦笑してから、表情を引き締めて全員を見回す。
「セレナは魔力生成に時間もらいたいかな。自分だけならいいけど、これだけの人数を長距離ってなると魔力がね」
「尤もな懸念だね。けれどセレナには超長距離でなくとも、ある程度魔力が溜まった段階で『空間移動』を使ってもらいたい」
定期的に魔力を消費させることで、彼女の突発的な裏切りにある程度対応出来るようにしておきたかった。この方法なら、万全の状態の彼女と殺し合いになることだけは避けられる。
「……ヤクモくんも信用してくれないんだぁ。セレナ、泣いちゃいそうだよぅ」
「違うよセレナ。積み上げた結果があって初めて、人を信じるべきなんだ。そうでない信頼は博打と変わらない。いや、思考停止と言うべきかな。とにかく、尊いものなんかではない」
疑うことの放棄は、決して美化されるべきではない。
命を預ける仲間だからこそ、一つしかない自分の命を預けるにたる存在か慎重に精査すべきなのだ。
「ふふふ。あははは。『人』、か。ふぅん、『人』ね。ヤクモくんといると、ほんと飽きないな。いいよ、セレナも隊長殿のご命令に従いまーす」
くつくつと溢すように笑ったセレナは、上機嫌で手など上げて見せた。
「ではエメラルド、皆が乗れるだけの土塊を」
「諒解です、隊長」
彼の武器は金属的な光沢を放つ灰色の杖。装飾や先端の湾曲はなく、取り回しのよさそうな程よい長さ。
質実剛健な彼の印象にぴったりの得物だ。
そして彼らの魔法の中で最も有名なものと言えば、それは兄と同じ『土』属性。
登録名を《地祇》。
兄が持つ《地神》と同じく地を統べる存在という意味を持つもの。
彼が杖で大地を一度突くと、即座に大地がせり上がり、分離。
みなが乗れる程の広さと大きなを誇る土の塊が出現。
「最初はコスモクロアとユレーアイトで協力して運んでくれ」
「諒解した」
「諒解しました」
コスモクロアとユレーアイト姉弟がそれぞれ頷く。
闇夜の移動は魔力炉の活動が見込めない。
魔力の確保は魔石に限定される。
そして魔石も無限ではない。
誰もが重要な戦力だからこそ、魔力消費の偏りは少なくしておきたかった。
誰か一人に大きな負担が掛かるような運用は避けたい。
「ルチルはセレナを見ていてくれ」
「りょうかい」
「ツキヒは『遠見』で索敵を」
「……諒解だよ、おにーさん隊長」
――ひとまずは、こんなところかな。
『出来れば各人の能力詳細や技能について聞きたいところですが、話してくれるものでしょうか』
風紀委の面々やツキヒはまだしも、他の面々は厳しいかもしれない。
仲間とはいえ急造のチーム。
そしてなにより、そのほとんどは大会本戦出場者だ。
いずれ対戦相手となるかもしれない者同士で手の内を晒し合う、というのは心理的に避けたいところだろう。
ヤクモとて、仲間という理由で己の技全てを開示しているわけではない。
――歩み寄りに期待するしかないかな。もちろん、まずこちらからその姿勢を見せる必要があるだろうけど。
他の者にどのような思惑があろうと関係ない。
ヤクモは師を救い出す。
そして都市を奪還する。
その為に必要なことであれば何でもするし、それで試合が不利になろうと関係ない。
元より逆境だらけの人生。今更壁が分厚く高くなったところで構うものか。
抵抗が無いと言えば嘘になるが、その抵抗は師や都市に比べれば些細なものだった。
「それじゃあ皆、土塊の上に」
「待ってください」
昇降機は万が一にも魔獣や魔人などに利用されぬよう、人が下りた後はすぐに上昇する。
それが再び降下してきていた。
「……チヨさん?」
まだ完治には程遠いだろうに、彼女は立っている。
地面についた昇降機から、身体を引きずるようにして出てくるとこちらに近づいてきた。
ヤクモはすぐに駆け寄り、倒れる寸前といった彼女を支える。
「わたしを、わたしも、連れて行ってください……。わたしは、姉さんの刀です」
『……逆の立場なら、わたしは何をしてでも兄さんの許へ駆けつけます』
同じ《偽紅鏡》同士だからか、アサヒはチヨの気持ちに共感しているようだ。
「チヨさん、でも今のあなたでは……」
肉体と精神の状態は武器の質に影響する。今のチヨはとてもではないが、万全とは言えない。
「あ、あのっ。わ、わたしが『治癒』しますっ。と、当分は出番もないでしょうし、そ、それに、その……《黎き士》が生存しているのならば、その時にカタナがあった方が都市奪還の成功率も上がるかと」
「きみ、重度の生きたがりだもんね。多少の魔力消費と引き換えに《黎明騎士》の武器を持っていけるなら、その方がいいって?」
《無傷》アンバーは優秀な『治癒』持ち。
その能力をチヨに割くだけの価値があると彼女は説いている。
そしてからかうような口調ではあるものの、ツキヒも意図は正しく汲み取っているようだ。
「お願いします、ヤクモ。どうか、どうか……」
縋り付くようなに、彼女は力の入らない手で必死にヤクモを掴んだ。
「彼女がこの場に降りてくることが出来た時点で、最終判断は隊長に任されたものかと」
「あなたの決定なら、わたしはどちらでも支持するわ」
エメラルドとラピスの言葉。
『兄さん……このようなことを言うべきではないかもしれませんが――お願いします』
武器になっている状態・壁の外で兄を困らせるようなことは言いたくない筈だ。それでもアサヒは頼んだ。気持ちがわかるから、だけではないだろう。その価値はあると、彼女も思っている。
「おそらく到着までに体調が戻ることはないでしょう」
「…………」
「到着後は一時的に僕が武器化します。それくらいは我慢してください」
チヨは顔を上げ、瞳を潤ませた。
「ヤクモ……感謝します」
ヤクモはわざとらしく偉そうに笑ってみせる。
「任務に参加するなら、どうか隊長と」
するとチヨもなんとかヤクモから離れしっかりと立つと、仰々しい態度をとる。
「失礼しました、トオミネ隊長」
「では改めて、皆土塊に」
全員の搭乗を確認すると、今度こそ土塊が『風』で浮き上がり、《エリュシオン》に向けて進み始めた。




