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たとえ夜を明かすのに幾億の剣戟が必要だとしても【Web版】(書籍版タイトル:幾億もの剣戟が黎明を告げる)  作者: 御鷹穂積
アンペルフェクティ・ダンス

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153/307

153◇証明

 



 グラヴェル=ストーンは物心ついた時から不思議に思っていた。

 どうして誰も彼も、どうでもいいことで喜び、怒り、哀しみ、楽しみを感じるのか。

 些細なことで一喜一憂し、感情と表情を千変させる。

 グラヴェルには、大人や子供達のそういった急激な変化の連続が理解出来なかった。

 きっと、生まれつき心に欠陥があったのだろう。

 誰もが当たり前のように持っている生得の何かを、グラヴェルは得られず生まれてしまったのだ。

 そんなグラヴェルを、周囲は気味悪がった。両親はそれでも懸命にグラヴェルに感情を教えようとした。こういう時は笑うものだ、こういう時は泣くものだ。そんな具合に。

 けれど、グラヴェルは親の言う感情に一切共感出来なかった。

 無意味なことをしている、と無感情に判断しただけ。

 ある日、グラヴェルの噂を聞きつけてある者が家を訪ねてきた。

 五色大家・オブシディアン家の使者であるという女性はグラヴェルを確認し両親から話を聞くと、グラヴェルを何処かへ連れて行こうとした。両親は止めず、グラヴェルも逆らわなかった。

『きみが《導燈者イグナイター》? まだ子供じゃん』

 綺麗な黒髪の童女だった。

 ――綺麗(、、)な?

 グラヴェルは疑問に思う。何かを美しいと思ったことなんて無いのに、何故初対面の童女にそのような感想を抱いたのか。

 目を赤く泣き腫らし、目つきも態度も悪い。

『子供というのなら、あなたもでしょう』

 グラヴェルは極めて理性的に、そう言った。

 連れられた場所は、大豪邸の中の大きな私室。その部屋だけでグラヴェルの家よりも広いだろう部屋は、荒れていた。家具は倒され、枕には鋏が突き立てられ、破壊出来るものは全て破壊したかのような有り様。

 泣いているということは哀しみを感じ、暴れたということは怒りを感じたのか。

 だが、言語化出来ないが『違う』気がした。

 感情の種類ではなく、濃度や強度というべきか、そういったものがこれまで目にしたどのようなものよりも強い。

 そこへ来るまでに、グラヴェルは説明を受けていた。

 ある《偽紅鏡グリマー》に使われてほしい。

 使ってほしいではなく、使われてほしい。

 遣い手の肉体を操る魔法を搭載している彼女に、肉体を明け渡す従順な《導燈者イグナイター》が欲しかったところに、グラヴェルの話を聞きつけたのだろう。

『興味ない』

 グラヴェルは連れてこられる時にも言ったのと同じ言葉を、童女にも掛ける。

『どうでもいいよ』

 童女――その時はまだツキヒの名を捨てていなかった――はグラヴェルの意志など関係ないとばかりに近づき、その腕をとった。

『きみ、何にも興味ないんでしょ。生きてても死んでても同じで、自分にも興味ない』

『そう』

 理解が早い。両親などはいまだに諦めきれていない愚か者だというのに。

『なら、渡してよ。ツキヒには必要なんだ、きみの身体が、必要なんだよ』

 ツキヒの言っていることは、よく分かった。

 彼女には《導燈者イグナイター》が必要で、もっと言えば自分が身体を操っても文句を言わない《導燈者イグナイター》が必要で、そうして何かを為したいのだろう。

 グラヴェルは丁度いい人形なのだ。

 白銀の瞳が、燃えているように映った。灼熱され、紅蓮の炎が如き色を放っている。

 そんな錯覚を覚える程の、何か。

 何かが、彼女にはあった。

『いらないならちょうだいよ、ツキヒが使ってあげる』

 揺らいだわけではない。グラヴェルは感情の揺らぎになど惑わされない。

 ただ天秤にかけたのだ。

 両親やご近所との無意味極まる生活に戻るか、少女の人形になるか。

 正体不明の『何か』がある分、ツキヒの方が新鮮だ。

『別に、許可は要らない』

 その日、グラヴェルはツキヒのものになった。

 彼女は髪を染め、名を変えた。

 グラヴェルはすぐに彼女が異常だと気づくことが出来た。

 オブシディアン家には彼女の上に幾人ものきょうだいがいたが、誰もツキヒ程に努力していなかった。

 朝起きてから、夜になって壁の外へ行くまで。

 ツキヒは一秒も無駄にせず魔力の操作、魔法の鍛錬を続けた。体力切れにならぬようにと、肉体も限界まで鍛えていた。

 雇われの指導官が根を詰めすぎだと言えばクビにして新しい者を雇った。彼女は己を止めようとする者に容赦が無かった。義理の姉や兄の心無い言葉や嘲笑も無視した。彼女の性格からすれば、それは耐え難いことの筈なのに。

 まるで、自分のプライドよりも大事なものがあるかのように。

 グラヴェルと言えば、ツキヒに身体を酷使されることによる筋肉や魔力炉を含む全身の痛みや疲労感に襲われたが、ある意味以前の生活よりも上等と言えた。

 あまりに過酷な鍛錬の日々は、この世全てを無意味だと思い続けるだけの長い一日を消してくれた。

 無意味なものを無意味だと考える無意味な時間の代わりに、グラヴェルはツキヒという観察対象を得たわけだ。

 彼女は夜ごと大人に混ざって壁外へ出ては、進路上の魔獣を蹴散らし何かを捜しているようだった。

 いつでも使えるようになるべく離れるなとのことで、ツキヒとグラヴェルは同じ部屋で寝起きしていたが、彼女のベッドからは毎日啜り泣く声が聞こえてきていた。

 捜しモノが見つからないのが哀しいのか。

 グラヴェルには分からない。

 だが、最初はなんとも思わなかった彼女の涙が、日毎に気になるようになった。

 胸の内に異物が紛れ込み、それが取り出せずもどかしい。そんな感覚。

 ある夜のことだ。

『……いきてた』

 ツキヒのそんな声は初めて聞いた。正確には、グラヴェルの身体を使ったツキヒの声だが。

 常に自分を追い込み、強くなることのみを追い求め、毎夜壁の外へ繰り出す自分の主人。

 彼女はグラヴェルの喉を震わせ、グラヴェルの瞳を潤ませ、グラヴェルの唇で弧を描く。

 しかし、それもすぐに終わることになる。

 彼女には『遠見』の魔法も備わっていた。

 障害物に遮られない限り、遠くまで見通すことの出来る魔法。

 だから、相手はそれに気づかなかった。遠くから、見ていたから。

『……なんだよ、それ』

 グラヴェルにも、見えた。

 どことなくツキヒに似ている童女と、同じ年頃の少年。

 カタナになった童女を少年が振るい、魔獣を討伐した後のこと。

 童女はにへらっと笑い、少年も微笑みを返す。

『……なに、笑ってんのさ。ツキヒ……ルナは……お姉ちゃんを……なのに』

 確かに、笑っていた。二人共ボロボロではあったが、喜びや楽しみを感じているように見えた。

 翌日も翌々日も、ツキヒは壁の外へ出た。

 場所は童女の住む村落の近く。決して二人と遭遇しないよう距離をとりながらも、ツキヒはその村落へ近づく魔獣を狩り続けた。

 そして毎日必ず、『遠見』で童女の様子を確認しては、苦しそうな顔をするのだ。

 彼女を見ている時に感じる胸の異常は、どんどん強くなっていった。

 そしてついに、グラヴェルは尋ねてしまう。

 あの童女は誰なのか。ツキヒが死に物狂いで努力する理由は何なのか。

『人形が心でも持った? ツクモガミかよ』

 グラヴェルは無感情ではあるが、何も感じないわけではない。人を愚かしく思うことも、美しいと感じることもある。

 言ってしまえば、冷たいとか、鈍いとか、そういうことになるのだろう。

 欠陥品だが、言い換えれば欠陥こそあるが他と同じ品ではあるのだ。

 人間ではあるのだ。

 だから、冷たくて鈍い人間さえも震わせるような出逢いがあれば。

 熱く、鋭い誰かと出逢えば。

 他の人間との交流では感じられない何かを、感じられることがあるかもしれない。

 日々のくだらない出来事に浮き沈みする心には興味が持てない。

 だが、幼いながらに人生を捧げる何かを定めて邁進する程の熱量には、あてられることがあるかもしれない。

 捜しものを見つけても拾わず逢わず、苦しむと知ってなお守るような行動を執り続ける。

 そして毎日、何かを思って啜り泣くのだ。

 誰よりも強靭な精神なのに、触れれば壊れてしまいそうな程に脆い。

 確固たる意志を持った、不安定な女の子。

 矛盾を内包する自分のご主人様。

 気付けば、グラヴェルは夢中になっていた。

 彼女といる時間を無意味と思うことはない。

『あなたに、興味がある』

 ツキヒは人形のそんな言葉に。

『……なんだよ、それ。変な人形だな』

 呆れるように、それでいて縋るように、笑った。 

 全てを一度に話してくれたわけではない。

 幼子が人形に話しかけるように、彼女は時折言葉を漏らした。

 分かったのは、あの童女が姉であること。姉妹ごと捨てられる予定だったこと。姉の説得によりツキヒだけが追放を免れたこと。姉は自分を弁護することなく笑って壁の外へ行ったこと。

 それが、どうしようもなく気に食わないこと。

 ツキヒは口でこそ母と姉を見下していたが、そこには強い執着が見られた。

 蔑視の対象を守るために人生を懸ける程に奇特な人間は少ないだろう。彼女も違う。

 言葉とは裏腹に、ツキヒは姉を大事に思っているのだろう。

 彼女は、無償の愛で自分を守った姉を同じように守ることで、かつて感じた無力感を払拭しようとしている。

 しかしそれは、十年続けても叶わなかった。

 そして、続行さえ叶わなくなった。

 姉が同学年として学舎に入校し、パートナーを兄と慕い、かつての自分には見せなかった様々な表情を向け、惜しげもなく愛を注いでいる。

 その上、今年の大会で優勝するという。

 今後も続く筈だったツキヒの『姉を守る』という人生は途絶えた。

 これまでの十年の努力は、姉を見つけ出し、万が一にも死なせない為。

 誰にも負けない強さを手に入れれば、誰にも姉の命を奪われることはないから。

 かつて何度か、ツキヒは父に頼んだことがあった。グラヴェルが魔力税を負担するから、アサヒを戻してくれと頼んだことがあった。

 だが却下された。アサヒ=オブシディアンは存在しない。存在しない者を戻すことは出来ない、と。

 なのに、だ。

 ふらっと現れた《黎明騎士デイブレイカー》によって、ヤマトの村落ごと壁の中へ入ることになった。

 アサヒはトオミネを名乗り、同じ性の夜鴉の義兄と共に、幸福になる為に勝利を積み重ねるという。

『……なんだよ、それ』

 もうずっと前から、グラヴェルはツキヒに心から従属するようになっていた。

 彼女の目的は叶えてやりたいし、彼女が苦しければ同じように苦しい。

 学内ランク一位に相応しい実力を持つ自慢の主人はだが、その強さに至ることが出来た理由を、失ってしまっていた。

 自分が姉を守る為に全てを捧げていたとも知らずに、アサヒは兄とヘラヘラ笑っている。

 それでもなお、ツキヒは姉の窮地と知るや駆けつけた。

 ただ助けた。

 そして、ついに姉と対戦することとなった時。

 ツキヒは酷く悩むことになった。

 姉を守る為に戦ってきた。

 だが同時に、その功績はオブシディアン家である為に必要なものでもあった。無類の強さを誇る領域守護者となれたからこそ、《偽紅鏡グリマー》であっても堂々と五色大家の娘を名乗れる。

 姉の幸福の為には、此処で自分が負けるべき。

 だが、それは出来なかった。

 ツキヒにとって、自分は姉より上でなければならないのだ。

 そうでなければ、幼い頃の姉への振る舞いを正当化出来なくなる。幼い頃の姉の言葉が正しくなくなる。

 だって、そうだろう。

 アサヒが言ったのだ。

 ――『ツキヒなら大丈夫。とっても才能があるし、ぜったいに素敵な領域守護者になれるよ』

 自分は大丈夫で、才能があって、領域守護者になる。

 ツキヒはそれを、証明しなければならない。

 性格が悪く、姉を馬鹿にし、こき使い、常に妹を優先させた。そんな自分を、ただ妹であるというだけで、血が繋がっているというだけで救った姉を、その言葉を、嘘には出来ない。

 壁の内にいる者を守るのが、素敵な領域守護者とやらなのだろう。

 大会で優勝し、最短距離で正規の隊員となる。

 ツキヒは、自分にはもう力しか残っていないと考えている。

 その力で出来る最後のことが、姉の言葉の証明だと考えている。

 同時に、これは自分とヤクモとの戦いなのだ、とも。

 アサヒを幸福にする為に戦うヤクモと、アサヒを嘘つきにしない為に戦うツキヒ。

 勝った方が、アサヒにより報いている。

 そういう風に、考えたいようだった。

 けれど、グラヴェルは少し足りないと思っていた。

 彼女はただ、負けたくないのだろう。

 姉の為に努力し続けてきた自分よりも、姉と共に努力し続けてきたヤクモが強いだなんて、認めたくないのだ。

 才能も努力の密度もツキヒが上。もう、圧勝と言っていい。

 それでも、自分達が負けるなら。

 それはきっと、遣い手の問題だ。

 グラヴェルが、ヤクモに劣っているということの証明だ。

 ツキヒは絶対に認めないだろうが、彼女はグラヴェルの為にも戦ってくれたのだ。

 そして、自分達は負けた。

 彼らは常に『僕たち』『わたしたち』という言い方をする。それが二人で戦っているという思いの表れなら、それが敗因だろうか。

 グラヴェルが人形だから、負けてしまったのだろうか。

「……ツキヒ」

 曲刀が断たれたことによる苦痛の代理負担は、対応する間もなくグラヴェルを襲った。

 半身を裂かれる痛みに襲われ、その状態で落下の衝撃まで追加される。

 それでもグラヴェルはすぐに魔力によって脳に干渉、痛覚を切る。

 ラピスラズリ戦のように赫焉の粒子で対戦相手を受け止めなかった理由はすぐに判明した。

 彼自身、グラヴェルらと同様に落下していた。

 考えれば当然。獄炎に身を晒して機を窺うなど狂気の沙汰だ。彼自身、いつ意識を失ってもおかしくない。

 それでもヤクモの方は、刃を支えに立ち上がろうとしていた。

「ツキヒ」

 彼女の言葉は、額面通りの意味ではないことが多い。

 彼女はこの名前を気に入っている。グラヴェルはそれに気づいていた。

 だから、世界からその名が消えてしまわぬように、自分だけは主人の本当の名を呼ぶのだ。何度叱られても、繰り返しそう呼ぶのだ。

 倒れているツキヒに這って近づく。痛覚を切ってもダメージは残る。足を痛めたようで上手く立ち上がれなかった。そういえば、穴が空くほどの負傷が治りきっていないのだった。

 自分達はまだ負けていない。

 ヤクモの一回戦の例もある。

 武器化が解かれようとも、それによって敗北するわけではない。

「ツキヒ」

 主人が勝つと言ったのだ。

 ならば、自分はそれを支持し、貢献する。

 身体を貸す。強靭で、魔力炉の優れた身体を。

「わたしは、まだ。まだ、大丈夫」

 彼女の小さな体が、手を伸ばせば届く距離まで近づいていた。

 その肩に触れようと腕を上げる。

「もういい」

 パシッと。

 その腕は弾かれた。




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