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たとえ夜を明かすのに幾億の剣戟が必要だとしても【Web版】(書籍版タイトル:幾億もの剣戟が黎明を告げる)  作者: 御鷹穂積
アンペルフェクティ・ダンス

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116/307

116◇懇願



 ルナは完璧だった。少なくとも周囲にそう思われるだけの実力を示し続けていた。

 完全者(ペルフェクティ)を冠し、そのことに異を唱える者がいないことからもそれは分かるだろう。

 正規隊員はみな、学舎を卒校した者達である。

 魔力炉の活動は年齢と共に衰え、また体調や精神が武器の性能に影響する。

 つまり、加齢は《導燈者イグナイター》《偽紅鏡グリマー》の双方を弱体化させる。

 どれだけの鍛錬を積んだところで、精々が引退を数年引き伸ばせる程。

 戦闘員の中では、三十半ばの頃には老兵扱いされるのが実情。

 領域守護者は若年層で構成される。

 だが、そんな若い彼らに不足しているものがある。

 経験だ。

 十代後半から二十代半ばの者を中心に編成される《班》。

 大きな戦闘をほとんど経験したことがなく、魔人が現れれば応戦した者の大半は殉職し、《黎明騎士デイブレイカー》が対処にあたる。

 スファレ=クライオフェンを中心とした訓練生の《班》が魔人を討伐した功で勲章を受けて以後、彼らの戦闘記録が各組織間で共有されることとなったが、それを即座に飲み込み反映出来る程、彼らは素直ではなかったし、仮に努力したところで実行出来たかは怪しい。

 スファレ、トルマリン、ネフレン、スペキュライト、ヤクモ。

 彼らは揃ってランク保持者だった。

 だが正規隊員のほとんどは、当然だが訓練生当時ランク外だった者ばかり。

 故に。

 訓練生から学ぶということがプライドから出来ず、それが出来る者達も実力不足から再現が出来ない。

 結局、世界の理は変わらない。

 強い者だけが、結果を残せる。

 今のルナのように。

「……役立たずばっかり」

 都市には《偽紅鏡グリマー》の発動を取り締まる法があるが、人命や都市機能が危機に瀕している場合に限り発動が許される。

 ルナや一部の領域守護者は正式な任務の発行を待たず、壁の穴に向かっていた。

『東に、行こう』

 ルナは《導燈者イグナイター》であるグラヴェルの身体を使って戦う。その間、彼女の精神は武器化された《偽紅鏡グリマー》のような状態になるのだ。

 頭の中に響く彼女の声に、ルナは苛立たしげに表情を歪めた。

「はぁ? ヴェルのくせにルナに指図しないでくれる?」

 壁に穴が空いた時、ルナは本家に顔を出していた。

 そして父の命令で、北に向かったのだ。

 男女の双子の魔人だった。

 想定よりも被害が少なかったのは、彼らが人間を嬲り殺しにするのが趣味だったから。

 ゆっくりと虐め抜き、死ぬまで遊ぶ。

 趣味が悪いにも程があるが、その趣味に興じていたことで北方面は破壊の規模が小さかった。

 一般人や、周囲を巡回中だったらしい『赤』の隊員、ルナと同じように駆けつけた『白』の隊員が被害に遭っていた。無残な死体となって。

 今、死体の山に二体の魔人が加わっている。

 セレナの部下だったらしいが、どちらも二級指定といったところ。

 凡才では束となったところで敵わない相手だが、一部の天才は違う。ルナは違う。

 北の壁の穴を塞ぐ。ルナは土魔法も搭載していた。

『でも、ツキヒ』

「ルナはルナだって言ってるでしょ」

『二人の家族は、東の外周に住んでる。きっとあの二人は……』

 ヤクモとアサヒなら、助けに向かっていることだろう。

 分かっている。

 だが。

「だったら何? ルナには微塵も関係ないんですけど?」

 壁の縁に配置されていた『蒼』からの反応は無し。壁の穴は四つで、魔人は六体程。模擬太陽は落ちた。

 穴を三つに減らしたところで、絶望的な状況には変わりない。

 大本の命令を下すタワーが襲撃されたことで指揮系統は大混乱。もし意図してのことなら、あのセレナという魔人は思っていたより賢い。

 魔獣の侵入は無く、壁の外では紅蓮の炎が燃え盛っている。

 《黎明騎士デイブレイカー》第三格《黎き士》ミヤビは壁の外らしい。

 まだ都市が滅びていないのは、確実に彼女のおかげだった。

 魔獣が一匹も侵入していないのは大きい。

 後は各方向で魔人を討伐し、穴を塞げばいいだけ。

 しかし、それは容易なことではない。

 私情で不出来な姉を助けに行く余裕など無いのだ。

『ツキヒ』

「うるさいってば!」

 気付けば、足が東に向かっていた。

「言っとくけどね、ルナはあんなやつどうでもいいんだ」

 ルナは姉が大嫌いだ。

 魔法は持ってないし、武器は脆いし、自分に自信がなく、そしてあの目だ。

 あの、黒曜石のような瞳。

 あの女(、、、)と同じ瞳。

 アサヒは才能が無く、卑屈で、泣き虫で、全てにおいて自分に劣っていた。

 なのにいつまでも姉のような面をやめず、姉のような振る舞いをやめず、それで。

 それで。

 ちり、と脳裏によぎる記憶。

 ――『お父様、ツキヒはとても優秀な子です。わたしなんて及ばない。本当に素晴らしい《偽紅鏡グリマー》になります』

 胸が絞られるように苦しくなる、十年前の記憶。

 ――『だから、どうかお願いします。あの子にチャンスをお与えください。わたしは何のお役にも立てません。けどツキヒは違う。あの子は本当に、すごい子なんです』

 十年前、ルナは欠陥品扱いされていた。

 まだグラヴェルに会う前だ。

 《偽紅鏡グリマー》は道具。使われる者。

 だがルナには分かるのだ。《導燈者イグナイター》が無能過ぎることが分かる。人格を交代する魔法もあって、自分で戦う方がいいと分かる。

 それは常識外。

 《導燈者イグナイター》は誇り高い職だ。

 だから、道具に使われるなんてことは受け入れられない。

 ルナ自身の優秀さと、《導燈者イグナイター》のプライドは噛み合わなかったのだ。

 そしてルナは決して譲らなかった。使役されるなんて御免だった。

 結果。

 ルナと組もうと考える者はいなかった。

 だから母が死んだ時、父はアサヒもルナも捨てようとしていたのだ。

 魔法を搭載していない娘も、魔法を多く搭載しているが誰とも組めない娘も、価値は同じ。

 ルナはある夜、父に懇願しようとしていた。

 自分は役に立てるから捨てないでくれと言うつもりだった。

 父の書斎には先客がいた。

 無能な姉だ。

 てっきり、同じ目的かと思っていた。先を越されたと思った。苛々した。

 でも違った。

 姉は、最初から自分自身のことなど考えていなかった。

 父に向かって、妹の価値を説いていた。

 意味がわからなかった。

 壁の外に捨てられるのだ。

 魔獣に食われてしまうのだ。

 そんなの嫌だ。嫌に決まっている。

 だというのに、アサヒは妹だけは壁の内に残してほしいと頼み込んでいる。

 ――『お願いします、お父様。ツキヒだけは、どうか』

 何を思ったか、父はそれを承諾した。

 ルナは自室に駆け戻り、頭から布団を被った。

 喜びは無い。微塵も無い。

 吐き気がした。自分にだ。自分が、才能溢れる自分が、将来確実に成功を収めるだろう自分が、とんでもなく卑しく醜い生き物に思えてならなかった。

 あの姉にさえ出来ることが、自分には出来なかったのだ。

 あの夜から、ずっと消えない。

 吐き気と嫌悪が収まらない。

 自分が忌み嫌う才能無き者。

 その最たる存在である姉に、あろうことか命を救われたという事実。

「ルナは……」

 消えないんだ。いつまでも消えてくれない。

 ――きみに生かされたって思いが、消えない。

 これが消えるまで、あの女に死なれては困る。

 それだけだ。

 本当に、それだけの。




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