105◇謝意
試合を終えたラピスとイルミナは医務室へと向かった。
イルミナは万全に程遠い状態で試合に臨んだからだ。
医務室にはヤクモもかつて世話になった白衣の女性と、風紀委の面々が集まっていた。
「なになにきみ達、青春じゃないの。いやぁ、わたしが寝込んでもこんなに人集まらないよ」
呑気な口調で、それでも女性はイルミナから目を離さない。
魔弾を受けてバラバラになったヤクモの手を元通りにした人物だ、実力は折り紙付き。
しばらくイルミナの側に座っていたラピスが、改まった様子で立ち上がり、一同を見回す。
「今回は、みんなにとても迷惑をかけてしまったわね、ごめんなさい」
ぺこりと、頭を下げるラピス。
そんな彼女に、全員が示し合わせたように渋い顔をした。
それを見て、ラピスは困ったような顔をする。
「……どうやら簡単には許してもらえなさそうね。とはいっても、わたしに差し出せるものなんてたかが知れているのだけれど。さしあたってヤクモにはわたしの使用済み下着を――」
「はい?」
笑顔でラピスを睨みつけるアサヒ。
「とまぁ冗談はおいておきましょう」
「そうしてください」
「本当にどう謝罪したらいいか分からないわ」
ラピスは肩を落としてしまう。
本当にみんなが、迷惑を被ったと機嫌を悪くしているとでも思っているのか。
「ラピス」
ヤクモに名前を呼ばれ、ラピスはこちらを向く。
「なぁに」
「僕らは怒っていないよ」
「そうは見えないけれど」
「本当さ。でも、ラピスがわかってくれないことに、そろそろ怒り出してしまうかもね」
ヤクモのセリフに、風紀委のメンバー各位が笑みを溢す。
白衣の女性と、イルミナも。
「……よく、分からないわ」
「お嬢様。皆様は謝罪されたことにご気分を害されたのですよ」
「どういうことかしら……?」
「私達が皆様にお伝えすべきは確かに謝意ですが、詫びるのは間違いということです」
「謝意なのに、詫びるのが間違い」
なぞなぞを言われた子供のように、ラピスが神妙な顔をする。
みんな、彼女が気づくまで待った。
やがて。
「あっ」
と、ラピスが小さく声を上げる。
そして恥ずかしそうに頬を染めた。
「……ごめんなさい、わたし、こういうことには疎くて」
「また謝っているよ」
「そ、そうね。ごめんなさ――あぁ、もう。くせになってしまっているのね」
幼い頃の彼女は謝罪することで、自分に否があるのだと自ら表明することで、ロータスからの加虐行為が少しでも和らぐようにと考えたのかもしれない。
でも、もうそれは必要無い。
「まだ、その、上手く笑えないから、少し醜いかもしれないけれど許して頂戴ね」
そう言って、ラピスは両の人差し指で自分の唇をくいっと上げる。
笑みの形。
それから言った。
「どうもありがとう、みんな。なんていうのかしら、……そう、脱獄したような気分だわ。あるいは空を飛んでいるようなとか、あれがあれした日のようだとか……ダメね、適切なたとえが思い浮かばない。とにかく、ありがとう」
今度は、彼女の言葉にみんな笑った。
「……失礼します」
医務室に誰かが入ってくる。
ロータスの《偽紅鏡》だった。
その首に枷は――無い。
「そ、その、試合を観戦なさっていた当主様が、『好きにしろ』と」
腐っても誇り高き五色大家。
約束は違えないというわけか。
パパラチア家が解放した《偽紅鏡》の今後に関しては、ジェイド家が上手く取り計らってくれるという。
全ての《偽紅鏡》がパパラチア家から離れるわけではないだろうが、少なくとも自分の意志で道を選べるようになったわけだ。
そして少女は、自由になったその脚で此処へ来た。
「あぁ、わたしもあなたに伝えたいことがあったのよ。もしよかったら、イルミナと一緒にわたしを支えてはくれないかしら? ロータスの言っていたことは間違いだわ。あなたはとても優秀な《偽紅鏡》よ」
確かにそうだ。
『爆破』は強力な魔法だし、《偽紅鏡》の性質と彼女の形態を考えれば、遣い手次第で形も変わるだろう。
いい方向へ、きっと。
彼女の表情が、微かに和らぐ。
「もったいないお言葉です、ラピス様。ご迷惑でなければ、よろしくお願いします」
凍結と爆破。今のラピスがその両方を使い分けられるとなれば、強敵だ。
そうして、少女はヤクモの前にやってくる。
そう、ヤクモだ。ラピスではなく。
その顔は耳まで赤い。
「……そ、その、ヤクモ様」
「う、うん」
水気を帯びた瞳が、上目遣いにヤクモを見る。
彼女の緊張がヤクモにまで伝わってくるようだった。
そういえば、声を初めて聞く。
か細いが、可憐な声だった。
「わたし、リツと申します」
自己紹介。
「リツさん」
「はいっ。あ、あの……初めてお逢いした時に、名前を伺われたのに、わたし、お答え出来なかったので、その、そのせつは大変申し訳ございませんでした」
ロータスの命令で他者と口を利くことを禁じられていたリツは、名前を尋ねたヤクモに応えなかった。確かに、そんな一幕があったと思い出す。
少女はそれをずっと申し訳なく思っていて、自由になって一番に駆け付けるくらいに気にしていて、こうして名前を教えに来てくれたのか。
自然、ヤクモの頬も緩む。
「いや、いいんだ。こうして今、名前も聞けたしね。よろしく、リツさん」
彼女の唇がもにょもにょと動く。喜びの表現、だろうか。
「あの時、ロータス様をお止めくださり、わたしなどの為に怒ってくださり、ありがとうございました。ほんとうに……うれしかったです。それが、ラピス様をお救いするついでなのだとしても、本当に、とても、わたしは、うれしかったから、だから……」
ぽろぽろとリツから涙が溢れる。
「うん。いいんだよ」
パパラチア家にも、今のような態勢を築く理由があるのだろう。それは合理的であったりするのかもしれない。利点がなければ、それを執ろうとはしない筈だ。
だとしても。
ラピスの勝利や、リツの自由が間違いなわけがない。
それだけは断言できた。
「…………ぐぐ、兄さんに近寄るメスだというのに、怒るに怒れぬ……」
妹が悔しそうに呟き、それにまた皆が笑った。




