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079 ゼフィリアの日常(2)

「しょーぶ、あり!!」

「わたしの負け、です……」


 太陽がさんさんと輝く午後の時間。

 海屋敷の前庭こと修練場。


 青空に掲げられた握り拳。ドヤ顔で立つディナお姉さまの前で、わたしは石畳にがくりと突っ伏しました。


「か、格が違いますう……」

「当ッ然よ!!」


 ゼフィリアには千風のヘクティナレイアさまの他に、もう一人バケモノがいる。その名も、千拳のカッサンディナさま。


 アルカディメイアのホロデンシュタック領などで噂は聞いていたのです。聞いてはいたのですが……。


 わたしが張り巡らせた石のアスレチックが全て拳で叩き落され、あっという間に距離を詰められ秒で決着。まさか無手で、筋肉だけで突破されるとは思いもしませんでした……。


「これは面白い! これは面白いわね!」


 満面の笑顔でシュシュッと繰り出される、ディナお姉さまの拳。わたしの目でも残像すら追えないほど速い正拳突き。ディナお姉さまの喧嘩のスタイルですが、頭の中の記憶にあるボクシングに近いのではないかと。


 根拠はまず、その構え。


 脇を締め、両拳を口の前に寄せ、体重を体の外に逃がさない構え。コンパクトな腕の使い方と軽快なステップ。


 よく分かりませんが、ボクシングは人間の体を最も効率よく動かす格闘技なのだとか。目標に最短最速で攻撃を与えることができる、極めて優れた格闘技だとかなんとか。


 その動きをこの世界の人間が用いたらどうなるか。


 確かディナお姉さまは風込め石と気込め石に関しても相当な使い手であったはず。これで石を使われたらと思うと、考えたくありません。


「ディナ! ズルイではないですか!」


 わたしががくーんしていると、空からお母さまのお声が降ってきました。海守のお役目からみなが帰って来たのです。ディナお姉さまはお母さまや不満顔の海守さんたちに囲まれ、それでも、ふふーん、とお胸を反らして、


「レイアお姉様、これは休憩よ。適度な運動を挟まないと体が堅くなってしまうじゃない」

「アンは動いてないではありませんか!」

「それはそういう決まりでやっているんですもの。決まりを変えれば運動になるんじゃないかしら」

「決まり? 決まりとはなんです?」

「何でしたっけ? イーリアレ?」

「はい、ディナさま」


 イーリアレがみなに決まりのある喧嘩の説明をすると、お母さまや海守さんズはキラッキラにお顔を輝かせて、


「流石ナーダちゃんです! お脳がキンキンに冴えていますね! では早速!」


 両目でギンとわたしを補足。そのあまりにも肉食獣な視線に、わたしはゾゾッと立ち上がり、


「わわわたしはお夕食の準備をする予定が――」

「勿論! 夕食はあたしの役目ですさね!」

「そ、そんな! シオノーおばあさん!」


 ウホッと高速で姿を消すシオノーおばあさん。筋肉。あっさり逃げ道を塞がれたわたしは完全包囲状態。


 喧嘩に対する忌避感はもう無くなったのですが、わたしのお肉はみなさんみたいに闘争を求めていないのです! ていうかみなさんあまりにもやる気マンマンでめっちゃ引いてしまう感じなのです! 正直怖いのです!


「さあ、アン」


 じりじり近づいてくる海守包囲網。わたしの小さな体に覆いかぶさる、とても大きなお母さまの影。お母さまはいつも以上に優しい声で、


「石は全種、全部です。全部盛りでお願いします。しかし、石を作り過ぎないように、無理しない範囲で全力です」

「お母さま! それはその、無茶なのでは!」







 修練場の入り口付近、槍を手に立つお母さま。

 その反対側、わたしは海屋敷の前に正座し準備完了。


 石は全種使用可能。お母さまが膝を突いたらわたしの勝ち。お母さまがわたしに触れたらわたしの負け、という決まり。


 修練場の海側、崖の近くに立つのは見極め役のイーリアレ。その隣には宙に浮いた大きな水時計。ディナお姉さまがあまりにもアレだったため、制限時間を設けさせていただいたのです。


 槍を片手にフラミンゴ立ちした海守さんたちが見守る中、イーリアレは右手に水込め石を纏わせ、いつも通りの無表情で、


「では、はじめ」

「にゅん!」


 先手必勝! わたしは胸の前で両手を構え、かなめ石と水込め石を作成! これがわたしの持ち味! この世界の人間の筋肉に負けないくらい、わたしの石作りは、操作技術は速いのです! 


 そんな訳で、水込め石を超速で射出しお母さまを包み込む巨大な水球を構築! ちょっとキチクなやり方ですが、お母さまにはこのまま水球の中で膝を突いてもらい、参ったしていただきます!


 水時計の制限時間は三十秒。海守であるお母さまなら余裕で息を止めていられる時間ですが、お母さまの動きに合わせて水球の形を変えていけば、その動きを大幅に制限出来るはず!


 わたしが勝利への道筋を計算していると、お母さまの上半身がぷくっと膨れ――


「へにゃっ!?」


 何かがぱちんと顔に当たり、わたしは驚いて目を閉じてしまいました。


 空気の弾丸?! まさか吐いた息で目潰しを?! わたしが目で追って石を操っている、という隙を突いた合理的な攻撃!? 


 急いで瞼を開け、そのまま驚愕に見開かれるわたしの瞳。ほんの一瞬目を離した隙に、お母さまは水球を破裂させ修練場の中間地点まで移動していました。


 いけません!!


 と、わたしは思いつく限りの石の陣を高速で配置! ……したのですが、わたしはその結果に愕然。


 お母さま、人間やめすぎでは!?


 石の剋もなんのその。風で捌かれ、槍でいなされ、筋肉で撃ち落とされていく石の陣。お母さまがどんな動きをしているのか、全ッ然分かりません。そして、人類卒業したお母さまは、もう、わたしの目の前に――


「にゅむん!」

「……!?」


 わたしの頭に触れる寸前、その動きをぴたりと止めるお母さま。一体何が、とどよめく海守さんズ。そう、わたしの両手の間にはにび色に光る灰色の石。


 はがね石の干渉能力、局所的引力操作。


 ホウホウ殿直伝、わたしの奥の手! ぶっつけ本番ですが、上手くいったようです! お母さまにかかる引力を数倍にさせていただきました!


 わたしはイーリアレの方をちらりして水時計を確認。残り時間はおそらく二十秒強。このまま時間切れに持ち込ませてフィニッシュです!


 修練場に鳴り響く、がらびたんっという金属音。お母さまがとうとう槍を手放したのです。


 わたしがその音に勝利を確信すると、一瞬、お母さまがはがね石に戻った槍を目で追い、そしてその右手に纏わせた風込め石がきらりと光り、


 ポン、


 と、お母さまの右手がわたしの髪に触れました。


「あ……」


 わたしはお母さまに撫でられているような形で動きを止め、


「わたしの、負けです……」


 敗北を認めて石を消去。石畳に手を突き、再びがくーん状態。


 わたしが仕掛けた引力操作の設定。それは、「地面に触れているものの引力を数倍にする」という単純なもの。


 お母さまが槍を落としたのはその設定を見極めるためだったのです。お母さまは風纏いを使うことで自分の足と地面の間にほんの少しだけ空気を入れ、はがね石の干渉能力から逃れたのです。


 勝てるとは思っていませんでしたが、それでも、ここまであっさり負けてしまうなんて……。


 お母さまはがっくりしているわたしに背を向け、海守さんたちの方に向かってすたすた歩きながら、


「これは面白い。これは面白いですね。いい感じにいい感じです。喧嘩に制限を設けるとは、アルカディメイアの流行はやはり面白いもので、これを考え付いたナーダちゃんはとても頭のいい子です。流石ナーダちゃんです」


 めっちゃ早口でウッキウキなお母さま。それからくるりと回れ右。今度はわたしの方にすたすた歩いてきて、


「アン、水攻めはよい策ですが、やるなら修練場を包み込むくらいの陣でないと意味がありません。更にトドメも足りません。水を氷にして動きを固め、呼吸を完全に封じてしまいなさい。それと、他の石も攻めの角度が足りません。足元と頭上からの攻撃をもっと増やし、その配分を考えねば。同じものが続くと避けているうちに仕掛けに慣れてしまいます。それぞれの石の性能ですが、はがねは硬め、火は濃いめ、風は薄めがよいでしょう」


 そしてお母さまは再びくるりと回れ右。海守さんたちの方に向かってすたすたしながら、


「これは新しい。これは新境地です。アンの喧嘩なら今までに無い体の動きを、筋肉の打ち合いが無いからこそ出来る体捌きが学べます。時間差で飛び交う様々な手練手管はいい感じにヒヤッとしますし、よく分からなくなってきたのでさっさと試すべきです」


 何だかよく分からないジェスチャーを交えてテンション爆上げ状態のお母さま。それから、お母さまはサラサラストレートの金髪をふわりとなびかせわたしに振り向き、


「アンはアルカディメイアでよく頑張ってきました。研究の方はよく分かりませんが、喧嘩はナーダちゃん以外には全勝と聞きました。勝ち星が多いのはとてもよいことです。実によいゼフィリアっぷりです」

「あ、ありがとうございます……」


 いい感じの誉め言葉で照れるわたしに、お母さまは両拳をぶんぶん上下に振りながら、


「そして二つ名! 付いた名前が実にいい! 名前に獄が付くなんて最高ではありませんか!」

「うぐぅっ!」


 レイルーデさんが広めた噂がこんなところにまで!


「あの、その二つ名はご遠慮願いたく……」

「何故です? いい感じに強そうで、アンの陣にぴったりのとてもよい名ではないですか!」

「う、うーん? うん?」


 全力で首を傾げ口元をむにゃむにゃさせるわたしに、お母さまとディナお姉さまは特大の笑顔で、


「実に獄い! あんな技を思い付くなど、我が娘ながらお脳がどうにかしています!」

「そうね! 正に非道! 呆れた獄っぷりね!」

「ひめさまはあたまがおかしいのです」


 と、嬉しそうな雰囲気を発するイーリアレ。「獄い」「獄いね」「獄過ぎんね」と頷く海守のお姉さんたち。


 ゼフィリア女性の感性にわたしが首を傾げていると、お母さまが海守さんたちを集合させ、どんな決まりで喧嘩をしたいかの話し合いが始まってしまいました。アーティナ領でのナーダさんたちを思い出す光景です。


 ううっ、この熱気、これはこの島の女性全員と喧嘩するまで冷めそうにありません。ゼフィリアは人が少ないので二、三日あればなんとかなりそうですが、ぶっちゃけ心臓によくないと言いますか……。


 でも、とわたしは目の前の風景を見上げました。


 南国らしい元気な太陽と、海の香りを含んだ風。

 きりんと澄んだ音で鳴る、軒下に浮かぶ風鈴。


 今、わたしは修練場の石畳の上。縁側に座り、眺めていることしかできなかった頃より、ほんの少しだけ近付けた距離。


 アルカディメイアに行ってよかった。頑張ってよかった。


 そこにあるのはゼフィリアの人の輪。

 わたしが加わりたかった、当たり前の人の姿。


 わたしが夢見た、繋がる風景。



 いつも読んでいただきありがとうございます!

 次回更新は明後日水曜昼12:00頃を予定しています!


※追記

 ド風邪を引いてしまったため次回更新を一日遅らせ、木曜昼12:00に延期させていただきます。

 あとは校正作業だけなのですが、この熱だと誤字脱字ガバガバになりそうなので……。

 申し訳ありません……。


 二章の配分を考え、章を分けようと思います。(気付くのが遅い)

 そんな訳で、三章が四章になりますのでよろしくお願いいたします。


 感想お便り等ありがとうございます、とても励みになっております。

 評価欄はページ下部にありますので、

 お気に召したらポチリとよろしくお願いします。


 それでは、


「いいね! 続きが気になる!」と思った方は、

 挿絵(By みてみん)

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凸凹探索者夫婦のまったり引退ファンタジー!
i508728
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