038 アーティナ領の一日(1)
「で、人に絶対安静とか言っておいて、自分の方が重態だった、と」
「うう、そうみたいです……」
ド太い柱の間から入り込む、のどかな太陽の光。
長方形の超大きな浴槽に浸かる、湯浴み着のお姉さまたち。
アーティナ領はお昼前の島屋敷。
新設された集会浴場、プールサイドのようなド広い洗い場にぺたりと正座し、わたしはうなだれました。
先日、わたしはセレナーダさんの治療を終えるやいなやぱたりと倒れ、二日間熱を出して寝込んでしまったのです。ナノ先生に散々心配されながらもやっと起き上がれるようになったのが今朝のこと。
アルカディメイアに来て七日目。そんな訳で、わたしはようやくセレナーダさんの教えを受けに来れたのです。
わたしの目の前、気込め石で作られた何処までも人を駄目にしそうなふわっふわのクッションに身を沈めているのはアーティナの島主候補、セレナーダ殿下。
わたしと同じ金髪に、わたしと違う緑色の瞳。今日のナーダさんはいつものツーサイドアップをお団子にしてまとめた髪型。
そして、その身体を包んでいるのは肩紐の無いベアトップ水着のような白い服。普段はズバッと出しているお腹が隠れています。
おそらく、あの服にはコルセットのような機能があるのでしょう。セレナーダさんは左肘と右膝以外にもたくさんの部位を痛めていたのです。
左肘と右膝には動きを制限する包帯のような布。これは無闇に患部を動かさないよう、わたしが指示したもの。
「それにしても、大きなお風呂ですねえ……」
言いながら、わたしは周囲の様子を改めて眺めました。急造したお風呂がこんなに立派で魅力的だなんて思わなかったのです。
浴場にいるお姉さまたちが身に着けているのは、バスタオルを巻いたような白い湯浴み着。お風呂に入る時の方が肌の露出が減るなんて、この世界の人間らしいと思います。
洗い場には様々な形の椅子や寝具。その上でゆったりしているお姉さまたち。面白いのはその人たちが必ずしている、癖のような仕草。
二の腕でこしこしと頬をこすり、それから両手を挙げてぐーんと伸びをする、猫のような動き。浴場にいるアーティナの人がみんなやっているので、ゼフィリアのフラミンゴ立ちのような、島の人の癖なのかもしれません。
白い大きな柱の列からは柔らかな光が射し込み、外の植え込みが覗けます。白い石で作られた浴槽は清潔そうで、お湯から立ち昇る湯気もとてもいい香り。
うーん、なんて開放的ですてきなお風呂! これはもう間違いなく気持ちいいヤツです!
更に聞けば、ここはあくまで集会を目的とした浴場で、本格的にお肉を磨く大浴場はまた別に作ったのだとか。流石アーティナ、世界最大の島。やることがダイナミックです。
「いかがされましたか? 何かお気付きになったことがあれば、ご指摘いただきたいのですが」
「いえ、あの、その、なんでもないのです……」
花びらとか浮かべてみたいですねー、と浴槽を観察していたわたしが気になったのか、セレナーダさんの横に立つお姉さまが声を掛けてくださいました。
ショートボブな金髪と理知的な青い瞳。
白い肌に肌を覆う面積を最小限に抑えた胸巻と腰巻。
セレナーダさんのお側付き、レイルーデさん。
アーティナ領でわたしに牛乳とお茶をくれた、親切なお姉さま。
アーティナ領のお風呂はセレナーダさん作というだけあって、何の不備もありません。ただ、目の前にある浴槽はとても大きく、そして深いのです。つまり、わたしが入ると当然底に足が付かない訳でして……。
もじもじ口ごもるわたしに、セレナーダさんは鋭い視線を向け、
「メイ、あんたまさか泳げないんじゃないでしょうね……」
「そ、そんな親しい呼び方をしてくれるなんて! わたしもナーダさんとお呼びしていいでしょうか?!」
「話を逸らさない!」
わたしはふらふら全力で目を泳がせながら、
「その、小さい頃に、海で溺れたことがありまして……」
「人が、海で、溺れる……?」
ありえない、とナーダさんは驚き顔。その横ではレイルーデさんが、「うそ、ゲロ肉過ぎます……」とショックを受けてますけどわたしの方がショックです……。
そう、赤ん坊でも犬かきのように泳いで岸に辿り着くのがこの世界の人間。海に覆われたこの星では、人は泳げて当たり前なのです。
わたしが恥ずかしさで真っ赤になって俯いていると、浴場の入り口に誰かが現れ、
「殿下、ホロデンシュタックの人間が喧嘩の申し込みに参りました」
「ありがとう、今行くわ」
ナーダさんは右手に纏う黄色い砂込め石を起動。松葉杖のような白い石の棒を作成し、立ち上がりました。
ふらつくナーダさんの背中を、レイルーデさんがさっと支え、
「殿下」
「分かってる、ちゃんと断るわ」
ナーダさんは入り口の方へ、コツコツと松葉杖を突きながら歩いていきました。そんなナーダさんの背中をレイルーデさんは心配そうに見つめ、
「殿下は気負い過ぎなのです。肉が弱めと殿下を卑下する者など、もともとおらんのです。現島主と比較したらみな弱くて当たり前。リルウーダ様を力で超える必要など無いと言うのに……」
わたしはナーダさんが消えた浴場の入り口に目を向け、レイルーデさんの言葉を聞き続けます。
「強い者は無頓着です。持てる者には持たざる者の気持ちは分かりません。分かろうとしてくれません。でも、あの方は下りて来てくれるのです。弱い者の視点に立ち、一緒に考えてくださる。殿下は与えるだけでなく、それを得るためにはどうすべきか、一緒に考えてくださる」
わたしは姿勢を変え、レイルーデさんのお顔を見上げました。
「殿下は既に我々の、アーティナの誇りなのです。ご自身が、早くそれに気付いてくだされば……」
「レイルーデさん……」
細められた青い瞳。人を思う眼差し。
レイルーデさんという人は、わたしにはとてもステキな人のように思えます。
「それに、アンデュロメイア様の千獄陣に挑める者など、殿下以外おりませんし」
「せんごく、なんです……?」
コロッと変わった話題に、わたしはいぶかしみました。
千の、地獄? この世界には地獄なんて概念ありませんが、とにかく酷い場所、というニュアンスの言葉。
レイルーデさんは眉をひそめたわたしに、しれっとした表情で、
「韜晦なさる、千獄のアンデュロメイア様」
「いやあああ! やめてください! そんなかわいくない名前で呼ばないでください!」
よく分からない突然の事態に、わたしは膝立ちで両手をぶんぶんさせました。
個人として広く認められた人物は二つ名を付けて呼ぶのがこの世界の慣わし。わたしに二つ名が付いたということは、わたし個人が広く認められた証なのですが、なな何だってそんな物騒な!
レイルーデさんはスレンダーな身体をその腕で抱きしめ、恍惚としたような青い瞳でわたしを見下ろし、
「何を仰います。貴女は既にアルカディメイアの恐怖の化身、代名詞ではないですか。幼女の皮をかぶったクズ肉は擬態。頭の中身は糞ゲロを煮詰めたような嗜虐趣味の腐れ脳。あの手この手で人を苦しめる手練手管、それを生み出す思考はまさにクズ中のクズ。残虐非道、頭のいかれっぷりは完全に狂人のそれ。人を苦しめることしか頭にない、最低のクソ人格。でなければ、どうしてあんな石の使い方を思い付きましょう」
ぶるりと肢体を震わせ、レイルーデさんは熱のこもった吐息で、
「しかしまさか、自分の肉の弱さを逆手にとって人を釣り上げるとは、ふふ、このレイルーデの目を持ってしても。全く、身の毛のよだつやり口。ド外道ド最低にも程があります。ゼフィリアから来襲した石作りのバケモノは、講義初日を狙い我々に惨劇を見せ付けることでアルカディメイアを恐怖のズンドコに落とし込み、このエウロフォーンを滅ぼすつもりだったのでは、ともっぱらの噂です」
「違います!! 全然違います!!」
あわあわ必死に抗議するわたしを前に、レイルーデさんは物凄く感心したようなお声で、
「徹底した姿勢ですね。そのかわいい女の子っぷり、流石の擬態です」
「素です! 自然体です! わたしそんなふうに思われてるんですか!? ひどいですあんまりです! ていうか、ちょっと待ってください?! 確かどの島もわたしと喧嘩したいと大人気だったはず!」
でたらめです! とわたしはレイルーデさんをビシッと指差し。あと、生まれて初めて「かわいい」と言われたのですが、何故でしょう、全然嬉しくありません!
異議ありなわたしを前に、レイルーデさんはキリッとしたお顔になり、
「ええ、この世界に生きるものとして、あなたのような危険生物の存在を放っておく訳には参りません。何としてでも諫めなければという、意志の表れなのでしょう。眩しい勇気です」
「それは最早討伐対象じゃないですか! だだ誰なんですそんな噂を流したのは!」
「私ですが」
しれっと答えるレイルーデさんにわたしの時間は停止。
「ちなみに、二つ名も私が広めました」
更にしれっと答えるレイルーデさん。わたしの意識は異次元の彼方へ。
背後から再び聞こえ始めたコツコツという音に、レイルーデさんは石化したわたしを余裕で無視して、
「殿下、断りを入れたので?」
「ええ、正直に応じたわ。ゼフィリアのアンデュロメイアとやりあってこのザマ、だから怪我が治るまで待ってちょうだいって」
「ほえ?!」
戻ってきたナーダさんの言葉で、わたしの時間が再び動き始めました。
「で、もしよければ、アーティナには私の他にも強い子が沢山いるから、その子たちとどう?って」
わたしたちの会話が聞こえたのでしょう。お風呂していたお姉さまたちがザワリと色めき立ち、
「殿下! 喧嘩を譲られたのですか!?」
「私! 私がやる!」
「ズルい! あたしあたし!」
浴槽から飛び出て一瞬で服を着替え、浴場から姿を消していきました。筋肉。
ナーダさんは膝立ちで固まっているわたしを見下ろし、
「メイ、そろそろ移動しましょう。講義の話、するんでしょ?」
「あ、は、はい! お願いします!」
わたしはナーダさんの提案にぱっと立ち上がりました。並んで歩き始めたナーダさんとレイルーデさんの後を、ちょこちょこ必死に追いかけます。
ちょこちょこしながら、わたしは頭を悩ませました。ううう、アルカディメイアにおけるわたしの印象がおかしな方向に捻じ曲がっているようです。これはいけません、このままではいけません。
ゼフィリアのイメージアップをすると共に、何としてでも獄なわたしのイメージを払拭しなければ。そのためにも、きちんとナーダさんに教わり、きちんとした講義を行うのです!
わたしはちょこちょこしながら高い高い天井を見上げ、
そう、挽・回です! 汚名挽回、がんばりますです!




