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025 お母さまの石作り教室

「これでいいでしょう」


 きめ細かな小麦色の肌。

 その右腕に纏わせた、淡く明滅する緑色の石。


 さんさんと輝く太陽が白い石畳をちりちりと焦がす、お昼過ぎの時間。


 わたしとお母さまが向き合って立つ、人払いされた修練場。風込め石で防音壁を張るほどの念の入れようで、いつも一緒なイーリアレすら海守さんのお役目に同行させ、この場には近付けないという徹底っぷり。


 今日はお母さまがわたしに大切なお話があるとのことで、そのためにこの場所を用意されたのです。


 緊張するわたしを前に、お母さまはそのお口を開き、


「アン、あなたに技を授けます」

「ワッザ?!」


 島主になるため必要なことをお話されるのだと思っていたわたしは、驚きのち落胆。ていうか、わたしは喧嘩に興味が無いといいますか、暴力が大嫌いなのです。アルカディメイアに行っても喧嘩は総スルーな予定なのです。


 喧嘩は自分の肉で相手の肉を直接感じることができる、最高の娯楽。というのがゼフィリアの女性の弁。わたしにはちょっと分かりません。


 お口をむにゃむにゃさせるわたしを前に、お母さまは新しく右手にまとわせた風込め石で何かの力を起動しました。サラサラストレートの金髪がふわっと舞い上がり、お母さまを中心にその周囲の風が巻いていきます。


「今、私がどうなっているか分かりますか?」

「はい」


 それは例えるなら風の衣。お母さまの操る風が、ある特定の状態でその空間を安定させているのです。


「これを、風纏いと言います」

「まんまですね」


 しかし、やってることは物凄く高度な技術が使われています。風込め石で周囲の大気に干渉し、人が生きるのに適した環境を作り出しているのです。空気を、大気を操るという力がここまで万能に働くとは思いもしませんでした。


 呼吸機能完備。耐圧、耐熱、耐冷、耐衝撃、耐核防護膜。もしかしたら、宇宙空間でも生きていけるかもしれません。


 その石の構成式を言葉で表現しますと、そう、「環境最適化」になるかと。虚弱なわたしにはピッタリの使い方だと思います。


 お母さまは一度頷いたあと、


「そしてもう一つ、速翔けという技を教えます。これを風纏いと組み合わせることで、この技は完全となります」


 はやがけ? はやくいどうする? 筋肉で動くのと何が違うのでしょう? わたしはいぶかしみました。


「アン、砂で壁を作れますか?」

「はい、お母さま」


 お母さまの指示通り、わたしは左手で砂込め石を作り、少し離れた場所にその力を凝結させました。それはお屋敷と同じくらいの高さ、わたしの胴ぐらいの厚さの石の壁。


「行きます」


 お母さまが言った途端、石の壁が盛大に砕けました。というか爆散しました。続いて、階段の方からごっちゃんずべべべべっと人が転げ落ちる痛い音。


 お母さまは何事もなかったかのようにしゅたっと戻り、


「このように、速翔けは細かな制動が利きません」

「え、あ、はい」


 わたしは呆気にとられたまま周囲に飛び散った石の破片を砂込め石で消去。


 風纏いは便利だと思いますが、速翔けはこれ何の意味があるのでしょうか。小回りの効かない移動手段は事故のもとにしかなりません。そして、お母さまが右手に纏っていた石がひとつ減っています。うーん、消費の激しい技のようです。


 内心ガッカリなわたしを気にせず、お母さまは続けます。


「速翔けは視認した先にしか飛べませんが、移動地点を石に入力し、一度に遠距離を移動する、それを遠翔けといいます」

「……なるほどです!!」


 ピンと来ました。


 つまり、お母さまはわたしに長距離移動技術を伝授するつもりなのです。


 風纏いを使えば自然気流の空気抵抗などで進路がズレる心配もありませんし、加速度によって掛かる負荷を軽減どころか無しに出来る。そのための風纏いなのです。


 これを使えば舟が苦手なわたしでもアーティナ、そしてアルカディメイアへ秒で行けるようになる、とのこと。


 要領を得たわたしはお母さまを見上げ、


「遠翔けの場合、移動先の指定はどのように?」

「それを絞りながら使うのが難しいのです」

「お母さま、速翔けを込めた石を見せていただけませんか?」


 お母さまが帯から別の風込め石を取り出し、わたしはその石にちょんとに触らせてもらいました。


 やっぱり。


 汎用として作られたのでしょう、喧嘩で使う風と速翔けの機能がごっちゃになっています。そして速翔けの情報、その移動先には「空き」が作ってあります。ていうかお母さま。「私、風、あそこ、飛ぶ」ってシンプル過ぎませんか。


 しかし、問題なのは「あそこ」の部分。入力されているのは抽象画のような、あやふやな風景の情報。この「空き」に漠然としたイメージしか込めていないせいで、石の出力調整が上手く働かなくなっているようです。


 頭の中の記憶で物凄いぶっちゃけますと、ナビゲーションツールの目的地に無理矢理画像ファイルを入力してる感じでしょうか。


 これをお母さまのように「なんとなく」で作るのは無理だと思うのですが、そこをなんとかしてしまうのがお母さまの脳筋根性力なのだと思います。


 しかし、


 石作りなので、もうちょっとこう、ファジィな感じでも大丈夫のような気が。移動先、その安全面の考慮は勿論重要ですが、目的地が既知の場所である必要は無いと思うのです。


 風纏いは干渉能力なので、そのために石を作る必要はありません。座標入力式はあとでお母さまに説明するとして、まずは速翔け用の単機能の風込め石を作らねば。


 そんな訳で、わたしは右手で風込め石を作り、情報入力。速翔け、お庭の中心、高度はお屋敷の屋根くらい。


「風纏い展開。速翔け、起動」


 一瞬の浮遊感。一瞬で移り変わる視界。初めてお屋敷の屋根を見下ろし、わたしはちょっと嬉しくなりました。これはもう瞬間移動と言って差し支えないのではないでしょうか。


 わたしは空中にふわふわ浮きながら、風込め石の干渉能力を調整します。


 ふむふむ、ゆっくり下降する時はその出力を上げねばならないようです。風纏いはあくまで状態固定、これだけでは滞空することしかできません。推進力は速翔け、という仕組みなのですね。


 わたしがお母さまの目の前にふんわり着地すると、


「か、皆伝です……」


 お母さまは静かに驚き顔。それから、わたしの右手の風込め石に触り、


「石が消えていませんね。速翔けは大きな力を使うため、一度使うと石が消えるものなのですが……」

「それは機能を絞ったからです、お母さま。これは速翔けにしか使えません。風込め石としては実験用、実用ではないですね」

「他の用途のものは他に作ればよいではないですか。速翔け専用とすれば、充分実用です」


 お母さまは専用という言葉にこだわっていらっしゃる。


「お母さま、海図を作っていただけませんか?」

「海図ですか? 分かりました」


 この世界では地図のことを海図と言います。というか地図、という言葉はあまり使われないようです。陸が殆ど無いからだと思います。多分。


 お母さまは気込め石で楕円形の布をピラッと作り出し、パッと青に染色。気込め石は人の持つ色素であれば、自在に色を変化させることができるのです。紙に字を書くのと同じメソッドですね。


 その海図を見上げ、わたしはおや?と思いました。


 お母さまが広げたのは頭の中の記憶でいいますと、モルワイデ図法。海図上で実際の面積比が同じとなるよう描かれた正積図法です。グリッドは引かれてませんが、端に行くほど島の形がぐにゃっと曲がっているので、間違い無いと思います。


 海図の右下にちまっとあるのが、おそらくゼフィリア。なので、この世界の地図はアルカディメイアを中心経度として描くのが基本なのかもしれません。


 しかし、頭の中の記憶の船乗りさん達はメルカトル図法、正角円筒図法というものを使っていたような。等角航路が直線で表示されるため、そちらの方が使いやすい筈なのです。


「距離の縮尺は正確なものですか?」

「長年かけて各島の海守が測量したものです。数字を描きますか?」

「お願いします。ゼフィリア、アーティナ周辺を拡大してください」


 わたしがお願いすると、海図のその部分がシュゴーッと拡大されました。やはり人の思考がそのまま反映される石作りは面白いです。


 その海図から距離を計測し、わたしは右手にはがね石を作り出しました。矢印型に変形させたそれに磁力設定を行い、方位を確認。続いてお母さまに緯度線、経度線によるグリッド算出した座標入力のお話をします。


 それは遠翔けの目的地を目標座標に入れ替えるためのお話。


「それは正角図法の方がよさそうですね。ヴァヌーツ式です」


 聞くところによると、ゼフィリアでは「アルカディメイア、またはゼフィリアを中心点として、そこから放射線状に線を引き距離を測る」というやり方が航路計算の基本なのだとか。


「座標入力法、それはあとで試さねば……」

「既知の場所であれば名前を込め、そうでない場所は座標を込めたほうがいいかと」

「なるほど」


 お母さまは海図を持ちながらうんうん納得したご様子。


 石作りの強みは、この曖昧さにあります。


 海守であるお母さまはその方向感覚が優れている筈、であれば、その言葉は精度の高い情報となります。込める情報がシンプルであればあるほど実現性が高くなりますし、言葉も消費しにくくなる、筈なのです。


 お母さまは海図をパッと消去させ、改めてわたしに向き直り、


「さて、次です。もうひとつ、飛ばし、という技を教えます。ですが、これは中々成功しないので、上手くいくかどうか分かりません」


 その言葉にわたしは驚きました。お母さまはお脳が筋肉ですが独創的な風作りとその制御は超一流だと思うのです。


「そんな、お母さまでも?」

「二十回に一回、いえ、三十回に一回でしょうか」


 難しいお顔をさせながら両の手を握り、お母さまは目を閉じました。しばらくして、お母さまが目と両手を開くと、その手にそれぞれ緑色の石が。


 お母さまは片方の石をわたしの左手に持たせ、


「ここで待つように」


 と言って、目の前から姿を消しました。筋肉。


 わたしは受け取った石を眺めて首を傾げます。お母さまはひとつの石に様々な風を込めるのが得意なのですが、これはお母さまにしてはめずらしい、単機能な石に見えます。はて。


『アン、聞こえますか? 聞こえたら右手を挙げてください』


 突然石から聞こえたお母さまの声に、わたしは慌てて右手を挙げました。すると、即お母さまが目の前に着地。筋肉。


「成功したようですね」


 お母さまはほっとしたようなお顔で、飛ばしの石をかざして見せました。


 なるほど理解。これはおそらく、頭の中の記憶にある電話みたいなものなのです。しかし、作りとしてはさして難しいものではないように思えます。そんな訳で、


「出来ました。お母さま」

「か、皆伝です……」


 お母さまは再び驚き顔に。わたしの右手、その手の平には二つの風込め石。


 機能としては極めて単純。片方の石が音を拾うと、もう片方が拾った音を発するだけ。送受信ですね。


 お母さまは「飛ばし」と言っていましたが、厳密には違います。共鳴運動と言いましょうか。「同一のもの」として作られているのがミソで、片方の機能が働くと、もう片方が連動するのです。


 そして、作ってみてその問題点が分かりました。この「飛ばし」は全く同じ石を複数作らねば機能しないのです。


 海守さんたちの悩みを聞いて知ったのですが、普通の人は同質の石を作ることが出来ないそうで。意外でしたが、石はその人の作る一点ものの工芸品と考えれば納得です。


 更に、人が一日に作れる石の数には限りがあり、失敗作はそのまま無駄になってしまう。それがこの石の難易度が高い理由なのですね。


 わたしの石作りは同じ規格のものを大量に生産する、というところから始めたので、個体は違えど性能は同じで当たり前、むしろ大前提なのです。


 わたしはお母さまに自分が作った石を渡しながら、


「複数箇所との相互通話も可能にしました。先ほどの遠翔けの石と同様、設定に空きを作ったので、あとで言葉を込めてください」

「それはお役立ちです。それに、アンが沢山作れるとなると、石自体に名前が欲しいところですね。音を飛ばすのですから、音飛び石にしましょう」

「何か、通話が途切れそうな名前ですね……」

「アン、遠翔けをする際は、付近の島に必ず連絡を入れねばなりません」


 わたしたち女性は昼の間しか海上を移動できません。移動で夜をまたいでしまう場合、近くの陸を経由しながら目的地に向かう。それがこの世界での航路なのだそうで。


 そのために連絡手段は必要不可欠。なるほど理解です。


 領空侵犯みたいなものがあるのでしょうか、と一瞬不安になったのですが、お母さまの海図には領海の基線などが一切無かったので、その心配はなさそうです。そもそもこの世界の人類は資源の奪い合いとかしないのです。


 というか、この世界には人類同士の戦争の歴史がありません。「強い者は弱い者に与えて当然」という筋肉的お約束が上手く働いた結果なのでしょう。


 そしてもうひとつの理由は、あまり思い出したくないこと。


 シグドゥ。


 わたしたちの世界は、人と人とで争っている余裕が無いのです。


「分かりました、お母さま」


 色々と考え、わたしは色々納得しました。お母さまはそんなわたしを見て察してくれたのでしょう。一度頷いたあと、


「これで技が揃いました。難しいものなのでその習得に数日を想定していたのですが、アンは飲み込みが早いですね、とてもいいことです」

「あ、ありがとうございましゅ……」


 お母さまは照れたわたしに一度微笑み、それからきゅっとその口元を結びました。キリリとしたお顔で膝立ちになり、視線を合わせ、


「最後に、アン。空を飛ぶ石の作り方を人に教えてはなりません」


 それは人払いをし、イーリアレまでこの場から遠ざけた、その理由。


「何故でしょう、お母さま」

「人は死んだ後、空を飛んでしまうかもしれないからです」


 うん? うん? わたしは首を傾げました。


 お母さまは首を傾げたわたしに、


「陸の安全のためなのです」


 わたしとお母さまの金髪を揺らす、潮の香りを含んだ風。

 さんさんと輝く太陽が白い石畳をちりちりと焦がす、お昼過ぎの時間。


 わたしは傾げた首をもとに戻し、


「はい、よく分かりませんが分かりました!」





 読んでいただきありがとうございます!


「いいね! 続きが気になる!」と思った方は、

挿絵(By みてみん)

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凸凹探索者夫婦のまったり引退ファンタジー!
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