Другая точка зрения:третий
24、5という中途半端な年齢で傭兵にならざるを得なかった俺だったが、それまでライフルどころか拳銃ですら撃ったことなどなかった。学生時代に友人が見せてくれた半ば骨董品のような旧世紀の拳銃を触らせてもらったことはあったが、とても撃ってみる気にはならなかったものだ。もっとも、その拳銃の持ち主である友人は河原で試し撃ちなどしようとして暴発させてしまい、命に別状こそなかったが大怪我を負ったという後日談はある。今になって考えるに、明らかな手入れ不足によるものだ。
そんな人畜無害な俺を、ご丁寧にもマフィアの連中は傭兵の訓練施設に放り込んでくれた。その施設、いわゆるブートキャンプで俺は、地獄のような10週間を過ごすこととなった。朝の5時から夜の10時まで、休日ナシで、ひたすらに体力トレーニングとあらゆる人殺しの術を学んだ。そこには俺以外にも30人ばかりの男どもがいたわけだが、どいつもこいつも俺と同じようにマフィアにハメられて連れてこられたボンクラばかりであった。逃げようとした奴もいたが、アッサリ捕まり、イヤと言うほど殴られ蹴られした挙げ句に、教官どもに「カマ」まで掘られて、結局はノドを掻き斬られて殺された(らしい。単に俺たちを脅すための仕込みだった気がしないでもない)。中世かと見まごうほどに恐ろしい世界だった。
世間知らずの俺は、それですっかり肝を冷やしてしまい、そこからは命懸けで訓練に打ち込んだ。ナイフ、拳銃、ライフル、マシンガン、ロケットランチャー、爆薬や地雷の類、様々な体術、無線機や地図の使い方、簡単な数カ国語の外国語、とにかく詰め込めるだけ詰め込まれた。大学で学ぶよりも遙かに大変だった……おそらく人生で最も勤勉に学んだ期間だったと思う。俺のような素人を鍛え上げるのにどれだけのコストが掛かるのか、そしてまた掛けたコストの元が取れるのかどうか疑問ではあったが、どうやらこの時代に好きこのんで戦争屋になるバカはいないようで、新兵同然の傭兵でもそれなりの値段で売れるらしいことを後になって知った。
キャンプの場所は今でもハッキリとは判らないのだが、おそらくヴォルゴグラードの南方、グルジアの国境付近なんじゃないかと思う。グルジアも相当に物騒な場所だが、それよりもチェチェン人の土地にも近い。かつてチェチェン共和国と呼ばれた地域だが、各地域が自治化してからは民族運動は益々盛んになり、旧世紀と変わらないくらい、あるいはそれ以上の紛争地域になっている。他国を弱体化させたり、自国の軍需輸出を増すために謀略や陰謀を弄するメリットが失われたため、国家間の戦争は皆無に等しくなったが、ニュースでは報道されない小さな民族紛争や小競り合いは沈静化の様子を見せてはいない。カネやエネルギーの奪い合いをする必要が無くなった代わりに、民族や宗教を理由に行われる戦闘行為が幅を利かせてきているのだ。こういう理由による戦争は勝った負けたで済むようなものではなく、どちらかが根絶やしになるまで終わることを考えないものだ。ウクライナもタジキスタンも、いまだに戦の種火が燻り続けている。
俺が傭兵として売られたのも、そういう手合いの手駒として働くためだった。わずか半年余りでマフィアへの支払いも済み年季も明けた俺ではあったが、その後も個人で傭兵を続けた。この仕事を最前線にいながら半年も続けられたのなら、それで充分に手練れだと見なされ、クライアントのカネ払いも良かったからだ。毒を食らわば何とやらだ、そのわずか半年の傭兵生活で俺はマトモな人生に見切りを付けた。今になって思うに、どうにも早計だった気はする。
俺は時に義勇兵として、時にゲリラとして、時に民兵として、主に東ヨーロッパや中央アジアで戦い続けた。だいたいは民族紛争やらマフィア同士の抗争やら、そういう仕事を主にしていた。暗殺者やテロリストまがいのこともやった。あまり真剣に考えたことはなかったが、もしかしたら国際手配などされていてもおかしくはないかもしれない。先月までの雇い主に、今月は銃口を向けるような暮らしをもう15年近くも続けている。友と呼べるような親しい同業者はついぞできなかった。互いに、いつ敵同士になるか判らないから、親しくなどなりたくもないのだ。
さて、俺は中国の甘粛省にいた。もちろん遊びに行っていたわけではない。戦争だ。中国の甘粛省、とは言ったが、今はウイグルとモンゴルに属する自治区となっている。知っての通り、この1世紀の間に中国は独立運動と内戦と周辺国からの蚕食により、かつての広大な国土を喪ってしまっていた。いまやインドよりも遙かに小さい。上海から香港まで、沿岸部も台湾(俺はアジアの歴史や政治には疎いのだが、台湾とは中国の一部ではなかったのか?)に切り取られ、北面の海上も日本とアメリカ、そしてロシアに封鎖されている。21世紀の中頃に朝鮮半島を併呑したのが拙かったのだろう。
何度も言うように、俺は傭兵だ。大義など無くても金さえ貰えればどこにでも所属する。なので、負け戦になるとは判っていながら中国側の義勇兵として紛争に参加した。この戦、ウイグルモンゴル側に大義があり士気も高かったが、いかんせん独立運動家に毛が生えた程度の民兵が各々思うように闘っているため、資金に乏しく金払いは悪かった。一方、メンツを保たなくてはならない中国共産党はカネはキッチリ払ってくれた。前金でだ。なので俺は最初の4日間は中国側で戦い、その後、ウイグルモンゴル側に寝返って最後まで戦い抜いた。おかげでカネも達成感も得ることができたのだ。




