15.空に還る
1970000ヒットありがとうございました! 最終話です。
同じ光景を昔に見た。
空へと還る人を見送る瞳、遠く彼方に投げられて動かない。
朝倉家のそこここで、密かに行われた告別式に参加した者もできなかった者も、高野を惜しむ顔に違いはなく、それは湖の端で白い十字架の側に立つ周一郎もまた。
「…滝さん」
足音に振り返って微笑んだ。
「逝きました」
「ああ」
高野がいなくなるはずはなかった。
人は死んでも、高野はずっと生きているような気がしていた。
「ルトは?」
「さあ……ここには用がないようです。穏やかに逝きましたから」
「そうか」
不吉を好む青灰色の小猫は、次の獲物を探しに出かけたのか。
「おめでとうございます」
「へ?」
「佐野さんとご結婚されたんですね」
「あ、ああ」
まあ正式な式はまだだし、一応籍は入れたけどな、とごにょごにょ呟き、気づく。
「佐野さん?」
夫婦別姓と伝えただろうか?
「名前を変えるのは色々と手続きが煩わしいですから」
「お前もか?」
物言いたげな視線に付け加える。
「お前も結婚したら、相手は別姓でいいのか?」
「朝倉に入ることは必須です」
冷ややかに断じられた。
「次世代に混乱を招く必要はありません」
突き放した物言いに、まだここはこいつの居場所にはなっていないのかと察した。
借り物の居場所で支えとなり守りとなってくれた人間を、また1人周一郎は失った。こいつは失ってばっかりだ。
「お由宇が1週間ほど留守にするんだ」
「はい」
「その間、こっちに来てもいいか?」
「……高野が居ません」
ほう、と小さく息をつく。
言われなくとも、岩渕から、周一郎はこの数日またもや飲み食いが滞っており、仕事を抱いて部屋に籠っていると聞く。岩渕ではまだ、周一郎に食べさせられないし、眠らせられない。助けて欲しいと泣きつかれた。
「あなたの世話をするものがいませんが」
「1人暮らしはできるんだ、一応」
知ってるだろうが、と反論する。
「ただ原稿をまとめて書きたいし、食物だけでもあると嬉しい」
「佐野さんのお節介は、あなたからの感染ですか」
「人を病原菌みたいに言うな」
ぎくりとしながら応じる。
少し前、磯崎薫という老人に会いに行った。お由宇の古くからの知り合いだと聞いたが、思っていたより高齢で、そのくせずっと笑顔でいるのが強そうに見えて、年齢よりもずっとお若い雰囲気ですね、と言ったら一瞬口を噤まれた。
『これがお前の宝玉かね。お前を変えた相手かね』
磯崎薫はすぐに笑った。側に居たお由宇が引きつったから、まずいことを言ったのかなと慌てて取り繕った。
『いや、82歳とかにはとても見えないってことで、まるで別人みたいにお元気ですねって意味です。悪気はありません!』
褒めたつもりだったのだが、2人も妙な顔になって黙ってしまい、帰り際にお由宇はぼそりと
『2度と会わないって言いそう』
『へ? どうして! 俺がヘマしたのか?』
『そのうちどこかで本名に辿り着くんだろうなあ…』
『ああ、あの人の結婚前の名前とか? いやさすがにわからんだろう、そこまでの興味もないし』
『ええ、そうね、そうであることを切に願うわ、本当に』
出ないとショーチンラオも面倒なことになるし。
唸ったお由宇が厳しい顔になったので、それ以上は突っ込んでいないが。
経営している飯屋は、結婚前からの複雑な事情があるのかも知れない。
「それで?」
「え?」
周一郎が優しく尋ねてきて我に返った。
「部屋は前のままです。いつでも使えますよ」
「前のままって……」
朝倉家を出て行って数年、戻ってくるかもわからないのに。
「部屋が余っていますからね」
小さく笑った。
再会した時に繰り返し見せられた、あの明るい笑顔ではなく、溢れて零れるような微笑。
「僕も多少大人になりましたから」
「なるほど」
「対応策もわかりましたし」
「対応策?」
「害虫は殺していけばいいので」
「ああそうか……害虫?」
朝倉家にそれほどゴキブリとか発生したのか? いや確かにこれだけ草っ原とか森とか湖とかあったら、確かにゴキブリ以外のムカデや蚊や虻やハチなども多そうだが。
「なるほどなあ、高野が居なくなったら、そういうこともお前が心配しなきゃならんのか」
「そういうこと?」
「いや、だからこういう庭から出る害虫駆除なんかも、当主のお前が気にしなくちゃならないんだろう? 大変だよな、忙しいのに。早く岩渕に成長してもらわんとな」
うんうんと頷いていると、くくっ、と笑い声が響いた。
「周一郎?」
「いえ、すみません。ええそうなんです。害虫駆除も僕が気にしなくてはいけないんです。でも僕は」
嫌いじゃないです、害虫駆除。
何がそれほどツボに入ったのか、ふいに満面の笑顔になった相手に、俺は変わらず困惑した。
終わり
次の10000ヒット連載は「ラズーン7」です。




