強い繋がり
サクラの力によって明日香の生前の一部を見て来た俺は、あのまましばらく泣き続けたあとで泣き疲れて眠ってしまった。
そして朝になってからベッドの上で目を覚ましたあと、俺は起き上がるわけでもなく、寝返りを打つわけでもなく、ただじっと天井を見つめていた。部屋の中には壁掛け時計の秒針が進む音だけが聞こえ、その乱れのないリズムが少しだけ心地良く感じる。
それにしても、今日が休日で本当に良かったと思う。こんな沈んだ気分では、授業をまともに受けるどころの話ではないから。
「はあっ……」
今日一番に口から出たのは溜息。それ以外はまったくと言っていいほど出て来ない。でも、それは仕方ないと思う。あんな場面を目の当たりにすれば、誰だってこんな風に気分が沈むのが普通だと思うから。
明日香の生前の一部を見て来た俺は、沈んだ気分の中で色々と考え事をしていた。
小雪を飼わない事が明日香の為だと主張するサクラ。
サクラは小雪を飼い続ける事で明日香が生前の記憶を呼び覚まし、今の自分を見失ってしまう事、つまり、心が壊れてしまう事を恐れていた。
一番最初こそサクラの言う言葉の意味が理解できなかった俺だけど、あの光景を見て来た今なら、サクラがその状況を恐れるのも十分に理解できる。だってあんな事、思い出したいわけないじゃないか。あんな出来事、思い出したら壊れたっておかしくないじゃないか。
しかもあのあと、泣いている俺にサクラは更なる衝撃の事実を伝えてきた。それは我が家で飼っている小雪が、生前の明日香が世話をしていた小雪の生まれ変わりだったという事だ。
これはサクラさえも最近知った事実らしいが、サクラが言うには、こういったケースはそう珍しい事ではないらしい。
人と人に縁というものがある様に、この世にあるすべての生き物にはそういった不思議な繋がりがあるそうだ。
そしてその中でも魂の繋がりというのは相当に強いものらしく、しかもその魂の繋がりは、共に居た時間の長さだけに左右されるものではないとの事だ。それについてはサクラ曰く、『真摯なまでの想いの強さが、その繋がりを強くするんだよ』との事だった。
つまり生前の明日香と小雪は、ほんの一ヶ月にも満たない間にそこまでの繋がりを持ったという事になる。
そう考えると、こうして俺と明日香が巡り会った事だって偶然などではなく、サクラの言う様な魂の繋がりだったのかもしれない――と、そんな風にすら思ってしまう。けれどまあ、いくら何でもそんな都合のいい事は無いだろう。
そうやってベッドに寝そべったままで色々な事を考えていると、俺の耳にトタトタとスリッパを履いて歩いて来る足音が聞こえてきた。
「お兄ちゃん。まだ寝てるの？」
その足音は部屋の前でピタリと止まり、コンコンと部屋の扉をノックしたあとにそう問い掛けられた。
「起きてるよ。どうかしたのか？」
「あっ、起きてたんだね。もうお昼を過ぎてるのに起きて来ないから、また徹夜してたのかと思って」
明日香にそう言われた俺はスッと上半身を起こし、部屋の中にある壁掛け時計を見た。すると時計の針は午後十二時四十三分を指し示していて、かなり長い時間を考え事に費やしていたんだな――と、少し驚いてしまった。
「ごめんな、明日香。すぐに着替えて下に行くから」
「うん。お昼ご飯もできてるから待ってるね」
そう言うと再びトタトタと廊下を歩く足音が聞こえ、やがてその音は聞こえなくなった。
そして俺はその音が聞こえなくなったあとでベッドから下り、タンスから洋服を取り出してから着替えを始めた。
最近は『夜更かしをすると身体に良くないよ』と言って明日香がご立腹になるので、なるべくしっかりと睡眠時間を取る様にはしている。
だけどそれだとギャルゲーもまともにやる時間がなくなるので、『次の日が休みの時は少しだけ夜更かしを許してくれ』と明日香には言った。すると明日香も俺のお願いを無下にする事はできなかったみたいで、渋々ならがもそのお願いを了承してくれた。もちろん夜更かしをする理由が、ギャルゲーをやる為などとは言っていない。
しかしまあ、不健康な生活を送る兄を心配してそんな事を言うなんて、なんとも可愛い妹じゃないか。
そんな明日香を微笑ましく思いながら少し表情を緩ませ、俺は部屋を出てからリビングへと向かった。
「――待たせてごめんな」
「ううん。それじゃあ、お昼ご飯にしよう」
俺はリビングにあるソファーに腰掛け、明日香が用意してくれたお昼ご飯に箸を伸ばしながら、既についていたテレビから流れて来る情報を見聞きし始めた。
「――ねえ、お兄ちゃん。昨日はサクラとお話できた？」
食事を始めて少し経った頃。明日香からそんな言葉が飛び出し、俺はその言葉で思わず箸の動きを止めてしまった。
「…………実は昨日遅くまで待ってたんだけど、サクラが帰って来なくてさ。まだ話せてないんだよ」
「そうだったんだ。それでお兄ちゃん、起きるのが遅かったんだね」
「まあ、そういう事だな」
とりあえず明日香はこの内容で納得してくれたらしく、それ以上の事は聞いてこなかった。
しかし明日香の聞き分けが良いのは嬉しいけど、そんな明日香とは違い、俺には色々と聞いてみたい事があった。でも、それをどんな風に聞いたらいいのかは正直迷う。
でもどんな聞き方をしたとしても、ある程度は怪しまれる事になるだろう。それならいっそ、ストレートに質問をした方が良いかもしれないと思った。
「なあ、明日香。ちょっと聞いてもいいか？」
「ん？ 何？」
「サクラが小雪を飼うのを反対してたんだよな？ もしもそれが、明日香の為にそう言ってたんだとしたら、明日香はどうする？」
俺がそう尋ねると、明日香は持っていた箸を箸置きに置き、真面目な表情で口を開いた。
「……あのね、お兄ちゃん。サクラが意地悪であんな事を言ったわけじゃないのは私にも分かるんだ。だからきっと、何か理由があるんだって思うの」
「そうだな。俺もそうだと思うよ」
サクラが明日香の為を思っているのは間違い無い。だから俺も、明日香の言葉に対して大きく頷いて見せた。
「でもね、それでも私は小雪とお別れしたくないよ」
そう言う明日香の表情からは、絶対に小雪と離れない――という力強い意思が見て取れた。仮に俺がサクラに協力する為に明日香を説得しようと考えたなら、かなり苦労しそうだ。
「それじゃあ、仮に……仮にだけどさ、小雪を飼っている事が原因で、今の明日香が今の明日香じゃいられなくなるとしたらどうだ？」
かなり突飛な内容の質問だとは思うけど、サクラと話をしていない事にしている以上、こう言った聞き方になるのは仕方ない。
それに真実を話すという事は、どうしても明日香の生前について触れなければいけなくなる。それだけは絶対に避けなければいけないのだ。
「う～ん……私が私でいられなくなる――っていう感覚がよく分からないなあ……」
そう言いながら明日香は俺の言葉の意味を考えているみたいだけど、こういう反応になるのは当然だと思う。もしも俺が明日香に同じ事を質問されたら、おそらく今の明日香と似た様な反応をするだろうから。
それに実際に壊れた事が無い以上、自分が自分でいられなくなった事が無い以上、それがどんなものかを説明するのも理解するのも不可能だ。だから俺達に出来る事があるとすれば、多分こうなるのではないだろうか――という感じの、漠然とした予想のみだろう。
「まあ、そうだよな……」
「でもね、例えそうなるとしても、私は小雪と一緒に居るよ」
「どうしてだ？ 今の自分じゃいられなくなるかもしれないのに」
「だって、私はそうならないもん。お兄ちゃんが居るから」
屈託のない満面の笑顔で、真っ直ぐに俺を見てそんな事を言う明日香。
そんな明日香を見て、俺は心が温かいもので包まれていくのを感じた。
「それにもし私がそんな事になっても、絶対にお兄ちゃんが迎えに来てくれるもん♪」
その言葉を聞いた俺は、とても嬉しかった。兄としての俺を心底必要としてくれていると分かったから。
「……そうだな。俺は明日香のお兄ちゃんだもんな。もしもそんな事になっても、俺はちゃんと明日香を迎えに行くよ」
「うん。だから私は何も心配してないよ」
――そうだよな。俺は明日香のお兄ちゃんなんだ。家族なんだ。だからどんな事があっても明日香を、この妹を守ろう。
「あっ、もうすぐ由梨ちゃんと待ち合わせの時間だ。お兄ちゃん、出掛けて来るね」
明日香はそう言いながら、いそいそと食器を片付け始めた。
「今日も由梨ちゃんと遊ぶのか？ 本当に仲がいいな」
「うん！ 私、由梨ちゃんも大好きだから。それじゃあ、行って来ます！」
「車に気を付けてな」
「はーい！」
明日香は元気に返事をすると、用意していた上着を持って家を出て行った。
そして家の中に一人になった俺は、食べ終わった食器を片付けながらサクラにどう話を切り出そうかと考えていた。
「――明日香、行っちゃったね」
そう思いながら片付けをしていた途中、明日香が座っていたソファーの陰から、サクラがそう言いながらふわりと飛んで姿を現した。
いつもの様に壁を突き抜けて現れなかった事を考えると、サクラは俺達のしていた会話をずっと聞いていたのかもしれない。
「サクラ。もしかして俺と明日香の会話を聞いてたか？」
「う、うん……まあね」
――まったく。兄妹の会話を盗み聞きとか、趣味の悪い妖精だな。
そんな事を思いながら、俺は苦笑いを浮かべた。
「サクラ。小雪の件だけどさ、このまま明日香と一緒に居させてあげてくれないか？」
「やっぱりそうきたか」
サクラは、俺がそう言い出すであろう事を予想していた――と言わんばかりの苦笑いを浮かべた。
「サクラには悪いけど、俺は明日香の気持ちを尊重してあげたいんだ」
「それが原因で明日香の心が壊れる事になったとしても？」
「明日香の心は壊れないよ。仮にそうなりそうになったとしても、俺が必ず明日香を迎えに行くから」
それは明日香と交わした約束で、俺と明日香の心を繋ぐ言葉だ。
サクラはそう言った俺に向かい、少し厳しい表情をして口を開いた。
「涼太君。正直私はその判断に賛成はできない。でもこの転生プロセスでは君達の意思が最も重要だから、不本意ではあるけど、小雪の件は目を瞑る事にするよ」
「ありがとな。サクラ」
「はあっ。私としてはやれやれって感じなんだけど、明日香にあそこまで信用されてると、私もこれ以上この件で揉めたくはないからね。でも涼太君。明日香には常にそういった危険が伴っているって事だけは忘れないでね？」
「ああ。分かってるよ。俺だってあんな事を明日香に思い出させたくはないからな。まあ、あとは俺に任せておけよ。明日香には上手い具合に言っておくからさ」
「うん。ありがとね、涼太君」
そしてこの日の夜。
俺は寝る前に明日香の部屋へ行き、上手い具合に真実を隠しながら今回の事を話して聞かせた。全てを話せたわけじゃないから、明日香も俺の話した事の全部を納得できたとは思わない。だけど明日香は小雪を飼い続けても良いという事に喜び、その話を納得してくれた。
こうして明日香とサクラの小雪を飼う飼わない騒動は終わり、とりあえずの決着をみた。
しかし今回体験した事がのちに俺の中に大きな疑問を抱かせる事になり、それが元で俺の中で眠っていたある出来事を思い出す切っ掛けになるとは、この時の俺には知る由もなかった。
