気になる事
山の麓へ辿り着くと、目の前には様々な色合いで紅色に染まった葉を付けた木々達が見えていた。本当ならそんな光景に目を奪われて見惚けるところかもしれないけど、今の俺にそんな情緒に浸る余裕は無かった。
「大丈夫? 涼君」
「だ、大丈夫大丈夫……」
綺麗な光景が目の前に広がっているにもかかわらず、俺は琴美と繰り広げた鬼ごっこで疲れ、両肩を大きく上下させながら息を整えていた。日頃から運動不足気味とはいえ、これはちょっと洒落にならない。
「大丈夫かい?」
拓海さんも琴美と同じく心配そうに俺を見ていた。
それは明日香と由梨ちゃんも同じみたいで、俺はみんなの心配そうにする視線を一挙に集めてしまっている。我ながら情けないもんだ。
「本当に大丈夫ですよ、拓海さん。さあ、張り切って登りましょう!」
息を整え終わった俺はみんなの心配を振り払おうと先頭に立ち、山の頂上を目指して歩き始めた。
今から俺達が登るこの四王山は標高三百メートルほどで、登山初心者にはお誂え向きの山と言える。
頂上まではゆっくり歩いても二時間くらいで、紅葉が美しく紅葉狩りには最高だとガイドブックにも書いてあったし、みんなで秋の訪れを楽しむには最適な場所だろう。
「――綺麗な風景だね。由梨ちゃん」
「うん。綺麗だし幻想的」
登山道を登り始めてから約二十分。
たまに撫でる様な優しい風が山の中に吹くと、それに揺られてひらひらと紅葉が舞い落ち、それがまるで紅い蝶がひらひらと羽を羽ばたかせて飛んでいるかの様に美しい光景を作り出している。
「なんだか異世界にでも迷い込んだみたいな感じだよね……」
「そうだな。こんな風景は見た事が無いかも」
「――さあ、頑張って先に進もうか」
いつまでもそんな風景に見惚れていた俺達のすぐ隣で、拓海さんが名残惜しそうな声音でそう言ってきた。俺と琴美はその声に我に返った様にはっとし、再び山頂へ向けて歩みを進め始めた。
それにしても、いくら初心者向きの山とはいえ、少し琴美と追い駆けっこをした程度で疲れてしまう俺にとっては、この緩やかな登山道ですら結構キツイ。
しかも今日は明日香達にはのんびりと風景を見せて楽しませてやりたかったから、必要な荷物が入ったリュックなんかは俺と拓海さんが分担して持っている。だからそれなりに俺の足取りは重い。
でもさっきはみっともないところを見せてしまったし、これ以上そんな無様なところを見せるわけにはいかない。兄として、また男としてのプライドにかけてポーカーフェイスで登りきって見せるつもりだ。
俺はそんな事を考えながら足を進め、短く息を吐いて気合を入れ直した。
× × × ×
登山道をゆっくりと歩いて登り、頂上に着く頃にはお昼の十二時を少し過ぎていた。
「美味しーい!」
頂上にあるちょっとした広場にレジャーシートを敷き、俺達はそこで琴美が作って来てくれたお弁当に舌鼓を打っていた。
「本当に美味しいですね。琴美さん凄いなあ」
明日香は重箱の中のおにぎりを取って本当に美味しそうな笑顔でそれを頬張り、由梨ちゃんはおかずの玉子焼きを食べて琴美を絶賛する言葉と羨望の眼差しを向けていた。
「そんな事はないよ。どれもちゃんと練習すれば作れる物だし、由梨ちゃんにもできるわよ」
「それじゃあ、今度教えてもらえませんか?」
「うん、いいわよ。いつでも言って来てね」
その言葉に嬉しそうにしながらお礼を言い、由梨ちゃんは重箱のおにぎりへと手を伸ばした。
「あの、篠原さんはどうですか?」
拓海さんへ向けて恐る恐るそう尋ねる琴美だが、その答えは聞くまでもなく分かっている。なぜなら拓海さんは、最初から凄い勢いで集中してお弁当を食べているからだ。
「…………」
「あっ、ごめんなさい、琴美さん。兄さんは美味しい物を前にすると夢中で食べる癖があるんです」
「そうなんだね。良かった……涼君はどう? 美味しいかな?」
夏休みに一度琴美が作った料理を食べる機会があったけど、それはもう絶品だった。
琴美は昔から琴音さんのお手伝いで色々な事をしてたみたいだし、料理だって仕事で忙しい琴音さんの代わりに作っているとは聞いていたから、そんな琴美の作ったお弁当が美味しいのは当然の事だと言えるだろう。
「凄く美味しいよ。これだけできたらいいお嫁さんになれるだろうな」
「お、お嫁さん? そ、それはその……誰のお嫁さん……なのかな?」
「えっ!? あ、いや、それはその…………」
「お兄さんも琴美さんも、顔が真っ赤ですよ?」
あまりの恥ずかしさと動揺で目を泳がせていると、由梨ちゃんがにこやかな表情でそんな事を言ってきた。
「あっ、ホントだ! お兄ちゃんと琴美お姉ちゃん、顔が真っ赤だよ♪」
「ははっ。お熱いね、二人共」
「か、勘弁して下さいよ。拓海さん」
俺と琴美は三人の好奇の視線に晒されながら、細々と食事を済ませた。
なんだか最近は、こうやって琴美とセットでからかわれる事が増えた気がする。それはとても恥ずかしいんだけど、不思議と悪い気はしない。これが以前の俺だったら確実に不快感を示していただろうけど、それを感じなくなったって事は、俺が少しだけ大人になったって事なのかもしれない。
こうして昼食を終えた俺達は、少しの間自由に頂上からの風景を見て回る事にした。
「――涼太君。ちょっといいかな?」
琴美と二人で遠くの景色を見ていた時、拓海さんが何やら深刻そうな表情でこちらにやって来た。
「どうかしたんですか?」
「うん。ちょっと大事な話があってね」
「あっ、それじゃあ私、明日香ちゃん達のところに行って来ますね」
「ごめんね、姫野さん」
拓海さんが申し訳なさそうにそう言うと、琴美は『気にしないで下さい』と言ってから明日香達の方へと向かって行った。
「ごめんな、涼太君。せっかく彼女と二人で楽しんでたのに」
「だ、だから、琴美は彼女じゃありませんてば」
「そうだったね。でも、自分の気持ちは早めに伝えておくべきだよ?」
「どういう事ですか?」
「気持ちを伝えようと思った時に、必ずしもその相手が近くに居るとは限らないって事さ」
拓海さんの言葉の意味するものは、なんとなくだけど分かる気はした。
琴美の引越し騒動の時もそうだったけど、あの時も俺は自分の気持ちを伝えるだけで相当苦労したし、最終的にはさよならを言う為だけに明日香とあちこちを駆け回った。
結果として琴美とお別れする事にはならなかったけど、もしもあの時、琴美の引越しが現実になっていたとしたら、俺はきっと、さよならを言えなかった事や自分の気持ちを言えなかった事をずっと後悔していたと思う。
それを考えれば、気持ちを伝える相手が近くに居てくれるというのは、とても幸せな事なんだろうと思える。
「そうですね……肝に銘じておきます。ところで、お話って何ですか?」
「あっ、そうだったね。ちょっと聞きたいんだけど、最近、明日香ちゃんに変わった事はなかったかな?」
「変わった事ですか? そうですね…………ん~、特に変わった事は無かったと思いますけど」
「そっか……」
いつになく不安げな表情を浮かべていた拓海さんの事が気にかかり、俺はゆっくりと時間をかけて話を聞いてみた。
「――それって見間違いとか、疲れてたからとかじゃないんですか?」
「そうだったらいいんだけどね……」
拓海さんから聞いた話は、にわかには信じ難い内容だった。
しかし、幽天子の明日香や由梨ちゃんという存在が現実として目の前に居る事を考えると、拓海さんから聞いた話もありえなくはないと思える。
「拓海さん達の天生神には話を聞いてみたんですか?」
「うん。聞くには聞いてみたんだけど、なんだかお茶を濁されちゃってね」
「分かりました。自分もサクラにそのあたりの事を聞いてみますね」
「すまないね、涼太君。でも、無理はしなくていいからね?」
「はい」
とりあえず話を終えた俺達は明日香達と合流し、美しい紅葉と頂上からの風景を楽しんだあとに下山した。
× × × ×
その日の夜。
俺は明日香が寝ただろうと思える時間になってから、サクラに拓海さんが気にしていた事を話してみた。
「どうだサクラ? 何か思い当たる事はあるか?」
最初はいつもどおり、『スリーサイズとエッチな質問以外には答えるよ?』などと言っていたサクラだったが、話をする最中にどんどんその表情からは笑顔が消え、ついには普段では見ないほどの険しい表情になっていた。
「……涼太君。悪いけど、その事については何も話せない」
「えっ? どうしてだ?」
「涼太君。私達天生神は、天界法に則ってこの転生プログラムを遂行してるの。だから私達は、ある程度この転生プログラムに関して干渉する権限を持っているんだけど、その事例に関しては何も言えないの。ううん。言えない――っていうのは違うわね。本当は言えないんじゃなくて、言いたくない――って言うのが正しいのかな」
「どういう事だよ?」
「……ごめんね、涼太君」
サクラはそう言うと俺に背を向けて飛び立ち、そのまま窓の外へと消えて行った。




